第20話 主人と従者
その後カミルは、バスリー家の庭でラーニャに郷土史の読み聞かせをしたり、若いメイドに軽率で卑猥な言葉を浴びせかけて嫌われたりしながら過ごした。
もちろんそれはどこかにいるであろう侵入者に対して、王子がいるのだとアピールするためである。もともと連れていた三人の護衛にさらに三人を加え、宿泊予定であることを示すため馬車を帰す。
そうこうしているうちに夜を迎え、ラーニャ、カミル、ウィサムの三人での食事となった。
「明日から常時四人くらいが護衛につくよう手配してある。ただ建て前としてはラーニャを守るためってことになってるから、できるだけふたりが近くにいるよう心掛けてくれると助かるね」
「勿体ないお心遣いです」
「そういえばムフレスとかすっごい怒ってそう……私のこと嫌いみたいだし」
「ああ、捕まえた魔獣をリリースしろって言ったときの顔とか最高だったな」
魔獣とはなんのことかと首を傾げるウィサムに、アンヌフでの出来事を説明する。娘が猟奇的な嗜好の持ち主だということにされたのに、ウィサムは楽しそうに笑い転げるばかりであった。
「しかし目が見えていることにお気づきになるとは……カミル殿下が鋭いのはもちろんそうですが、ラーニャ」
「修行します……」
「いや、我々バスリーは主人をお守りするため、周囲を欺いて生きている。だが、主人まで欺く必要はない。しっかり仕えなさい」
「う」
作戦とはいえメイドへの卑猥な発言を目撃してしまったあとでは、この女好きに仕えることにいささか不満が残るが仕方ない。そうだぞとニコニコ頷くカミルを睨みつける。
だがそんなやり取りでさえ、ウィサムは眩しいものを見るように目を細めていた。父がこうして穏やかに笑うのを見るのは久しぶりで、ラーニャも顔をほころばせた。
食事を終えて三人はそれぞれの部屋へと戻る。ウィサムにふたり護衛をつけ、ラーニャとカミルも護衛をふたり連れてラーニャの部屋へ。残りふたりの護衛は見回りだ。
ウィサムに勧められた酒をちびちび舐めることとし、向かい合ってソファーにかけてからどれだけの時間が経過しただろうか。
夜も更け、酔いを自覚し始めた頃にカミルが呟く。
「さっきのウィサム怖かったね」
「どうかしましたか?」
「あれ、聞いてない? 『行動には必ず責任が付随するものです』ってすげぇー目ン玉広げて言ってた」
「でも王子さまなら行動自体なかったことにできますよね」
「んー? どう思う、試してみる?」
途端に、カミルの瞳は色気を帯びる。
ラーニャは蛇に睨まれた蛙のような気持ちになって、ビャッと身を固くした。
「おた、お戯れはよくないと思います」
「お戯れって――」
アハハと笑い出しそうな表情のまま、カミルは言葉を切った。部屋の外からバタバタと荒い足音が近づいて来たのだ。ラーニャも口元へ運ぶ途中だったグラスをゆっくりテーブルへ戻す。
ノックの音とドアハンドルが傾くのはほぼ同時だった。扉を勢いよく押して入って来たのは屋敷の警戒任務についていた護衛で、その表情には焦燥が浮かんでいる。
「報告します。庭園北西にて不審者を発見し、交戦。不審者の排除は完了したものの、仲間へ魔術通信を行った痕跡あり。襲撃の可能性を考慮すべきかと」
ラーニャは息を呑んでカミルを見つめた。襲撃など大袈裟だ、すでに侵入していた不審者を見つけたに過ぎないと、そう言ってほしかった。
だがカミルは、今までに見たことのないような厳めしい表情で告げる。
「伯爵の守りを固めてこっちへ。仲間はすでに侵入済だと考えて警戒するんだ。行け」
護衛は短く返事をして走り去った。部屋の前で待機していたふたりの護衛は室内に入って扉を閉め、剣を構えながらカミルの両脇に立つ。走り去る足音が小さくなるにつれ、部屋に静寂が戻った。
カミルもまたソファーの上に放り投げていた剣を拾って抜き、シャンと金属の擦れる音が響く。
「でん……」
「ラーニャは隠し通路とやらで逃げて」
「できません」
「えー、この期に及んで俺を困らせるの、仔猫ちゃんは?」
「主を置いていく従者がいるわけないでしょう! 殿下こそ、出て行ってください。騎士を連れてきてくださったことは感謝します。ここからは自分で――」
ラーニャの言葉は耐え切れず噴き出したカミルの笑い声で遮られた。
「目も見えないのに自分でどうするってのよ」
バスリーが弱視を装っているだけであるとは、護衛でさえ知らない。が、いまカミルは護衛ではなく敵に知られる可能性を指しているのだ。
ラーニャは図星を衝かれて顔が熱くなったが、それとこれとは別である。それにラーニャには天邪鬼の気質があるのだ。
「いっ、家の中は見えてるも同じですから!」
「まったくもー。んじゃ、伯爵がこっちに来たらすぐ出られるように準備だけしといて、物が邪魔で開けられなくなることのないように」
カミルの指示に従い、部屋の奥のキャビネットへ向かう。戸棚の一部に隠された紐を引きながらキャビネットを動かすと、裏に小さな四角い穴が現れた。
「まだ開けなくていいよ」
「これトラップです。中に入っても行き止まりで、本当の逃げ道は別にあります」
「え、バスリーこっわ」
護衛たちからクスっと笑い声が漏れる。屋敷内ではまだ、動きはないようだ。
ラーニャはクローゼットを開けて宝石箱を転がしたり、書き物机の引き出しを開けたりと逃亡偽装に余念がない。
「殿下、正しい隠し通路は――」
「いや、さっきも言ったけど俺も残るからね」
反論しかけたラーニャを手で制し、カミルが続ける。
「バスリーのためだけじゃない。俺がいると知ってて動くなら、王位に興味がある貴族ってわけだ。なら、しっかり迎え撃ってやんねぇと」
カミルが不敵に笑ったとき、階下で陶器の割れる音と若い女の悲鳴とが響いた。




