第19話 侍女を守る義務
ラーニャは鼻をすすりながら状況を説明する。
ウィサムの命が狙われているらしいこと、すでにこの屋敷の敷地内に何者かが侵入していると思われること、ウィサムがこの状況を仕方のないものとして受け入れている節があること。
「庭に誰かいると思ったら急に怖くなったというか、おとうさまが本当に死んでしまうって……」
「君の見立てどおり、夜までは何もしないだろうからちょっと落ち着いて」
カミルはラーニャの横へ座り、彼女の背を撫でた。
「殿下……」
顔を上げたラーニャの目尻をカミルの親指が撫でる。見つめ合ったふたりの距離は少しずつ近づいていき、唇が触れそうになったところでノックの音が。ふたりは慌てて姿勢を正す。
「殿下、ウィサムです」
カミルは転げるように元の位置へ戻り、コホンと咳ばらいをひとつ。
「あ、ああ。入っていいよ」
「失礼します。ご挨拶が遅れ大変申し訳ありません。地下にいたものですから」
そう言ってウィサムが紳士の礼をとる。
ラーニャの横に座り、再び頭を下げた。
「今日、娘を北宮へお連れいただきたくお願い申し上げる」
「今日? ずいぶん急な話だ。父上からもまだ何も言われてないけど」
ウィサムは頭を下げたまま何も言わない。
「腐った奴も少しくらい必要だってのは同意するんだよね、あいつらに利が少しでもあれば面倒な法もサクッと通してくれたりするし」
「……はい」
「伯爵が知ってることは、きっと死後に息子も知れるよう手配してあるんでしょ、バスリーはそういう家だ」
「全てではありません。だから奴らは急いでいるのです。こちらの手配が完了する前に葬ればよいと」
「でも、いま、完了した」
ウィサムは再び口を閉じた。それは無言の肯定であった。
秘密を知るということは、それを利用して彼らの動きをコントロールできるということだ。
王とバスリーとがその秘密を共有している場合、バスリーだけを殺めても意味がない。だが王が病床について先が長くない今、バスリーを消してしまえば秘密は闇に葬られることとなる。
しばらくの無言の後に、ウィサムが小さく息をつく。
「バスリーの人間がこんなに早くから人生を整理するなど、誰も思わんでしょう」
「気づかれたら息子まで狙われるけど? 陛下が崩御、新王への引継ぎを終えて初めて安心できるんじゃねぇの」
「身を守るには力がいる。だがバスリーは陛下以外の誰とも手を取り合ったりしません。特に王位争いが激化している今、誰かの手を借りるのは全てのバランスを崩す愚行だ。だから後は運を天に――」
「え、俺んとこに娘送っておいて?」
「アッハッハ! それは痛いところを衝かれましたな。しかしそこは陛下のご意向。こちらの意思ではありません」
今はカミルに任せておいたほうが良さそうだと考えたラーニャは、ふたりの様子を眺めつつメイドを呼んだ。そろそろ茶を淹れなおすべきだし、ウィサムの分もない。
「何か仕掛けてくる奴の目星は付いてるんでしょ。叩いちゃえばいいんじゃない?」
「しかし――」
「バスリーは国政運営上で得た知を私欲に用いてはならない? ハッ! 俺に言わせりゃバカ言うなって話だ。自分や家族の命を守るのは私欲じゃねぇし、腐った貴族が暴走しないようにするのも私欲じゃねぇ」
茶の乗ったワゴンを押しながらメイドが入室し、三人は口を閉ざす。すぐにそれぞれの前にカップが置かれ、メイドが出て行った。
ウィサムが静かに口を開く。
「しかし、先ほども申し上げた通り、バスリーには戦うための力がないのです。誰かを頼るわけにもいかない」
「頼らなくていい。俺には侍女を守る義務がある」
「私? ですか?」
「可愛い侍女を守るために部下百人くらいここに連れてきてもいいけど」
「なんですかそれ。……ふふ」
ラーニャは我慢しきれず笑い出す。
ウィサムは目を丸くして口が開いたままであった。
「というわけで、ラーニャは連れて帰らないし俺も今夜はここに泊まろうかな。酔い潰れてそのまま寝る予定でね」
「今夜……。つまり、もういる、ということですな」
「そ。あとで護衛増やすように連絡だけしといて」
頷くカミルに、ウィサムはしばし腕を組んで黙る。
断られたらどうしようかと焦るラーニャへ、カミルは目で落ち着くようにと訴えた。
「ラーニャの部屋に外へつながる隠し扉があります。それを覚えておいてください」
「普通当主の部屋に作るんじゃねぇの、そういうの」
「バスリーは最も若い能力者にその部屋を与えます。当主だけが生き延びたところですぐに死ぬ」
「ラーニャの部屋で飲めって?」
「責任はとっていただく」
「こっわ! 親のセリフじゃないよそれ! こっわ!」
突然緊張感のなくなったふたりに、ラーニャは頭を抱えた。
取り急ぎ今夜はカミルが滞在する以上、大きな動きはないだろうと考えられる。その間にラーニャを守るという体で防御態勢を構築しようというわけだ。
ウィサムが先に部屋を出ていき、カミルとラーニャは一歩遅れて出入口へ向かう。
扉の前でラーニャがぺこりと頭を下げた。
「あの、ありがとうございます」
「礼は、敵をぶったたいてからにして。場合によっては数か月とかかかるかもしれないしね。それに――」
守り切れるかわからない。恐らくそう言おうとしたのだろう言葉は、発されることなく飲み込まれた。
「それでも、ありがとうございます」
再び礼を口にしたラーニャに、カミルの唇が近づく。ラーニャは手のひらでそれを押し返した。
「ちがうでしょーっ!」
「さっきいけそうだったのに」
カミルがラーニャの手のひらをペロリと舐め、ラーニャは声にならない悲鳴をあげた。




