第16話 矢は放たれた
王城の敷地内にある聖オーブリー大聖堂の周りには妙な静けさが広がっていた。第一王子の率いる魔導士団と、第二王子が団長を務める騎士団とが大聖堂の右手側と左手側とに分かれて睨み合っている。
ラーニャは彼らの視線を一身に浴びながら大聖堂の扉に手をかけた。それを止めようとする者はおらず、だが扉の向こう側には確かに異様な緊張感がある。
ギィ――。
静かに押した扉は、大聖堂の中で酷く不気味に響いた。身廊の先で半球の天井の窓から差すオレンジ色の光がふたりの男を照らしている。ぴりぴりした空気の中で対峙するのは第一王子スハイブと、第二王子ダウワースに違いなかった。
スハイブはダウワースの構える剣の間合いの中にいる。しかし王国一の魔導士と謳われるスハイブが相手では、ダウワースもたった一歩が出ないらしい。魔導士はどこに手札を隠しているかわからないのだ。
よく見れば光の少ない側廊にも魔導士団や騎士団がいて、やはり張り詰めた空気でふたりを見つめていた。
じりじりと時間ばかりが過ぎていく。
しかしその時はあっけなく訪れた。側廊のどこかで「ふぁ……」と気の抜けた声がしたのだ。あまりにも場違いなそれに多くの人間の緊張の糸が切れた。
「ぐぁっ……!」
ばちっという何かが爆ぜるような音ともに、男の苦し気な悲鳴。
だが、何が起こったのかをラーニャが目で確認することはなかった。レースの上からさらに何者かがラーニャの視界を遮ったのだ。背中と鎖骨の下に温もりがあり、力こそ入っていないものの背後から抱きすくめられたのは明らかである。
「こんな危ないところに来るなんてイケナイ子だ」
耳に何者かの吐息がかかる。ふわっと鼻先をかすめた極東のイメージを彷彿とさせるウッディな香りは、ラーニャの記憶にあった。
「……ザイン殿下」
「お。よくわかったねぇ」
「手を放してください」
「レディが見ていいものじゃないって思ったけど、そういえば貴女はバスリーだったね」
あははと笑いながら第三王子ザインがラーニャの目元から右腕をどかし、自身の左腕に重ねる。彼女を解放するつもりはないらしい。
開かれた視界の中では魔導士団や騎士団が入り乱れ、事態の収拾に努めていた。入り乱れる叫び声と足音の中で、勝者がダウワースであったことを知る。
「赤の兄が死んだ。僕には都合がいいや」
実の兄の死に対してあまりにも軽い言葉。ラーニャは背にぞわりと冷たいものが走った気がした。
「都合、ですか」
「頭の中まで筋肉が詰まってる橙の兄なら、軟弱な僕でも倒せそうじゃない?」
ザインは耳元で鼻歌でも歌うように囁き続ける。
と、そこへラーニャの腕を強く握る手があった。力任せに引っ張られてザインの腕からよろけながら転がり出たラーニャを、逞しい胸が抱き留めた。ムスクの香りがラーニャを包む。
「俺の侍女になにか?」
「えー怖いなーもーカミルはー」
「くっつきすぎなんで」
「可愛い仔猫ちゃんをちゃんとケージに入れておかなかったカミルが悪いよ」
くふふと笑いながらザインはふたりに背を向け立ち去った。
カミルはラーニャから身体を離し、深々とため息をつく。
「来るなって言ったっしょ」
「バスリーにはどんな情報も必要なので」
「あとで俺が伝えるってちゃんと言えばよかったな。……で、見た? スハイブの死ぬとこ」
「いいえ、ザイン殿下が目を覆ってしまったので」
聖堂の中に充満する生臭い鉄の匂い。聖人の姿を彫った像に飛び散る赤い液体。それらの状況から第一王子がどのように死んだかは容易に想像できるが。
カミルは背を丸めてラーニャの額に自分の額をくっつけた。
「ならいいや。ザインのおかげってのが気に食わないけど、誰であれ人が死ぬとこなんか見ちまったら、その日のうちに酒で綺麗さっぱり流さないといけないんだ、普通は」
ラーニャが何か言うより早く、ふたりのすぐそばで野太い声がした。
「おう、邪魔だ」
「橙……!」
カミルはそう呟いて右足を引き、右手を胸に紳士の礼を、ラーニャもまた慌てて淑女の礼をとる。
悠々と大聖堂を出ていくダウワースの後ろを騎士団が続き、その後で魔導士団の制服をまとった男たちがマントに包まれた遺体を運び出していった。
目を伏せて遺体を見送り、扉が閉まって聖堂内に静けさが戻るとカミルが再び口を開いた。
「ザインには気をつけろ」
「もしかして、今回の一騎討ちを手引きしたのは」
「まだわからないけど、おそらくね。あとザインは気に食わない」
「……さっきから気に食わないばかりおっしゃいますけど、黄の星と何かあったんですか?」
先ほどザインは、一騎討ちの最中であった王子ふたりに意識が向いていたとはいえ、音に敏感なラーニャでさえ気づかないうちに背後に立っていた。
加えて目を隠すという行為。彼はもしかしたらバスリーの真実を知っているのかもしれない。
以上の理由から「気をつけろ」と言われることには頷ける。しかし、気に食わないとは。
カミルは唇を尖らせた。
「あいつさ、ちょっと俺とキャラかぶってるっしょ。あいつも女好きだし、ノリが軽いしさー」
「あ、そういう」
にやりと笑ったカミルがラーニャの手をとり、出入り口のほうへと歩き出す。
「緑と青もいたの、気づいてた?」
緑と青はそれぞれ第五王子と第六王子を指す。
いたとすれば側廊のどこかだろうと思いつつも、ラーニャの視界に入っていないのは確かだ。もし少しでも視界に入れば覚えているのだから。
「いえ……」
「今日のこれで争いの矢は放たれたも同然だからね、ラーニャも気を付けて。葬儀では気づかれないように観察するといいよ」
扉の外はすでに暗く、藍色の空が広がっていた。




