第11話 バスリーの活用
捕らえた魔獣は追跡魔法を付与して逃がした。朝になってから寝込みの巣穴を襲うこととしたのだ。
落ち着いた頃にはもう辺りは真っ暗で、月明かりだけでは心許ない。城へ戻る兵士たちを護衛として火球を浮かべながらゆっくりと戻った。
道中でカミルが魔獣に関してどう考えるかとラーニャに問う。ラーニャはそれを、兵士やムフレスに対して悪いイメージを払拭するための機会を与えようとしているのだと感じた。
ラーニャは馬の上で一定のリズムに揺られながら、たてがみから手を離して腕を組む。カミルは手綱を片手にまとめ、空いた手でラーニャを抱きとめた。
「殿下の説明が正しければ、今回出没した魔獣は人為的に持ち込まれたものと考えられます」
「というと?」
「古来よりこの地域に生息する狼種の魔獣は雑食なのです。というよりヒトの進化に合わせて彼らも進化した。ヒトが育てる穀物で飢えを凌ぐことができるから、それに合わせて最適化しました」
このアンヌフという土地は我が国の最南端で、さらに南は海。西の国境から向こうは南に土地が続いており、南下するほど砂地がひろがっていく。
多くの砂と少しの水と少しの緑、そういった環境下では肉食だけで生きていくのが普通であろう。けれどもこの地域では植物を食べることさえできれば食糧に困らないのだ。
「さっきのは肉食だってこと?」
「はい。顕著なのは尾です。太く長い尾は走ったり飛んだり、つまり狩猟においてバランスをとるのに役立ちます。普通この辺りに生息する狼種はもっと細く短い尾であるはずです」
兵士の中に、ここを出身地とする者がいるらしい。「あー」と納得するような声があがった。
「なので一帯に広がる畑には目もくれずヒトの気配のある方へ向かうのはわかるのですが……彼ら、何も食べていないにしては元気な、えーと、いい鳴き声でしたわよね」
ラーニャの頭の上でカミルが吹き出す気配があった。目が見えない者がその元気さを挙げる理由として鳴き声を指摘するのは、間違いではないはずだ。可笑しく聞こえるのはカミルが酷い属性をラーニャに与えたからである。まったく納得がいかない。
ムゥと頬を膨らませたラーニャが肘でカミルの腹を攻撃する。うげぇとカミルが声をあげたところで、ムフレスが口を挟んだ。
「他にも狩場があるとしたら?」
「北の草原地帯で小動物を狩って生きるには群れの規模が大きいと思いませんか。この辺りから南下する時間はさすがにありませんし」
先ほど「あー」と声をあげた兵士が再び口を開く。
「おれのバーチャンの家ぁこの辺りですけど、トウモロコシだってなんだって荒らされたっちゅー話ぁ聞きませんね。昔っからいるネズミみたいのはそりゃーいますけど」
ようやく納得したのか、ムフレスも小さく頷いた。
「何者かが餌を与えているということですかね」
「でしょうね。もしそうなら、巣穴の近くに飼い主もいるでしょう。明日の朝にはわかることです」
綺麗にまとめたぞとラーニャが悦に入ったところで、一行は城へと到着した。馬を兵士へ任せ、カミルはラーニャの手をとって中へ入って行く。
「君を連れて行って正解だったな、とんだ愚者になるところだった」
「そうでしょう、バスリーが手中にあるなら活用しないと」
一度歩いた場所である。ラーニャは目を閉じたまま階段をのぼっていった。三階へ到達したあたりでカミルはラーニャをエスコートしたまま廊下へと出る。
「さっきは屋上へ連れて行っただけだったよね、君の部屋はこっちだ」
「では自分は報告書に目を通して後ほどお伺いします」
背後でムフレスが礼をとった気配がした。相変わらずラーニャへの視線は冷たいが、いつの間にかカミルとラーニャが二人きりになることに対して不服そうな態度はとらなくなっている。
と言っても、屋上では警備兵を追い出していたせいか焦って飛び込んで来たわけだが。何も言わないからと言っても、信頼感はその程度であることを忘れないようにしなければならない。
いい加減もっと信じてくれても良さそうなものである。頭の片隅でばーかばーかと悪態をついて、ラーニャはカミルについて行った。
案内された部屋は思いのほか広く豪奢であった。ラーニャはレースの覆いを外してキョロキョロと部屋の中を見回した。
王城の北宮に与えられた部屋もそれなりに広いと思ったが、その数倍はあるように見える。これではまるで――。
「女主人の部屋だよ、領主の妻が使う」
「はい?」
「だから、俺の部屋とも繋がってる」
「はい?」
目をぱちくりさせるラーニャにニヤリと笑って見せてから、カミルは室内の扉を開けた。向こう側を見るようにと手で指し示す。
カミルの傍らに立って隣室を覗けば、確かにラーニャのために用意されたのとよく似た、しかしもう少し大きな部屋がそこにあった。
「わ……ほんとですね」
「食事は部屋に運ばせるからゆっくり食べて。寝支度を整えたら俺の部屋においでよ」
「え、なんで」
カミルがラーニャのハニーブロンドを一房掬って口付ける。
「若い男女がひとつの部屋にいればさぁ」
「お断りします」
「とっておきのワインと……ここアンヌフの郷土史をまとめたものがある」
「読みます」
バスリーの血は常に知識に飢えている。書物を覚えることでのみ、その血を絶やさずにいられるからだ。
カミルは笑いをこらえながら「またあとで」と言って扉の向こう側へと消えた。




