第10話 猟奇的な伯爵令嬢
光源として魔術によって浮かべられた火球が照らすのは、狼型の魔獣と兵士とが戦う姿であった。
ラーニャら一行はその手前で馬を降り、木造の小さな建物を目指す。カミルが言うには、国境の壁の補修工事が終わるまでの間だけ使う警備兵のための仮設詰め所であるらしい。
ちらっと見えた魔獣の姿。そして魔獣の出現場所。何かが引っかかる。そんな言葉にできない漠然とした違和感を抱きつつ、入り口の手前で到着を待っていた男の元へ向かった。どうやら彼が指揮をとっているようだ。
「状況は」
「あっ、殿下! 増援をいただいたのでそろそろ撃退はできるでしょう。しかしもう最近では毎日のように現れるので補修工事も進みませんな」
男の言葉にムフレスが首を傾げる。
「この時間に現れるのなら夜行性である可能性が高いです。昼間の作業に影響はないのでは? それともいつもはもっと早い?」
「あーいや、夜行性でしょうな。むしろ今日がいつもより早いくらいです。ただこの国境まで追いやると壁に隠れながら襲ってくるもんですからね、自分たちの手で壁を壊すはめになるんですなぁ」
「狼種を相手に剣や槍は非効率だ。魔導士を増やすか……」
カミルが溜め息をつく。
魔術を扱える人員はそう多くはない。いや、正しくは魔術を扱う戦闘員が多くないのだ。
というのも、魔術の行使には正確な魔紋の描画が必要になるためである。常時用いる魔術は体に刻み込むことで描画の手間を省く、または魔紋を記載した魔導書を持ち歩くなどして対応するらしい。しかし一瞬の判断が生死を分かつ戦いの中では、最適な魔紋を所持していなかったり迅速に選び出せなかったりする。
ラーニャは先ほど感じた違和感が形を持ちそうな気がして、何かヒントはないかと口を開く。
「魔獣はいつもこの付近に現れるのですか?」
「兵士の飯の匂いに釣られてるのか、この付近まで出て来ることが多いですな。それで壁の方に誘導するんです」
指揮官はラーニャの存在に今はじめて気づいたように目を丸くしたが、それについては何も言わず淡々と回答した。
そうですかと頷いてラーニャがカミルの腕を引っ張ると、彼は言いかけた言葉を飲み込んだ。その表情は「連れていかないぞ」という意志と「どうせ従わないんだろう」という諦めとが綯い交ぜだ。ラーニャ以外の誰にも聞こえないくらい小さな舌打ちを発して彼女の手を取る。
「えー? 魔獣の悲鳴が聞きたいなんて変わった趣味だなぁ、俺の仔猫ちゃんはー!」
「なっ! コホン。……そ、そうです。魔獣の悲鳴はどんな音より甘美ですもの」
「痛っ」
ラーニャはカミルの足を思い切り踏みつけた。まさか愛しの仔猫ちゃんであるだけでなく、猟奇的な趣味の持ち主だという設定まで付加するとは!
指揮官やムフレスを連れて現場へ近づくと、火球のおかげで魔獣の姿がよく見えるようになった。
「あれは……」
違和感がひとつ形になる。頭の中で、かつて覚えたあらゆる図書に説明を求めたが明確な答えはなく、この状況は異常であると結論付けた。なぜなら、目の前にいる魔獣はこの地域に生息するはずのない種なのだ。
ラーニャはカミルの袖を引っ張って耳を寄せさせて囁く。
「一匹でいいので生きたまま捕獲してください」
「は?」
「この問題が解決できるかもしれないので」
ニヤリと笑ったカミルが、なぜかラーニャの頭のてっぺんにキスをした。突然の意味不明な行動にラーニャの思考が止まったとき、カミルは大袈裟に驚いた振りをして見せる。
「ええっ? もっと間近で魔獣の声が聞きたいってー? いくら仔猫ちゃんの頼みでもなああああ! しょうがないなあああああ! ムフレス、生け捕りにしろ!」
「はぁっ? 自分ッスか? なんで? なんで生け捕り?」
悲鳴にも似たムフレスの叫び。だが「なんで」と叫びたいのは自分のほうだと、ラーニャは頭を抱えた。これでは、バスリー伯爵令嬢にはヤバイ趣味がある、という認識が定着してしまうではないか。
ムフレスはなんで自分がとぶつぶつ文句を言いながら、腰に下げたホルダーからカードの束を取り出した。慣れた手つきで、片手からもう一方の手へとカードを一枚ずつ落としていく。途中で手を止め、一枚のカードを抜き取った。
「どれでもいいんですよね?」
「あ、元気そうなのがいいです。お願いします」
注文をつけたラーニャをじろりと睨みつけてから、ムフレスは選び取ったカードを指で挟んで顔の前に掲げた。そこには魔紋が描かれている。
魔紋が黄に光る。それはムフレスの魔力の色に違いなかった。どこからか現れた鎖が魔獣を捕らえる。ギャンという叫び声を機に、魔獣の群れは捕まった一匹を除いてすべて陣形を変えて下がった。
しばし様子を見るように右往左往する群れであったが、仲間の救出は諦めたのかそう間をおかず一匹を残して撤退してしまった。
「で? こいつを槍でつついて苛めればいいんですか?」
囚われの魔獣を囲みながらムフレスがぶつぶつ文句を言う。言いたい気持ちはわかるのでラーニャは何も言わず魔獣の観察に徹することにした。
兵士たちの中で怪我などがない者は、鬱憤を晴らすつもりだったか槍の先で魔獣をつつく。その度に魔獣はキャンと悲鳴をあげた。
腕を組んで「うーん」と唸るラーニャに、カミルはわざとらしく魔獣の特徴を説明していく。
「毛色はグレー、毛足は長く、体高は――」
聞くともなしに聞きながら、ラーニャは再びカミルの袖を引っ張って耳を寄せさせる。小声で「説明はあとでしますので」と囁いてから、ムフレスを振り返った。
「ムフレス、もう飽きたので鎖を外していいです」
「は? 飽きた……って、はぁぁぁあああ?」
どうせラーニャの評判が落ちるならカミルも道連れである。とことん我が儘な令嬢を演じてやるのだと心に決めた瞬間であった。




