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三題噺もどき

風任せ

作者: 狐彪

三題噺もどき―ひゃくじゅうさん。

 お題:水音・緩やかに・呼吸音




 木々を揺らす風が、ほんの少しだけ涼しくなってきた今日この頃。

 ようやくあの灼熱の日々が終わりを告げようとしているのだろうか。

 しかしまぁ、相も変わらず日差しは痛々しいので、都会で夏の終わりを告げるのはまだ先の話になってしまうかもしれない。

「……、」

 今私がいるのは、その都会から遠く離れた、名を知っている人の方が珍しいと思われるぐらいの、誰に聞いても、知らないと答えが返ってきそうなほどの、小さな田舎町である。

 山をいくつか超えた先には、あの忌々しいビル群が立ち並んでいるというのに、ここはまるで別世界のようだった。

 周囲には田畑と木々と、ぽつぽつと民家が立っている程度。

 ここを紹介してくれた人の、お隣さんが数十メートル先というのも嘘ではなさそうだ。

 あのひしめくように民家が立つ住宅街に住んでいる人間から見れば異常かもしれない。

「……、」

 サァ―と静かに風が通り過ぎながら、私の顔をサラリとなでていく。

 風に混じって草木たちの独特な香りが、鼻をくすぐる。

 そのまま息を吸えば、肺一杯に、体の隅から隅へと、その清々しい空気が浸透していく。

 それは血液に運ばれ、心臓へと向かい、そこから全身へと行き渡っていく。

 とても、とても心地が良かった。

 あの日々の喧騒に揉まれながら過ごしていたのがどうでもよくなってしまうぐらいに、ここに居るととても清々しい気持ちに襲われた。

「……、」

 なぜ私がこんな田舎に居るのか。

 ここに親戚がいるとか、友達がいるとか、そんな事ではない。

 この田舎町に私の事を知っている人間など、誰一人として存在しない。

 いや、まぁ、ここを紹介してくれた人は居るのだけれど、それ以外の住人は私の事など知りはしないだろう。

 なにせ、限界集落といってもいいほどにここらに住んでいる住人は老人がほとんどで、畑仕事をしている人も居るようだが、部屋から外に出ることがあまりないようだった。

 ここに住んでいる時間は私よりはるかに長いのだから、その間に住民間の交流というものなど、とうの昔に終えてしまっているだろう。

 もうお互いの事は分かりきっているだろうし、万が一の防衛策も彼らの中ですでに確立してしまっているだろう。

 今更、私の入り込む隙間などありはしない。

「……、」

 それでも、一度は顔合わせをした方がいいだろうと、ここの代表のような人が数日後に交流会的なものを開いてくれるそうだ。

「……、」

 私としては、できるだけ放っておいてほしいのだが、万が一というものもある。

 ほとんどの住人が日中の日差しが強いうちは家の中に居るようだし、私の活動時間と被ることはないだろうから、その一度の交流会で終わる関係だろう。

 せいぜいそんなものだ。

 ―そうであってほしいと私は思う。

「……、」

 もう私は、他人とかかわることはしたくない。

 人と人が慣れあうような、生々しい場面にはもう会いたくないのだ。

「……、」

 互いが互いの腹を探りながら、嘘っぱちの笑顔を張り付けながら話しているようなのはもう見たくもない。

 そんなもの、はたから見れば良き関係の人々に見えるかもしれないが、静かに緩やかに、けれど確実に崩壊へと向かっているのだ。

 絶対に、誰かが裏切り、破壊し、蹂躙して、暴れるだけあばれて―最後、誰か一人にそれを押し付けるだけなのだ。

「……、」

 その誰かは、裏切り者ではない、ほかの誰か。

 人々に必要とされていると、勘違いしている愚かな人間。

 裏切り者の道化師のようにうまく立ち回れずに、それに踊らされているだけの操り人形。

「……、」

 その糸が繋がっていればまだしも、それは静かに、ゆっくりと、切られていく。

 緩やかに閉じられていく、鋏の存在に気づかず、いつの間にかすべての糸が切られている。

 それでもまだ、結んでくれると信じてやまない、ただ一人の愚者。

 全く、愚かしくて笑えてしまうではないか。

「はっ――」

 思わず笑いが漏れてしまった。

 そんな愚か者の自分が馬鹿馬鹿しくて、心の底から嗤ってやりたかった。

 あんな人間たちを信用していた自分が愚かしくて、愚図で、愚鈍で、あまりにも、あまりにも―

「……、」

 せっかくここに来たのに、忘れられない。

 離れてしまえばどうにかなると思っていたけど、そう簡単にはいかないらしい。

 あの嫌いな、憎たらしい顔が、思い浮かぶ。

 忌々しい、あの人間どもが、ケラケラと嗤う声が、可愛そうにと憐れむ声が、キーキーと喚き散らすあの、こえ、が、

「―――――

 突然、膝から崩れ落ちる。

 荒い呼吸音が耳に届く。

 先ほどより動きの速くなった心臓が、五月蠅く、頭に響く。

 息を吸うことも、吐くこともかなわず、小刻みに震える手のひらを、口を覆うように動かしてしまう。

 心臓の音が頭に木霊して、うるさい。

 痛い、五月蠅い、うるさい、痛い。痛い、いたい、くるしい、いきが、くるしい、くるしい、いたい、いたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいたいたいたいたいたいたいたいいいたいいたいたいいた―

 だれ、だれか―――――


「っ―――

 とっさに伸ばした手を止め、落ち着けと自分に言い聞かせる。

 大切にしているお守りを握り、ゆっくりゆっくりと息を吸うように自分に言い聞かせる。

 あせるな、もうここにあれは居ない。

 ここには私の事を知る人間はいない。

 おちつけ、落ち着け、大丈夫だ。

 もうあれの事は忘れると、決めたのだ。

 だからこんなところに来たのだ。

 この静かで、暖かな田舎に来たのだろう。

 ゆっくり、ゆっくりと息を落ち着かせていく。

 荒かった呼吸音はゆっくりと、穏やかになっていく。

 頭を叩いていた心臓の音は、遠くへと。

「  」

 どこからか、水の音が聞こえてきた。

 小さな、小さな水の流れる音。

「……、」

 ここらにある田に、水を回すための水路だった。

 涼やかなその水音は、確実に安らぎをくれた。

 緩やかに流れるそれは、田の一つ一つに生を与え、育んでいくのだろう。

「……、」

 ふわりと優しい風が頬をなでた。

 木々を揺らし、畑に育つ植物を揺らし、どこか遠くへと向かっていく。

 まるで、私の嫌な思い出も共に連れて行ってやろうと言っているようだった。

「……、」

 ジワリと書いた汗を手のひらで拭い、立ち上がる。

 ゆっくりと。


 そうだ。

 私は、ここで静かに暮らすと決めたのだ。

 昔の事は、忘れて、風にでも任せて。

 今を生きると。


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