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北方戦恋話

作者: 多歩間 結

 

「面白い女だな、気に入った――」


 殺すのは最後にしてやる。


 目の前の立つ美男子は確かにそう言った。




 平坦な草原へ(かす)かに潮の匂いを含んだ爽やかな風が吹く。それに反して空には鬱屈とした曇天が広がっており、加えて騒がしい(とき)の声が響いていた。


 鼻当ての付いた簡素な兜を被る兵士らが、互いに槍で突き合い、剣や斧を叩き込む。鉄同士がぶつかり、木の盾が苦悶(くもん)の声を上げる戦場音楽の大合奏の渦中へ、一人の戦士が飛び入った。

 固く握ぎられた両手斧が、ぶおんと唸り声を上げる。血柱が立ち昇り、同時に胸を深く裂かれた兵士が膝から崩れ落ちた。

 噴き上がった血が重力に従って落下し、ばたりと戦士の赤褐色の荒れた髪に張り付く。


「あ、あの赤髪……“赤毛”のエストリッドだ!」


 兵士の一人が恐怖に震える声を上げると、周囲の兵も恐れの色を顔に浮かべた。

 三つ編みで一つに纏めた長髪を後ろで揺らす戦士が、獰猛に笑い、そして咆哮する。


腑抜(ふぬ)けの帝国人共を叩き潰せ!」


 高く響く声に続いて野太い蛮声が轟き、斧や剣を手にした鎖帷子(ホーバーク)姿の男達が、敵の横腹を突く形で戦場に雪崩れ込んだ。

 三つ編みと両手斧を振り回す女性戦士に率いられた彼らは、敵兵を次々と蹴散らし、やがては敵勢そのものを戦場から叩き出す。


 戦士達は敗走する敵の背中へ武器と勝ち鬨をぶつけ、数百人規模の戦闘はあっさりと終わった。



 鎖帷子(ホーバーク)を身に付けた女性が騎乗したまま、木の柵が途切れる門口を通り過ぎた。

 鎖が立てる音を重ねて響かせるその鎧や、赤褐色の髪に返り血を付けたままの女性戦士は、自らに駆け寄る足音に小さく笑みを溢す。


「エストリッド様!」

「おお、ポッポ。帝国の連中をぶっ飛ばしてきたぞ……ってお前も帝国人だったな、ははは」


 青い顔でこちらを見上げる剃髪(ていはつ)頭の男ポッポは、女戦士エストリッドの笑顔に(しか)めっ面を返した。


「また返り血も落とさずに……戦に出るなとまでは言いませんから、せめて血ぐらいは落としてからお帰り下さいませ」

「別にいいじゃないか。細かいことは気にするなって」

「兜も被らずにって、ああ、せっかくの御髪(おぐし)がまた血で固まって……父君も御嘆きですぞ」

「今朝は急いで出陣したからな。髪なんていつものことだろうに、毎度喧しいなポッポは」

「やかま……エストリッド様! 今日という日には言わせて頂きますぞ。いいですか――」

 

 止まらないポッポの小言に、エストリッドは知らんぷりでそれ以上取り合おうとせず、そのまま馬を進めた。(うまや)を管理する奴隷に愛馬を任せると、窓を持たない木造藁葺きの小さな屋敷へ足を踏み入れる。

 採光部が無いため火が焚かれてもなお薄暗い屋内には、髭面の男が仁王立ちで彼女を待ち構えていた。


「父上、ただ今戻りました」


 エストリッドの父、ここゴーム王国の西南端地域を纏める首長は、髭に囲まれた口をにやりと歪める。


「また派手にやったな。戦勝の報も聞いておる。相変わらずの戦士振りよ」

「王より剣を賜った近習(ハイド)である父上の子ですから、これぐらい当然です」


 国王が親征する際に従軍する近習(ハイド)を務める父は、鎖で覆われた胸を張る娘に笑い声を上げた。


「ここまで戦ができるなら“エストリッド(神々に愛されし者)”ではなく、“シグニー(勝利者)”と名付ければ良かったわ。はっはっは」


 ひとしきり機嫌良く笑った彼だったが、その髭面は急に真面目くさったものとなる。それを見たエストリッドも背筋を正した。


「だがな、いつまでも戦士のままではいられんぞ。お前はいずれ有力者の妻として嫁ぎ先の財産管理や家の差配を担わなければならんのだ。最低限の算術や領地経営を身に付けねば――」

「父上までポッポのような事を……どうせ家は兄が継ぐでしょう。来年か再来年辺りで傭兵業から帰ってくる筈ですし」

「お前の人生と我が一族の未来が懸かっておるのだぞ。女として生まれた以上は、家をより栄えさせるために力ある者と結ばれる責務があるのだ。男が一人前になる為に遠方に旅立ったり、冬に備えて遠征(ヴァイキング)に行かねばならんようにな」


 エストリッドの父は、そうゴーム王国の常識を語る。


 北の海に面した王国の土地はどこまでも平坦だが、決して豊かとは言えず冬もまた厳しい。

 このため、小作農や奴隷を除くゴーム王国の男達は、秋になるとより豊かな地を襲って富を奪い、持ち帰った財で冬越えに備えるのだ。

 それ故に、成人の通過儀礼として、若者は見聞や実戦経験を積むべく遠方へ旅立たなくてはならない風習さえある。

 そして、文字通り身命を賭して稼ぐ夫に対し、残された妻は、家畜や農場といった財産の管理と召使いである奴隷や小作農達の監督を行うのが普通だった。


 いわば留守を預かる代官の役割を果たすのが、ゴーム王国における妻の務めである。


「だからこそ、学僧のポッポを教育係として雇っておるというのに。なぁ?」

「仰る通りです旦那様。もう神学は諦めておりますが、せめて算術だけでも物にならなければ」


 二人の言葉を聞いて嫌そうに小さく唸るエストリッドだったが、二対一では流石に分が悪く、渋々といった様子で頷いた。その後、そそくさと逃げるように、身体を洗うべく井戸へと向かう。

 今日もエストリッドの日常に変化はなかった。


 ゴーム王国西南の国境で度々起きる隣国との小競り合いに参加しては、ポッポに小言と授業を受ける日々を過ごす。

 そのやや物騒な日常の中にいたエストリッドであったが、彼女の人生を揺るがす時は突然が訪れた。


「父上、いよいよ遠征(ヴァイキング)を始めるので!?」

「……やはり聞き付けたか。エストリッド、お前は――」

「当然行きます! 帝国諸侯との小競り合いには、いい加減飽き飽きしていましたし、私の私兵(ハスカール)もこの時を待っていたんですから」


 “ハスカール”とは一種の傭兵で、金銭や住居、戦利品を給料として受け取る職業軍人である。

 主に有力者の親衛隊として機能するが、雇い主から十分な報酬を貰えないと見るや、主人を見限ってその隷下(れいか)から離脱したり、更には主人を排することすらある自発的性格の強い戦闘集団だった。

 そんな戦士らを数十人抱えるエストリッドは、彼らの為にも多くの戦利品を確保できる絶好の機会を逃す理由は欠片も存在しない。


 (はや)る彼女に父親は小さな溜息を吐く。


「娘よ、念の為に聞くが、我らがゴーム王国は帝国の何なのか分かっているか?」

「? それは臣下でしょう。王は皇帝に臣従しています。故に我らは表向き帝国とは戦をしていない事になっていますが」


 ゴーム王国は隣国である帝国とは臣従関係にある。だが、それは建前上のものに過ぎない。

 帝国皇帝、ゴーム王とも、互いに相手へ干渉する権利や強いられた義務は存在しておらず、実際には同盟とまではいかずとも不可侵に近い関係であった。


「左様、西と南で接する強大な帝国に形だけの臣従を取る事で互いに敵対せず、我が国は東だけに向いていられた。が、最近は皇位継承の争いで帝国は荒れ、辺境の諸侯や領主もこれ幸いとばかりに好き勝手しておる」

「我らの土地を侵す連中もそういった諸侯だとは理解していますが」

「では帝国と表立って戦をする訳にもいかぬのは分かっておろうな? 今回の遠征は冬備えと侵入に対する報復を兼ねておるが、やり過ぎて帝国中枢の耳にまで届いてしまわぬようにせねばいかんのだ」


 瞳を尖らせる父へ、エストリッドは自信たっぷりに己の胸を叩いた。


「大丈夫ですとも。遠征(ヴァイキング)の慣例通り、村落は滅ぼさないようある程度の生存者と最低限の食料は残してやるつもりです」


 遠征(ヴァイキング)において、標的の集落を今後も略奪できるようにする為の慣習にそう触れた彼女に、父は再び小さな溜息を吐いた。



 一本の帆柱(マスト)を持つ細長い船が陸を離れていく。

 チェストを椅子代わりに縦二列に並んで座った男達が、それぞれ両手で握るオールを動かし、片舷(かたげん)に十数本ずつ伸びるそれらが海を掻いて船を押し出した。


 彼らは、エストリッドの私兵(ハスカール)を中核に、参陣を志願した自由農民達で構成された遠征部隊である。

 三隻のロングシップから成る小艦隊は、ゴーム王国西南の海岸に別れを告げると、オールを仕舞い込む代わりに帆を張って颯爽(さっそう)と海洋へ駆け出した。まるで巨大な海蛇の様に。


 ロングシップは非常に軽量快速な船である。遅めに見積もっても一日で凡そ三〇〇km、常に最高速度を保てればその二倍もの距離を走破してしまうのだ。

 細長い船体から発揮されるその驚くべき性能によって、かの小艦隊もほんの数刻の間に目的地へと到着した。


 鐘の音が激しく鳴り響く中、砂浜に乗り上げた船から戦士が次々と降り立つ。当然、エストリッドも上陸の先頭に立って、彼らと共に目前の村への進撃を開始した。

 警報を鳴らし続ける小さな教会の鐘を見上げると、兜の下から赤褐色の三つ編み髪を垂らす女戦士が、極上の獲物を前にした獣の如き笑みを浮かべる。


「ウチの木造と違って石造りだ。金目の物をたっぷり溜め込んでそうだ」

「これは期待できそうですな」


 配下の戦士(ハスカール)が零した追従の言葉に、エストリッドは眼鏡状の保護具が付いた兜の中にある笑みを深めた。


「野郎共、突っ込むぞ!」


 咆哮を上げる八〇程の猛獣達が、堀と丸太の柵に囲まれた村に襲い掛かった。


 柵の向こうから矢が飛んでくるが、一度に放たれるのはたったの十数本に過ぎず、丸盾を構える襲撃者の群れを止めるどころか、その足を鈍らせる事すらできない。

 エストリッドに率いられた戦士達は、瞬く間に門へ駆け寄るなり、閉ざされた門扉を乱暴に斧で何度も叩く。木片と悲鳴を吐き散らして、ぼろぼろになった扉が道を開けた。


 門の向こう側に見えるのは、木柱と土壁の上に藁を被った家々と、抵抗を試みる武装した兵や村人――いや羊の群れというべきだろう。

 槍や小振りな剣を持ってはいるが、兜を被るのは一部だけで、軽鎧代わりらしい厚手の服や革製の丈夫な衣服といった無いよりマシ程度の貧相な装備しかない。


「蹴散らせ!」


 エストリッドの号令と同時に、ゴーム王国からやって来た狼達が突撃を開始する。斧や剣が振るわれ、哀れな羊らの鮮血が踊り狂った。

 あっという間の惨劇は、最早虐殺に近い。紅に染まった村人がぴくりともせず倒れ伏す横を、キルティング生地の布鎧や鎖帷子(ホーバーク)を着込んだ男達が悠々と歩む。


 村の男衆を殺戮(さつりく)したばかりで、興奮した様子の戦士らに振り返ったエストリッドは、頬に付いた返り血も拭わずに叫んだ。


「さぁ、お楽しみの時間だ! 大いに奪え!」


 それを合図として、血に濡れた凶悪な戦士達は略奪を始める。民家に押し入って金目の物を片っ端から探し回り、家畜を強奪していった。追い討ちとばかりに火も放つ。


 暴虐を尽くす獣共の頭目であるエストリッドも、やや裕福そうな家の扉を蹴破って物色に興じた。家人は既に教会に逃げ込んだのか、誰もいない。

 帝国人は相変わらず臆病だと鼻で笑う彼女は、机の上に鎮座していた平パンを無造作に掴み頬張った。


「おっ、美味い。これが噂の小麦のパンか、国の物とは全然違う」


 保存の観点から固く焼き締められた平らなパンを、エストリッドはごりごり噛み砕く。そんな物でも、ゴーム王国の混ざり物だらけのパンよりずっと上等な代物であった。


 気候や土壌の関係で、ゴーム王国では小麦の生育が悪く、荒涼に強いライ麦や大麦が主流となっている。

 このためパンもライ麦中心な上に大麦やオーツ麦が混ぜられる事も多く、かつては穀物ですらない植物の種を()いた物も嵩増(かさま)しに混ぜられていた。おまけに冷涼な気候によって発酵も遅いことから、無発酵のパンばかりだ。

 故にゴーム王国において、小麦の発酵パンは中々の高級品である。エストリッドも思わず顔を(ほころ)ばせるのも当然だった。


 彼女は散々荒らした家屋から出ると、天に向けて背を伸ばす小さな石造りの教会を見やる。既に何人かの戦士が扉を破ろうとしており、他の者達も遅れまいとばかりに群がっていた。


「良いなぁ。こんな簡単に良い思いができるのか、遠征(ヴァイキング)って」


 エストリッドは両手斧を担ぎ、教会堂へと向かう。


「小競り合いじゃ時たま苦戦する事もあるが、苦労しても得られる戦利品は少ない。だが遠征(ヴァイキング)は楽に戦利品をごっそり頂ける。これは国の皆も夢中なるわけだ」


 盗賊の様な、いやそのものの邪悪な笑みを浮かべた女戦士が、教会を囲む配下を押し退けて扉へと足を踏み出す。その時だった。


「た、大変だ!」


 一人の戦士が場違いとも思える焦りの顔を晒しながら駆け込んで来る。その場の全員が怪訝そうに振り返った。


「もう領主の軍がこっちに来てる! 半刻もあればここに着いちまうぞ!」


 武器を持つ男達の顔色が一瞬で変わる。エストリッドは斧を振り上げて注目を集めつつ、令を発した。


「引き上げだ。持てるだけ持ってずらかる! ぐずぐずしてる奴は置いていくからな!」


 ゴーム王国の戦士らは慌てて戦利品を抱え込み始める。エストリッドは担いでいた両手斧で地面を突くと、苦々しく悪態を漏らす。


「早過ぎる。教会から奪い尽くすぐらいの時間は取れる筈だったってのに……クソッ」


 奪ったロバや牛に戦利品を載せ、戦士達は煙が上がる村から逃げる様に門を出た。浅瀬に停まっている船へ大急ぎで戻ろうとするが、警報の叫びに足を止める。


「来たぞ! 二〇以上の騎馬だ!」


 背後を振り返れば、騎馬の小集団が小高い丘の上から駆け降りて、こちらに真っ直ぐ向かって来ていた。

 先頭で馬を駆る指揮官らしき人物は、黒っぽい兜と鎖鎧(メイル)を着込み、逆滴形の盾を持った騎士である。

 エストリッドは舌を鳴らした。


「ちぃっ、騎馬だけで先行して来たか。一度迎え討つぞ、盾を並べろ!」


 戦士達は戦利品を放り出して武器と盾を持つ。彼女の下へ集結した彼らが丸盾を壁の様に並べ、その上にも斜めに構えられた盾が重なる。“盾の壁(シールドウォール)”と呼ばれる防御隊形だ。

 盾の隙間からは槍や剣先が伸び、がっちりと守備を固めている。歩兵の突撃であればこれでほとんど防げてしまうのだが、騎馬相手はエストリッドも初めてだった。


 鎖鎧(メイル)や革製の詰物鎧(パデットアーマー)を着込んだ騎馬兵は、みるみる内に距離を詰める。既に弓を射ち合える程しか離れていない。

 彼らが手に持つ槍を肩の位置に掲げて雄叫びを上げると、負けじとエストリッドも()えた。


「びびんな! 踏ん張れよ!」

「おうっ!」


 仲間の応えに、彼女も地を踏み締め直す。


 雄叫び共に迫る騎兵隊は、目と鼻の先と言ってもよい近距離まで接近すると、掲げていた槍を勢いよく投げた。

 “ぶおん”とか“ひょろん”といった空気を裂く音色を立てて宙を飛んだ投槍が、丸盾に次々と突き刺さる。同時に木の板を金属で叩く乾いた衝撃音が立て続けに響く。

 盾の壁に守られた戦士達は、緊迫を強いる音の数々に反して誰一人として傷を負う事はなかった。


 が、止まらぬ馬脚を耳にしたエストリッドは再び舌を鳴らす。


「回り込もうとしてるぞ。円陣を組め!」


 横陣の両翼が下がり、横に伸びた線が丸みを帯びようとするが、円になる前に騎馬兵が剣を振り上げて背後から乱入してきた。頭上から降る鋼鉄の刃に、戦士は身体から血飛沫を噴き上げる。


 騎兵に切り込まれた事で隊形は意味を成さなくなり、勇猛なるゴーム王国の戦士も自身の頭の位置に飛んでくる刃に苦戦を強いられた。

 エストリッドの目前でも、二騎に挟まれた戦士が一方に気を取られたところで背中を切り付けられ、膝から崩れ落ちる。

 仲間をやられた怒りに任せて、彼女は斧を振るうが、一頻り暴れた騎馬は戦士達を馬体で押し退けてその場を離れてしまい、大斧は虚空だけを斬った。


「クソッ! ……また突撃してくるぞ、隊列を整えろ!」


 空振りに毒づいたエストリッドはそう声を張るが、敵味方の血に濡れる男らの動きは明らかに精細を欠いている。

 一人一人は屈強な戦士でも、結局は寄り合い所帯に過ぎない。一つの部隊として組織立った行動を取れないのも無理はなかった。


 それでも何とか盾の壁を構築し直したものの、先程よりずっと頼りなく見える。

 その隙を見過ごす程、目の前の敵は甘くないらしい。敵騎兵は黒い兜の騎士を先頭に、剣を振り回して突っ込んできた。

 ゴームの戦士達は盾の間から果敢に槍を突き出し、その穂先で貫いた幾騎かから人馬の悲鳴を上げさせる。

 だが、先頭の騎士に向けられた槍は、(ことごと)く盾で防がれるか剣で切り落とされ、人と丸盾で出来た壁を強引に破られた。


 そのまま駆け抜けようとする騎士だったが、開けた視界の先には、両手斧を振りかぶって待ち構えるエストリッドがいた。


「おらぁ!」


 気合いの叫びが上がると同時に長柄の大斧が勢いよく振り抜かれ、騎士の跨る馬の首がざっくり斬られる。首筋から血飛沫を辺りにぶち撒けながら、馬が頭から崩れ落ちた。

 騎士は乗っていた馬の背から放り出され、盾を手放して地面を転がる。落馬の衝撃を転がる事で受け流した彼は、素早く立ち上がってエストリッドに向き直った。


「……やるな。俺はブラバント伯の嫡子“黒兜”のディルク、貴様の名は?」


 剣を突き付けつつ、騎士は若い声でそう名乗る。エストリッドも斧を右後ろに構え直してから、相手の問いに返した。


「エスキルドの子、“赤毛”のエストリッド」


 ディルクという名の騎士は、兜の鼻当(ネイザル)を挟む両眼を見開く。そのすぐ後に唇を不敵な形に歪めた。


「貴様が噂に聞く“赤毛”か……なるほど、通りで軍馬を一撃で倒せるわけだ。女だというのも本当だったとは」

「こっちも驚きだ。まさか伯爵の後継がわざわざ出張ってくるなんてな」

「我が一族と交友のある諸侯は、ゴーム人に散々煮湯を飲まされているからな。我が家の膝下までやられるわけにもいくまい」

「煮湯って、そりゃこっちの台詞だ!」


 駆け出したエストリッドが両手斧を左に振り抜く。ディルクは姿勢を限りなく低める事でそれを(かわ)しつつ、前に踏み出した。前進の勢いが乗った猛烈な突きが繰り出される。

 彼女は斧を横に振った事で左に(ひね)られた身体を、更に肩から下へ崩して倒れ込み、襲い来る(きっさき)をやり過ごした。

 そのまま右肩を地面に着地させ、ぐるりと一回転して身を起こす。即座に斧ごと振り返って一撃を狙った。


 がぎゃん!


 金属同士が激しくぶつかった音が響く。両者共、振り向き様に武器を相手へ振り回していたのだ。

 そして、()はエストリッドの方にあった。両手で振るわれた斧が剣を弾き、右腕が左に引っ張られたディルクの体勢は大きく崩れる。


「もらった!」


 逆袈裟斬りの要領で斧の刃を跳ね上げ、彼女の手に柄から伝わった衝撃が届いた。その手応えに反して、女戦士の表情は固い。


「……兜に当たっただけか」


 その呟きに応えるが如く、やや変形した黒鉄の兜が地を跳ねて甲高い音を立てた。跳び()け反る事で、斬撃を危ういながらも回避したディルクは、顔を正面に戻す。その額から一筋の血が流れた。

 エストリッドの面相に驚きが差し込む。


 露わになった男の顔は、エストリッドと同じくらいの年齢である事が察せられると同時に、彫刻を思わせる風貌であった。

 金の髪を短く流し、宝石の如く青い碧眼だけでも様になるが、隙の無い表情で塗り固められたのも相まって、よく出来た人形染みている。鼻筋の横を伝う血液も、(あで)やかに感じる程だ。

 その整ったディルクの無表情が、突然獰猛に歪んだ。


「面白い女だな、気に入った――」


 殺すのは最後にしてやる。


 目の前の立つ美男子は確かにそう言った。


 殺意溢れる言葉とは裏腹に、ディルクは身を翻し落ちていた盾に駆け寄り拾う。エストリッドは彼の思わぬ行動に反応できず、追撃へ移るのが数拍も遅れた。斧を担いで追い掛ける。


 だが、刃を相手へ振り下ろそうとする前に、振り向き様に飛んで来た反撃を食らってしまう。横薙ぎの一閃が彼女の兜に直撃。金属音と共に襲来した衝撃で頭を揺さぶられ、致命傷を防いでくれた兜も弾みで脱げてしまった。


 ばたたっとこめかみの上から鮮血が落ちる。


 一瞬点滅し、その後もぐらぐらする視界の中、エストリッドは右手で持ち上げていた斧の柄に迷わず左手を加えた。そのまま思い切り振り下ろす。

 当たるとは思っていない。牽制目的の攻撃だった。

 案の定、刃は地面以外何も叩くことはなかったが、僅かに稼いだ時間で体勢を立て直す。


 ずきりと痛む側頭部を無視して、防御と攻撃どちらにも移れるよう身体の前へ斧を横に構えた。

 そして、落ち着きを取り戻す視界の中央に立つ人物、ディルクを見据える。若干荒い息を吐きつつ、エストリッドはほんの少し首を傾げた。

 こちらが体勢を整える間にも相手から攻撃が飛んで来るものとばかりに思っていたが、その様子はない。


 突っ立っているディルクの表情を見遣れば、どこか狂的な、それでいて恍惚(こうこつ)そうにも見える異相の面をしていた。

 そんな不気味極まる雰囲気に、エストリッドの心臓が跳ねる。だが、彼女に恐怖はない。何故か鼻や頬に薄ら赤みが増した。


 ぎらりと(ひらめ)く剣を斧の刃が受け止める。

 瞬前の静止と打って変わって、素早い動きで斬り掛かってきたディルクを、エストリッドは弾き飛ばした。後ろに跳んで衝撃を逃したディルクが、地に足を着けるなり再び彼女目掛けて斬り付ける。

 エストリッドの得物である両手斧は、高い威力の反面、どうしても動きが大振りになりがちで、小回りが効かない。故にこの鋭い攻撃を、刃ではなく柄で受け止めざるを得なかった。


 かっ!


 小気味良い乾いた高音が上がる。鋼鉄の剣によって、決して細くはない柄が半ばまで断たれた。そのまま互いの武器を押し付け合う。

 刃に噛み付かれたままの傷からみしりと(うめ)く柄に、不利を見て取ったエストリッドは、前に押し出していた力を大きく右にずらした。

 斧と剣を右へ追いやると、斧の柄から両手を離し、左腰にぶら下がった剣を抜き放つ。(さや)から抜いた勢いそのままに、下方から斬り上げた。


 ディルクの右腕にエストリッドの剣が喰らい付く。


 刃は鎖鎧(メイル)に阻まれたが、衝撃は鎧の下に着られた衣服を通過して、生身に届いたらしい。一瞬、ディルクの動きが止まった。

 続け様に攻撃を繰り出そうと剣を引っ込めたその時、鎖に包まれたディルクの拳と柄頭がエストリッドのこめかみをぶん殴る。


 側頭部に刻まれていた傷から、鮮血と共に意識までもが飛び散ろうとしたが、エストリッドは気合いで持ち直した。

 代償として視野内の光景が(おぼろ)げに脳へ映る。そんな朦朧(もうろう)とした意識に構わず、彼女は身体の前に引き寄せていた剣を突き出した。


 何かを突き刺した感覚を右手が確かに覚える。が、殺気を感じ取ったエストリッドは、すぐさま後ろに跳んでディルクと距離を取った。鉄が空を斬る音と僅かな風圧が鼻先を通る。

 視界が正常に戻ると、ディルクの(まと)鎖鎧(メイル)鳩尾(みぞおち)辺りに、穴が空いているのが見えた。

 手応えと相手に与えた被害を見るに、剣の(きっさき)は鎖を貫いたものの、その下に着込まれた布鎧に受け止められて、腹に拳を一発当てた程度に抑えられたらしい。

 それでも相手はひやりとしたに違いなかった。事実、ディルクの頬に汗粒が浮かんでいる。


 互いに武器を構え直した二人は、しばらく隙を探り合うかのように睨み合った。

 そして――


「……くっ、くく」

「ふっ……」


 笑い出した。


「あっはっはっは! 初めてだ、こんな気分は!」

「はははっ! ああ、胸が高鳴る!」


 エストリッドは胸を()(むし)りたい衝動に駆られていた。

 心臓が早鐘を打ち、身体中が鼓動しているかのような感覚。そして、目の前にいる男を、決して誰のものにもさせたくないという思いに包まれる。

 初めての感覚だが、彼女は己に沸き立つ興奮に確信した。相手もそうであるらしい。しばし戦場の喧騒の只中で、男女が見つめ合った。何を言うまでもなく駆け寄る。


 運命の相手へと。


 そして、二振の剣が甲高い音を立てて抱き合った。

 金属と殺意が何度も繰り返しぶつかる。激しい剣戟の間、決闘を続ける二人は頬を上気させ笑みまで浮かべていた。

 エストリッドが感極まったように、ぎらついた笑顔で()える。


「はっはぁ! 血が(たぎ)って仕方ない。その首、誰にも渡してなるものか!」

「こっちこそ、貴様を他人に討たせてたまるか!」


 ディルクの大声にエストリッドが剣で応え、その一刀に彼も剣で返した。高揚を抑えられぬといわんばかりに、エストリッドとディルクが同時に同じ言葉を叫ぶ。


 お前は自分の好敵手なのだから、と。


 今にも火花が見えそうな程に打ち合う剣戟(けんげき)を、両者は明らかに楽しんでいる様子だ。

 詩などによって語られる戦士や王の物語。幼い頃から興奮して聴いたそれらには、宿敵との死闘も含まれていた。

 その武勲詩や戦記の中に、自分が居る。


 エストリッドは胸中で暴れ出した感情の(たかぶ)りの原因を、それに求めた。武器を叩きつけ合う相手ディルクも、全く同じ思いらしく、嬉々として剣を振るう。

 彼の顔はすっかり紅潮し、額から流れた血も相まって紅葉の様だ。瞳も随分熱っぽい。剣を打ち合う度に相乗するかの如く、エストリッドも顔面を中心に全身が沸騰するかの如く熱くなるのを感じていた。


 その熱を剣に乗せて斬り上げ、刃がディルクの頭を(かす)める。切り取られた金の髪がはらりと舞う。お返しとばかりの突きが、エストリッドの左頬を薄く裂いた。

 側頭部でずくりと(うず)くのとは違う、ぴりりと走る小さな痛みと這い出てきた血滴の感覚、そして顔のすぐ隣にいる剣を、彼女は全て無視する。斬り上げて天に向けていた剣の向きをほとんど変える事なく、そのまま思い切り振り下ろした。


 柄頭が端正な顔のど真ん中をぶん殴る。


「がぁっ!?」


 痛恨の一撃を受け、反射的に目を瞑ったディルクが後ろへよろめく。エストリッドは剣ごと腕を大きく引いて、続け様に喉元を突き刺そうと肘に力を溜めた。


「ぐっ……!」


 だが、突然の衝撃が腹部を襲った。今度は彼女が(たま)らず一歩後退する。


 蹴りを喰らわせて窮地を脱したディルクも、数歩下がって息を整えた。彼の真っ直ぐ伸びた鼻から、つうっと粘度のある赤い液体が流れる。

 仕切り直しかとエストリッドが剣を構え直そうとした時、額からの流血と鼻血で顔を真っ赤にさせた目前の男がくつくつ笑い出した。エストリッドは眉を(ひそ)める。


「まだ楽しみたいところだが、そろそろお開きの時間だ。お互い兵を引き上げさせた方がいいだろう」

「何を……」


 問い質そうとした彼女は、ディルクの背中越しに見えるものに口を(つぐ)んだ。

 遠くにある丘から、数々の旗がにょきにょき生えてきていた。陽光で煌めく鈍色の兜も白波の如く現れ始める。出現した敵増援の数は、少なくとも二〇〇に届くだろう。


「後続の歩兵が到着した、このままだと逃げ遅れてすり潰されるぞ。まあ時間稼ぎの間にこっちも大分やられたから、味方と合流するために退かなきゃならないが」


 そう言ってディルクが周囲を見やる。連れられてエストリッドも周りを確認すると、仲間の戦士と敵騎兵どちらも、その多くが地に倒れていた。

 乱戦で互いに消耗していたが、兵力差でディルクの騎馬隊はごり押しされたらしい。立っているのは汗と血に塗れた男か馬だけである。


「チッ……」


 敵味方とも損耗が激しい惨状に、舌打ちを一つ残して、エストリッドがディルクを見据えたまま後ろへ下がり出した。ディルクも騎兵を呼び寄せて、主人を失い(くら)を空けた馬に跨る。

 しばし睨み合う二人だったが、やがてほぼ同時に撤退の命令を発した。

 お互いに警戒しながら負傷者の救助と遺体の収容を行う。


 蹄鉄が地面を叩く音を響かせて去っていく騎馬を、いやディルクの背を、エストリッドは鋭い目で見送りつつ、戦士達に盾を構えさせ船へ向かって足早に後退する。


 騎馬が反転して追撃してきたとしても問題ない程に距離が離れると、戦士らは盾と負傷者を背負って駆け出した。砂浜からロングシップが押し出され、多少の戦利品を手に大急ぎで乗り込む。

 徐々に近付く敵勢の姿に焦燥が募る中、村から強奪した家畜を載せる暇もなく、戦士らは一斉に櫂を漕ぎ始める。三隻の船は滑るように陸を離れた。


 少し経つと陸地から喊声が上がる。陸地にずらりと並び、海賊を追い払ったと勝鬨を上げる軍勢を、エストリッドは船上から鋭い目で睨んだ。兵と旗の輪郭が分からなくなるまで離れても、彼女は陸から目を離すことはなかった。



 多くの怪我人と遺体、そして僅かばかりの戦利品を載せた船が、故郷ゴーム王国西南部に帰還する。出迎えたゴーム王国の人々は大いに驚いた。

 武勇で知られる“赤毛”が率いる遠征(ヴァイキング)。それは当然のように多くの富と笑みを持ち帰ってくるものだと思われていたが、実際には少なくない血と損害に見合わぬ量の品しかない。


 下船する覇気の薄れた戦士達を茫然と眺める人々を掻き分け、学僧ポッポが剃り上がった頭に残る環状の髪を揺らして船に駆け寄った。


「エストリッド様! ああ、大丈夫ですか」


 頭に包帯が乱雑に巻かれた彼女の様相を一目見て、ポッポは大きな安堵の息と小さな心配を吐く。


「大した傷じゃない。だが……」


 言葉を切ったエストリッドの表情に、学僧は息を呑んだ。悔しさを滲ませつつも獰猛に歯を露わにさせ凄んではいるが、頬は薄紅色に染まっているという、感情がぐちゃぐちゃに混ざり合った顔に。


「“黒兜”のディルク……か」


 そう呟いた彼女は、今しがた進んできた海へ振り返る。その先にある陸地で出会った者が脳裏に色濃く浮かんだ。



 実入りの少ない遠征(ヴァイキング)を終えたエストリッドは、その後療養に努める。

 大した戦傷ではなかったが、幸い今まで頻発していた帝国諸侯の侵入は鳴りを潜めた。冬が近くなってきたのに加えて、遠征(ヴァイキング)という形での報復行為が一定の牽制として効いたらしい。


 傷が癒えるのを待つ間、彼女はポッポによる勉学の日々を過ごす。退屈な日常が半月は続くも、突然父がある大事を持ってきた。


 縁談である。


 威厳ある髭面を破顔させたエストリッドの父は、喜色露わに言う。


「喜べ! “腹揺すり”のトルステンがお相手だ。申し分ない縁談だろう」


 “腹揺すり”という渾名(あだな)は、富と武勇を誇る男にしか付かない。厳しい土地柄である北方に限らず、この世界では太れる程に食える者など、かなり富裕な人間以外あり得なかった。

 そして北方において富は、家畜や土地といった資産以外に、戦利品でも築かれる。つまり、“腹揺すり”と呼ばれる男には、莫大な財産とそれを蓄えられる程の力があるということだ。


 確かに父の言う通り申し分ないどころかこの上ない縁談であろう。故にエストリッドも断る理由を探しても、今回の話を覆せる材料は見当たらなかった。

 それに最近は戦に出ることも無いせいか、ディルクとの血湧き肉躍った戦いが頭から離れず、ぼうっと何も考えられずにいることも少なくない。

 どうせ娘の自分が父の決定を拒絶できる筈もなし、何か良い変化になればと促されるままに首を縦に振った。

 そして流されるように話が進み、再来年の春を迎えてから結婚する運びとなる。



 ――数ヶ月後、帝国北岸地域ブラバント伯領。


「何?」


 閉じられた木戸がまだ肌寒い春風でがたがた揺れる城館の通路。そのど真ん中でブラバント伯の嫡男は、整った顔を能面のようにさせて振り返った。


「“赤毛”が婚姻するだと? 真か」


 ディルクの問いに従者はしっかりと頷く。


「はい、商人共の話ではゴーム人らが結納品や祝宴に必要な品の購入をしていったそうで、婚姻は間違いないようです。これであの忌々しい女戦士(アマゾーン)も家庭に入って大人しくなりましょう。誠に吉報で……ディルク様?」


 突然歩き出した主に従者が慌てて追い掛ける。振り返りもせずにディルクが口を開いた。


鎖鎧(メイル)を用意しろ、馬もだ」

「は?」

「聞こえなかったか、戦支度だ。領主連中に急ぎ使いを出して兵を集めろ」


 戸惑う従者を置き去りにして、彼は表情を黒い笑みへと歪める。


「貴様は俺の獲物だった筈だ……なぁ、エストリッド。それにあの時、最後に殺すと言ったろう。まずは……」


 獣じみた笑顔で呟いたディルクは、腰に下げた剣の柄を触った。



 嫁入り前エストリッドの下に急報が飛び込んだのは、初夏である。

 ポッポが機嫌良さそうに、虚空を見つめるエストリッドへ話しかけた。その時だった。


「いやぁ、いよいよでございますね。ついにエストリッド様が――」

「大変だ! “赤毛”の婿殿が殺された!」


 突如として訪れた凶報に集落は騒然となる。エストリッドの父ですら平静を保てない様子で屋敷を飛び出し、報告者を問い詰めた。


「どういうことだ、何があった!?」

「そ、それが、帝国諸侯の襲撃を受けたとか。兵を指揮していたのは黒い兜を被った騎士で、(しき)りに“ディルク”と名乗っていたそうです」


 どがっ! ごろごん!


 蹴っ飛ばされた低い椅子が派手に音を立てる。

 衆目を集めた屋敷の入り口からエストリッドが姿を現し、ずんずんと大股で父親に歩み寄った。


「父上、これは私の夫が殺されたと見てよいのでしょうか?」

「……あ、ああ。婚前とはいえ、夫となる筈の男が殺害されたのだから一応はそういうことに……娘よ、まさか」


 血相を変えた父に構わず、彼女は人々へ声高に宣言する。


「血讐だ! 夫を殺した者に報いを、死を与える!」


 ゴーム王国における慣習の一つ、血の復讐。


 法があっても取り締まる警察組織が存在していないため、現行犯以外の犯罪行為は原則自力救済によって解決される。

 要は、被害者の家族や親類が犯人を突き止め復讐することで解決するのだ。


 これは事実上の義務として機能しており、復讐しない場合は周囲から情無し、社会性無しと責め立てられてしまう。

 だが、血讐はただ血生臭い風習ではなく、“人を殺したら必ず被害者の遺族に殺される”という社会風土によって殺人を抑止し、社会秩序の維持を図る意味がある。


「夫を殺された場合は、戦えぬ妻や夫の老父に代わり息子が血讐を行うのが通例ではあるが、私には当然子がいない。だが、私自身は一端の戦士よりは戦える。故に自ら復讐を行う!」


 鷲の様に力強い瞳を見せつけながら、エストリッドはそう叫んだ。

 彼女を囲う者達は、連れられるように雄叫びを上げる。


 エストリッドに従う親衛戦士(ハスカール)の一人がどこからともなく進み出ると、真新しい両手斧を主人に捧げるようにして渡した。

 それを高々と掲げた女戦士が村中に響く大声を張る。


「我と思わん戦士は“赤毛”の復讐に付いてこい! 戦利品のほとんどはくれてやる!」


 先程の雄叫びが(かす)む天を破らんほどの蛮声が爆発し、男は誰もが、中には女性まで腰に下げていた剣を頭上に突き上げた。


 戦利品という褒賞を餌に、一五〇を数える完全武装の戦士団を揃えたエストリッドは、海を渡って帝国北岸地域に乗り込む。あの時の様に。

 そうして海沿いの集落を荒らし回っていると、彼女の前に目当ての軍旗と黒兜が姿を見せた。


 エストリッドは凄むような迫力ある笑みを浮かべ、彼へ呼び掛ける。


「ようやく来たか、ディルク!」


 黒い兜を被った騎士は彼女と同じ顔と言葉を返した。


「来たか、エストリッド! 相対(あいたい)したかったぞ!」


 再会の会話を一つで済ませると、二人は得物を握り、手勢そっちのけで駆け出す。

 慌てて指揮官を追う互いの兵など、何ら気にする様子もなく、一組の男女が殺意をぶつけ合い始めた。


 ディルクが興奮を抑えられずに馬上から叫ぶ。


「そうだ、来い! 今度は親を殺してやろう。その次に兄弟姉妹、その次は親類、仲間、そうして最後に残った貴様を殺す! あの時、最後に殺すと言ったからな」

「上等だ! その前にお前の首を刈り取ってやる!」


 彼の宣言に狂気の笑みを返したエストリッドが、両手斧を振るいかつてと同じく軍馬の首を切り裂いた。

 倒れる馬の背よりディルクが跳躍し、着地の直後に一度転がって衝撃を逃しつつ立ち上がる。


 二人はあの戦いの続きを再開した。とても楽しそうに。




 窓のない平屋建ての茅葺き屋敷の中で、低い椅子に体重を預けた剃髪(トンスラ)頭の男が、呆れの溜息を深々と吐く。

 彼の耳には、雇い主の娘であるエストリッドの帰還を迎える人々の歓声が届いていた。


 またディルクと戦ってきたのだろう。エストリッドは血の復讐を宣言して以来、もう半年を彼との戦いに費やしている。


 傷と血に塗れた女戦士が頬を上気させている姿を想起し、学僧ポッポの口からまた息が漏れ、綺麗に剃られた頭に右手が乗る。

 逆の手には一通の手紙があった。


 ブラバント伯領に隣接する司教領を治め、当のブラバント伯とも良好な関係である司教にして、ポッポの師でもある人物に送った(ふみ)の返事だ。

 司教に送った内容は、エストリッドの事である。


 彼女は昨年の遠征(ヴァイキング)を苦い結果で終えてから、ずっとどこか心あらずの様子だった。そして、(しき)りにディルクの名を無意識に呟き、ほおっと熱い息を吐くのである。

 明らかに彼の顔が頭から離れないというのが見て取れた。


 ポッポは確信している。エストリッドはディルクに恋心を抱いていると。同時に、彼女はその恋愛感情を思いっきり変な方向へ勘違いしているとも。

 それらを手紙に(したた)めた上で、最後にこう長ったらしく司教へ問うたのである。


 これ、どうしたらいいでしょうか? 恋だとはっきり教えてしまっていいんでしょうか。

 いえ、色恋はよろしくないのは重々承知しております。愛は全ての人間へ(あまね)く注ぐべきであり、個人に偏執してしまう恋心など(しゅ)の教えに沿わぬというのも。

 されど、未だ異教根強いゴーム王国のさる有力者の娘が、恋とはいえ初めて愛を知った以上、それを自覚させることで戦いから離れさせられるのではないかと、どうしても考えてしまうのです。


 彼女に恋というものを教えてよいのでしょうか?


 大きくない羊皮紙の巻物(スクロール)に書かれた司教の返答は、ポッポの予想通りであった。


 “駄目に決まってんだろ”。要約すればそういう意味だった。


「ですよねー」


 ポッポは諦観たっぷりの面相でぽつりと漏らす。ふと視線を上げると、木材に包まれた空間にぽっかり空いた入り口から見える外の光景が目に入った。

 馬を奴隷に預けたエストリッドがこちらに向かって来る。血色の良い肌の上に血を重ねた赤い笑顔で。


 今回もディルクと楽しく()り合ってきたらしい。また高揚そのままに感想を一方的にぶつけてくるに違いない。

 やれやれと立ち上がり、手紙を手近な丸太卓に置いて彼女を出迎える。


 その時、入り口から風が一つ迷い込み、手紙を卓上より押しやった。すると、よりにもよって灯りと調理に併用される焚火の近くへ着地する。

 じっくり熱せられていく羊皮紙の端が、ぺりっと(めく)れ、一枚だった端が二枚にとなった。

 もう一枚の手紙がたまたま張り付いてしまっていたようだ。


 一枚目の手紙の背中に隠れていた手紙には、司教からの問いが記されている。


 “ブラバント伯の嫡男がそちらの娘と同じ病を患っているようなのだが、何か知らないか”




 北方で繰り広げられる紛争は、エストリッドとディルクが世を去るまで続いた。


 この時代、結婚は家の都合で行われ、古くはある程度認められていた自由恋愛という概念はほぼ忘れ去られており、その感性は(とぼ)しかった。

 また宗教的思想の影響も強かったこともあり、異教文化と同じように宗教倫理上相いれなかった、恋愛感情というものも一般的には認識されていない。

 故に二人が恋愛を知らぬのも無理はなかった。



 そして後世に残る記録に、二人が恋を自覚し結ばれたという証拠は、無い。



※解説あとがき


 ゴーム王国

 モデルはヴァイキング時代末期のデンマーク(10~11世紀辺りをイメージ)。

 近習(ハイド)遠征(ヴァイキング)については、実際に歴史上存在したものをほぼそのまま導入している。


 帝国

 モデルはフランク王国。(特に東フランク)

 ポッポはデンマーク王ハーラル1世を改宗させた司教の名前からで、ディルクはホラント伯の名前から。



 恋愛は古代において芸術でよく取り上げられ、神話の中にも見られるが、中世に入ると禁欲的なキリスト教の影響(本を正すとユダヤ教のせい)で恋愛感情は一時忘れられ、一般的には認識されなくなっている。

 このため“家”の繁栄を目的とする親の決めた結婚かつ決められた相手を愛するのが普通とされ、自由恋愛は異常なものとされた。(アキテーヌ公ギヨーム9世の様なぶっ飛んだ例もあるが)

 中世盛期(11~13世紀)頃になると再び恋愛が一般的に認識されるようになったが、依然として自由恋愛は少なかったと思われる。

 なお日本の平安貴族の間でも、「顔や人格に惚れるのは阿呆であり、まともな恋愛は相手の才覚や財に惚れるもの」という冷めた恋愛観が支配的で、つまりは“家”を繁栄させてくれる結婚が良しとされていた。



 Q.で、結局エストリッドとディルクはどうなったの。

 A.ヴァルハラで楽しく殺し合ってるか、地獄で責め苦の炎に焼かれながらも、先に悲鳴を上げた方が負け勝負を楽しげにやってるんじゃないですかね。

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