8.buzz
「はあ……はあ……」
晴れた土曜日、航太は追い詰められていた。三日前に宰からの電話を受けてからというもの、やっとこさ回復していた航太のメンタルは再びズタボロになったのだ。
もはや風間に相談する気力すらなかった。なんとか気力を振り絞り大学へは行ったものの、講義の内容はまるで耳に入らなかった。
敵の声を聞いてしまった。思っていたよりも爽やかな声だったが、それは航太の心を慰める理由にはならなかった。ベッドの上で身を丸め、航太は息を殺す。
こうしていてもダメなことは分かっていた。これ以上宰の行為がエスカレートする前に、何か手を打たなければ。航太の心はまだギリギリのところで保っていた。そして敵と戦うためには、相手の動きを知る必要がある。
「うう……」
航太は心を奮い立たせ、電源を落としていたスマホを起動した。萎えた気分のまま、敵のTwatterを開く。そして、ひとつ深呼吸をしてから、電話がかかってきた三日前の投稿順から順に、指を滑らせていった。
◆◆◆
ツカサ@top_of_theWorld411
Kちゃんが心配でたまらない。
ツカサ@top_of_theWorld411
東京で何かあったんじゃないかな?
ツカサ@top_of_theWorld411
くそっ、こんなとき僕はなんて無力なんだ……!
ツカサ@top_of_theWorld411
宰、こんなところで何をしている?
お前のつがいを放っておいていいのか?
ツカサ@top_of_theWorld411
そんなの男じゃないだろ?
自分の直感を信じろ。お前の思う道を行け。
ツカサ@top_of_theWorld411
やったね!
無事に自転車をお借りしました〜!(^^)v
持つべきは親友!
thanks!
ツカサ@top_of_theWorld411
Kちゃん、今、あなたのつがいが行きますよ笑
◆◆◆
「……な、なんだこれ……」
航太の手はぶるぶると震え始めた。彼は何度も何度も読み返し、宰が何をしようとしてるかを理解しようと努めた。いや、本当はすでに理解していたが、脳がその事実を拒否していた。
「なんなんだ……なんなんだよ、これ……!」
自転車を借りた。今あなたのつがいが行きますよ。
その言葉から導き出される答えは、ひとつしかない。
「こっちに、向かってる……?」
そんな馬鹿な。航太は驚愕し、口を覆った。宰は大阪に住んでいるはずなのに、それを自転車で来る? それも、東京まで? 来れるはずがない。そんなのは不可能だ。自分に言い聞かせながら、航太は震える指で大阪東京間の距離をネットで検索した。
その距離、約五百五十キロ。普通ならば五日はかかる距離だという。そう、普通ならば。問題は、宰がリミッターの外れたアルファだということだ。
「ああ……あ……」
航太は力なく声を漏らし、その場に崩れ落ちた。最悪の事態が起こっている。完全に連絡を絶ったことが、かえって宰の背中を猛プッシュしてしまったのだ。そして恐ろしいことに、宰の一連の投稿はTwatter上でじわじわと拡散されつつあった。
◆◆◆
大学のやべー奴が謎の旅始めたwww
晒しRT
何こいつ
大阪から東京までチャリで行くっぽい
なんでチャリ?
ウケるwww 支援RT
つがい? 恋人に会いに行くってこと?
新幹線で行けよ
いや、なんでチャリ? なんで?
ケツ死にそう
普段の投稿見てるとアルファっぽいな
オメガの恋人がいるんだろうな、東京に
恋人なのか?
アカウント名がもう無理
文面が完全にストーカーで笑う
よく分からんけどがんばれwww
これは純愛
えっ、怖……やばくね
イケメンの無駄遣い
これは残念イケメン
過去の投稿意識高すぎて草
超応援しよw
つかさーーー! まけうなーーー!
ツカサ@top_of_theWorld411
みんな、応援ありがとう!
こんなに反応もらえるの初めてだから、驚いちゃったな笑
僕は航ちゃんのもとへ向かいます。
そう、運命のつがいのもとへ。
(ちなみに信号待ち中にTwatter見てます。あしからず(^^))
◆◆◆
「おれの名前、出しちゃってるじゃん……!」
航太はスマホに向かって慟哭した。がくがくと手が大きく震える。ウキウキテンションの宰が、ただただ憎たらしかった。そして面白半分で拡散している連中も恨んだ。
投稿時間から見て、宰が出発したのはおそらく昨日の夕方ころ。時計を見れば今は午前十時。半日以上経ったわけだが、その間にこれらの投稿が拡散されたらしい。ご丁寧にまとめログまでできている。航太は生まれて初めて死を意識した。
俺たちはつがいじゃないし恋人でもない。ただの購入者と出品者という関係でしかない。ついでに言えば今はストーカーとその被害者だ。
作り立てのアカウントで、航太は「これはストーカーだと思います。この人はおかしいです。」と投稿してみたが、その決死の言葉は激しいRTの波の藻屑となって消えた。
Twatterの流れの速さは、さながら雨季の最上川のようであった。
◆◆◆
ツカサ@top_of_theWorld411
水分補給はもちろん忘れていない。
でも休息はいらない。今の僕のエネルギー源は、愛だ。
ツカサ@top_of_theWorld411
国道は走りやすくて……イイネ!(なんちゃって笑)
ツカサ@top_of_theWorld411
十秒でチャージして二時間キープできるやつは定期的に摂ってます(^^)v(医学部なので笑)
心配してくれてありがとう!
ツカサ@top_of_theWorld411
名古屋に入りました
ツカサ@top_of_theWorld411
さすがに脚が疲れる……がんばれ、宰!笑
ツカサ@top_of_theWorld411
もうすぐ故郷(注・静岡)に入ります!
束の間のただいま。
ツカサ@top_of_theWorld411
色々質問が来てますね(^^)
航ちゃんと会ったことはないです!
でも、住所は知ってますし、運命のつがいです!
ストーカー確定www
いや、ある意味純愛かも
誰か通報よろしく
おれたちは犯罪を目の当たりにしている……
本当に運命のつがいだったりして
発言がいちいち腹立つな
夢見るボーイwww青春www
航ちゃん超逃げて
映画化決定!!全米が泣いた!!
どこ通ってるんだろう、国道?
充電をwww大切にしろwww
進み速すぎて草生える
これフィクションだよね……こわい
速すぎでは?
ロードバイクだよね?じゃないとおかしい。
こういう設定で投稿してるだけでしょ
切実に病院行ってほしい
航ちゃんかわいそうwwwww
純愛だからしゃーない
純度百パーセントのストーカーです
アンケート取ります
▷純愛
▷ストーカー
◆◆◆
「ストーカー……ストーカー……」
無表情のまま、航太は「ストーカー」を何度もタップした。投票数は八千票を超え、現時点で純愛が三割、ストーカーが七割となっていた。
「なんでだよ……どう考えてもストーカーだろ……!」
ぶつぶつと呟きながら、航太は青ざめ、身体を震わせる。本能的な恐怖が彼を襲っていた。このままでは、来てしまう。気の狂ったアルファが、このアパートまで押しかけてきてしまう。
「か、風間……っ」
居候を終えたばかりで申し訳なかったが、今の航太が頼れるのは風間しかいなかった。Twatterで敵の動きは追える。せめてほとぼりが冷めるまで、匿ってほしい。そう思い航太は風間に電話をかけた。無機質な呼出音すらもどかしい。頼む、出てくれ……と航太が祈ったそのとき、
『もしもし、航太?』
救いの神は電話に出た。航太は安堵のあまり溢れそうになる涙を堪えながら、必死に神の名を呼んだ。
「か、風間っ!」
『どうした?』
「今日、ていうか今から、予定空いてないかな?」
航太は朗らかにそう尋ねたが、風間はどこか歯切れ悪く「あー……」と唸った。耳を澄ませばその後ろから「友達?」と聞く男の声がする。
「誰か来てんの……?」
『うーん、悪い、航太』
「え……」
『実は付き合ってる奴がいてさ。今、一緒にいるんだけど。それで……その、俺、今日から発情期が来る予定なんだよ』
「…………」
航太のまなじりに浮かんでいた涙は瞬時に引いた。自分がとんだお邪魔虫だということに、彼は気付いてしまったのだ。
『記念日っていうのもあって、だから今日はちょっと』
「そ、そっか……。じゃあ仕方ないな」
『ごめんな』
珍しく照れた声の友人に、航太は力なく「お幸せに」と告げて電話を切り、絶望した。
風間に恋人がいるとは知らなかったが、照れ屋の彼ならば言い出せなくても不思議はない。さすがに発情期を迎える友人カップルの部屋に入っていく度胸を、航太は持ちあわせていなかった。記念日ならばこの機会につがうのかもしれない。そんな大事なときにストーカーの話は持ち込んで水を差すことはできない、と優しい彼は思った。
かたや、幸せな恋愛のすえにつがいを得ようとしている友人。かたや、狂人につがいだと思い込まれている自分。
あまりの落差に航太は泣きそうになった。次に会ったときに、お互いのうなじに噛み跡があったら笑えない。ならば警察、と電話を掛けてようとして、航太は手を止めた。
——カルメリで取引した相手が、おれのことを運命のつがいだと言って今から会いにくるんですよ。
そんな状況を説明して、はたして信じてもらえるだろうか。むしろ、自分の精神状態が疑われてしまうのではないだろうか。不幸なことに、カルメリでのやり取りは消してしまってもう見ることができない。Twatterを見せたところで「これはねぇ……」と呆れられる未来が見えた。
ただの相談で終わっては困るのだ。宰という名の狂人を、国家的な権力で捕縛してもらわなければ。
「な、何か証拠を……」
そこで航太は、ふと気付いた。
証拠はある。あの、恐ろしい怪文書が。
「よし……」
気合を入れて立ち上がると、航太は玄関脇に放置していたトングを手にした。カチカチ、と手慣らしのごとく金属音を立てながら押入れを開け、その奥に封印していた禁断の代物を取り出す。そしてハサミで突き刺すようにして、一枚一枚ビニール袋を剥いでいった。
「はあ……ッ、はあ……ッ」
警察へ行く前に、この中身を確認しなくてはならない。きっと、あの狂人を、狂人だと証明するものが入っているに違いない。これまで経験したことのない凶暴な感情が、航太の中には渦巻いていた。
「やってやる……ッ! おれはやるぞ……ッ!」
低い声で呟く航太の目は、血走っていた。ハサミとトングを駆使しながら、航太は分厚い封筒の口を切っていく。指先の汗で滑って、何度も手元が狂う。しかし、絶対に素手では触れたくなかった。
たとえ何が入っていても、航太はすべてに目を通そうと決めていた。そして万が一証拠になり得ないと判断した場合は——この部屋に立て篭り、敵と刺し違える覚悟だった。
「やられる前に……やるしかないんだ……ッ!」
航太の気持ちの糸は、切れるギリギリまで来ていた。
そして、封筒の口が開く。その瞬間部屋のなかに、ふわり、と柔らかな香りが広がった。
「……ん?」
それは、航太が嗅いだことのないほど甘く……心地良い香りだった。