Q航空
七月中旬、東京鰐田空港国内線ターミナル内、これからの修学旅行に胸を躍らせる私立済南高等学校一年生達の騒がしい声がこだましている。天井が高いからか、そもそも空港自体が広いからかよく響く。それを一生懸命教師達が整列させたり静かにさせたりしている。既に期末試験も終了しているし、これから猛暑日も増えてくるこの時期、まだ涼しい北海道へ行くというのはなかなか理にかなっている。そのうえ梅雨の影響も比較的少ない。
「大きな荷物は先に現地へ送っておいて正解でしたね、袴田先生」
袴田とはA組担任兼学年主任の袴田照雄の事である。生徒からは影で頭照雄と卑下されている。態度も怒鳴り声も必要以上にデカい男なのだが上背はない。威厳と虚勢を勘違いしている典型である。
「うむ。君に任せて良かったよ小尾田君」
小尾田好太郎はB組担任で、いつも袴田の顔色を窺っている。そして身長はそこそこありそうなのだが袴田と話すときは少し身を屈めるため、さながら教師二人の漫才を見ているようだ。必要以上に袴田が機嫌を損ねて問題ごとが増えるのを避けたいようであるが、媚売太郎と裏では言われている。
「はい、チェックインは終わったから今から保安検査にいくぞー!騒がないで列になって進んで!一応チケットとかは出しとけ!」
小尾田が声を張り上げた。こういう時大抵袴田は黙っている。自分に不快な出来事が起こった時のみ大声を出す類いの人間なのだ。保安検査は相変わらずガヤガヤしていたものの、数人の生徒の持ち物から携帯ゲーム機や化粧道具が見つかり、先生に没収された点を除いて滞りなく行われた。
搭乗ロビーを見渡すと済南高校以外にもサラリーマン風の男や、観光目的のカップルなどもちらほらいるようだ。この搭乗ロビーは建物の側面がガラス張りになっており、天気がよければ自然光だけでも十分に明るく、離陸の順番を待っているたくさんの飛行機が見える。これから済南高等学校一行が乗り込む北海道行きQ航空の旅客機も勿論その中に含まれているが、このQというのは別に特定を防ぐ為の配慮ではなく、本当にQ航空と呼ばれているのだ。機体の横っ腹中央にも大きく青色で「Q」と印字されている。
「これから搭乗だぞー!まずはA組から!袴田先生について行きなさい、それからB、C、Dと続いて!他のお客さんの搭乗を妨げないよう直ぐ自分の座席に着く事!」
「わーわたし初飛行機!」「やべえ!」「ビーフオアチキンどっちにしよう」
生徒達の気分も高揚する。まあ一般的に国内線で機内食は出ないのだが。
「やかましい!静かにしろ、不愉快だ!」
袴田が怒鳴り散らす。シーンと皆黙り込み、粛々と飛行機へ乗り込んで行った。
機内に入り自分の席に着くと、どうにもすぐ眠くなるのは私だけであろうか。チェックインや荷物検査独特の緊張感から解き放たれたせいか、単純に空港に着くまでの道のりが長く既に疲れているのか、はたまた飛行機内の空調の仕業かよく分からないが、座った瞬間にうとうとし始める。しかし済南高等学校一年生に至ってはそんな事はないらしい。全クラスで同じ旅客機に乗るという特殊な状況下で神経が高ぶっているようだ。それにこれから数日間寝食を共にし、色々な所を訪れるのだからそうなるのも理解出来る。飛行機が離陸態勢に入りガタガタと音を立て、グイッと機体が持ち上がった瞬間には拍手すら起きた。教師達も、たとえあの偏屈な袴田すらもこの時だけは注意などせず、生徒の好きにさせてやった。
離陸後しばらくして、客室乗務員が何かを配り始めた。おつまみなどの軽食や、ミネラルウォーターが普通だが、早押しボタンのようなものが手渡されていく。
そして機内アナウンスが流れる。
「皆様、本日はQ航空にご搭乗いただき誠にありがとうございます。ただいま配布致しましたボタンについて説明させて頂きます。座席に備え付けられた画面、もしくは前方の客室乗務員の手本をご覧ください」
「こちらは回答ボタンになっております。無料で提供させて頂いておりますので、旅の思い出にどうぞ。当航空会社をご予約して頂いた際の利用規約に記されていた通り、これからお客様の中からランダムに選ばれた回答者の方には飛行機中程のスペースまで来て頂き、クイズに答えて頂きます。そして不正解の場合はそこから落下して頂きます」
中程とはちょうど済南高校が占拠している所である。いや落下とはなんなのだ、あり得ない。
「おい小尾田君、どういうことだ!利用規約とは何だ!ちゃんと読まなかったのか!」
袴田が小声で隣に座っている小尾田を叱責する。教師達は見張りもかねて全生徒の後方の席を陣取っていた。
「も、申し訳ございません……」
この修学旅行の飛行機、宿泊場所の予約は全て小尾田に一任されていた。しかし実際、利用規約を全て読む人間がどれほど居るだろうか。全ての責任をこの男一人に負わせるのはいささか気の毒に思われる。
「それではこれから機内クイズサービスを開始したいと思います!」
にわかにざわつき始める。至極全うな反応だ。その時、
「おい!ふざけるな!聞いてないぞ!」
と前の方から怒鳴り声が聞こえて来た。言い争いが続いていると、スーツを来た屈強な男二人に両脇を抱えられ、顔を紅潮させたサラリーマン風の男がクイズ回答をする場所までつれて来られた。済南高校一行がその様子をじっと見つめている。
「なにがクイズだ!俺はたとえ選ばれても答えんぞ!」
そばに居たマイクを持った客室乗務員が彼に答える。どうやらこの男性が司会的立場らしい。
「申し訳ございません。回答権を放棄される場合は強制追放になってしまいますがよろしいでしょうか?」
「はぁ!?何を言ってるんだ君は!きちんと目的地まで届けるのが貴様らの仕事だろ!」
「利用規約に同意した事を前提としておりますので、それに従えない場合は強制追放となります、よろしいでしょうか?」
「うるさい!俺は従わないぞ!」
「強制追放ですね、かしこまりました」
騒ぐ男が押さえつけられている所を、乗務員がヘルメット、酸素マスク、防寒服、パラシュートなどを慣れた手つきで次々と着せていく。
「準備完了、ではお願いします。良いフライトを!」
と言った瞬間、シュポン!と音を立てて男が床に吸い込まれて行った。床にハッチがある訳でもないし、どういう原理で男が外へ放り出されたのか分からない。しかし確実に飛行機内から姿を消した。
「この放出装置は機内と機外の気圧差を利用した、我が社自慢の最新技術です。数年後には宇宙ステーションのトイレにも採用される予定です。では座席に備え付けられている液晶画面をご覧ください。今しがた放出されたお客様のヘルメットにCCDカメラがついておりますので、一人称視点で落下の様子をご覧頂けるようになっております」
雲が下に見える。気圧が低く光を屈折させる空気が少ないせいか、空がくっきり見える気がする。音声はないらしい。雲の層を抜け、うっすらと地上が見えてくる。恐らく福島県辺りだろう。乗務員が解説を始めた。
「パラシュートは全自動で開くようになっております。あ、落下速度が変わりましたね。無事開いたみたいです」
おー、と高校生達が声をだす。一般社会から一定の距離を置く、所謂モラトリアムを謳歌している人間の方が凝り固まった常識に捕われず、こういう珍妙な状況にも早く順応出来るのかも知れない。
「では、気を取り直して回答者を改めて選別したいと思います」
天井の機内ライトが点滅し始めた、ドラムロールも聞こえる。フライトアテンダント達が楽しそうに糸巻きの歌の振り付けの如く腕をグルグルまわしている。そして突然音が止み、ライトがある一点を照らし出した。回答者に選ばれたのは袴田照雄。そう、照雄の頭が照らし出されたのだ。
いつもの袴田なら怒り散らすだろう。だが今は歯をガタガタ言わせ怯えきっている。例え大声を上げて暴れても筋骨隆々の男達に押さえつけられてしまうし、反論しても外へ放り出されるからだ。自分にはなす術がない事を悟り戦慄している。
「お客様、回答ボタンをお持ちの上こちらまでいらして下さい」
「…は、はい」
おぼつかない足どりで先ほど男が放り出された所までフラフラと向かった。
「では問題です」
淡々と進んでいく。
「あなたは私立済南高等学校学年主任の袴田照雄様ですが、生徒の皆さんから呼ばれているあだ名は何でしょうか?十秒以内にお答えください!」
「…あ、ええっと…」
(見当がつかない。あだ名?私に?いつから?)
「え…その…」
「残り三・二・一、時間切れです!残念!正解は頭照雄でした!」
機内が笑いに包まれる。無論袴田にとってこの不名誉なあだ名は受け入れ難いし、それに対して笑う生徒達にも怒りを覚える。しかし今から自分自身が上空一万メートルにほっぽり出されるという、今まで経験した事のない恐怖に比べれば取るに足らないものであった。乗務員が例の如く防寒具などを着せる。袴田は暴れもせず、まるでマネキンのように大人しくしている。
「準備完了です、ではお願いします。良いフライトを!」
とフライトアテンダントがくだらない決まり文句を言った刹那、袴田は後方に座っている小尾田を見つめた。彼が小尾田を一瞥した理由はよく分からないが、恐らく条件反射に近いものだったのだろう。袴田は面倒ごとを全て小尾田に押し付けていた。若い人材に経験を積ませるためとか仰々しくのたまってはいたが、その実ただ自分がやりたくなかっただけである。その押しつけ癖が、自身が窮地に追い込まれた時に「小尾田を見る」という行為に結びついたのだ。対して小尾田は目をそらす。自分が生徒達になんと呼ばれているかも分かっていないのが悪いのだ、自分は媚売太郎と呼ばれているのは知っているぞ。と彼は心中で思った。シュポンという音と共に、袴田は姿を消した。落下の様子が映像で流れたが二回目という事もあり、パラシュートが開いたときもパラパラと拍手が起きる程度だった。
次の回答者を選ぼうとした時、最後部からどたどたと覆面の男五人組が機内中程までやって来た。
「今この機体をハイジャックした!政府に連絡をとり身代金を要求する!それまでお前ら全員人質だ!」
そういうと、拳銃の様なものをもった主犯格と思われる人物が小尾田好太郎に銃口を向けた。
「おい、お前立て!そうだ!こいつがどうなってもいいのか!」
キャー!と女子生徒数名が悲鳴を上げる。
「あの、身代金は幾らくらいを想定していますか?」
司会乗務員が臆せず質問した。
「え?いや、それは政府の人と相談しながらちゃんと決めようかなって」
「例えばお一人様あたり五億円、五人で計二十五億円でいかがでしょうか?」
「ホントに?ホントにそれ貰えるの?」
このハイジャック犯はどこか緊張感がない。
「はい、クイズに正解して頂ければ小切手でお渡し出来ます」
戸惑いながらリーダー格の男がさらに質問する。
「クイズなの?そんなので二十五億もらっても良いの?俺たちここまで結構頑張って準備してきたんだけどなぁ」
「勿論利用規約上いくつか条件がございます。まずクイズは一問のみ、五名様で一度しか回答出来ません。それと正解不正解に関わらず、追放されます。ただし正解した際、小切手はきちんとお渡し致します。最後に今人質にとっているお客様の解放、そしてその拳銃をこちらに渡して頂く事です」
少し考えた後、
「うーん、まあ良いよ。こっちも人殺そうとしてた訳じゃないし。それにこの銃偽物だから。たとえ上空に放り出されてもお金もらえるなら問題ないしなぁ。あ、回答ボタンもって来た方が良い?」
「お願いします」
するとハイジャック犯は小尾田をあっさりと解放し、偽の銃を乗務員に手渡していそいそと回答ボタンを取りにいった。何とも間抜けな光景である。
「はい、もって来たよ。これであっち行けば良いのね」
「ありがとうございます、ご案内致します」
「ほら、お前らもちゃんと乗務員さんの言う事聞いて」
五人組が並んで司会アテンダントの後ろを大人しくついていき、回答スペースへ向かった。そして落下の際に必要なものを諸々装備した。
「それでは二十五億をかけたクイズを開始したいと思います!小切手はこちらにあります」
乗客に見えるように高く掲げた。「おーホントのクイズっぽい」とか「俺もちゃんと利用規約読んどきゃ良かったなぁ」といった声が聞こえる。
「えー、向こう側から主犯格の亜保田一郎様、二郎様、三郎様、四郎様、五郎様です。ご兄弟ですね。今回は五名様一度という事で、制限時間を倍の二十秒にしたいと思います。では問題!この五人はハイジャック犯ですが、実は計画準備段階から他の四人を出し抜いて自分だけで身代金を独り占めしようとしていた裏切り者が居ます。それは誰でしょうか!」
「裏切り者だと!?誰だでて来い!」
「待ってよ一郎兄ちゃん、この人嘘ついてるかも知れないよ」
「確かに……おいお前嘘ついてないだろうな!」
一人の高校生が勇敢にも声を上げる。
「こ、この乗務員さんは嘘ついてないと思います。さっきの袴田先生のあだ名も当たってました!」
司会乗務員も続いて
「はい、利用規約に記載している通りお客様の情報は綿密に調査させて頂きました。クイズを作る上でとても重要なので。あ、残り十秒です」
と答える。
「そうか、利用規約に書いてあるならまあ本当だろうな。じゃあやっぱり裏切り者が居るってことじゃねぇか!出てこいこの野郎!」
「や、やめてよ一郎兄ちゃん!そういう事してるから嫌になった人が出て来たんだろ!」
「うるせぇ三郎!てめえも怪しいんだよ!」
五人兄弟で喧嘩が始まった。変な話だが裏切り者を突き止める為に取っ組み合いをする姿は、今までで一番ハイジャック犯らしい光景ともいえる。そうしてこういう身内のゴタゴタは仲裁しづらいのも事実で、皆ただ静観している。
「三・二・一、時間切れです!正解は、なんと長男の一郎様でした!残念!」
ハイジャック犯達の動きがピタリと止まった。時間切れになった事と一郎が裏切り者だった事に驚きを隠せない様子である。
「準備完了です、ではお願いします。良いフライトを!」
ハイジャック犯が一斉にシュポンと床から外へ放り出された。五人にこれ以上言い争いをさせない、素晴らしい手際の良さだ。司会乗務員のそばに居た生徒の一人が質問した。
「あの、二十五億円って凄い金額ですけど、仮にあの人達が正解しても大丈夫だったんですか?」
「心配ご無用です、実は五人一度に放り出すのは初めてでして、とても良いサンプルが取れました。これは二十五億以上の価値がありますよ。そろそろ着陸準備に入りますので、シートベルトを弛みのないようにお締めください」
シートベルト着用ランプが点灯した。
「当機はただ今から着陸態勢に入ります。クイズサービスは現時点をもって終了とさせて頂きます。しっかりシートベルトをお締めください。なお着陸後もランプが消えるまでは席をお立ちにならないようご協力お願い致します」
主翼の後ろのフラップが動き着陸準備を始めている。たまにヒュンと胃が持ち上がる感覚がある。きちんと降下しているのだろう。滑走路が見えて来た。ドン!と車輪が地面につく。着陸成功である。高校生達から割れんばかりの拍手が起こった。
この後済南高校一行は袴田抜きで北海道旅行を無事に終える事になるが、帰りの飛行機で小尾田好太郎が袴田の誕生日を答えられず、宮城県上空でほっぽり出されるのをこの時はまだ誰も知らない。




