第八話 俺の気持ちと彼女の信条
第八話 俺の気持ちと彼女の信条
「―――ア、アイナ様・・・。それはさきほどもケンタさまにお尋ねになられたことと同じ内容です、今一度ケンタさまへお訊きになられる事柄を御一考くださいませ」
「・・・」
アイナは視線と、その唇をツンと上向きにさせ、人差し指は頤から頬の辺りに当て―――そのアイナの理知的な様子を俺は見て、俺は不覚にも心がざわついてしまったんだ。いわば、俺にとって剣術は俺の彼女のようなもので、それしか俺の頭の中にはなかったのにさ。
「・・・そうですね。では、ケンタ。貴方の父方の祖父の名をこの私アイナ=イニーフィナに聞かせてください」
「父方の?」
「はい、ケンタ」
「父さんの親父で俺の祖父ちゃんは小剱 愿造っていうんだけど? それが?」
「ッ!!」
俺が失踪した祖父ちゃんの名前をその口から出した瞬間にアイナの目が大きく見開かれたんだ。それはきっと驚いている表情に違いない。でも、なんで?
「その『答え』こそが、彼が『コツルギ=ケンタ』本人であることの証です、違いますかアターシャ?」
「アイナ様。―――」
そしてそのあとのこと、アターシャはじぃっと俺の顔を見る。そのアターシャの視線はやはり俺に対して疑心があるようなものに見えた。俺がアイナの視線を見て感じたものはな。
「―――いえ、アイナ様。やはり、ここは白黒をはっきりとつけるべきです。そのためには―――やはり。ところでケンタさま、御髪を一本よろしいでしょうか」
「おぐし?」
アターシャが俺の眼を見つめながら言ったから、俺に対してそれを言った、ということは解る。でも『おぐし』ってなんのことだろう?
「!!」
今までアターシャと同じくして俺の向かいに立ち、俺と面と向かって向き合っていたアイナが驚いたように目を大きくして見せた。そうしてアイナはくるりと身体の向きを変え―――アターシャと対面になる。つまり俺から見れば、そのアイナの後ろ姿しか見えなくなったというわけだ。シニヨンに結われたアイナのその黒髪はまるで芸術の一種のようだった。
「どこまでケンタを疑えば気が済むのですかアターシャ。ケンタに髪の毛を一本抜いて寄越せと、そこまで要求するほど貴女は彼ケンタが『コツルギ=ケンタ』本人であることを疑っているのですか、アターシャ? この私アイナ=イニーフィナの問いに簡潔に答えることはできますね?アターシャ」
アイナが身体の向きをくるりと変えたせいで、俺とアイナは互いにアターシャに向かい合う身体の向きになった。つまり俺とアイナは、アターシャの対面になり、アターシャとは面を向かい合っているということだ。
アイナは俺が『小剱 健太』本人であるということを信じてくれた(ている)、ということになるが、侍女のアターシャのほうは俺が『小剱 健太』本人であるということを疑っているということだ。
「はい。・・・申し訳ありませんアイナ様、そしてケンタさま。先ほども申し上げたとおり、もしアイナ様の御身になにかあれば、それはアイナ様御自身だけの問題ではありません。それはアイナ様も解っておられるはずです」
「――――――」
「もしアイナ=イニーフィナ様の御身に何かあれば、皇国の、いえ、世界を巻き込む一大事となることは火を見るよりも明らか。アイナ様貴女様の第一の従者このアターシャのお願いを何卒何卒お聞き届けくださいませ―――」
アターシャは顔つきこそ普通で感情を面には出さないものの、両手をお腹の上で交差させ、腰を直角に折ると深々と頭を下げた。
「アターシャ―――貴女が私の身をそこまで重んじ、慮ってくれることは大変喜ばしいことではあります。ですが、ケンタの動画や写真だけは飽き足らず、ケンタに髪の毛まで要求するなど―――」
そこで、アイナは俺のほうに振り向いて、困ったような顔を俺に向けた。
「―――」
きっとアイナは板挟みになっているんだろう、信頼のおける侍女のアターシャと俺との間に挟まれて。
「!?」
そこで俺は気が付いた。俺って―――俺という存在がなんでそんな重鎮のアターシャとつり合いが取れてるんだろうって?アイナの心の中で。
まぁ、なんで初対面の俺なんかが重鎮のアターシャとつり合いが取れてるんだろって、それはさておき、実は、俺はこんな自分とも共通の仲のいい人同士で起きる『気まずい空気』が苦手なんだ。ううん、正確に言えば昔、祖父ちゃんの失踪後に起きた『お家騒動』以降、俺はこんな『自分も含めた仲のいい人同士の気まずい空気』が苦手になったんだ。元から仲がよろしくない当事者同士のいざこざはあんまりなんとも思わないけどな。『またやってるよ』みたいな。
だから俺は、口を一文字に無言で半歩前に進み出た。
「―――」
「ケンタ?」
「これでいいのかな、アターシャさん」
「ケンタさま―――」
俺は両目を真ん中に寄せながら、自分の前髪を両手の指で糸のように紙縒り―――よし、一本掴んだぞ。
「痛っ」
俺は右手の親指の爪と人差し指の腹で、自分の黒髪を一本掴むと、勢いよく引っ張り抜いた。
「―――はい、アターシャさん」
俺は抜いた髪の毛を落とさないように、慎重に親指と人差し指で摘まむと、そっとそれをアターシャに見せた。
「あ、ありがとうございます、ケンタさま」
アターシャは俺に深々と腰を折って礼をすると、すぐに両手に白い布でできているように、俺の目には見える手袋を着けた。
そしてアターシャは俺が摘まんだ髪の毛の毛根に触れてしまわないように気を付けながら、親指と人差し指で髪の毛を摘まんだ。アターシャは俺が抜いた俺の髪の毛を摘まむように受け取って、さらに俺の髪の毛を小さな布袋に慎重に入れたんだ。その俺の髪の毛が入った布袋を右手に持ち、アターシャはさらに給仕服の内側に右手を入れて、それを内ポケット?の中に仕舞った。
「―――・・・」
なぜ俺の髪の毛をここまで慎重・丁重に取り扱うのか。俺はなんとなくそれをわかっているものの、検体採取だよな・・・?それってなんかちょっと慎重すぎやしないか、と思ってしまう。俺は小剱 健太本人だってば・・・!! この国は入国するのにもこんな検査がいるのか!?
うん。アターシャは先ほど精巧な電話をその手に持っていた、つまりここは、この国はきっと俺が住む日本のような文明化が成された国であることに違いない。変なことに俺の髪の毛を使わないでくれよ、と思いつつ、それを俺は噯気にも出さない。
「私からもありがとう、と言わせてください、ケンタ。貴方のその寛大な心を私はとてもうれしく思いますよ。私はますますケンタ貴方に好感を持ちましたよ、日之国日夲で言う『鰻登り』というやつですっ」
アイナはにこりとその屈託のない笑みをこぼす。俺はアイナが言う『寛大な心』なんてものは持ってはいない。ただの俺の都合だ。
「あ、いや・・・うん・・・」
でも、アイナが発した『好感を持ちました』といい、その『眩しい笑顔』といい、それらを聞いて見て俺は思わず照れてしまい、言葉を適当に濁すこととなった。
「アターシャもこれで満足ですね?」
「はい、アイナ様。申し訳ありませんでした、ケンタさま」
アターシャはまた両手をお腹の上で合わせて深々と頭を下げた。
「ケンタ、貴方を煩わすということは、この私アイナ=イニーフィナにとってはとても心が苦しいことです。ですが、それを承知でお願いします。私達は一度帰館し、動画確認と貴方の髪の毛の検査を終えて、またすぐにここに戻ってきます。それまでしばし、少しの間ここで待っていてはくれませんか?ケンタ」
「―――」
アイナ、やっぱりこの女の子はどうしても俺をどこかに連れて行きたいらしい。それを俺は断ることができるけど、もしそれを言った場合はどうなるんだろう。まぁ、でも俺もそれは言うつもりはない。初め戦ったけど、アイナは俺がこの見知らぬ土地でできた親しみの持てる人だ。それにこの外国?でアイナは俺が俺小剱 健太であるということを信じてくれた女の子だからな。
「あの・・・ケンタ?」
俺が無表情でなにも答えない様を見たアイナは心持ちどこかそわそわとした様子で俺に声をかけてきたんだ。俺は真面目な顔をした。
「訊きたいことがあるんだ、アイナに」
俺がアイナに訊きたいことは山ほどある。俺を連れて行ってどうするつもりなのか・・・。俺と会ったばかりのアイナは俺を『イデアル』『イデアル』とずっと俺のことを疑っていたこととか。それと街の中心広場で死屍累々となっていた街の人達のこと。そして、この場所はいったいどこの国になるのか―――
「はい、何なりとケンタ。私が答えられる範囲のことしか答えられませんが」
「―――」
そうしてここまで俺に譲歩して・・・ううん違うな、譲歩を越えるような、まるで俺に親愛の情でも抱いているかのようなまでのアイナの好感を滲み出させる言動―――その動機、それも知りたいことだ。俺が知りたい、アイナに訊いてみたいことは山積みだ。その中で俺は。
「アイナは俺をどこに連れて―――」
俺をどこに連れていくつもりなんだ? と言いかけて俺は、そもそもアイナの俺に対する行動原理そのものから訊いたほうがいい、と思って俺は自分の言葉を一旦止めた。
「―――ううん、ごめん言い方を変えるよ。アイナにとって俺ってなんなんだ? いったいどういう存在だ?」
いや、ひょっとしてアイナは俺のことを・・・って最後まで考えるのを俺はやめた。