第六十話 彼女の自邸は不思議がいっぱい
さっきの俺の腹の虫のぐぅっと鳴いた音はきっとアイナの耳に聴こえたはずだ。でも、アイナはさりげなく切り出し―――だから俺もそれに乗っかる。いや、アイナの話に乗っかろう。
「では、そろそろお食事にしませんか?」
「え、ほんとに!? いや、もう俺ほんとは腹減ってさ」
いえーい飯だ飯だ!! アイナのベッドの上で上体だけを起こしていた俺は、ふかふか
の布団を捲りあげたんだ。もちろんアイナのベッドから降りるためだ。
第六十話 彼女の自邸は不思議がいっぱい
「ふふっそのようですね、ケンタ貴方の楽しそうなそのお顔を見れば―――、えぇ実は私もお腹がぺこぺこでして」
「ははっ、俺も」
その次に俺は両脚下半身を、俺のすぐわきのベッドに腰掛けるアイナから見て右側にずらしたところだ。あれ?俺の足、足袋を履いているぞ?確か片一方は裸足だったはずなのに・・・。魁斗のコールタールのような黒い粘つく氣に絡め取られて俺はその場で履いていた足袋と上履を脱ぎ捨てたはずだ。
ありがとな、アイナ。きっとアイナがこの今、俺が履いている足袋を融通してくれたに違いない。ちなみ俺が今、着ている服は、なぜか剣術の稽古や試合をするときと同じ和装だ。色柄から見るに、俺が前から着ていたものとは違う。
俺が着ていたのは紺色の和装の道着だったはず。でも今のは、今俺が着ているのは、渋めの茶色の和装だ。その柄は(この柄っては葉っぱ?柿の葉?に・・・なんだろこっちの葉っぱは?形からして柏餅の葉っぱみたいな?)とにかく葉っぱ模様の色柄―――、かたやアイナは白のドレスで、アターシャは給仕服・・・なんだろ俺だけ和装、この場に不釣合い・・・でもないか、俺、日本人だし。
アイナのベッドから足を下して床に足をつけ―――
「―――っ」
おおうっ!! すっげぇふかふかの絨毯だ。足袋越しにふかふか感を覚えるぜ。しかも俺、立つのも三日ぶりということもあると思う。だからかな、よりこの絨毯がふかふかなのがわかるぜ。その絨毯は赤を基調とした色柄で、いわゆる普通のカーペットのような薄いものじゃなくて、なんて言ったらいいんだろうな。
なんかネットとかで見聞きしたことがある、中近東の絨毯のようで、しかもなんとなしにその幾何学的で、左右対称の複数の柄が複雑に、でも規則的に縫われたその意匠も、そのような産地の絨毯の印象を受けたんだ。
「―――」
そして、ベッドの脇には俺の白い上履きがちょこんと揃えて置かれてある。
「(こくっ)」
この上履きを履けばいいんだよな?と思ってアターシャを見れば、アターシャは静かに肯く。
「よっと・・・」
おぉうっ久しぶりの俺の白い上履きっ!! しかも汚れが落ちて綺麗になっていた。ありがとう。洗ってくれたのかも。
「さっ、ケンタ参りましょう。アターシャも」
白い上履きに足を通した俺に、そっとアイナがさりげなく自身の両腕両手を差し出す。
「っつ」
ありゃっ、足がもつれそうになったよ?俺。
「っ―――おっと・・・悪いアイナ」
「い、いえっ」
一歩踏み出そうとして一瞬ふらつきかけた俺をアイナはその両手で支えてくれた。ううん、やっぱり俺は二日間寝ていたというし、そのせいで歩いていなかったせいかもな。
「どうぞ―――」
アターシャは流れるような洗練された動きでこのアイナの自室の扉を開いてくれて、そのアターシャが開いてくれたドアを、俺はアイナに先導されて潜り抜ける。
パタンっ。そして、最後にアターシャがアイナの自室から出る。俺が振り返れば、
「??」
んっ?扉の鍵か? アイナの自室には鍵が付いていたんだよ。しかも上中下に三つも付いていたんだよ。一番上は普通の、特に昔ながらの日本家屋であるような、立ったときに目線と同じくらいの高さに付いた鍵穴だ。それから真ん中はだいたい手元になる位置。そして一番下は『鍵穴』というよりは楔?閂?といった類のものだ。
「―――少々お待ちください」
アターシャはその給仕服の中から慣れた手つきで輪っかになった鍵束を取り出し―――
「っ・・・!!」
・・・えっ、あれは!?すごい、こんなところにもあの技術が使われているなんてっ・・・。 俺が内心驚いたわけは『視えた』からだ。
「―――」
アターシャが給仕服の中から取り出した輪っかの鍵束(―――円形の金属の輪に複数のいろいろな鍵が、小さな輪で付いている―――)の正体を。
その円形の金属に付けられた鍵束の鍵の数からして、おそらくこのアイナの自室以外の鍵もあるはずだ。『それ』がみんな全ての鍵にあの技術が―――
「―――」
アターシャはその銀色の鍵がいくつも連なった輪っかの鍵束を懐から取り出すと、迷うことは一切ない。
じゃらじゃら・・・キンっ―――隣り合う鍵同士がかち合う小気味のいい金属音だ。慣れた手つきのアターシャが鍵束から一本の鍵を、その鍵束から一つ、二つを選んで順次、上から鍵を掛けていく。
一つの目の鍵は一番上の鍵穴で、二つ目の鍵は真ん中の鍵穴に対応しているみたいだ。
最後にアターシャは腰を屈めて―――扉の一番下に付いたその楔?か閂?を手で差し込み、そこの鍵穴に三番目の鍵を差し込んで右に倒すように―――カチっと回す。
「・・・」
そういえば・・・そのアターシャの赤髪に乗ったブリムって、彼女アターシャがしゃがんだりしたときに落ちたりしないのかな・・・?
カチャリ―――。
「っつ」
アターシャが一番下の閂の鍵を閉めようとしたとき、扉の前でしゃがんだアターシャはその腰ほどまでの赤い髪を床に付けないように、いやみならないような動きでさりげなく、しゅるっと頸に纏いながら、長い後ろ髪を前に持ってきて、給仕服のその胸に、長い赤髪を抱くように―――。
「―――っ」
いや、俺が視えてしまったのはアターシャのことじゃなくて、扉の三つの鍵のかけ方でもない。アターシャの腰ってめちゃくちゃきれいに括れているよなぁっとは思ったんだけど、そのことじゃない。
本当にそのことじゃなくて―――っ。
「っ(あせあせっ)、―――」
―――視えたんだよ、俺のこの『眼』に。あの鍵束に興味を抱いて『もっと識りたいなぁ』って思うだけで。アイナのこの自室の『三つの鍵穴』とそれ対応している『三つの鍵』に隠されたその『機構』が。この構造はあの、魁斗から取り返した誰かの『氣導銃』の銃把の中に在ったその『回路』と同じだ。
その用途は『氣導銃』の射撃とは違うものみたいだけど。でも、きっと同じ技術を、もしくは、基礎は同じでそれを応用して用途ごとに使い分ける技術に違いない、と思うよ、俺は。
つまりはあれか?認証保持者・・・その指紋認証や虹彩認証と同じで登録している人のみ操作ができる、のような。使用者のアニムスを登録し、認証されている人しか、この『錠と鍵』を使えないってことか?
「―――・・・」
もしそれだと、俺が思っているとおりのことだとすると、それってものすごい厳重なセキュリティだよな。やっぱアイナってお姫さまなんだなぁ・・・。
「お待たせして申し訳ありません、アイナ様」
すっくと、アターシャが立ち上がる。一番下の、閂のような部分に差し込む鍵穴にも鍵をかけたからだ。
アターシャはすぅっとアイナに侍る立ち位置に歩み寄る。
「いいえ、アターシャ。では食堂に案内しますね、ケンタ・・・―――」
にこっ、とアイナは感じよく優しい笑みを浮かべる。
「っ///」
あ・・・俺、アイナのこの優しい笑顔、好きだわ・・・。
アイナとアターシャに付いて一緒にその赤色の絨毯が敷き詰められた回廊を歩くこと数分―――。そのわずかな数分でも俺の、俺自身の周りの興味は尽きなかったんだ。
白を基調とした石材と木材をたくさん使った建物と思いきや、確かに石材は使っているものの、廊下には外の光を取り込むための窓が連なっていて、もちろん透明な窓ガラスだ。
それにところどころの柱にアンティーク調な燭台も備え付けられている。きっとそれは燭台のような照明に違いない。だってそれは魁斗が持っていたあの不思議な、透明なガラス?のような容器の中に丸いものがあってそれが光る―――あいつ自身がアニムスを燃料にした照明だって言っていた。この燭台はその魁斗が持っていたランタンのようなものとよく似ている形をしているから。
今は外の光が差し込み明るくて、さすがにこの回廊に備え付けられた燭台は昼間からは光ってはいないけどな。
きょろきょろ・・・けっこう部屋数は多いかも―――廊下の途中にも扉が付いているよなぁ・・・。あ、あれはトイレかな?
きょろきょろ―――、え?足がふわっとした? んっ・・・?
「??」
あれ?地面がない―――
「ケンタ様、そこから下り階段でございます」
「え?―――おわっ!!」
あっぶねぇ・・・階段を踏み出しそうになったぜ・・・ふぅ、・・・。なんとか、たたらを踏むように堪えてみせたぜ・・・!! アターシャの俺を呼び止める声がなかったら、俺完全に階段を落ちてたよな・・・、あぶねぇ。