第三百八十話 祖父の話
修孝の姿を見止めると、その初老の男性の表情に、ニッ、っとした笑みがこぼれる。柿渋染めの着物で和装。足は白足袋。だが、丸腰で、今の、初老の男性こと行晃は腰に刀は差していない。
行晃は、修孝の祖父であり―――、
「っ・・・!!」
―――、修孝もよく知る人物である。
第三百八十話 祖父の話
孫の修孝を出迎える祖父行晃。
「帰ってきたか、修孝・・・っ」
そんな行晃は笑みを零す。帰宅後の修孝にすぐの祖父の一声。
「お、お祖父さま・・・、っ」
修孝の祖父行晃は、三年ほど前に、その家督を息子儀紹に譲って以来、隠遁し、日下国の古都である日下部市に居を構えているのだ。
その祖父の帰郷。なにか、あるのかもしれない、と修孝は内心思ったが、彼はそれを口に出さない。
ふと、
「お? ―――」
祖父行晃の視線が、修孝の隣にいる美夜妃に向いた。そして、『この娘さんは誰だ?』という行晃の視線が、孫の修孝に向かう。
「―――、、、っ///」
修孝は美夜妃のことを祖父に告げることを、恥ずかしく思った。彼女は自身の許嫁であることを、だ。
美夜妃は、咄嗟に。先ほど修孝が『お祖父さま』と言っていたことを聞き逃すような、人間では決してないのだ、この美夜妃という少女は。
「あ、あのっ、お久しゅうございますっ行晃おじさまっ。美夜妃は、子どもの頃にお会いしたあの大鳳美夜妃ですっ」
おぉっ―――、っと行晃の眼が驚きに見開かれる。
「あの、小さかった美夜妃どのかっ!? おぉ、大きくなったのう、美夜妃どの」
「はい♪ 行晃おじさまっ♪ 美夜妃はあのときの小さな頃の美夜妃ですっ♪ 今は修孝様のお嫁さんになるために修行中なのですっ!!」
「、、、なんとっ。修孝の―――、」
「はいっ行晃おじさま♪」
美夜妃のその嬉しそうな言動を見て、うんうん、っと行晃は悟ったように一人肯き、
「これで我が日下宗家も安泰じゃあ、のう修孝」
と、大げさに感情の籠った声とその態度で大きく肯くのだった。
祖父の言った安泰、、、それは即ち祖父は、自分に美夜妃と。
「、・・・、、、っ///」
だが、修孝本人は、相変わらずその感情を面に出さず、、、ただ僅かに恥ずかしく頬に力を入れ、その表情が崩れるのを我慢していた。
ぽつり、っと『彼女』は呟いた。
「―――。ほう、あれが修孝か、中々に精悍に育ったのぅ―――、」
年端のいかない件の少女は、廊下の死角よりこの三人、日下行晃、修孝、美夜妃の様子を、まるで盗み見るかのように覗いていたのだ。
その少女とは、従者たる行晃の案内にて、今日の午前中に日下宗家の屋敷に着いた人物であり、あの桃色の着物と赤い靴を履いていた幼いなりをした少女である。童女である。
今のこの年端もいかない彼女は和装の着物は着ておらず、今は普通の冬物の部屋着をその身に纏っている。
童女の形をした少女は、にやり、っと、その口角に笑みをこぼす。
「―――、巴恵に手を引かれていたあの童子が、あんなにも大きくのう。あの娘を娶ろうというほどに、、、くくくっ。どれ儂が試してやろうかのう、、、くくっ」
夕食時―――、日下宗家では、特段の用がなければ皆で食事を摂ることになっており、この場には、修孝の他に祖父行晃がいる。
行晃は、瀬戸物の箸置きに箸を置く。
「修孝よ。実はな、半月ほどだが、この家で親戚の子を預かることになってな」
それは、修孝が祖父の行晃と夕飯を食べているときのことだった。
美夜妃は、修孝の母である巴恵に言われて、千歳に湯浴みをさせているためにこの場にはいない。父の儀紹も忙しいのか、しばし家を空けており、ここ数日自宅にはいない。
なるほど、と祖父の話を聞いた修孝の中で状況が繋がった。
「ああ。あの赤い履物か。ひょっとして祖父さまは、俺にその子のお守をさせるつもりですか?」
「うむ。話が早くて助かる。そのとおりだ、修孝よ。あの娘の名前は、千歳。故在って今は私が面倒を見ているのだが、私の帰郷の挨拶回りで半月ほどは、千歳の面倒を見てやれん。そこで、だ。十日ほどでよいから、お前と美夜妃どので協力してあの娘の面倒を―――」
「無理だ、無理」
修孝は右手に持っていた箸を、茶碗の縁に添えて置いた。
「―――、無理、と? なぜだ?修孝よ」
「祖父さまよ、忘れたのか?」
修孝は、すっ、っと目を細める。そのそれは、呆れている、や、忘れたのか?のようなややジトっ気を含んだ表情である。
敵意あるような目を鋭くさせるような剣呑な、目の細め方ではない。
「何をだ、修孝?」
「祖父さまよ、ふらりと家に帰ってきて何を言い出すと思えば、俺に子守りしろか。俺も美夜妃も学生です。俺達は学生として、勉学に勤しまなければならない。それに俺は日下流剣術を極めるという大事な目標があるんです。子守りなぞ他の奴に―――、」
フッ、っと、行晃は一息吐いた。
「全く口だけは、我が息子儀紹と同じように達者になりよってからに・・・っ」
やれやれ、、、っと、行晃は。
だが、父と同じだと祖父に言われ修孝は、ムッとした。
「ッ」
修孝自身、父の事はあまりよく思っていないようだ。
「よいか修孝よ。なぜ、先代当主の私が、このようなことをお前に話したと思う?」
「さぁ、俺にはさっぱりです、祖父さま」
淡い笑み。
まるで挑発するかのような笑みを修孝は浮かべた。そして、食べながら、箸を口の中に入れ、ぱくぱくむしゃむしゃ、、、と。
食べながら祖父の話を聞く、というその不真面目な態度で、修孝は祖父に、敢えて自身にそのような態度を示すのだ。
やれやれ、、、っと、そんな孫の様子を見た祖父行晃は首を横に振る。
「、、、。―――、修孝よ」
改めて、行晃は、孫である修孝に話しかける。その箸は、箸置きに、そして、上座にて行晃は改めて正座を整えた。
「なんです?祖父さま。ずぞぞぞ」
対する修孝は、その右手には箸。そして、左手でお椀を持ち味噌汁を啜った。話を聞いているのか聞いているが聞かないのか、そもそも初めから祖父行晃の話を聞くつもりがないのか、、、そのような態度の修孝であった。
だが、行晃はそのような態度の孫を咎めることはない。
「お前は未だにその“異能”は咲かずと聞く」
ぴく・・・、っと修孝は。
「っ・・・!!」
「そのような体たらくで、修孝よお前さん、日下家総代次期頭首に就けるとでも、そう思っておるのか?」
「そ、それは、、、祖父さま。俺は。そう慌てなくても、、、じきに・・・―――」
「正儀は、“力”に目覚めたぞ」
「ッ!!」
「知っていよう修孝よ。日下正儀お前の従弟だ、そして私の孫の一人。―――」
行晃は、湯呑を口元に持っていき、それを傾けて、ズズっ、ごくっと一口お茶を飲んだ。
一方で、修孝は、食事には手を付けつつ、ぐッ、っと、修孝は、茶碗を持つ左手に力を籠めた。
「―――ッツ」
「正儀は中々に剣術もでき、少々冷めたところもあるが常識を弁えた男だ」
修孝は祖父の、従弟正儀を褒める言葉には、自身の口を開かず、
「・・・っ」
だが、ぎゅっ、っとその口元に力を籠めて唇を食んだ。
「正儀はお前より若い。実際修孝お前ではなく、正儀に宗家の家督を継がせてみては、という者も増えてきている」
「、、、そうか・・・、あいつが」
ぽつり、と一言修孝。
「そこでだ、実際先日私は、正儀に会うてきた」
「、っ。・・・」
「そしてな、先ほど私がお前に持ちかけた話を、正儀にも話したのよ」
「―――」
修孝は、口を一文字にしたまま、祖父の話を聞き、コトっ、っと、ついには、その左手に持っていた茶碗を、ちゃぶ台の上に置いた。
行晃は、ぽりぽり、っと、漬菜の噛み噛み食べながら、ごくん、っとそれを嚥下した。
「話を正儀にしたら、あいつはこの私になんと答えたと思う?修孝よ」
今度は、ずずっ、っと行晃は、汁物を一口。
「・・・さあ」
分からない、と言う意味の修孝の“さあ”であった。だが、修孝は、内心予想していた答えはあったのだが、それは言わなかった・・・。
『イニーフィネファンタジア-剱聖記-「天雷山編-第三十一ノ巻-日下国記」「終ノ巻、一」』完