第三百七十四話 来訪者ありて
「さぁ、美夜妃っどこからでも俺に打ちかかってこいっ!!」
「はいっ修孝様っ!! この大鳳美夜妃っ今日こそは修孝様から一本取ってみせますっ!! やぁあああああッ!!」
カンッ―――
乾いた音。
二振りの木刀が互いに斬り結ぶ剣戟の音である。修孝は、美夜妃の袈裟切りの木刀を、自身の木刀で受け止め―――、
「くっ―――やるなっ。だが甘い!!」
―――、木刀を美夜妃のそれに絡めるように動かして、パンッ、っと、打ち払う!!
「わわっ修孝様っ!!」
勿論修孝は手加減をしているので、美夜妃が修孝の打ち払いによって後方へと激しく吹き飛び、もんどりうって道場の床に転がるわけではないし、
修孝は本気で思い切り追撃を与えて、美夜妃の身体をその黒檀の木刀で打ち据え、打撲を負わせるわけでもない。
第三百七十四話 来訪者ありて
木刀が打ち払われ、がら空きとなった美夜妃の胴目掛けて、修孝の木刀の鋩が。
「そらっ」
ビュ―――っ、っと、伸びてくる。
修孝の最速の衝きが走ったのだ。
「―――わひゃっ」
「―――」
ぴた―――。
修孝は、美夜妃の身体に黒檀の木刀を当てることはなく、その木刀の鋩を寸止めした。
「うぅ、修孝様ぁ早すぎです」
残念そうな顔の美夜妃。
この桜色の道着に、似た色の帯を締めた女性の名前は、大鳳 美夜妃という。
容貌としては、彼女大鳳 美夜妃は海老茶色の髪をしており、その海老茶色の髪の毛の後ろ髪は、彼女自身の臀部まで届くほどで、綺麗に手入れされた上で伸ばされている。
彼女の目は、その眼の色合いも同じく海老茶色で、くりっとしていてかわいらしく思える。眉はすらっと、細筆を書き走らせたような美しいかたち。
また、美夜妃の体型は、肥えているわけでもなく、痩せているわけでもない。彼女の体型は均整の取れた、すらっとしたもので、もし、日之刀を取って立ち回ることがあれば、とても美しく形になっているであろう。
あと、修孝と美夜妃が並んで直立したならば、身長百八十センチを超える長身の修孝の肩ぐらいに、美夜妃の頭のてっぺんが届くだろうか。
大鳳美夜妃の第一印象はこのとおりなのだが、肝心の修孝との関係性とは、
「許嫁ですっ!! 美夜妃は、修孝様の許嫁なのですっ。ね、修孝様・・・♪」
ふふふっ、っと、本当に嬉しそうに、屈託もなくにこやかに笑う美夜妃は、まるで修孝との距離を詰めるように、ぐぐいっと。
対する修孝は、木刀を下げおろして、美夜妃にやや押され気味に、その体躯を仰け反らして―――、
「・・・、、、―――、」
お、おう、っと、修孝は遠慮気味に美夜妃に頷いた。
その修孝の視線は、眼下の美夜妃のその、男のものと比べると細くて淡い頸筋、美夜妃の道着の頸筋に下がり、、、。そこからさらに下に、修孝はその視線を、美夜妃のその道着が重なり合わされる共襟の部分、彼女の胸に送りかけ―――、、、だが。
「―――、っ!!」
っ!!
だが、修孝は己の最大限の自制を働かせ、また自分達の様子を覗いている第三者の存在にも気づき、ぶんぶんぶんっ、っと、修孝は首を軽く横に、左右に振った。
一方で、きょとん、っと美夜妃は、修孝の行動を見て、その首を傾げた。
「修孝様?」
「仲が良きことは美しきなり。これで日下宗家も安泰ですな、はははははっ」
突然の朗らかな声が、道場の中に、その出入り口のほうから聴こえてきたのだ。
もちろん、来訪者の存在に修孝と美夜妃は、そちらへと意識を向ける。その声の主は、修孝と美夜妃にとってはよく知っている者だ。
「野添さま・・・!?いつからっ」
わわっ、っと慌てた様子の美夜妃。
一方の修孝は、
「碓水―――、、、」
目は口程に物を言う。
修孝はじとっ、としたその鋭い眼差しを野添碓水に向けた。まるで、“お前はいつから覗いていた?”と言わんばかりの修孝の鋭い視線である。
「修孝殿も。そうですな、いつからと申されますとつい先ほど、大鳳殿が『ご夕飯になさいますか? もしくはお風呂? そ、れ、と、も、美夜妃になさいますか?』と申されました頃より、この碓水、お二人の様子を拝見しておりました」
「おい、碓水。殆ど見ていたということだな」
「ま、ま、修孝殿何卒ご容赦を。それより大鳳殿。惜しかったですぞ」
「惜しかった、ですか?この美夜妃が」
「えぇ。先ほど大鳳殿は、修孝殿に木刀が打ち払われ、胴ががら空きとなっていましたな」
「はい、、、」
野添碓水は、すすっ、、としたその熟達した足捌きと、腕と手の動きは無刀で、あのときの美夜妃の動きをなぞっていく。
「あのとき大鳳殿は、修孝殿の剣圧に逆らわず、後方へと跳びすさび―――、」
「後ろへと跳びすさび、、、」
美夜妃は、ツイーーーっと、思い起こすようなその上目遣いの眼になり、先ほどの修孝との練習試合を思い起こしていく。
「―――、はい、大鳳殿。後ろに跳び退った大鳳殿を追撃しようと、修孝殿は次の手を。突きか払いを繰り出してくるはず。そうして、大鳳殿は修孝殿の裏を、二の手を読んで引き付けた上で、修孝殿に、すかさず面ーっ!!ですな」
「ほへ~、そういうことができるのですね」
「えぇ、大鳳殿。俺の説明は解りましたかな?」
「はい、野添さまっ!! さぁ、修孝様っ続きお願いしますっ♪」
それから、修孝は美夜妃に乞われ、二人は三度互いに木刀を結んだ。もちろん、野添碓水は暖かい目で、この若い二人の男女を見守っていた。
そして、その数日後のことである。
修孝と野添碓水の二人は、互いに向き合っての真剣稽古である。
日下流剣術は、真剣を用いた稽古をその流派の修練に採り込んでいる。
ギンッ
ギャリンッツ
チュイーンッツ
この、互いの刃が交わる金属音は、真剣を使っての修練である。もっとも、互いの重傷を避けるために、その刃は潰してある練習用の刀である。
だが、この刃を潰した刀でも、生身に当たれば大怪我をするのは間違いないだろう。
ギャリンッツ
斬り結ばれる二振りの真剣。
「・・・ッ!!」
びくッ、っと、美夜妃は震えた。
自身の目の前で、許婚とその世話役の男が、互いの真剣を斬り結ばせて、修練と言えど互いに斬り合いをしているのだ。
練習用とはいえ、互いに本物の日之刀を使った模擬の斬り合いだ、もしかすればどちらかが大怪我を負ってしまうかもしれない・・・。
美夜妃は、いつ見てもこの日下流剣術に伝わる真剣稽古に緊張するのである。
ガッ―――!!
チュイーンッツ
剣客である日下修孝や野添碓水にとっては、馴染のある斬り合いの金属音。刃を潰した練習用とはいえ、真剣を用いた斬り合いだ。
両者斬り結んだ二振りの刀を解き、互いに距離を空ける。
「「―――」」
修孝と野添碓水は、正眼の構えに戻り、互いに向かい合っていた。
真剣な眼差しで向かい合う二名修孝と野添碓水。
「、、、修孝様」
はらはらどきどき、、、っと、その両膝の上に置いた美夜妃の、ぎゅっと握られた両拳の手の中は、汗でぐっしょりだ。手に汗握るとはまさにこのことである。
野添碓水は上座に陣取り、
「―――」
下座に、抜身の真剣を正眼に構えている少年時代の十代後半の頃の日下修孝。
道場の横に、ちょこんと座る美夜妃からは、修孝はその紺色の道着の右半身しか見えない。修孝の背はすらっと長身で、だが、やや細身の筋肉質の体躯の修孝。
「―――」
そろぉり、そろぉり、、、と、摺り足で、野添碓水の出方を伺う修孝。修孝が注視するのは、野添碓水の、真剣のその持ち手である。真剣の柄の上部を握る野添碓水の右手。柄頭に近い部分の柄を握る野添碓水の左手。
そして、野添碓水の足捌きの足の動き、どこに、左脚に力が入るのか、入らないのか、はたまた右脚か。その一瞬の手を読む。
修孝は、野添碓水のその両の手を、手首を、その角度を、筋肉の動きを深く凝視しつつ、頭の中で、野添碓水の出方をその太刀筋を予想していた。
一方の野添碓水。
「―――」
上座に、すっ、っと、その正眼の構えより、八相の構えに移る野添碓水。
美夜妃からはその黒色の道着の左半身しか見えない。野添碓水は、ややがっちりとした体格だが、身の丈六尺の修孝よりはその背は低い。
自身の出方を伺い、自身の周りをそろぉりそろぉり、っと、摺り足で廻る修孝に合わせ、常に身体を向け、修孝が自身にいつ斬り掛かってきても、すぐに対応できるように、修孝に対して常に真正面に向き合う姿勢を崩さない。
この場にいる美夜妃にも聞かせてもいい、と判断したのか、
「太刀筋に迷いがありますな、修孝殿」
八相の構えのまま、野添碓水は修孝に問うた。
上座の野添碓水のその言葉を肯定と捉えたのか、修孝は僅かに肯く。言葉は発さず、っ修孝は肯くだけに留めた。
「―――」
すっ、っと、修孝は無言で、自身の真剣を、正眼の構えから下した。真剣を下段に構え改めたというわけではない、この修孝の行動は。
刀を納め、野添碓水と斬り合いの修練を行なうことを、一時中断したということだ―――。