第三百七十三話 遡ること七年前―――星暦一九八八年如月の頃。日下国首府日下府。
っつ。
(ひょっとして、、、干渉できないか?この妖刀霧雨が造り出した『幽世夢霧の郷』に俺は、干渉できないんだろうか・・・?)
てくてくてく、っと、ここに佇む俺を追い越して、いや、屋敷の中に帰宅しようとしている、日下修孝のその学生服のその背中に、その肩に―――、
(手で、日下修孝のその肩をたたいてやろうか?)
俺は自分の何一つ変わらない開いた右手を顔の前に出して見詰める。
「―――」
―――、この手で、あいつの右肩を叩いて、日下修孝を俺に振り向かせることはできないのか?
第三百七十三話 遡ること七年前―――星暦一九八八年如月の頃。日下国首府日下府。
「・・・―――」
学生時代の若い日下修孝が俺の目と鼻の先にいる。だが、これは、妖刀『霧雨』の魅せる虚霧の、術を掛けられた俺にだけ作用する幻覚のような、幻霧であるということを俺は解っている。
彼奴の持つ日之太刀妖刀『霧雨』が造り出した『夢霧ノ郷』の郷中で展開されて、俺に魅せている“夢霧”だということを、俺は理解している。
その深くて濃い霧の外からでは、その本人の姿を視ることは俺には叶わず、ましてや、俺の斬撃が日下修孝に届くことすら不可能だった。
(ここは、その妖刀霧雨の幽世の『夢霧』の中だ)
だったら、今の俺は観測者のような存在で、目の前に背を向けている、この若い学生の頃の日下修孝にこの手を触れることはできる、、、のだろうか?
こんなお前の過去視の世界に俺を閉じ込めやがって・・・!! どうしたらここから出られるんだよっ!!
(一言こいつに言ってやる・・・!!)
すっ―――、っと。俺はこの右手を伸ばし、
「―――おい、日下修孝」
屋敷の扉を横滑りさせて、家の中に入ろうとしている日下修孝のその学生服の右肩に触れた。
ぽんっ、っと。
(なにッ!?)
「ッ!?」
(ふ、触れられる、だと!?日下修孝の肩に?!)
この世界は、霧のような実体のない世界じゃないのかよっ?!
肩に触れるその感覚は、普通の人のそれと同じものだった。普通に、同級生の幼馴染達や、それ以外の同級生の友人を呼び止めるために、学生服の肩に触れ、呼び止める右手の、その指の感触となんら変わらない。実体がある、ということだ。
制服の肩パットの布の感触。その者の体温。
「―――」
ゆっくりと、俺がその右肩に手を乗せたままの日下修孝は、ゆるり、っと。今よりも幾分か若い学生時代の、日下修孝は俺に振り返った。
日下修孝の山犬のような鋭い眼差し。その視線。
「お前、、、―――・・・!?」
(なんだよ、こいつ。ちゃんと俺のことを認識し、感知できているじゃねぇか!?)
そんな若い学生時代の日下修孝は、俺を真っ直ぐに、まるで射る様に見詰め、おもむろにその口を開く。
「、、、いいだろう、小剱健太。お前は俺に『幽世夢霧の郷』を使わせるほどの剣の使い手だ。少し俺に付き合ってもらおうか」
「俺に付き合えだと?日下 修孝!! どういう―――、ッツ!!」
バチンッツ―――!!
まるで電気が、俺の身体に走ったかのような感覚。俺が彼奴のその名を呼んだのとほぼ同じだった、その電流のようなものが俺の身体に流れたのは。
日下修孝は、自身のその『先眼』で俺を、俺の眼を、まるで射抜くように見つめたんだ。
「小剱お前は俺に、『なんで今お前は『こんなところ』に居るんだ』、と、この俺に問うたな? いいだろう小剱健太、見せてやる俺の過去を。美夜妃もお前となら会ってもいいそうだ」
(みやび、、、?)
「―――、、、?」
辞世の句の中にでてきた単語の『雅』ではなく?
(美夜妃・・・?)
人の名前だったのか? その人が俺となら会ってもいいだと?どういうことだ?
「魅せてやる、小剱。俺達がいかにしてこうなったのかを。
霧雨や きりさめや
美夜妃なるかな みやびなるかな
泪悔の るいかいの
水もしたたる みずもしたたる
君と逝く道 きみとゆくみち
夢霧や ゆめぎりや
美夜妃なるかな みやびなるかな
七夕の たなばたの
川を渡せて かわをわたせて
君との逢瀬 きみとのおうせ
―――、」
日下修孝は二句詠み―――、
くらっ、っと。
(な、なんだ、、、これは・・・―――)
ぐにゃり―――、、、と螺旋状に回り歪む俺の視界。
俺はその日下修孝の、まるで響いてくるような声色で話す詩を聞いた途端―――、
くっ―――。
回る世界の中。廻る世界の中。
(意識が、、、保てねぇ・・・。眠い、、、)
「―――っ、、、」
急速に、、、まるで意識が、すぅ―――っと飛んでいくかのように。睡魔に襲われ、急速な眠気に襲われた。
俺は、『霧雨』の使い手日下修孝が魅せる“夢霧の郷”に。かの日下修孝の心想に落ちていく―――。
Kenta VIEW―――END.
―――ANOTHER VIEW―――
遡ること七年前。
時は、廃都市計画へと突き進んでいく―――星暦一九八八年如月の頃。
日下国首府日下府。
「―――、、、」
帰宅後、日下修孝は遊ぶこともせず、またラジオやテレビなどの娯楽を楽しむこともなく、彼修孝は帰宅するやいなや、すぐにその黒い学生服を脱いで、自身が最も落ち着くその紺色の道着に着替える。それが、彼日下修孝の日課である。
そして、彼は自室の壁に立てかけてある木刀をその手に取った。その材質は黟。軽く堅くしかも丈夫で長持ちときている黒檀の木刀である。
日下修孝が紺色の道着に着替えて、すたすたと、その木の廊下を歩いて敷地内に併設されている自身の家の日下流剣術のその道場に至ったときだ。
ちょうど、日下修孝帰宅のその頃合いを見計らって一人の人物は、先に道場に赴き、日下修孝の帰りと再会を待っていた。
その人物は若い女性である。見た目から察するに、日下修孝と同じぐらいの年齢である。
「修孝様―――、おかえりなさいませ」
「すまん、待たせたな」
修孝のことを『修孝様』と、呼称する少女は、首を軽く横に振った。
「いいえ、修孝様っ。えへへっ美夜妃が道場に早く着すぎただけですよ・・・っ♪ だって美夜妃の学校は、今日は昼行燈でしたから修孝様っ」
「・・・そうか」
修孝は言葉少なに、この美夜妃と名乗った少女に答えた。
言葉少なに・・・。まるで、この少女のことをあしらうかのように、冷たく言い放ったように聞えるがそうではない。
修孝は、自身の感情をあまりにその面に出さず、そのような性格なのだ。だからといって、修孝本人が、冷血漢や根暗な性格の者というわけではない。
さて、と一息ついた修孝と美夜妃は。
両者―――、道場の中央で黒檀の木刀を正眼に構え合って、互いに真剣な表情で、まるで睨み合うように見つめ合う。
「さぁっ修孝様♪ おかえりなさいませ、ということで先日の続きをですね、この美夜妃に剣術の稽古つけてください―――、」
「あぁ、美夜妃」
修孝は、美夜妃のその言葉を聞き、先日の稽古の続きのことを思い出した。この目の前の相対する彼女が言っていることを思い、黒檀の柄を握り持つ、自身の右手の拳に力を籠めた。
「―――、さぁっ、修孝様。ご夕飯になさいますか? もしくはお風呂? そ、れ、と、も、美夜妃になさいますか?」
ニっ、っと修孝は、美夜妃の冗談に、その自身の口角に笑みをこぼし―――、
「無論お前だ、美夜妃」
「きゃーっ修孝様ーっ♪」
「この前の続きだ、剣の修行だからな?美夜妃。己の木刀は構えたか?心の準備はできたか?」
「はい♪修孝様っ♪ 美夜妃の心はいつでも準備できていますっ大丈夫です、修孝様っ♪」
「そうか。では始めるとするか、美夜妃」
「はいっ修孝様っ今度こそ美夜妃は、修孝様から一本とってみせますからねっ♪」
―――、修孝と美夜妃。
この二人のその会話の様子と言動から、二人は互いに気心が知れた仲のようであり、二人はまるでじゃれ合うかのようだ。
美夜妃と修孝の関係性とは、いったいどのようなものなのであろうか。
修孝と表情豊かに会話するこの美夜妃という人物は若い女性であり、桜色の道着姿が似合う和装の美しい細面の女性でもある。
「さぁ、美夜妃っどこからでも俺に打ちかかってこいっ!!」
「はいっ修孝様っ!! この大鳳美夜妃っ今日こそは修孝様から一本取ってみせますっ!! やぁあああああッ!!」
カンッ―――
乾いた音。
二振りの木刀が互いに斬り結ぶ剣戟の音である。修孝は、美夜妃の袈裟切りの木刀を、自身の木刀で受け止め―――、
「くっ―――やるなっ。だが甘い!!」
―――、木刀を美夜妃のそれに絡めるように動かして、パンッ、っと、打ち払う!!
「わわっ修孝様っ!!」
勿論修孝は手加減をしているので、美夜妃が修孝の打ち払いによって後方へと激しく吹き飛び、もんどりうって道場の床に転がるわけではないし、
修孝は本気で思い切り追撃を与えて、美夜妃の身体をその黒檀の木刀で打ち据え、打撲を負わせるわけでもない。