第三百三十話 『理想の行使後の権限』を手にする者
ざりっ、っと、石床に降り積もった砂礫を踏んで一歩踏み出す者がもう一名。アネモネを仕留めた日下修孝とは別の人物であり、その者は男だ。
くつくつ、っと、男は下卑た顔で笑う。ルメリア帝国の最高軍司令官に相応しい筋肉形の鎧を着込み、その上には外套を着ている男。その男とはラルグスである。
第三百三十話 『理想の行使後の権限』を手にする者
「くくっくくくく―――、さぁ、俺様が裏切り者のお前をたっぷりとかわいがってやるぜ、アネモネ」
ラルグスは下卑たその笑みを口角に浮かべ、床に倒れ気を失っているアネモネに、また一歩。
ついにラルグスは、日下修孝の隣に来て、ざり、っと倒れているアネモネに近づく。
アネモネの傍まで寄ると、ラルグスはその右手を伸ばすのだ。
「へへへへへ、、、っ」
ラルグスは欲に満ちたその笑みを浮かべながら、伸ばしたその手でアネモネの髪の毛の引っ張り引き上げようとした。
それを止めに入る人物が一人。
「よせ、ラルグス・・・っ。アネモネを倒したのは俺だ」
「あぁん?てめ?こら、クロノス。俺を止めんのか?」
「アネモネをどうこうするというのなら、裏切り者の彼奴を倒した俺にこそ、その権利はある。違うか?」
「ほう、てめクロノス。じゃあなにか?満身創痍のお前をこの俺が、倒せば―――」
シュラ―――、っと、ラルグスは、その左腰に差している直剣を、その三分の一まで、抜いたところで、
「なるほど、、、よほど死にたいらしいな、ラルグス―――」
日下修孝も、その日之太刀『霧雨』を、その柄に手を掛けた。
魔法王国五賢者の一柱大地の魔女アネモネを巡って―――、
「「―――ッ」」
―――、両者相対す。
ラルグスと日下修孝は互いに己の武器の柄を握り―――、それらを抜かんとし―――、まさに両者の理念がぶつかろうとしているときだった。
「双方ともやめい・・・!!」
声を発したのは、クルシュ。イデアルの参謀を成す『流転のクルシュ』その人だった。
「「!!」」
だが、お互い日下修孝とラルグスその両者とも、まだ互いに睨みあったそのままだ。
「儂の言葉が聞えぬか?ラルグス。そして、修孝―――。導師よりの言葉があるそうじゃ」
導師はそのおもむろに、その口を開き、
「同志ラルグスよ、同志クロノスよ、私は『十二傳道師』同士の私闘は認めている。だが、同志達よ、今はそのときではない。導師たる私は今、落伍者アネモネに対して、手を出しその手を掛けることを許すわけにはいかない」
と、言った。
「っ」
ラルグスは内心で不満に思い、憤る。だが、絶対にアネモネに手を出してやろうと、彼ラルグスは思った。
「、、、」
一方の日下修孝は、とりあえず導師のその言葉を聞き、今ここでアネモネが、ラルグスの手に落ちるということはない、と安堵した。
それよりも同志達よ、―――と、導師は口を開いた。
「落伍者アネモネ―――、魔法王国五賢者の一角『大地の魔女』。同志達よ、見たであろう?あの大地の魔法の数々を。彼女アネモネの内包する魔力は、途轍もなく膨大なものだ―――」
ここに集いし十二傳道師達は、その頭目たる導師の言葉に耳を傾け―――、
「―――。十二傳道師達よ、アネモネの持つその膨大な魔力―――。みすみすそれを手放すことはあるまいて―――。落伍者アネモネには、崇高なる神の如くの思考を持つ我々『五世界の権衡者』たる『イデアル』の、いや、『理想的な五世界』を成すための『理想の礎』となってもらう―――」
導師は、その口角に僅かな不敵な笑みを浮かべた。
それは、導師自身の思惑通りに事が運んだことを嬉しく思う笑みであった。
一方で、導師の思惑を、その企図を知り得るに至った―――、
「「―――」」
―――、日下修孝も、ラルグスも、互いに自身の思惑が外れた、ということに複雑な感情を覚えていた。
日下修孝は自らを“紳士”であると自負しており、かたやラルグスは、自身の後宮にアネモネを加えたいと画策していたのだ。
「同志ラルグスよ。そして、同志クロノスよ」
導師は二人を呼んだ。
「あぁん?導師」
「導師・・・?」
「落伍者アネモネの魔力を遣って、『神雷の封』を解呪し、『雷基理』を管理・管掌できた暁には、そなたら二名の内一名。導師たる私が、良き『理想の行使』に励んだ者の方に、魔力を失した落伍者アネモネを、その手中にできる『理想の行使後の権限』を与えよう」
「なに・・・っ本当か導師!?」
導師の言葉に目の色を変えるラルグス。その感情は喜び。
「っ!?」
日下修孝も、その見開いた目で導師を見詰めた。
「うむ、『理想の行使後の権限』を手にした者は、落伍者アネモネを、そなたらのどちらか『理想』に励んだ者の自由に、好きにできる権限だ」
「「―――っ」」
両者その思惑に違いがあれど、ラルグスも日下修孝も、互いを牽制するかのように睨み合う。
「同志ラルグスよ、そなたがアネモネを手にする権利も与えられよう。無論、同志クロノスよ、そなたがアネモネを手にする権利も与えられる」
ラルグスは、じゅるり、と、その口内と唇にて舌なめずり。
「へへ、へへへへ。俺がたっぷりと可愛がってやるぜ、アネモネ。くくくっ」
「俺が、その座を射止めてみせよう・・・!!」
日下修孝は、いっそうその口元を真一文字にし、厳しい表情になったのだ。
「くだらんな」
そんな言葉を吐き棄てた者が一名いた、チェスター=イニーフィネその人である。
彼チェスターは、地に崩れ落ちたアネモネにも、それを行なった日下修孝にも、その毒牙に掛けようとしたラルグスにも、目はくれず、また異性としてのアネモネにも興味はなく、ただ導師にその意志の籠ったその視線を向けるだけだ。
「導師よ、解っているのか―――? この俺がこの場に現れたということは、俺は我が信条。それを大きく捻じ曲げられたということでもある。導師よ、俺に対する“この代償”は途轍もなく大きい。アネモネ捕縛やバルディアの聖女など、俺にとっては瑣末な事だ。そんなことはどうでもいい・・・!! それよりも―――、導師よ。アルスランが『真の強者』であるという事を、この俺に黙っていたな? 違うか?導師よ」
「―――」
導師は、自身の考えを表情でチェスターに悟らせることをよしとはせず、ただただその能面のような表情になり、チェスターを見詰めるだけだった。
無論導師は、アルスランのことを調べ上げ、チェスターが言い放った『真の強者』、そのことは導師にとっては周知の事実だったのだ。
アルスランが『真の強者』であると、チェスターに知られてしまえば、すぐにアルスランのもとへと戦いに逸りに行くということは、導師がチェスターを見れば明らかだったからだ。
そのような男なのだ、チェスターという者は。
「ならば続きをするのみ。アルスランと闘わせろ、導師・・・!!」
ふぅ、やれやれ、っと半ば導師は。この男に火を点けてしまったかと、内心ではそう思いつつ、だが、それを言葉にして口から出すということはしなかった。
「ふぅ、、、いいだろう、同志チェスターよ、バルディアの獅子アルスランと心置きなく闘ってくるがいい。そして、必ず『理想の叛者』たるバルディアの獅子アルスランを討ち取れ、いいな?同志チェスターよ」
それを聞いた―――、
「ふ・・・っ、、、くく―――ははははは・・・っ!!」
―――、チェスターは喜びに打ち震えた。導師からお墨付きを貰ったのだ。
「だが、同志チェスターよ、忘れるな『バルディアの聖女』は必ず連れ帰れ。いいな? 類まれなる異能を持つ彼女を、新たなる十二傳道師と成すために」
「俺に任せろ、導師」
チェスターは、その立派な封殺剣を、鞘に納めたとき―――、再びその剣の縛めは為され、全ての『叡智の力』が戻る。