第三百十三話 万死に値する
また一歩チェスターは、左脚を前に出して歩み、完全にこの療養室内の床に舞い降りるように降り立ったのだ。
そのときチェスター=イニーフィネの、皇衣の装いの一つである固い靴底が、石材でできた施療院の床を踏んで、かつんッ、と、音を立てた。
「「「ッツ」」」
チェスター=イニーフィネが、中庭より空間を超越えて、この場に建物内の療養室に現れたその様子を見て、療養室内にいる、アルスランの武運を心待ちにしている者達―――、イェルハ、ユウェリア、アンジェリカこの三名の両眼が、驚愕の色に瞬時にして染まるのだ。
第三百十三話 万死に値する
「ふぅ、、、。さて―――」
男の声だ。敵ながらにして、格好いい声。いわゆるイケメンボイスだ。その声の主は、チェスター=イニーフィネ皇子殿下。
彼が、かつんっ、っと、一歩脚を踏み出せば、その背中の後ろに拡がっていた、空間の、『空間の歪み』は、ふっ、っと、元の凪いだ空間の、普通に見えるその療養室内の光景に戻る。
ザッ―――、っとさらに前へもう一歩。
彼チェスター=イニーフィネは、二歩目を踏み出す。彼チェスターの、その笹色の両つの眼に映る者は、『バルディアの聖女』ことイェルハである。
他の二名であるバルディア大侯国侯女ユウェリアとノルディニア王国姫騎士アンジェリカは、チェスター=イニーフィネにとっては、“眼中にはない”。
イェルハこそ本命、『イデアル』の狙いであり、此度の作戦において、市中にて、『炎騎士グランディフェル』と『執行官』が、バルディア軍をひきつけ、その隙に、チェスター=イニーフィネが、自身の異能『空間管掌』を用いて、次の『十二傳道師』と成すべき者であるイェルハを、拉致―――。
―――いや、彼ら『イデアル』の言う勧奨・勧告・勧誘を行なうのである。
「ふぅ、、、。さて―――、」
かつんっ、ざりっ、っと。チェスターは一歩前へと、歩を進める。
「―――、お前が、『バルディアの聖女』イェルハだな?」
今や『イデアル』の『十二傳道師』の筆頭であるとも言えるその男チェスター=イニーフィネは完全に、空間を超越して、中庭より、この施療院の彼女達が拠る療養室内に現れた。
チェスターは、その氷のような表情を変えることはなく、だが、その口を開く。
「俺と一緒に来い『バルディアの聖女』―――」
チェスターは、笹色の瞳の中心でイェルハを見とめ、その口を開いて言った。
「・・・、、、―――」
対するイェルハは、緊張と驚愕で固まったまま、身を固くしたまま、やや懼れるような表情の視線を、チェスターから逸らすことはできず。
「聞こえなかったか?『バルディアの聖女』よ。俺と一緒に来い、と、俺はお前に言ったのだ」
チェスターは、その厳しい表情を変えず、またそのような口調で、目の前にいる少女イェルハに言った。
ぎゅっ―――、っと。
「―――に、兄さん・・・っ」
イェルハは、ますますその握った右手を固くし、自身の胸元を飾るその首飾りの、綺麗な半透明の円い輝石を右手で握り締めるのだ。
タンッ。ダッ。
と、その刹那―――、互いの得物、武器を握り締め、チェスターに跳びかかる者達がいる。
「はぁあああああッ―――」
「せやぁああああッ―――」
若い女性達の戦いに逸る鬨の声。
戦乙女の完全武装の侯女ユウェリアは、その戦鑓『常勝鑓』を両手で握り締め、
姫騎士の武勇に富む姫騎士アンジェリカは、その刀剣『ファルシオン』の柄をめいいっぱい握って、
彼女らが慕う者アルスランの義妹であるイェルハを護るべく、備え充分の二人はこの戦場に集う。
ユウェリアとアンジェリカは、互いに己の必勝の武器を鳴らして、チェスターに跳びかかったのだ。
かたや、対するチェスターは、ちらり、と、ユウェリアとアンジェリカの行動を一瞥。
「ふん・・・っ」
つまらない者や取るに足らない者、端武者、そのくだらない行為を視るような目つきである。
チェスターは、武器を構えて飛び掛かって己を殺しに来るユウェリアとアンジェリカを、一応は、その自身の視界に入れるには入れる。
「「ッ!!」」
ユウェリアの、その『勝利の鑓』が、アンジェリカの、そのファルシオンが、その白銀の刃身に、彼女達は己らの氣を通わせ、それが淡く輝く。
彼女らのその二つの武器に貫かれ、斬られれば、確実に命取りとなるであろう。ダンッ、っと、二人の美しい者達は。
ユウェリアは、その戦鑓『勝利の鑓』のその直の動きで、石材の床を踏み締め、チェスターを直ぐの動きで衝き貫く。
アンジェリカは、その刀剣『ファルシオン』のその横の動きで、石材の床を踏み締め、チェスターを左右の動きで薙ぎ払う。
彼女らの、衝くと斬る―――、その二つの双方の斬撃は確実に、現れたチェスターの身体の芯を完璧に捉えた、はずであった。
「芸がないな、お前達―――、」
やれやれ―――、っ、っと、チェスターのその姿は声だけを残して、その場から煙のように掻き消えた。
「―――」
すぅ―――、っ、っと、次にそのチェスターが、自身の異能『空間管掌』を行使して現れし場所は。
「『バルディアの聖女』イェルハよ―――、」
びくっ―――、
「ひ―――っ!!」
―――、恐怖と驚きにイェルハは竦み上がった。
イェルハは身の危険を感じたのだ。なにせ、自身のすぐ背後に、自分のこの身体を狙っている壮年の男が急に現れ、その低い声がしたのだから。
もし、チェスターが、抱きすくめてくるように、その野太い男の腕を自分に伸ばせば、自分自身は軽く拘束されてしまう―――、そのような考えがイェルハの頭の中をよぎる。
しかも、壮年のチェスターは、若い女性であるイェルハ自身にとって、自分自身を虎視眈眈と狙う、狙ってきたストーカーであり、齢の離れた男なのである。
チェスターへは、好意の欠片もなく、それどころかむしろその正反対、真逆。嫌悪と恐怖、危機感、身の危険を感じる、、、そのような負の感情のみ、それしかイェルハの心の中には存在しない。
「―――、何度も言わせるな。『バルディアの獅子アルスラン』同様に、お前も罪深い人間だ」
「、、、・・・」
イェルハは、ギギギギ、と、ゆっくりと、恐怖が心を支配する中、自身の背後を振り返る。
そこに立つ者は、やはりチェスター=イニーフィネである。チェスターは、その『剣』を腰に差したまま、抜くことはせず、厳しい剣士然としたその笹色の視線で、その眼差しでイェルハを見据えて言ったのだ。
対するイェルハは、
「、、、・・・つ、罪、深い・・・?に、兄さんと私が?」
その深意をチェスターに問うた。
「あぁ。お前達義兄妹は相次いで、我が信条を捻じ曲げさせ、この俺に『異能』を使わせた。その行為は、普通ならば万死に値するものだ・・・!! 我が兄のように、な」
「・・・」
イェルハは。
そして、そのようなとき、戦鑓の柄をますます強く握り締めた者が、ダっ、っと、一歩踏み出す。
「勝手なことを言わないでくれる?チェスター=イニーフィネ。万死に値するのは、あなたのほうでしょう?」
「なんだと・・・っ」
チェスターはやや苛立ったように、その声の主へと視線を送る。
その声の主は、ノルディニアの戦乙女の武装に身を包んだ侯女ユウェリアである。
「あなた達『イデアル』は、自分勝手な夢想を吹聴しながら土足で勝手に人の家に上がり込み、飯を喰らい、物を盗み、そして、嫌がる少女を拐かす。いかがわしい賊となんら違いがありまして?そのようなあなた達こそ、万死に値するわ」
「お前、、、バルディア大侯国侯女ユウェリア=ガスタルド。採るに足らないお前のその魂胆は見えている。ここで、俺の時間稼ぎをし、アルスランの到着を待つつもりだろうが、そうは事が上手く運ぶと思うなよ―――、」
すっ、っと、チェスターはその右手をゆるりと掲げ上げる。
「―――、これで四度目。四回も、この俺の、この信条を破らせし、お前らバルディアどもめ」
「はぁ?私達が信条を破らせた?あなた何を言っているの?」
ユウェリアは、チェスターの言い分に、やや自身の苛立ちを籠めたような、声色だった。
「許さんぞ、お前達―――」
ゆるりと、挙げられたそのチェスターの右の手腕。
すぅっ、っと、その肘から先が消え失せる。
自身らの眼前で起きた事態に、その怪異にも似た現象に―――、
「「「っ!?」」」
―――、驚きに満ちるイェルハとユウェリアとアンジェリカ。その三名のその表情。
否―――、チェスターの右肘から先が、物理的に千切れるように消えてなくなったわけでも、チェスターの右腕右手が千切れて、もぞもぞと動き出したわけでもなく―――、