第三百十二話 発動『空間管掌』
第三百十二話 発動『空間管掌』
「―――兄さん、、、」
イェルハは、その両手の拳を、ぎゅっ、っと握り締め、敵であるチェスターと戦う義兄アルスランの戦いの行く末を見守る。
「アルスラン殿は、きっと大丈夫です」
イェルハの傍らにて、その身を護るべく警戒しているアンジェリカは、イェルハを安心させるために、彼女に言った。
勿論アンジェリカも、有能な姫騎士であり、イェルハ誘拐に際しての、チェスターにとって障害と成りうる存在である。
手練れの姫騎士アンジェリカは、チェスターとて一筋縄ではいかぬ、であろう。
ユウェリアも、一歩イェルハに近づく。
「えぇ、アルスならきっと、巧いこと持ち込めるでしょう。ふふ・・・」
そして、不敵な笑みを浮かべるユウェリアであった。
『カリーナの剱よ。敵を燀やし、灰塵に帰せ―――』
施療院の中から見える中庭の光景は、ちょうどアルスランが、そのカリーナ=デスピナの魔法剣『劫炎の剱』を、その鞘より抜き放ち、劫炎に燀ゆるその鋩を、刃を、高々と振り上げたところである。
『『劫炎の剱』ッ―――・・・!!』
施療院のその建物内で、固唾を呑んで、アルスランとチェスターの戦いの行く末を、その結果を見詰めるイェルハやユウェリア、そして、アンジェリカ―――。
「・・・、ッ」
三名皆が驚きに目を見開く。
ドウッツ、っと。アルスランは、カリーナの魔法剣より、燀える炎の斬撃をチェスターに向けて放ったのだ。
『劫炎の湖』―――爆ぜる焔。焔戟。爆炎。拡がる火の海。
チェスターのその身体を消炭にすべく確実に捉えたであろう、アルスランの、その魔法剣『劫炎の剱』よりの劫炎の斬撃の一振り。
必燀の火焔魔法、、、『劫炎の湖』。―――いうなれば、それは、灰すら残らないほど燀やし尽くす魔法の劫炎、と言えば一番適切な表現であろうか。
アルスランの劫炎の斬撃は、確実にチェスターのその身体を捉える刃の斬道だった。彼アルスランの目の前には、そこに立つ者はなし。チェスターの姿は影も形も既になく。
しかし、一歩退いた場所より、その光景を観ていたイェルハ達には、それが必燀ではないということが、明らかだったのだ。
チェスター=イニーフィネは、そのアルスランの『劫炎の剱』より放たれた炎戟の火焔魔法が、自身に命中する前に、その魔法の炎の弾幕に紛れて戦いの場より、自身の異能『空間管掌』を発動させて逃げおおせたのだ。
施療院のその中。その療養室の上座には、バルディアの女神を祀る祭壇が設えられている。此度の有事に合わせ、入院患者を寝かしつけるための寝台は撤去されており、ただただ、だだっ広いその大広間が広がっているだけだ。
その療養室の、その大部屋、その室内―――。
みわみわみわ―――さわさわさわ、、、。
その様子はまるで、木々が茂る静かな山中の凪いでいる湖の澄んだ湖面が、風により漣立つかのように、また、投げ込まれた小石が生み出す波紋のような、そんな現象。
また、そのようにこの場にいる三名には見えた。
その異変に最初に気が付いたのは。
「―――ッツ」
最初に、その異変。その何か、ざわめくような空気の、空間の異変に気がついたのは、姫騎士のアンジェリカだった。
即座に―――、
「ユウェリアお嬢さまっ!! イェルハ殿―――ッツ!! 来る・・・、来ます」
「えぇ、アンジェリカ。この現象が、きっとロサが言っていた彼の『空間管掌』ね」
ユウェリアは、冷静に状況を認め、
「・・・」
イェルハは、緊張したその面持ちで―――、
イェルハに、ユウェリアに、アンジェリカ。この三名はこの施療院の内部。療養室で今まさに起きている『現象』を、固唾を呑んで注視する。
これが、彼女達三名の仲間であるロサから又聞きした『敵の空間管掌』の異能の兆しなのだ、と。そのロサは、同盟者であるアネモネに、通信魔法で知らされた『イデアル』の内情を、作戦を、皆に伝えた、というわけだ。
―――、スッ、―――、っと、彼女アンジェリカは、頃合いを見計らいその腰に差したバルディアの剣ファルシオンを抜く。
アンジェリカは、ユウェリアの、同意を求めた言葉を―――、
「はい、ユウェリアお嬢さま。おそらく、いえ、きっと。それよりも、―――」
―――、肯定した。
そして、アンジェリカは、“準備はよろしいですか”、と、声に出さず、無声で、その唇だけを動かし、ユウェリアとイェルハに問うた。
チャ―――、っと、その右手にした戦鑓を両手で持ち直し、『そこ』空間の歪む場所にその銀色に輝く鋭い鋩を向けて構えるユウェリア。
「えぇ―――、アンジェリカ。―――、」
“準備はできているわ”、っと、ユウェリアは、アンジェリカのそれに以心伝心。声に出さず答えた。
ユウェリアも、この空間で起きている異変を見止め、肌でそれを感じているだ。
「「―――ッツ・・・!!」」
アンジェリカもユウェリアも、その不吉な異変が、その無音で、『その何もない空間』から起こっていることを、認め悟り―――。
互いの得物を、武器を構え、“チェスターが己の異能『空間管掌』により、今まさに現れるであろう”場所に向けた
ぎゅっ、っと。
「、っ。兄さん―――・・・」
イェルハは、と言えば。彼女イェルハはアルスランのことを呟き、その胸元に右手をもっていく。
そこ、彼女のその頸元には、イェルハ自身を飾る、嫌味にならない質素な首飾りが掛かっている。
イェルハは憂うその表情で、自身のそこ。胸元を飾る綺麗な半透明の円い輝石を右手で握り締めるのだ。
「―――・・・っ」
姫騎士アンジェリカは、両手でそのファルシオンを握って構え、周りの気配を探るかのように、、、その鋭い視線を、まるで何か―――、視えないものでも探るかような仕草で、このだだっ広く“お膳立てされた”療養室内に視線を巡らす。
「―――・・・!!」
ユウェリアも、アンジェリカと同じように。
『ゆらゆらゆら・・・、みわみわみわ、、、―――ざわざわざわ・・・―――』
その間にも、そこの、彼女達三人が準備万全に、その逸る気持ちを抑えている中―――、『空間の異変』は進行し、何もない空気、そこの空間に拡がる波紋は、その揺れはますます大きく、激しく―――。
空間の揺れと歪みが、極大になるや―――、
その光景を、本当に自身の、間近で、身近で目の当たりにし、
「「「ッ!!」」」
―――、驚きに、信じられない事を視ている三人の、イェルハと侯女ユウェリア、そして、姫騎士アンジェリカ。
彼女達の、本当に眼前。その施療院内の療養室内―――、
―――、その場の、漣立つ空間の中からまず、茶色のごつごつした脛まで履く様式の革靴の足が現れる。左脚である。
その次、純白の皇衣のズボンを履いた脚が、空間を超越えてこの場に現れた。右脚も、すぅっ、っと、一歩足を運ぶように現れ、右脚がすぅっと歩くように地面についてからは、早かった。
その後はもう、中庭にいたはずの、チェスター=イニーフィネの、その全身が何もない漣立つ空間の中から現れたのだ。
「・・・っつ」
また一歩チェスターは、左脚を前に出して歩み、完全にこの療養室内の床に舞い降りるように降り立ったのだ。
そのときチェスター=イニーフィネの、皇衣の装いの一つである固い靴底が、石材でできた施療院の床を踏んで、かつんッ、と、音を立てた。
「「「ッツ」」」
チェスター=イニーフィネが、中庭より空間を超越えて、この場に建物内の療養室に現れたその様子を見て、療養室内にいるアルスランの武運を心待ちにしている者達―――、イェルハ、ユウェリア、アンジェリカこの三名の両眼が、驚愕の色に瞬時にして染まるのだ―――。