第三百九話 皇子殿下推参せり
第三百九話 皇子殿下推参せり
ユウェリアの『私の兄では不安かしら?』の問いに、イェルハは、やや慌てるように―――。
「、っつ、い、いえっ、そうではありませんっ、ユウェリアさん」
と、打ち消した。
「イェルハよ。そうだ、ユウェリアの兄君クレイン殿が、ロサと共に、賊を征くのだ。それに―――、 っ!!」
それに―――、っと、アルスランが言いかけたときだ。
「っつ・・・!!」
「ッツ」
その異変に、アルスランだけではなく、傍にいるユウェリアや、イェルハも気がついた。
理想の行使者を迎撃するべく、彼彼女らが籠る施療院の窓の外―――、室内から見渡せる―――場所、それは中庭。
ざわざわざわっ、っと、まるで水面の漣のように、突如として施療院の敷地。中庭の空間が歪み、漣立つ―――。
その前兆は、バルディアの獅子アルスランの敵の登場である。
「来たか―――、」
ぽつり、っ、っとアルスランは呟く。
アルスランは、無言で、窓の外へと向けるその視線を逸らさず、ただ右手の手振りだけで、自身のその意を、ユウェリアとイェルハ、この両名に伝える。
アルスランのその手振りだけで、彼女らは手筈通りに行動を開始。完全武装のユウェリアの傍らにイェルハは移る。
そして、その二人からやや離れて、姫騎士アンジェリカはその神経を研ぎ澄ます。
厳しい眼差しで―――、
「―――」
―――、アルスランは、ただただ空間が歪むという異変を注視し。その左手は、自身の腰に差している得物の鞘に、そして、彼は右手をその得物の柄に添え―――。
興奮もなく、昂揚感もなく、慢心もなく、ただただ冷たく静かに。
己の敵を斬り、排すために、アルスランは、ぎゅっ、っと、力強く―――、その『刀』の柄を右手で握り締めた。
空間の歪みが最大規模に成ったとき、その長大な空間を超越えて一人の男がその姿を現す。
ザリっ、っと、一歩。足を踏み締め。
施療院の中庭に突如として現れたこの長身の男は、降り立ち、佇む。
「・・・人の気配がしない、、、だと?」
その男は、バルディア大侯国の施療院の中庭に降り立ち―――、ぽつり、、、っと。そう、この男は、平時の施療院とは違う異質な雰囲気を感じ、そのように呟いたのだ。
その男は、この場に、長大な空間を超越えて突如現れたその男の格好は、容止は、明らかに『剣士』のそれである。
男は、何がしかの『力』を秘めた『剣』を腰の左側に差し、
「ふむ。―――、、、」
一歩。男は、、、まるで周囲の気配を探るかのごとく、その左脚を一歩、前に進めた。
明らかに、その脚を出したときの容止から見て、その男は剣士だ。それも、かなりの、手熟練れの剣士であろう。
まるで、幼い頃から、剣の柄しか握ってこなかったような。確かにこの男は『剣』しか、知識らないのである。
その長身の男が所有する『剣』の長さは、長尺ではなく、だが、打ち刀の刃渡りよりは長い、と推察される。しかし、その『剣』の剣身の形状に移る前に、先ずは鞘を語ろう。
その鞘は、装飾のないその素朴な意匠ながら、立派で肉厚な鞘である。その鐺には、一つの橙赤色の輝きを発する宝玉が、球の半ばまで鞘の尖端である鐺に埋め込まれている。
その上記の鞘の形状から察するに、この男が持つその『剣』本体は、形状だけを見るに、紀元前の遊牧民であるスキタイやサカの剣。
そして、紀元十世紀頃の東ローマ帝国で用いられた剣のような、直剣である。だが、この男の持つ『剣』の剣身の肉厚は、それとは違い、まるで鉈か斧に近いような頑丈な身の剣である。
この『剣』の、柄を握った手を護るためにつけられている柄は、金の丸柄であり、籠柄ではなく、かなりシンプルな柄であると言えよう。
その丸く膨らんだ柄頭にも、一つの青緑色の宝玉が、半ばほどまで嵌め籠められており、ますますもって、その『剣』の醸し出す雰囲気は、他者を受け入れないような厳かさがある。
そして、次にこの者の容姿―――、
この、この場に自身の異能を使い降り立った男は、キリっ、っと容貌魁偉。
そのピリっとした厳しい雰囲気も相まって、人は一歩距離を置き、この男にはあまり近づかないかもしれない。だが、俗に言えば、そのような分類に属すイケメンであろう。
その身長も高く、アルスランや小剱健太よりも少し高く、確実に身長百八十センチ以上であろう。かもすると、日下修孝と同等の背丈かもしれぬ。
この男の、容姿と容貌、身の丈はそのようなものではあるが、彼の服装は、自身に誂えて拵えられたイニーフィネ皇国の『皇衣』を、その身に纏っている。
その皇衣の色は『純白』。
まるで、結城魁斗が、その身に着ていた白装束のようである。否―――、結城魁斗は、この長身の男に強い影響を受け、彼の『皇衣』を模した白い服を着ていたのである。
「―――」
裳抜けの殻となっていた同地ウィンニルガルドの、この高名な施療院に、空間を超越えて降り立った男が周囲の気配を探ろうと、その氣を鋭敏にしたときだった。
きぃ―――、っと、静かな音を立て、眼前に立つ施療院の門扉が開いていく。
その石材と木材を使って建てられた頑丈な施療院の門扉が、内側から開けられたのだ。
ザッ、ザッ、ザッ―――、っと
一歩、二歩、、、数歩―――、
施療院の中から門扉を開いて出てきた男は、前へと、自身の敵である男を斬るべく進み出て。
「我が名はオテュラン家のアルスラン。待っていたぞ、貴公が、チェスター=イニーフィネか」
その声の主こそ我らがオテュラン家のアルスランである。月之国では、『剣獅子』の異名で呼ばれる武勇名高い高名な者である。
ただし、ノルディニア王国と対立しているルメリア帝国では、その名は忌避されている者である。
その刹那―――、
「ッ!!」
空間を超越し、この地にやって来た男は、『バルディアの獅子』またの名を『剣獅子』のその武勇なる闘いに逸る万全たるその姿を見ることになる。
「オレは貴公に問うているのだ、答えよチェスター」
アルスランは、その腰の左に、一振りの『刀』を差し、左手に弓を。そして、その背中には袈裟懸けにして弓筒を背負っている。
また、アルスランは、頭には、鎖布で防御している頸筋まですっぽりと隠れる山高帽子を被っており、両腕には腕甲を着け、その上半身には鎖帷子。その上から外衣を羽織った姿である。
アルスランの下衣は、丈夫な革製のズボンにて、それを革製の帯で締めている。その革製の帯には、ダガーのような一振りの真っ直ぐな短刀が留められている。脚には丈夫で動きやすい革製の靴を。
この男チェスターは、この場に、万全な状態のアルスランがいることなど露とも思っていなかったであろう。
――― “『バルディアの聖女』は、今日この時、ウィンニルガルドのこの高名な施療院にて、静かに祈りを捧げ、慰問を行なう”―――と。
アルスランが、配下の者達を使って事前に、貧民街にて流布させていた偽情報である。
「―――っつ」
相変わらず厳しいその眼差しと、その一文字にした口元を崩さないこの男。アルスランが、『チェスターか』、と、問いかけた男である。
そのだんまりに業を煮やし、アルスランは。
「貴公がイニーフィネ皇国皇子、、、いや、匪賊に堕ちたチェスター皇子かと、お見受けする」
「なんだと・・・―――、、、っ」
初めて、この男、チェスターというらしい男の表情が、憤りに変化する。
アルスランは、弓の弦をもつ左手、そして右手で矢を番え―――、
「―――」
―――、射者としてアルスランは素早く、その行動は矢のように素早い。
ヒュ―――、っ、放たれた矢は、流星のように空気を切り裂き、チェスターのその眉間目がけて飛んで征く―――。