第三百八話 宣戦布告
第三百八話 宣戦布告
バルディア大侯国へと潜入せし、『イデアル』の『理想の行使者』達が、その企みを実行せんとする、その企みの日の早朝のことであった。
そして、アルスランは、その『理想の行使者』の企てを先取して潰さんがため、急襲する―――、その敢行日の早朝でもある。
貧民街の、さらに世捨て人やならず者、盗賊を『生業』にしている者達があつまる街区の一角。バルディア大侯国の『暗部』であるその貧民街の一角は、クレインとユウェリアの父であり、当代のバルディア大侯国の為政者ですら、『手を焼いていた』街区の一つである。
アルスランとて手を拱いているわけではない、その一角。しかし、そこは、敢えて『手つかず』にしている街区である。
そのような街区に、うち捨てられ誰も住む人がいなくなった廃墟ありけり、―――。
バルディアの獅子にして『剣獅子』とも云われるオテュラン家のアルスランを慕う火炎の魔女は、魔法の民の正装に身を包む。
その紅髪の彼女の頭の上には、ウィッチが被る紅の、まるで炎のような色の三角帽。
「―――」
―――火炎の魔女は眼下を見詰めている。
彼女が見詰めるその先は貧民街の一角。
その一角が見下ろせる、俯瞰できる尖塔の上に、彼女ロサは陣取り―――、
すっ―――、っと、そうして火炎魔法を行使する彼女は、魔導書を持つ左手を高々と空に向かって挙げ、それを掲げる。
「ロサ=デスピナ・ディ・イルシオンの真名の下に、我自身が命じる―――」
小さく。だが、確実にはきはきとした口調である。
火炎の魔女ロサは、その血色のよい唇を、口を開いて唱える。
パァ―――っ、っと、ロサ自身の魔力が、そのマナの光が溢れ・・・っ。ロサのマナが、その魔力が急速に高まっていく。
ロサがその左手に持ち、空へと掲げ示したる魔法の民の、彼女ロサ自身の魔導書は、ロサのマナに応え、ロサのマナを魔力源とし、魔力の光を溢れさせてゆく―――!!
ロサの魔力の光は燀えるような『赤色』。カッカっと燃え盛る火炎の如く、熱き橙赤色に視得るであろう眩いロサの魔力は光と熱を放つ!!
ロサは魔法の詠唱を続け―――、
「―――マナよ、デスピナ家との盟約に応じ、我がデスピナ家の血筋に応え―――」
火炎色のマナに満ちるロサを中心として、ロサの上空その空間を、空気をも焼き尽くすような熱が満ち、まるでもう一つの太陽の如き燃える球体が産まれ出でるのだ・・・!!
複数の炎氣が絡まり合うように、巨大な真っ赤な、焔魔法の炎球がロサの遥か頭上で、渦巻いてゆく。
その火炎魔法により成った巨大な炎球は、炎熱と鈍い赤い光を、周囲へとまき散らす。
その『二つ目の太陽』は、以前、稲村敦司が黒き森で見たリラが、その自身の火炎魔法で創り上げし、『もの』と同じものである。
似ていて当然である。ロサとリラは、同じ親より生まれた血を分け合った双子の姉妹だからだ。
そして、ロサがその火炎魔法で創り上げし『二つ目の太陽』は、リラのときと同じように漏れなく、双子のように二つに割れたのだ。
「―――『劫火の焔』となれ―――」
尖塔の上に立ち、魔法を詠唱し終えたロサの頭上遥か高く。バルディア大侯国の都ウィンニルガルドの街を行く人々のその目にはまるで、
『三つの太陽』が見えたことであろう。本物の太陽と、ロサの火炎魔法が生み出した二つの焔球『劫火の焔』である。
「―――『ファイアメルト・デュオッ』・・・!!」
ロサ渾身の魔法詠唱後、その二つの『巨大な双球焔』は、空気を燃え裂き二本の焔の尾を引きながら貧民街へと飛んでいく。
まるで彗星のように―――、目的の、その場所目がけて、ロサの『ファイアメルト・デュオ』は、ぐんぐん突き進む。
ロサは、手筈通りに火炎魔法『ファイアメルト・デュオ』を行使し、『それ』を貧民街のその一角の、さらに一角にあるうち捨てられた廃墟へと、撃ちこんだのだ。
なざならば、そこの廃屋には『イデアル』の実行部隊『理想の行使者』達が潜伏しているからだ。
貧民街の一角。そのさらに奥まったその一角は治安がすこぶる悪く、このバルディア大侯国の都ウィンニルガルドに住む住人は、近づきたがらない場所で有名である。
どうしてこのような街区が“未だに放置されたまま”なのか、そのいきさつについては、ここでは割愛しよう。
まぁ、ともかく、当街区は、逃亡者やごろつき、犯罪者、または隠遁者が隠れ住む場所として、『解放』されている街区である、と言っても、差支えないだろう。
かくいう『バルディアの獅子』ことオテュラン家のアルスランも、昔は、かつては、この『街区』に身を寄せていたことがあるのだ。
一方その頃―――。
びりびり―――、っ、っと、爆風とその衝撃波。
理想の行使者『十二傳道師』達三名が潜伏する、うち捨てられたその廃屋に、ロサの『ファイアメルト・デュオ』が、今まさに着弾したのである。
バルディアの都ウィンニルガルドの空気が震え、ウィンニルガルドの神殿内のステンドグラスも、施療院も、その衝撃で震えた。それは、ロサによる火炎魔法の行使により、急襲の火蓋が切って落とされた、ということを意味していたのだ。
つまり、『バルディアの獅子アルスラン』の戦いが始まったのだ。
「―――解った」
はらはら、、、っ、まるで、空気に溶け込んで消えてしまったかのように、マナと淡い火で構成された『火の妖精』が、アルスランの手の平の上で消え失せる。
貧民街の一角の、彼奴等『十二傳道師』の潜伏先を。そのアジトを爆発炎上させた、というロサからの火炎魔法の『火の妖精』による通信魔法で、その報せを受けたアルスランは。
「―――」
そろそろか。と、言うべく。『鑓を携えた女神』の像が立つ施療院にて待機していた。かの『女神』は、かつてバルドの民を祝福した、といわれる神であり、その祝福によりバルドの民は、敵の部族に勝利した、という言い伝えがある。
この場に、アルスラン自らが裳抜けの殻とさせたその施療院の建物の中に、今居るのは、剣獅子アルスランと、その義妹イェルハ、ユウェリア候女、そして、従者の姫騎士アンジェリカの、この四名である。
「兄さん、、、ロサさんは―――、、、」
大丈夫でしょうか―――、と、イェルハは物思いに沈んだ表情で、アルスランにそう言いかけて、だが、その言葉は小さくなって尻すぼみとなった。
イェルハは、ロサの身を案じて、、、。だが、狙われている己自身の心配はしていないのだろうか?
「イェルハよ、ロサは大丈夫だ、心配は要らぬ。バルディア大侯国本軍、その精鋭部隊を率いているのは、誰であるかイェルハそなたは知っているであろう?」
「、はい、兄さん・・・」
アルスランとイェルハの会話に口をはさむのは、ユウェリアである。
「えぇ、私の兄ですね、イェルハ。そのように心配そうにして、私の兄では不安かしら?イェルハ」
ユウェリアは、ノルディニアの戦乙女の白銀の武装にその身を固め、右手には三叉鑓を、そして、その腰にはノルディニア系の民が用いる剣を携えている。
なぜならば、ユウェリアは自身の考えを圧し通したからである。アルスランや、その義兄にしてユウェリアの実兄であるクレインの、自身の身を案じてくれるその言葉を頑として受け入れなかったのである。
彼女は、ノルディニアの戦乙女に相応しいその勇猛さに、正にノルディニアの『サガ』に登場する戦乙女やヒルドのような存在である。
スクルド然り、続くスケグル、グン、ヒルド、ゲンドゥル、ゲイルスケグルもそれに該当する。そして、英雄時代を生きたブリュンヒルド然り、グズルーン然り、神話英雄伝説を彩る彼女達は、戦鑓と剣を持ち、羽衣を纏いて空をも翔ることさえできるのだ。