第三百七話 暗中飛躍
「義兄上殿よ、オレは明後日の朝に襲撃を掛けさせる」
アルスランは言葉少なに、自身が義兄上殿と呼んだ男に事実だけを告げた。
「そうか」
義兄上殿、という男も、言葉少なに、ぽつり、とそれだけを答えたのだ。その義兄という男の顔に喜怒哀楽といった感情は現れておらず。
アルスランの義兄という男は、右手に玻璃の杯を持ち、静かに、そして優雅に、その薄い口元に、その右手に持つ杯を傾けた。
第三百七話 暗中飛躍
その杯の中身は、アルスランの故郷である草原地帯の辺境。針葉樹林帯にもほど近い冷涼な草原地帯では常飲されている、蜂蜜から醸造された飲料である。
また、この場には、クミスという乳酒もある。乳酒は、草原の民が常飲する飲物であるが、アルコール度数はかなり低く酔っぱらって酩酊することはないだろう。
こく、っと、一口。義兄は喉を潤す。
さぁ、この場の対談に話を戻そう。
「アルスよ、私の妹ユウェリアは、きみにとって大切な、不可分の存在だな?」
義兄は、まるで念を押すかのように、アルスランに言った。
「はい。義兄上殿」
「そうか。それは重畳」
満足そうに、彼は。
この義兄と云ふ者―――、その者は金髪碧眼なりて、端整な面立ちをした男である。さらに、その男は高身長でもあり、その体型は肥えていることはなく、また痩せているわけでもない。
中肉中背の若者だ。ただし、そのアルスランの義兄という男は、おそらくその服の下に鋼のような引き締まった筋肉を隠していることだろう。
義兄の年齢は、どうだろう。アルスランより少し年上の、二十代半ばに見える。
「義兄上殿よ、オレはユウェリアの身を案じている。翻っての襲撃に備えて、明日のうちにユウェリアを義兄上殿の宮殿に連れて行ってほしいのだが」
なるほど。アルスランはアネモネからの情報の裏を取り、このバルディア大侯国の都ウィンニルガルドに侵入した『イデアル』の『理想の行使者』の潜伏先を掴んだということだ。
義兄は、アルスランのその言葉に一瞬目を閉じ、
「なるほど。だが、私にその大役が務まるか・・・。なにせ、私の妹ユウェリアは、中々におてんばで頑固な一面もある―――」
それはキミも知っているだろう? っと、アルスランの義兄という男は、いやらしい笑みを、にやにやと浮かべ、アルスランを見つめたのだ。
「・・・オレもユウェリアの頑ななところにすこし困るところがある、、、などと、義兄上殿よ、貴方の前でオレは断言できぬが。おそらく、、、いや、きっとユウェリアは、“オレ達と一緒に居たがる”ことだろう」
「ふむ、、、。では、私の妹をどうするか。そうだ、アルス―――」
義兄は、ハッと、なにかを思い出したかのような、その表情になった。
「義兄上殿よ、どうなされた?なにか妙案でも?」
アルスランは、義兄のその様子を見て、声を掛けた。
「ふむ、アルスランよ。近々、母上がノルディニア王都より楽隊を呼んで、復活の祭を催す企てをされている」
「ほう・・・、それはまことか義兄上殿よ・・・っ」
アルスランは、義兄に向かって、ややその身を乗り出した。
「あぁ、アルスラン。その理由を挙げて、『母がお前と話をしたがっている』と話を持ち掛け、王城の私の自宮に、妹ユウェリアを連れ帰る、ことができるかもしれない」
「ふむ、、、―――ッツ」
「、―――ッツ」
アルスランと、彼の義兄は―――。密談をしていたこの二人は、なにかに気づいたように、ハッとした表情となり、顔を上げた―――。
この二人アルスランとその義兄は、誰かの気配にでも気づいたのであろうか。
「二人で悪巧みですか、アルス。そして、兄さん―――、ふふ、ふふふふ」
女性の声。透明で澄んだその美しい女性の声は、密かに策を練っていたアルスランとその義兄、つまり自身の兄を名指ししたのである。
そうして、彼女その正体であるユウェリアは、従者のアンジェリカと、もう一人の妙齢の、その従者と思われる女性伴い、この場に推参せり。
「ふふ、ふふふふ―――、アンジェリカが私に全て話してくれましたよ、クレイン兄さん。もう言い逃れはできません。ふふっ」
「わ、我が妹ユウェリアよ、、、ごきげんよう」
「お、おう、、、ユウェリアよ、ごきげん麗しゅう・・・」
「アルス。兄さん。ごきげんよう。それにしても―――、と言いますか私だけが、蚊帳の外とは少し扱いが酷くありませんこと?」
そして、ユウェリアは笑う、哂う。朗らかなニコニコ顔の怖い笑みである。
“蚊帳の外とは少し扱いが酷くありませんこと?”―――つまり、ユウェリアは、アルスランや自身の兄クレインに、自分も一枚噛ませろ、と言っているのだ。
「~~~」
あちゃ~、っと、御破算。と、いった具合に、その様子で、額に手を当てるアルスランの義兄にして、ユウェリアの兄クレイン侯子。
アルスランも、その焦りの色の隠すことはせず、できず、また、自らの婚約者たるユウェリアを邪険にするようなことは、しないのだが。
「ュ、ユウェリアよ、、、隠して事をしていた、ということではなくてだな。いや、オレは、義兄者と、全ての段取りを整え終えてから、貴女に伝えようと思っていたのだ」
ま、ま、席に座ってくれ、と身振りで伝え、アルスランも、自身らの旗色が悪くなったことを悟り、自らの隣の席に腰を下ろすように、ユウェリアを誘う。
「あら、アルスっ。私を誘っているのかしら?」
「うむ。喉を潤いで満たしてからでも、遅くはあるまい。オレは愛しの貴女に全てを話そう」
アルスランは、新しい誰も口を付けていない新たな杯をその手に取り、蜂蜜を醸造して作った飲料を、その玻璃の杯に注ぐ、
「ありがとう、アルス」
「あぁ、ユウェリア」
すっ、っと、静かに、アルスランの右隣の、誰も座っていない席に腰を下ろすのはユウェリア。
「「―――」」
彼女ユウェリアの従者であるアンジェリカと、もう一人の妙齢の侍女は、その部屋より出て、扉の外側まで進み出でた。
従者の二人は、この場で護衛の任務と待機の任務を行なうのである。
「ありがとう、アルス。―――、」
ユウェリアは、アルスランが差し出した並々と注がれたその玻璃の杯を右手で受け取ると、その杯を自身の口元で、そのみずみずしいぷるぷるとした血色の良い唇で、玻璃の杯の縁を食み、一口、もう一口、二口と呷る。
玻璃の中に注がれたその蜂蜜を醸造させた飲み物の量が徐々に減っていき、
「んく、んく、―――」
こくこく、っと、ユウェリアは、その玻璃の杯に注がれた蜂蜜酒を呷り、それを嚥下していく。
ユウェリアのその綺麗な、白い喉の頸が、彼女が飲み物を嚥下するごとに、ごくごくごくっ、っと蠕動く。
いわゆるヤケ酒のそれに、似た、近い、感情である。
魔法王国の魔女ロサは情報提供者。アルスランと兄クレインは共謀者。イェルハは護衛対象者。自分の従者であるアンジェリカすら此度の企図に一枚噛んでいた。
彼女ユウェリア自身だけが蚊帳の外、、、という。アルスランの婚約者であるというのに、自身は蚊帳の外に置かれていた、その“悔しい”気持ちがユウェリアの中で膨らんでいたのである。
「ごく、ごく、ごく―――」
ユウェリアは、杯の傾け、中身を飲み干し、
もうユウェリアの玻璃の杯に注がれた蜂蜜飲料は、ほとんど残っていない。
「ユウェリアよ。そのように一気に呷っては、身体に―――」
アルスランが、ユウェリアの身体を労わってそのような言葉を掛けているその途中―――。ユウェリアは、やっと唇から杯を放し―――、
「ぷは、、、ぁっ。―――ねぇ、アルス。貴方はいつも私のことを、愛しの貴女って言ってくれるわ」
「ぅ、うむ・・・っ///」
「本当は、その言葉、誰にでもそう囁いているのではなくて?義妹にも、ロサにも」
「・・・う、うむ、それは認めよう」
「あら、あっさりと認めるのね。それは殊勝なこと」
アルスランは、『今日のユウェリアはやたらオレに絡む』などということを、内心では思いつつ、それを口に、声にしては出さず。
「許せ、ユウェリアよ。此度のことで、オレや義兄上殿は、そなたの身を案じていたのだ。オレの義妹イェルハを狙う賊は、自らの目的のためならば、手段を選ばぬような輩という。ユウェリアよ、その『イデアル』の凶賊が、美しいそなたにまで手を出す、生命を奪うかもしれぬ。という、考えにオレは至り、―――」
「アルスラン―――」
ユウェリアの自身の名を呼ぶ真剣な声。
ユウェリアのその雰囲気の声を聞き、アルスランは、神妙な面持ちになると、ユウェリアを静かに見つめ返したのだ。
「ユウェリア、、、」
「『私は、貴方が視ている光景を見てみたい』―――」
「ッツ・・・!!」
「ごめんなさい、アルス。『この言葉』を貴方に言うつもりはなかったのだけれど、今の私は貴方に無性に言いたくなって」
「いや、ありがとう感謝するユウェリア。オレは『全て』を、ユウェリア=ガスタルド貴女に話そう―――」
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