第二百七十九話 彼女の父の手記『天雷山踏破録』
「今日はここまで?アイナ」
やけに気さくにアイナに話しかけるのは、羽坂さんだ。
「えぇ、ナル」
「う~ん、、、なんか―――、」
羽坂さんは、眼前に聳え立つ台地の大地を、目を眇めるように見上げる。
「・・・」
先日の、俺が夜話のことを羽坂さんに話して以降、羽坂さんとアイナの距離感が、ぐっ、っと近づいた感じだ。そんな感じが、俺はする―――。
第二百七十九話 彼女の父の手記『天雷山踏破録』
サーニャの他にもう一人、アイナに侍るアターシャは。
「アイナ様、私の存知よりを申し述べます」
恭しく、アイナに一礼。
「従姉さん?」
「ここはおそらく、私の父正臣の手記『天雷山踏破録』に、書き遺されていた『神雷の台地』かと、存じ上げます」
給仕服の姿のアターシャは
「なるほど、、、従姉さん」
神雷の台地? 天雷山踏破録? なんだそれ、『神雷の台地』などという単語は、俺は初耳だ。
しかも、そんな『天雷山踏破録』なんていう手記があったの?レンカお兄さんは、俺にそんな手記があるなんて、一言も言わなかったぞ?
「え?そんな『天雷山踏破録』なんていう手記があったんだ、アターシャ」
「はい。ケンタさま」
『それ』は、当時、正臣さんがこの天雷山を登ったときの日記か手記のようなもの、なんだろうか?
「ふーん。で、その手記には、なにが? あ、えっと、そもそもどこにあったんだ?それ。レンカお兄さんも、親父さんのそんな手記があるなんてこと、一言も言ってなかったし」
ただレンカお兄さんは俺に、アイナの自宮の大浴場で俺に、天雷山は―――
『あぁ。雷氣漲るあまりにも過酷な環境だから山頂には誰も常駐していないけどね』
って、何やらレンカお兄さんは、天雷山に関する事情を知っているような雰囲気ではあったが。
レンカお兄さんのその言葉、口調、ニュアンスを聞いて俺の、登ったことがあるんですか?の質問には。
『いや、ないよ。ただ父が言っていた。ぼくの父が登ったことがあるらしい、アイナ姫のお父上ルストロ殿下と一緒に』
『ぼくの父も、ルストロ殿下も、もう二人ともこの世にはいないから、天雷山がどういった場所なのか、もう一度訊くということはできない』
と、あの人、レンカお兄さんは言っていた。
アターシャは立ったまま、身体ごと俺に向き直り、
「話せば長くなるのですが、ケンタさま―――」
―――よろしいですか? 、と、俺に対してアターシャ。
「うん、別に俺は大丈夫」
「分かりました。実は、私も兄同様に父から。父が若い頃、アイナ様の父君であられるルストロ殿下と共に、ここ天雷山に挑んだことがあるということは、聞いておりました」
「、、、」
アターシャの話を、その静かな語り口を聞いているのは、俺だけじゃない。アイナだって傍にいるし、アイナの傍らにはサーニャも控えて、きっとアターシャの話を静かに聞いている。
「あの生真面目だった父が、なんの記録も付けずに、ただ天雷山に登った、というのは私自身信じられず、兄や兄の従者ミントにも声を掛けて、方々父の所縁のあった場所を、なにかがあるのでは、と探してもらいました」
ミントちゃんにも、、、。そりゃあ、なにか出て来るな。なんとなくそう思う。
「へぇ、レンカお兄さんとミントちゃんに」
「はい、ケンタさま。二人に探してもらったところ、すると、、、祖父季訓の嗜好品ばかりを集めた祖父の聖域、祖父季訓の『道楽屋敷』、、、おっと口が滑りました、、ん゛っ、『津嘉山私立文書博物館』の地下書庫のさらにその地下の、隠された一室の、その小部屋より、父正臣が、天雷山のことを詳しく記した手記『天雷山踏破録』が、出てきたのです」
あの人(季訓さん)って、趣味好きが高じて、博物館なんか持ってるんだ!? その中に、その手記『天雷山踏破録』なるものが・・・っ。
「まじか!?」
「はい。ここに持ってきております、ケンタさま―――、」
「え?ここに。俺、読んでいいの?親父さんの日記」
「はい、ケンタさま。アイナ様とケンタさまのお役に立てるのであれば、亡き父も本望でしょう」
すっ、っと、アターシャは、懐よりタブレット端末を取り出すと、その写真を見せてくれた。
あれ?本物の、親父さんが記した手記じゃなかった。このタブレット端末で撮った手記の写真か。
「―――」
写真で見る限りは、親父さんが書き記したその手記は、普通の単なる文庫本サイズの、日記帳に見える。
その表紙に、丁寧な自筆の文字で、『天雷山踏破録』と、書かれてある。
アターシャは、静かに語り出す―――。
「―――、これは、私の父正臣が若い頃に書きのこした天雷山の踏破の記録。『天雷山踏破録』なる手記。兄に、これがどこに在ったか訊いたところ―――『火蓮お前のにらんだとおり、やっぱり祖父さんが隠し持っていたよ、しかも何もない小部屋の石壁の中に、さ』っと、妙に納得した口調で、そう言っておりました。早速私は、祖父を襲撃炎上させ、、、おっと失礼―――、交渉したところ―――、」
襲撃っ!?炎上っ!?
こえぇえええ―――、まじか!?
「―――、、、っ」
ずぞぞぞ―――っ、アターシャさん。そういえば、最近、迎賓館内で季訓さんを見かけないなぁ、っとは、俺は思っていたけど。
なんだアターシャが、お祖父さんの季訓さんを、炎上させてたんだ、、、。たぶん、比喩だと思うけど、おそろしいっ・・・。
燀やされる・・・、絶対に、アターシャさんを怒らせないようにしよう、、、俺。
「―――、祖父に納得の上で、父の遺品である『天雷山踏破録』は没収、、、いえ、私の母にその所有権は移転され、父の手記の全ての頁を、私がこのタブレット端末で写し撮りましたので、どうぞ御安心を」
「、、、」
どうぞ御安心を、って、なにが御安心、なんだろう。
ケンタさま、とアターシャは俺にタブレット端末を寄越して、俺がそれを受取ろうとしたときだ―――。
「アイナ、、、たぶん、こっち」
羽坂さんが、突然アイナを呼んだ。
「ナル?」
アイナは、アターシャのタブレット端末から、その視線を羽坂さんに向けた。
「ちょっと、行ってきていい? なんか―――、、、私・・・、感じる、の―――、変な、気配・・・を」
羽坂さんは、ふらふらっ、っと、前へと、一歩、二歩、数歩・・・。
「アイナ様・・・っ」
「えぇ、従姉さん」
「ハサカどの・・・!!」
アターシャも、アイナも、サーニャも、
羽坂さんの様子がおかしい、普段の彼女羽坂さんとは、その様子や雰囲気が違うと踏んで、皆一斉に立ち上がる。
くるり―――、っと、そんな様子の羽坂さんは振り返り、
「どうしたの?みんな」
きょとんっ、っと、した様子の羽坂さん。
「「「―――っつ」」」
皆の心配をよそに。
「・・・ん?」
羽坂さんは、血相を変えて自身に駆け寄ろうとした、アイナ達を見詰め、、、まるで当の本人羽坂さんは『当惑』しているような仕草だ。
でも、約一名。全く動じる気配のない人が一人。
それは、一之瀬春歌さんだった。
「あの、皇国の皆さま。その、奈留さんは、いつも任務のときでも、私的なときも、このような調子でして、奈留さん曰く―――、私の感覚が告げる、だそうです」
ちょうど手ごろな大きさの石の上に腰をかけていた一之瀬さんは立ち上がって。その、一之瀬春歌さんの説明。
つまり、この羽坂さんの不思議な言動は、まったくの羽坂さんの『素』の様子だったというわけだ。
「・・・ん」
羽坂さんは、アイナやアターシャ、サーニャが自分の傍までやってくるのを、一応立ち止まって待つ。
アイナ達三人と、そして、一之瀬さんも。
羽坂さんは、
「―――?」
座ったままの俺を待っているってこと?
「健太早く、、、」
やっぱりか。
ごくごくごく・・・っ。キュ―――っ、っと蓋を閉める。俺は、飲みかけのコップと、水筒を片付けた、というわけ。
「っつ」
俺も慌てて、身支度を整え、、、羽坂さんの後を追い。結局、羽坂さんの突飛な行動の所為で、この休憩中にアターシャの親父さんが遺したという、手記のデジタルデータが、見られなかった・・・。
「私の勘と感覚が告げるの。たぶん、こっちっぽい―――、」
今だけは、羽坂さんの先導で、道を逸れて、、、彼女羽坂さんの言うほうへと、やや、、、そうだな、羽坂さんが歩きはじめて、数分といった頃だ。
「・・・っつ」
俺にも『それ』が解った。ひょっとして、羽坂さんは、俺と同じように、この気配、と言っていいのか。この感じ、『この感覚』を感知した、感知しているのかもしれない。
ぴりっ、っと、した―――。言い得て妙に表すと、まるで、帯電し、静電気の影響で、『パチパチっ』、という感覚に近いかもしれない。
その感覚。その気配。それが、徐々に強くなり。
「・・・!!」
くる、来る、きっとくる。近づく、近づいていく、俺は、俺達は。
「っつ」
徐々に、近く、強く、濃く。あれと、あのときと、同じ―――、俺が『女神フィーネの聖剣』に触れたときと同じ、感覚のもの。
魁斗の黯黒の氣のように、重くもなく、寒くもなく、気味が悪くもなく、―――むしろ、女神フィーネの聖なる雷氣の波動は、あたたかく、強く、輝いているようで、まるで力を与えられる、かのような浮揚感がある―――。