第二百六十九話 私は帰らない。まだ、終わってないから
「僕は、『僕達』は、きみに、きみ達と協力しよう」
その言葉を待っていたぞ俺は、塚本さん。
「ありがとうございます・・・っ塚本さん・・・っ」
バっ、っと俺は、両腕は体側、腰を直角に折って、塚本さんに深々と頭を下げた。
第二百六十九話 私は帰らない。まだ、終わってないから
「いや、別にそこまで畏まらなくてもいいよ、健太くん。ただし、この津嘉山の迎賓館より、一歩たりとも外に出ることは、認められない―――。要するに、ほら。他の誰かにバレないようにね。それでもいいかな?」
俺は下げていた頭を上げ―――、
「はい、それでかまいません。充分です。ありがとうございます、塚本さん・・・っ」
よしっ、俺は内心でガッツポーズ。
俺はこの、日之国国家警備局第三席特別監察官であり、裏では『灰の子』リーダでもある塚本さんに、自身の条件を提示し、渋るこの人から譲歩を引き出させ、勝利を勝ち取ったのだ。
でも、すごい、とても、、、つかれた。
「―――、―――、、、・・・」
塚本さんとの交渉は。
向こうは、つまり塚本さんは、こういうことでは、きっと俺なんかよりも、ずっと場数を踏んでいて、よっぽどのこういう修羅場の経験者で。
きっと、塚本さんは多くの死線を潜り抜けてきた猛者なんだろうな。
だから、俺は、そんな人と相対して精神的に疲れた。
「、、、」
そう。だから、俺の両手の手の平は、未だに、塚本さんを前にした緊張で汗でべっとりと濡れている。―――この塚本 勝勇という男と対峙し、交渉するのは、疲れたけどな。でも、愛するアイナのおかげで、アターシャやサーニャみんなのおかげで、勝ち取ることのできた塚本さんからの譲歩・・・、俺は勝利だと思う。
そう思えるんだよ、俺は。
塚本さんは、俺から視線を切り、その視線を、やってきたばかりの一之瀬さん達に向けた。
「―――、聞いていたね、そういうわけだ春歌くん。超法規的措置で、僕達国家警備局の護衛官は付けずに、アイナ皇女殿下率いる皇国の方々の、ここ、津嘉山の迎賓館への滞在を認めることとなった」
淡々と、塚本さんは。塚本さんは、先ほど俺と取り決めた事実だけを、手短に一之瀬さん(春歌)に語った。
「塚本特別監察官。それはまたどうしてなのでしょう」
一之瀬さん(春歌)の、塚本さんへの疑問提示。
「っ」
当然の疑問だよな、一之瀬さん(春歌)の疑問は。彼女一之瀬春歌さんは、俺と塚本さんの交渉の場にはいなかったのだから、一之瀬春歌さんが、そう疑問に思えるのは、当然だと、俺は思う。
「全責任は僕が負う。日之国国家警備局一之瀬 春歌境界警備隊隊長」
「はい、塚本特別監察官。ですが、それは解るのですが、、、なぜまた、そのような超法規的措置を皇国の方々に―――、、、っ」
っ、と、言いかけた一之瀬さん(春歌)の、表情が固まる。そして、一之瀬さん(春歌)の、言葉も途中で途切れ、、、。
それは、塚本さんが。塚本さんが、一之瀬さん(春歌)に示した態度の所為だ。特にその塚本さんの表情―――。
「―――」
塚本さんは、まるで拒絶するかのような、やや冷ややかなその眼差しを、一之瀬さん(春歌)に向ける。
「っ」
「春歌くん。きみの権限では、それ以上は知り得ない。知る必要のないことだ」
一之瀬さん(春歌)は、その凛とした眼差しの目を大きく見開く。
「っつ―――」
塚本さん、直属の部下の一之瀬さん(春歌)に対して、そんな態度は、ちょっとないんじゃないか?
「―――」
そりゃ、直属の上司にそうきつく言われれば、そうなるし、そう思うよな。でも、塚本さん、さっきやって来て、戻ったばかりの一之瀬さん(春歌)に対していきなりそれを言うのは、ちょっと冷たくないか?と俺は思ってしまう。
そう思うものの、せっかく『灰の子』としての塚本さんにも、『警備局』としての立場の塚本さんにも、俺は認められたんだ。
ここで俺は口を挟んで、塚本さんからせっかく俺達が勝ち取った『もの』を失いかねない、という懸念はある。
「はい、了解しました。塚本勝勇特別監察官」
びしっ、っと。しかし、一之瀬さん(春歌)は、右手の指四本で示し、塚本さんに敬礼。さっ、さっ、っと二つの動きで、その右手右腕を、体側へ持っていき敬礼を終わらせた。
「ありがとう、一之瀬春歌隊長―――」
もちろん、一之瀬さん(春歌)のそれに答えた塚本さんも、自身の敬礼で返した。
すごい、、、っつ。
「・・・っつ」
ある意味で一之瀬春歌さんもすごい人だっ。『すごい』と俺が彼女春歌さんを、そう思ったのは、彼女一之瀬春歌さんは、私情を挟まずに自身の気持ちを殺して、上官である塚本さんの意志に従ったところだ。
一之瀬春歌さんは公僕で『公の組織の人間』だ。御上の言うことには、従う、という日之国国家警備局の忠実たる公僕。
たぶんいろいろな意見はあると思う。言い方を悪く言えば、『日之国政府の狗』だ。だが、俺は、こういう一之瀬春歌さんのところは、好ましく、なぜか、そう思ってしまった。
「―――っつ」
考えてはいけない、、、というか、アイナに失礼だが、もし、俺が『もしもの話だ』―――もし、日之国に、俺が日府に転移者として現れていたのなら、きっと俺は、春歌さんと出会い、そして―――。
「・・・っ」
俺は、自身の思考を、ぶんぶんっ、っと心の中で失わせたんだ。それは、きっと違う『物語』―――。
くるりっ、っと、塚本さんは。
「さて―――」
一之瀬春歌さんとの意思疎通。即ち敬礼を終え、塚本さんは、俺達へ向き直る。
「―――、アイナ皇女殿下。健太殿下。ならびに従者の方々。僕達日之国国家警備局が、いえ、我々日之国政府が譲歩したからには、必ず天雷山踏破を成し遂げてください。日之国の諺で『果報は寝て待て』という故事成語があります。僕は、貴女方の『吉報』を期待して、待っていることにします」
塚本さんの言葉を聞いていて俺は思った。
「・・・」
吉報ねぇ・・・塚本さんが、その『吉報』を強調するかのように言い、そう聞こえたのは、俺の気の所為だろうか?
俺達が掴んだ『イデアル』の情報を早く自分達にくれ、ということではなかろうか。
「―――」
いや、それは俺の気の所為ではない、と思う。きっと、塚本さんの発言は、『灰の子』としての吉報とも取れる意味も含んでいるに違いない。
「では、失礼いたしします皇国の皆様方。僕達『日之国国家警備局』は、これにて」
くるり、と塚本さんは、応接の間で踵を返し、それに伴って私服姿の一之瀬さん(春歌)は、そのポニーテールを翻す。もちろん春歌さんの祖父であるスーツ姿の一之瀬(泰然)さんも、塚本さんの後に続き―――、
「、、、」
だが、そこで、ふと塚本さんは、なにかに気づいたかのように、まるで『忘れたことがあった』や『忘れ物があった』という様子で、立ち止まる。
「―――」
一人応接の間に佇む銀髪の少女。羽坂奈留さんだ。近角信吾さんと愛莉さんの娘であるその彼女だ。
「奈留帰るよ」
一之瀬さん(春歌)も、その佇んだままの羽坂さんの様子を怪訝に思ったようで、皆『そんな』羽坂さんに声を掛けようと、
「奈留さん?」
「私は帰らない」
意志の籠った声。羽坂さんのその声は、大きなものではないが、はっきりと、はきはきしたものだった。
応接の間で、そのふかふかの絨毯の上に、一人佇んだままの羽坂さん。その両手は、私服の体側で、ぎゅっ、っと拳を作って握り締めている。
「帰らない?」
一之瀬さん(春歌)は、羽坂さんに訊き返す。
「まだ、終わってないから」
「奈留さん? 終わっていない、とは??」
「奈留?」
当惑する、していそうな、二人。その二人とは、塚本さんと一之瀬(春歌)さんのことだ。
羽坂さん?終わっていない、とは?
「?」
羽坂さんの言動に、当惑しているのは俺達だって同じことだった。
「私は日之国国家警備局境界警備隊から選抜された護衛官だから、帰れないっ、ふんすっ」
どやっ、っとした態度で、その言葉を放った羽坂さん。
「え?奈留さん?上官である塚本特別監察官の話を、指示を聞いていなかったのですか? これより私達は、局へ帰投し―――」
一之瀬春歌さんの返す言葉に、ふるふる、、、っと羽坂さんは首を横に振り、
「ううん、私はアイナ皇女殿下の護衛する、どやっ」
「はい?奈留さん聞いていましたか? アイナ皇女殿下一行は、私達日之国国家警備局の護衛官は必要としない、とし、その旨の塚本特別監察官の決定が、さきほど為されましたよ?」
「さっき初めて見たの、春歌」
「え?初めて見た、とは奈留さん?」
「うん。塚本があんなにも狼狽えているところ」
「塚本特別監察官が、狼狽えているところ―――、、、ですか?」
一之瀬さん(春歌)は、塚本さんを一瞥。一之瀬さん(春歌)は、塚本さんが狼狽えたなど、本当に信じられないような、分からないというような、そんな態度だ。
だって、彼女は、一之瀬さん祖父孫は、塚本さんがそうなったときは休憩中で、この応接の間にはいなかったのだから―――。