第百七十一話 いざ征かんとし
「祖父ちゃん、俺イニーフィネ皇国に武者修行に行きたいんだ」
居間の丸いちゃぶ台に就き、上座に座る祖父ちゃんを、その顔を、その目をしっかりと見据えて俺は言ったんだ。
第百七十一話 いざ征かんとし
「ほう、皇国で武者修行とな?」
「・・・うん」
あれ?祖父ちゃんってば、俺が武者修行に行くのはあまり乗り気じゃないのかな?
祖父ちゃんは目の前に置いてある緑茶が満たされた湯呑に手を伸ばすと、それを取ってすっ、っと小さな音を立て一口分を一飲み。
ことっ、っとまた湯呑をちゃぶ台の上に置いた。
「祖父ちゃんはどう思う?俺の武者修行」
「ふむ、、、」
なんて祖父ちゃんは難しい顔をして、腕を胸の前で組んだんだ。・・・色よい返事は期待できないかも。
「祖父ちゃんは若い頃に武者修行とかしなかったの? それとも俺が出て行くのは―――」
反対しているの?と俺が続く前に祖父ちゃんはその口を開く。
「あぁいや、なに。なにも儂は健太お主が修行の旅に出るというのなら止めはせんよ。ただのう、、、」
う~ん、と祖父ちゃんは軽く唸った。
「・・・」
「儂も若い頃は電車に乗っていろいろと他流試合をやったのう。だが、あれはあれでかなりきついぞ?」
「きついとはあれ?その体力的ってこと?」
確かに電車での旅はしんどかったのかもな。それに旅の路銀っていうか、交通費とか風呂代とかかな?祖父ちゃんが心配しているのは。
「うむ、儂はモテすぎたのじゃっ、もうそれは。もう行く先々でのう。カメラを持った人々に追いかけられてのう、、、ほほほっ。キャーキャー言われてのう学生時代はよかったわい」
ほたほたと冗談めかして笑う祖父ちゃん。
いやただの自慢か。
「―――」
「昭和の美剣士現るなどと―――」
「―――」
そこで祖父ちゃんと俺の視線が合う。俺はやや目を細めているのかな?
「―――、っ」
そこで祖父ちゃんは一拍置いて咳払い。またその口を開く。今度は祖父ちゃんも真面目な顔だ。
「ふむ。前置きはさておき、健太よお主当てはあるのか? 武者修行と言うてもこの五世界だ。日本とはわけが違うぞい」
「うん。それは解ってる祖父ちゃん―――」
五世界で武者修行。それが簡単なことではないことは俺だって解っている。この五世界という異世界イニーフィネには『先見のクロノス』や『絶対防御の三条 悠』、『炎騎士グランディフェル』、『バルディアの獅子王』など、名前が知られている強者や剣客がうようよいる。名前が出ないような強者も多くいることは百も承知だ。きっとそいつらは今の俺より強い・・・ことだろう。―――それでも俺は、
「―――それでも俺は、この『小剱流剱術』がこの世界でどこまで通用するか視てみたいんだ、試してみたいんだ。それでも足りないところは相手から取って自分の物にする」
祖父ちゃんは胸の前で組んでいた両腕を解き、ぽん、っと自分自身の両膝にその手を置く。
「よかろう健太よっよくぞ言った。それでこそ儂の孫だ。お主こそ次代の小剱流剱術継承者に相応しい」
「っ!?」
あれ!?拍子抜けあっさりと認められているし。
「じゃあ、俺武者修行に行ってもいいの、ほんとに行くよ、俺」
「うむ。行ってきなさい健太よ。そして、どうにもならなくなったときは遠慮なく祖父である儂を頼りなさい」
いいの?そんなときにだけ祖父ちゃんを頼っても。
「え?いいの祖父ちゃん」
「うむ。お主はまだ若いしの、かわいい孫が祖父である儂を頼ってくれんと、儂が悲しい。それに、だ。この世界における肉親は儂ら二人しかおらんのだよ、健太よ」
祖父ちゃん。
「祖父ちゃん、、、。うん、そのときは―――」
「剣士、という者はな、健太よ」
ぽつり、と祖父ちゃんはこぼした。
「はい、祖父ちゃん」
「剣士を続けている限り、いずれ己の力では越えられぬ『壁』ような、自身の力ではどうすることもできぬような者と出遭うのだよ。強さを求め続ける剣士は己の力が及ばぬ者もいることをその身で識るのよ」
「祖父ちゃん?」
やや視線を落とし、祖父ちゃんは言葉をつづける。
「どうにもならんような、な。剱士、という者はな、剱士を続けている限り、いずれ己の力では越えられぬ『壁』ような者と出遭うのだよ。強さを求め続ける剱士は己の力が及ばぬ者もいることをその身で識るのよ」
すっ、っとまた、祖父ちゃんはその視線を俺に戻す。
「―――祖父ちゃん・・・」
「うむ、儂の場合もそうだった。己の強さを求め続ける剣士は、必ず己の眼前に立ち塞がる壁と相対するときがやってくるのだよ」
祖父ちゃんは再びちゃぶ台の上に置かれた湯呑に右手を伸ばし、すっ、っと湯呑を呷る。そして、湯呑を静かにお膳の上に置いた。
「断言しよう、健太よ。いずれお主にもそのような相手が訪れる。そのときは遠慮なく儂を頼りなさい。儂ならば手練れの猛者を数多く知っておる、いずれそのときがくれば、それをお主に引き合わせてやろう」
猛者?
「それって日下流の近角 信吾っていう人?それとも塚本 勝勇もしくは野添 碓水っていう人かな? はは」
「ほう?健太よ―――ふふっ」
祖父ちゃんは一人悟ったように笑った。
「ねぇ、祖父ちゃん。あの第六感社の二人組、定連さんと野添さんがここを襲えるように図ったのは祖父ちゃんでしょ?」
「ほう。それは異な(意の)ことを」
「・・・」
異なことを、の『異』は『意』なんじゃないかな。なんか俺の耳には『それは意の事を』、に聞こえたような、祖父ちゃんがそう言ったように聞こえたんだ。
「健太お主の答え合わせができたというもの。やはり儂の策は正しかったようだの」
「やっぱりか」
後になって、特に定連さんと野添さんが逃げるときだ、ちょっと腑に落ちなくて疑問に思うことができたんだ。
祖父ちゃんは塚本さんに会いに行くって庵を抜け、魁斗化した俺から逃げる定連さんと野添さんを迎えに来たのは、あの夜話で出てきた九十歩 颯希っていう人だった。しかも、あの九十歩 颯希っていう人は、迎えに来たあのとき、意味深長な目で俺を見詰めていたし。よくよく考えれば、
祖父ちゃん→塚本さん→近角さん、九十歩さん→野添さんってみんなが繋がっているんだもん。ま、第六感社、定連さんだけが乗せられたってことだよな? それに野添さんは三条っていう人のことも知っているような口振りと素振りだったし。
ほら―――、
「ほほほほ―――っ」
ほほほほっ、と朗らかに、満足そうに笑う祖父ちゃんが何よりもの証拠だと俺は思うんだ、思ったんだよ―――。
///
数日後、―――だ。
「行ってくるね、祖父ちゃん」
俺は着替えの道着と下着を詰め込んだえんじ色の袋を手に持ち。えんじ色の布袋は以前にアイナが俺にくれたものだ。
「うむ、健太よ。しっかりと名を上げてくるのだよ」
俺は庵のすぐ前の庭に立っていた。そこは初めにアイナが連れてきてくれた庵の前庭だ。時間は―――、
「九時五十分、か・・・」
道着の衣嚢に入れた電話の画面にはそう表示されていた。アイナとの約束の時間まであと十分。
「―――」
今からイニーフィネ皇国で俺の新生活が始まるんだ。アターシャのお兄さんのレンカ以外にもいろんな人達に会うんだろうな。
なんか緊張するし、、、それに、ちょっと悪い気がするよな、アイナに。だってイニーフィネの、アイナの自宮がある場所は今頃真夜中だもん。アイナは真夜中に起きてこっちに迎えに来てくれるわけだし、俺もイニーフィネで時差ボケになりそう。
「健太よ、もっと気を楽にしなさい」
声を掛けられた俺は中庭の外の方に向けていた顔を祖父ちゃんに向けた。
「祖父ちゃん?」
「もっとでんっと構え、胸を張りなさい」
胸を張れ?
「、、、」
って祖父ちゃんがそんなことを言う。祖父ちゃんはそのまま口を閉じることなく、またその口を開く。
「お主は皇女のアイナ殿の伴侶になったのだぞ?」
「あっ」
そっか。俺アイナの婿って紹介されるんだ―――。それにイニーフィネ皇国の国民には―――、救国の英雄『あまねく視通す剱王』ってアイナが前に、、、っ///。ちょい照れるぜ。
「解ったかな、健太よ。皇国でもどしっと構えておればよい」
「うん、解ったよ祖父ちゃん―――」
あっ。まさにそんなときだ。庵の前の庭の真ん中、そこが、そこの空間がさざ波立つように揺れる。
「来た・・・!!」
アイナだ。
「ふむ、そのようだのう健太よ」
「―――」
その空間を揺らすような波は、徐々に大きくなる。まるで、静かな湖面に石を投げたかのような同心円状の、半径一メートルほどの輪だったものが、二メートルぐらいの大きさになり、その大きさのままは変わらず、その波だけが大きくなっていく。
初めは湖面のさざ波ほどの大きさだったものが、徐々に大きくなってざわざわと。空間を揺らす波が最高潮となったときだ―――、
「っつ」
にゅっ、っとそのおみ足が現れる。右脚だ。初めににゅっと脚がでてくるのは、いつ見てもシュールな光景だ。その次にすぅっ、っと身体の前面が空間の中から現れ―――、あ、スカートだ。アイナが着ているのは道着じゃない。
「ケンタ・・・っ」
―――タンっ、っと舞うように彼女は黒髪を靡かせ、その人は前庭に舞い降り立ったんだ。