第百六十一話 貴殿には大変世話になった故
ざりっ、っと野添さんが俺に向き直り、
「なっ、なんと小剱殿―――っ!!」
ぐいぐいっ、っと、
「・・・っ」
ちょ、ちょっとこわい。野添さんの顔が鬼気迫るものでそんな表情で、ぐいぐいと来られたからだ。
第百六十一話 貴殿には大変世話になった故
「そ、それは本当に真なのだな!?近角殿が生きている、と・・・!?」
おまけに野添さんってば、興奮しているせいでその得物、えっと銘はなんていうんだろ?その名刀を左手でぎゅっと握り締めているものだからさ。その握り締めている拳には骨が浮き出てるんだよ。
「え、えぇはい。俺は祖父ちゃんにも、その幼馴染だった魁斗って奴にもそう聞きましたよ」
「―――っ」
―――はぁっ、っと息を呑んだ後、野添さんの身体から力が抜けた。
「それならば、近角殿ならば修孝殿の行方を知っているやもしれんな」
その刀の鞘を握り締めている野添さんの左手からもすぅっと力が抜けていた。
じぃっ―――、と俺は一方で野添さんがそんな左手で握っているその名刀から視線を外せなくなった。いったいどんな銘なんだろう。その刃文は?その反りは?
「―――」
「小剱殿? ―――あぁこの刀か」
野添さんはそんな俺の視線に気づいたようだった。当たり前か、あんなにも俺が凝視するように見ていたら誰だって分かるか。
「はい。―――」
視ていて解る、この野添さんの持つ一振りの刀も、日下 修孝=クロノスの『霧雨』同様に相当な業物の刀だ。でも、クロノスが持っていた『霧雨』の太刀と違って、野添さんのこの刀は打ち刀だ。クロノスの太刀『霧雨』と違ってその長さがやや短いし、この人はこの刀を、刃を上にして腰に差していたから。
「名刀『雨水』という」
俺は野添さんの刀から視線を外して顔を上げた。
「『雨水』っすか・・・」
「うむ、名刀『雨水』。御屋形様俺の師日下 儀紹師範代より賜った一振りの刀だ。小剱殿―――」
すっ、っと野添さんは左手を鞘に、右手をその柄に、そして自身の胸の前でその名刀『雨水』を水平に一文字に持つ。野添さんから殺気は感じない。その『雨水』を抜いて、喋ったからもう用済みだと、俺を斬り殺すことはないと思う。
その視線は一文字に構えた『雨水』だ。まるで慈しむように、大切なものを愛でるかのような野添さんの眼差しだからだ。
「―――とくと見てくだされ御屋形様より賜った『雨水』を」
すぅっ、っとゆるり、と。その緩やかな速度で漆黒の鞘より、煌めく白刃が抜かれていく―――。
感動ものだ。俺がこれまで見た抜身の刀は小剱の宝刀『一颯』、それとアイナの、、、そういえばアイナの打ち刀の銘を知らないや俺。その次にクロノス日下 修孝の『霧雨』―――そして、『雨水』が四振り目の刀だ
「『雨水』これが」
焚火の橙赤色の炎の光に照らされ、『雨水』の煌びやかな白刃は今や炎が宿ったかのように橙赤色に映えている。
「うむ、小剱殿。これが『雨水』だ」
野添さんは両腕をめいいっぱい開いて、、、今やその『雨水』は全て漆黒の鞘より抜き放たれた。すぅっ、っと。
「っ」
「ふむ、小剱殿」
ざりっ、っと再び俺の傍らに焚火の前に座した。野添さんは刀の鋩を上にして、そして、その姿勢は脚を組んだ胡坐だ。
「きれいな刃文っすね、『雨水』って」
橙赤色の焚火の炎にゆらめくように、その刃文も揺れるように見える。
野添さんに視線を向ければ、にぃっ、っと野添さんは嬉しそうにその口角を上げる。いやらしいように口角を吊り上げるような笑みと仕草ではない。ほんとに嬉しそうにだ。
「御屋形様より拝領いたし『雨水』、お褒め戴き光栄ですぞ、小剱殿・・・っ」
この人、本当に師匠である日下 儀紹師範代、、、日下 修孝の親父さんのことが好きなんだな。
「え、あ。はい」
と、ぐらいしか俺は答えられないけれど、、、。
その『雨水』の刃文はゆらゆらと丸く、ときにその中に鋭い角が混じる乱れ刃だ。視線を刀身の上に、、、『雨水』の鋩はやや鋭く、きっと剱氣を籠めて『衝き』をすれば、その鋭い鋩で貫けないものはないんじゃないかってそう思えるんだ。
「っつ」
ごそごそっ。ふと、俺は時間が気になって道着の右衣嚢に手を入れた。衣嚢の中の手にしっくりと馴染む長方形で少し重さを感じるもの―――つまり電話を掴んで取り出す。指を動かし、、、認証―――、画面を点ければ―――。
「小剱殿?」
俺は野添さんの視線を受けながら、、、。うん、まだ時間は少しある。ま、この夕闇の感じからして何時くらいかは想像がついてたけどな。今の空は日が沈み、しばらく経った夜の帳が下りる直前だ。
「えっとちょっと時間の確認を、です」
時間は十八時三十二分。と、俺の電話の画面にはそう表示されていた。アイナ達がイニーフィネから帰ってくるまで、まだすこし時間がある。
「ふむ、そうかもうそのような夕食どきの時間なのだな」
キンっ、っという小気味のいい鈴のようなきれいな音。野添さんが抜身の『雨水』を鞘に納刀したからだ。
「そうみたいっすね」
「さて、、、忝い小剱殿。貴殿からは貴重な話を賜り、この野添 碓水、貴殿には大変世話になった」
ザっ、っと野添さんは今度こそ席を立つ。そして、すっ、っと淀みのないきれいな動きで、俺に深々と頭を下げる。当然そのサングラスを掛けていないせいで、その目蓋を閉じた目元も見える。
「あ、いえ。俺のほうこそ、なんにもお茶の一杯の出せずに、すいませんっ」
慌てて俺も立ち、野添さんのほうは垂れていたその首を上げた。
「小剱殿―――」
まだ、彼はなにかを言いたげそうに、
「はい」
「―――俺は表向きは『第六感社』諜報部に所属している。その中で俺はふと、とある情報を目にし、―――」
野添さんは逡巡するように一度言葉を切る。
「野添さん?」
「いや、、、詮無いことだ。俺にとってこちらのほうが、、、修孝殿の件で今しがた小剱殿貴殿には大変世話になったほうが遥かに、な」
野添さんはいったい何を俺に言おうしているんだろう・・・。一瞬、とても深刻そうな顔になったけど。
「えっと・・・?」
「小剱殿。霊験あらたかな霊刀といったものはご存知であるな?」
っつ!!
「霊刀・・・っ」
それってクロノス=日下 修孝が持っていた『霧雨』とか、魁斗がぶん回していた『聖剣』みたいな刀剣のことだよな・・・?
「うむ。修孝殿の『霧雨』や小剱殿の祖父殿の刀もそうであろう。そのような、、、霊刀や妖刀といったものがこの『五世界』には散らばっておりましてな」
「なんとなく解ります、この『五世界』は。えっと他にも三条っていう人の『朝凪の剣』とか」
祖父ちゃんの夜話の中にも出てきた・・・三条っていう名前の人だったっけ、その人が持つその魔法剣『朝凪の剣』もその部類になるのかな。
「ほう、三条殿のことまでご存知か・・・!? ふっ―――、なつかしい」
やっぱり野添さんはその人三条という人のことも知っているのかな。ふっ、っと野添さんは懐かしそうに笑みをこぼした。
「―――」
そして、野添さんはまた口を開く。
「それらの中でも飛び切りの霊刀とされる『雷切』。その所在の極秘情報ですが、なんでも、日之国と月之国を隔てる境―――、雷氣漲る神域天雷山脈の頂きに刺さっているそうですぞ」
「ッ!?」
そんな霊刀がっそこにある!? 野添さんが嘘を吐いているようには見えないし、視得ないよな。
ときおりゆらめく焚火の炎の、その橙赤色の明かりが強弱する。
「―――ッ」
だけど本当に!? どうして野添さんは俺に? いや、冷静になって考えろ俺。俺は立ったままの脚を組み替えた。
―――今の嘘を吐いていない野添さんを疑うつもりはないけど。野添さんは一応第六感社の社員で。俺にこんな貴重な極秘情報を教えた理由は? それとも俺に『雷切』という霊刀を敢えて取らせようとしているのか?
「・・・どうして俺にそんな貴重な、、、『雷切』の極秘情報を、野添さんは俺に教えてくれるんですか・・・?」
それに関しては迷いはないみたいだ、すぐに野添さんが口を開き、
「ふむ。無論修孝殿の件で、小剱殿貴殿に世話になったということもある。それに貴殿の『雨水』を観る目。貴殿は本当に刀を好きなのだな、ということが俺には解ったのだ」
「―――」
俺のその『雨水』を観る目・・・って。俺ってそんなに名刀を欲しそうな目で見ていたのかな?
「我々『第六感社』が手に入れるのではなく、『警備局』でもなく、はたまた件の『イデアル』などという結社でもなく、、、『雷切』の真の価値を解ってくれるであろう、大切に扱ってくれるであろう貴殿小剱殿の手に渡ってほしいと俺はそう判断したのだ」
なっ、なんだよっ///。
「っ―――///」
この人、俺を褒めちぎってなんか俺照れて、、、恥ずかしいじゃねぇか、俺―――っ///
俺は照れ恥ずかしさを押し殺すように隠し、
「っ、そ、その『雷切』って刀。どんな霊刀なんっすか?」
「・・・俺がその極秘資料を読んだ感じ、ただ『雷氣に満ち漲る霊刀』『選ばれし者しか扱うことができない』らしいとしか記されていなかった故、詳しくは知らぬのだ。すまぬ」
『雷氣に満ち漲る霊刀』『選ばれし者しか扱えない』―――それだけで、
「いや、充分っす」
俺はそう野添さんに答えた。選ばれし者ってひょっとしてあの女神に選ばれた者のことだったりするのかもしれないしな―――。