第百三十六話 紅の真実
「貴殿の痒みは治まったかね?」
エシャールの問いに塚本は答えることもなく・・・。
「・・・」
しゅるりっ、っとそのとき塚本の足首手首を掴んでいたエシャールの『紅手腕』が解かれ、その紅い腕は血氣に還ってゆく・・・。エシャールが『紅手腕』を解いたのだ。
すると、ふらふら・・・、っとついに塚本はよろめくように、、、後ろへとゆっくり背中側から―――まるでスローモーションを見ているように緩慢な動きで塚本は仰向けに倒れていく。
第百三十六話 紅の真実
「ふふふ・・・、ふひ、ふひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃっ―――、―――、―――、ひゃひゃひゃひゃっ、、、ひぃひぃぃ・・・!!」
笑う。笑う。笑う。勝利を確信したエシャールは狂ったように高らかと腹を抱えて笑う。
「―――」
血を失い意識がもうすでに定かではなくなっていた塚本は遠いところにいるかのような感覚でそのエシャール・ヌン=ハイマリュンの、勝利を確信した笑い声を聞いていた。
はたっ、っと。
「ひぃひぃい―――。そうだ、『哂い眼鏡』私は貴殿を私の好敵手であったと認めよう」
はたっ、っとエシャールは仰向けで倒れ伏す塚本に視線を移し、足元に倒れる血塗れの塚本を見下ろした。
「・・・、・・・」
「その上でだ、私は貴殿に、・・・いや、まずは、なにか言い遺すことはあるかね?」
ぱく、ぱく、、、。
「あ、ぁ・・・、・・・、・・・」
エシャールのその言葉で塚本のその目に少し生気が戻ったようにも見える。塚本は口をぱくぱくとさせ、だが、なにを言いたいのか、何を思うのかはエシャールには聞き取れなかった。
「なにかね―――?」
エシャールも耳を欹てるが、すでに瀕死の状態の塚本からはその言葉を聞きとることはできず―――、ふむ・・・っとエシャールは思案顔になる。
パチンっ、っとエシャールが右手の指を鳴らす。
「・・・っ」
すると、どうだろう。『それ』には塚本自身も驚いていた。ふわふわと鉄気を含むエシャールの紅い血氣が塚本の首から下を包み込む。
治癒だ。先ほどもエシャールはこれを己に施してその折れた歯と鼻を治したのだろう。
「ほんの気休めだが、それで貴殿は喋ることができるようになったかね?」
塚本は困惑したように、だがこくりと頷く、相変わらず身体は動かないが。
「あ、ぁ・・・す、すまないエシャールさん」
「それでなにか言い遺すことはあるかね?『ツカモト=カツトシ』」
そのエシャールの言葉に、考えること僅か数秒―――、塚本は口を開く。
「・・・、北西、、、戦争の―――。僕は、もう、、、長くはない。僕が死ぬ前に・・・一つ、、、冥土の土産に、、、興味―――知りたいんだ・・・、その・・・真相―――を、舞台裏・・・を、、、」
エシャールは思案するように、その思案顔で腕を組む。
「・・・ふむ。よかろう」
そしてエシャールは語り出す、北西戦争が起きた舞台裏の出来事を。
「っつ―――先ずは、チェスター殿下は素晴らしいお方なのだっ。チェスター殿下っ殿下殿下殿下殿下殿下殿下殿下殿下殿下っ、、、おっと失礼。―――チェスター殿下は光。暗闇へと凋落するイニーフィネ皇国においてチェスター殿下は光明のごとき存在なのだよ・・・っ」
「暗、闇へ・・・凋落?」
強大なイニーフィネ皇国が暗闇へと凋落する?塚本には俄かに信じ難い話ではあった。
「そうだ」
こくりっ、っとエシャールははっきりと肯いた。
「・・・」
塚本は表情を変えずに、そのままの姿勢でエシャールを見上げている。
「だが、そんな宮廷内においてチェスター殿下こそが正義っ。古き大イニーフィネ、失われし古き大イニーフィネ帝国の復興を掲げるチェスター殿下、その御膝元に集まりし我ら。『古き大イニーフィネ』こそ我らが宿願!!」
「・・・」
「チェスター殿下の崇高なる御考えに耳を傾けず、、、なにが『開かれ調和の取れた皇国を』、だ。総督制を廃し魔法王国イルシオンの保護国化、そして、日之国との国交樹立―――『迎合派』売国奴めっ、彼奴らに乗っ盗られたイニーフィネ皇国は確実に緩やかに、頽廃的に破滅へと向かっていたのだよ」
エシャールが激しく貶し、唾棄し、批難するのはその『迎合派』の者達だ。エシャール自身の主、敬愛し崇敬する主チェスター殿下と『迎合派』は敵対関係であると強調するかのようだった。
「・・・それが、凋落」
そうだ、とばかりにエシャールは首を縦に振る。
「事実日之国と好を結ぶことでイニーフィネ皇国は凋落の闇へ向かっていたのだよ。だが、皇国がそのような窮地に瀕しているときに、チェスター殿下の下に、殿下の御威光に中てられ馳せ参じてきた者どもがいたのだよ、『哂い眼鏡』」
「者、ども・・・」
塚本は力の入っていない震える唇で呟いた。
「『理想を成すために我々はある』―――」
その標語塚本には。
「―――」
聞いたことはあった。
「『チェスター殿下―――、そしてエシャール卿。イニーフィネとエアリスの接近を警戒されるのであれば、イニーフィネとエアリスを戦わせればよいのですよ』、と、なるほど仲違いか、一理ある。我々はその者ども『イデアル』の誘いを受けたというわけだ」
「―――っ」
「次期皇帝陛下と目されていたルストロ殿下は甘い。非常に優しいお方であった。だが―――ふひ―――ふひひひひひひひっ・・・ふひゃひゃひゃひゃひゃひゃ―――あーはっはっはっはっはっ!!」
奇声を上げ、仰け反り、まるで本当に愉しいことのようにエシャールは腹を抱えて笑う。
「―――」
身体はまだ動かない。すっかりと力と温もりが失われている。そんな塚本は目を細め、エシャールのその腹を抱えて笑う様子を観ていた。本当に心底楽しいことがあったかのようなそんな様子のエシャールだ。
「そんなルストロ殿下はもういないっ・・・!! チェスター殿下は日下征伐に先だって兄君ルストロ殿下、甥リューステルク殿下共々売国奴の一党を全て御討ちになられたのだ・・・!!」
ッ!!
「ッ・・・!!」
ルストロ皇子と言えば、日之国でも知っている人は知っている。それほどまでの将来名君になるであろうと言われている皇子である。塚本もルストロ皇子の評判は小耳に挟んだことはあった。
現イニーフィネ皇国皇帝と次期皇帝と目されているルストロ皇子彼ら父子は先代の大イニーフィネ主義政策を止め、外交政策を転換した。イニーフィネ皇国は魔法王国イルシオンに施行していた総督制を廃止し保護国へ―――さらには昨今のイニーフィネ皇国の日之国への外交政策。ルストロ皇子は協調・融和派の長であり、彼が成年皇族となってから日之国に対していろいろな親善政策が採られた。その結果、日之国内でもイニーフィネ皇国を後ろ盾とする俗にいう津嘉山家率いる『皇国派』と呼ばれる派閥ができたのだ。
「殿下殿下殿下殿下殿下殿下殿下殿下殿下殿下殿下殿下殿下っ―――、ついに己の宿願を成し遂げられたチェスター殿下ぁあああああああああああ―――ッ、あぁ愉快爽快痛快。ふひっふひゃひゃひゃっ実に爽快であったわ。私の『血世界』により宮廷内に蔓延るツキヤマのねずみどもが血の海に斃れ伏してゆく様愉快爽快痛快―――、唯一の私の悔いはマサオミの息子レンカ、そしてマサオミの娘達を取り逃がしたこと―――くっ」
エシャールはその悔しさを思いだし、その端整な顔を歪めた。当時エシャールは『正義』の名の下に城内で異能『血世界』を発動し、宮廷内に居た津嘉山の一族を、一族に繋がる者イニーフィネ人との間にできた人々も含めて全てを血祭りに上げて殺した、戮した、殲した。抵抗する者、命乞いをする者の区別を厭わずその生命を、紅き血を悉く奪い尽くし、彼彼女らを殲滅し、皆殺しにした。
「―――、、、。エ、エシャール・・・さん」
塚本は震える唇で、震える言葉を吐く。
「―――なにかね、『哂い眼鏡』?」
「ほ、北西戦争は、、、日下侵攻に際して・・・、、、きみ達の背後に・・・、、、『イデアル』という組織がいて、彼らはチェスター皇子の後ろ盾だった、ということ―――なのかい?」
「それは違う」
エシャールは真顔になり、きっぱりと否定した。
「そう、、、なのかい?」
きょとんっ、っと塚本はさも分からないという顔をして、倒れ伏したままエシャールを見上げ、そして見つめる。
「殿下は殿下であり、殿下こそが正義なのだよ。彼奴ら『イデアル』は殿下のお膳立てをしただけにすぎない」
「・・・」
ぎゅっ、っとエシャールは垂らしている両腕の先の両拳を固く握り締める。
「殿下・・・宿願を達するためとはいえ、私は『イデアル』などという組織に、先人達が創造し奉った叡智の結晶『七基の超兵器』の一基『煉獄』を使用させることなど認めたくはなかったのですっ、本当は・・・!! ですが、殿下―――・・・そんな貴方様も私も今や『イデアル』・・・」
エシャールは哀しそうな顔で、そんな目をしてこの紅き血世界の虚空を見上げる。
「煉、、、獄?」
ぽつり。塚本はその言葉を呟いた。煉獄―――、言葉どおり聞いた限りでは、、、業火が恒に燃え盛っているという地獄の一つだ。
ふっ、っとエシャールは足元に転がる塚本に視線を落とす。
「知らないかね?この地、日下で燃え盛った眩い巨大な紅蓮の火の球を」
「―――っ」
はぁっ、っと塚本の声なき声―――。
「その驚いた顔を見るに貴殿は知っているようだ『哂い眼鏡』。そうだ、きみ達エアリス人のいう北西戦争日下侵攻を終わらせたのは、『煉獄』だ。『イデアル』は『煉獄』の強大な力を使い―――、日下に集う多くのイニーフィネ兵とエアリス兵、日下の者どもをその紅蓮の業火で跡形もなく燃やし焼き尽くしたのだ。ふひっふひゃひゃひゃひゃっ―――、