第百二十九話 劫水の竜蛇
「―――『曲折』」
ぽつり、、、塚本は呟く。その呟きと同時に彼塚本は勢いよく、袈裟懸けに、その右の手腕を斜めに切るように揮った。
ごあッ―――!! っと橙赤色に燃ゆる火炎魔法『劫火の竜蛇』は本来の術者であるはずのエシャール目がけて斜め下にまるで獲物を見つけた蛇のように飛んでいく。その炎牙を怒らせように口を開け、主エシャールを喰い焼くのだ。
第百二十九話 劫水の竜蛇
「―――ッ・・・ぬう・・・っ!!」
だがエシャールとてただ者ではない。その淡く紅く輝くアニムスを両腕上半身下半身、全身に纏わせ、なんとかして返された『劫火の竜蛇』を受け止めるべく力を揮う。
ががががが―――どんっ、っとグラウンドを激しくのたうつ『劫火の竜蛇』を全身で受け止め、その地面に亀裂が走る。
「ふぅ・・・これで終わってくれとうれしいんだけど」
対する塚本は涼しげにエシャールのその様子を観ている。
「お゛おおぉぉぉぉぉぉ―――ッ!!」
『劫火の竜蛇』を全身で受け止めるエシャールの身体がついに圧され始め、グラウンドをずりずりと退いていく。
「―――これは私の火炎魔法なのだぁあああああッ!!」
ばぁんッ!! エシャールはグラウンドの端のまで退き、そこに行ったところでなんとか自身の放った火炎魔法『劫火の竜蛇』を相殺することができたのだ。
「はぁッ、はぁッ、はぁッ、はぁッ―――。ひ弱エアリス人だから、と、、、油断したわ・・・っ!!」
肩で息をするエシャールは相当疲労困憊の様で、その深い臙脂色をした服もところどころ焼けている。
そのような状態でなお、エシャールは高位魔法の詠唱に取り掛かる。
「古竜・・・蛟の如き水竜蛇―――イニーフィネ皇国近衛異能団団長エシャール・ヌン=ハイマリュンが命じる―――」
「―――次はどんな魔法だろう?」
ぽつり、っと遠目でエシャールの様子を観て、魔法の詠唱であると判った塚本が呟く。―――エシャールが掲げる右手が光り輝く。
「―――マナよ、我が力に応え水竜蛇となりたまえ―――っ『劫水の竜蛇』」
キュオォオオオォ―――っ、っとエシャール自身の紅い氣が彼の右腕で集束するような光を放つ。
エシャールの空へと掲げるその右腕に今度はじわっとした水滴が迸る。彼の右腕を渦が巻いて回るかのようにして水の竜蛇の姿が浮かび上がる!! それは竜というよりは、尾の長い蛇にその姿が近い。そして水の竜蛇のその頭の部分には二対の伸びた角が生えている。その形状だけでいえば、先ほどの『劫火の竜蛇』とほぼほぼ同じだ。
どうかね?と、塚本に訊くようにエシャールの口角が満足げに吊り上がる。
「―――『劫水の竜蛇』・・・どうかね?『哂い眼鏡』」
エシャールのアニムスもしくはマナにより精製された大量の水、それと空気中に存在している水気が混じり合い、今度は巨大な水竜蛇となりて、それがエシャールの頭上高くを舞う。ゆるゆるくねり、上下にのたうち、その水の身を優雅にくゆらす―――。
その『劫水の竜蛇』の様子を観て塚本は静かに口を開く。
「・・・へぇ―――凄いねエシャールさん。これほどまでの水魔法は僕も見たこたがないよ・・・!!」
「ほざけっ!!『劫水の竜蛇』の質量は先ほどの『劫火の竜蛇』の十数倍なのだっ!! さぁ、その超重量級の私の水魔法『劫水の竜蛇』を曲げてみたまえ―――『哂い眼鏡』っ!!」
エシャールが水氣に満ちるその右腕で、その真上、空に掲げていた右腕を勢いよくグラウンドの向こうのほうに佇む塚本に振り下ろす・・・!!
エシャールの水魔法―――『劫水の竜蛇』も先ほどの、炎氣を纏う『劫火の竜蛇』と同じく、彼エシャールの右腕を連動しており、エシャールが遠くの塚本に向かって振り下ろしたことで、『劫水の竜蛇』はその牙の生えた口を大いに開き、ぐわっ、っとまるで塚本に咬み付くかのようにグラウンドの真ん中、塚本が佇むそこまで飛んでいく。
「ふははははははは―――っ!!」
その後をエシャールも駆けていく。そしてグラウンドの真ん中付近に着いたとき、ちょうど、ぐわぁああっ、っと巨大な水の竜蛇は大口を開け、水牙を剥き出しにして塚本へと突進と喰らいつくのだ。
「さぁっさぁっ―――!!曲げられるものなら曲げてみたまえよ、『哂い眼鏡』・・・っ!!」
いけぇええええええっうぉおおおおおおおおお―――っ!!と、とエシャールは自身の紅い氣マナで満ちる両腕を身体の前に突き出す。真正面で左手が上、右手が下にくるように、手の平を開いた状態の左手と右手の手首を合わす。その両手の指の形はハエトリ草の虫を捕らえる葉っぱに似ていなくもない。
「終わりだよ、『哂い眼鏡』―――」
がぶっ、っとまるで本物の大蛇が敵を飲みこむが如く、エシャールはその開いた両手を閉じた。
その僅か数秒前―――刹那のときだった。
「――――――」
一方の塚本は途端に冷静な顔になり、その眼鏡の下の鋭い視線で『劫水の竜蛇』を見据える。真一文字にした口、やや目に力を籠めた真面目でかっこいい眼差し、、、。
―――いつもの塚本は、にこにことした柔らかい目とその口元だが、今回ばかりはさすがに余裕で構える澄ました顔とはいかなかったようだ。
ぽつり静かに、誰に言うとでもなく塚本は、口を開くのだ。
「僕は、『曲』がある人や道理から『曲がった』ことを好んで行なう人、事実を『歪曲』をした嘘ばかり吐く人―――、そんな人達が好きなんだ―――。だってそんな人ほど僕の『異能』は深く作用する―――」
にぃ―――っ、っとその顔のまま塚本の口角に哂みが戻る。
すでに塚本の眼前は水、水、水―――巨大な自動車をも一口で丸呑みにできそうな竜蛇の頭のみ。『劫水の竜蛇』のその兇刃なる水牙がまさに塚本を呑み込もうとしている。
「終わりだよ、『哂い眼鏡』―――」
がぶっ、っとまるで本物の大蛇が敵を飲みこむが如く、エシャールはその開いた両手を閉じた。
「終わり?果たしてそうかな?エシャールさん。そこはすでに僕の異能の領域、つまり僕の庭だ。『曲水』―――」
ぐぐぐっ―――っと突如『劫水の竜蛇』はその上半身の向きを変え、塚本の手前で大きく上へと跳ね上がる・・・!! 塚本が自身の曲がる異能の技の一つ『曲水』を発動させてからだ。
「なっなんだ・・・これはっ!!」
その驚愕に満ちた声の主はもちろんエシャールのものだ。一方の塚本は至極冷静を装う。先ほどの真面目なかっこいい眼差しを保ったまま―――、
「あらゆるものを燃やし尽くす炎と違って、水はいい。水魔法ほど御しやすいものはない、ま、僕にとってはだけどね」
ぶわっ、っとまるで噴水か間欠泉のように跳ね上がった『劫水の竜蛇』は塚本の眼前にその腹を見せて、宙返り。そのまま上からまるでエシャールを襲うように空中でその膨大な竜蛇の姿の水のまま、エシャールに降り、まるで襲い掛かるようにその水牙を立てるのだ。ばっしゃあああッ―――、叩き付けるような水がエシャールに降りかかり、その頭部が終わり、腹部、さらに尾部の水も我先へとエシャールに殺到―――、巨大な水柱。
「ぬぅうおおおおおあぁぁぁぁあっ―――ッ!!」
エシャールはそのグラウンドの地面を削り、コンクリートをも砕くような巨大な滝の瀑布と等しいほどの水圧を受けたのだった。
辺り一面、日下部市のグラウンドも全てが水浸しになり、あの件の第六感社の輸送機も少し押し流されるほどの水量だ。塚本は自身のその曲がる異能で全ての水を押し曲げた。よって塚本は靴ほどしか濡れてはいない。
「―――」
塚本は降りかかった水流とその水圧で窪んでしまったところに俯せで倒れたエシャールを見下ろした。既にエシャールに言葉はない。だが、
ぴくり・・・っと僅かにエシャールの右手の指が動く。
「・・・・・・」
エシャールは死んではいないのだ。その臙脂色の赤黒いエシャールの一張羅はもうすでにぼろぼろだ。先ほどの『劫水の竜蛇』の所為だ。
「僕の言葉は聴こえているね? きみの敗けだ。いくつか質問したいことがある」
「―――、―――・・・」
エシャールには既に答える力すらも残っていなく、うぅ・・・、と呻くことしかできなかった。
「―――」
じぃっ、っと塚本はエシャールを見下ろす。まるで話す言葉を選んでいるような神妙な面持ちで口を開く。
「北西戦争―――。あの大侵攻はなぜ起こったんだい? きみエシャールさんはチェスター皇子の側近の一人、つまり当事者だろう?」
塚本の口から出た『チェスター皇子』の言葉。
「―――・・・っつ」
倒れ伏すエシャールの瞳孔が開き、その紅い色をした目もカッと開かれる。
「だからエシャールさんはあのイニーフィネ皇国による日下国への大侵攻『北西戦争』の舞台裏に詳しいはずだ。できれば僕にそれを教えてくれると嬉しいんだけど」
よろよろ・・・ゆるゆるっとエシャールは最後の力を振り絞るように俯せの状態から仰向けに転がる。そして、まるで天を見詰めるような遥か空を見上げた。
「チェ、チェチェ、、、チェスター殿下っ殿下殿下殿下殿下殿下殿下殿下殿下殿下ッ―――ふひ―――ふひひひひひひひっ・・・ふひゃひゃひゃひゃひゃひゃ―――っ!!」
大の字で、仰向けで寝転がってエシャールは大いに叫び、笑い、奇声を発する―――。