第十二話 客の正体は
第十二話 客の正体は
俺はこの不気味な人に―――・・・いやいや絶対にそんなの嫌だ。俺は頭の中で想像した悪いことを、首をぶんぶんと左右に振ってそれを否定する。
「このッ・・・!!」
さっきから全然、扉を圧してくる力は衰えない。だから、先ほどから同じ姿勢で扉を圧し返していた俺の身体は疲れを訴え始めた。そこで、俺は違う体勢で扉を圧し返すことにした。改めて力を全身に入れるために、足を片足ずつ挙げて立ち位置を変えたとき、俺の右足がむにゅっと変な柔らかい感触のものを踏んだんだ。
「?」
不思議に思った俺が自身の足元に視線を移したとき―――
「ひぃッ!!」
またもや俺は情けない声を出してしまった。俺が右脚で踏んだものの正体、それはさっきちぎれて扉の内側に落ちた、外にいる人の右の上腕だったんだ。その色はすでに土色を通り越し―――解りやすく言うならば、真夏に地面で干からびたミミズのような紫色の混じる赤茶けた色をしていた。さらに俺が踏んだことで、上腕の関節部の骨がはみ出し、また踏み潰したせいでさらなる赤茶けた液体まで流れ出していた。まじで良かった、道場にあった上履きを履いていてさ。もし、履いていなかったら、素足でこの腐ったようにちぎれた上腕を今頃踏んでて―――ひぃっそれ以上は想像したくない!!
「―――」
卒倒しそうな光景を目の当たりにし、またそちらに意識を取られたせいで俺の扉を圧し返す力が緩んでしまったみたいだ。
「ッ!!」
扉の外からぐぐっと、力が加えられ―――僅かに扉の隙間が一直線で開いたとき―――もう俺の頭の中は恐怖感と焦燥感と絶望感でパニック寸前になっていた。
「―――」
恐怖感と焦燥感に駆られた俺は―――。そんなとき、ふと子どもの頃に祖父ちゃんから教わった教えを思い出す。
「はぁ・・・、ふぅ・・・、はぁ・・・、ふぅ―――」
冷静になれよ、考えろよ『小剱 健太』と自身に言い聞かせる。『相手に追い詰められ、焦ったときは今一度冷静になりなさい、健太』と俺が子どもの頃に剣術の稽古をつけてくれた祖父ちゃんはそう俺に教えてくれた。そのおかげかもしれない、祖父ちゃんが教えてくれたのと同じように、息を吸って吐いてを数回繰り返しただけで、俺の混乱していた頭が少し冷めたような気がした。
「よ、よし・・・!!」
俺は扉を圧し返す力を取り戻し、なんとか・・・なんとか指を伸ばして詰所の扉に鍵をかけることができた。でも、その詰所の扉の鍵は今風の回す鍵じゃなくて、なんか昔風の閂を入れるような鍵だ。こんな鍵じゃ、たぶんすぐにこじ開けられてしまうに違いない。だったらこの詰所の二階は―――ダメだ。二階なんて上ったら自ら追い詰められにいくようなもんだ。じゃ、この詰所の窓を蹴破って外に逃げるしかない・・・!!
「ごめん、アイナッ」
俺にここで待っているように言ったアイナに一度謝って、俺は素早く駆けだした。窓へ向かう際に机の上に置いていた俺の鞘付き木刀を右手で攫うように引っ掴み、その勢いのまま、俺は鞘から勢いよく抜き放った木刀の一閃を窓に繰り出した。
「ッ」
ガシャンッとまるで弾けるように、窓にはめ込まれていたガラスが飛び散った。続いて俺は木刀を腰に差し、ガラスのなくなった窓枠に手を掛けた。もちろんガラスの尖った破片のなくなっているところな。一足飛びで窓枠に駆けあがったまさにそのとき―――詰所の扉が蹴破られて、あの腕のちぎれた男が俺のいた詰所の中に入ってきたんだ。
「え―――!! う、うそだろ?」
思わず俺は振り返ったまま固まってしまった。詰所の中に入ってきたのは一人だけじゃなかったんだ。その後ろにもその後ろにも続々と続いて血色の悪い土色の肌をした人の集団が・・・その集団は老若男女の区別を問わず、たくさんの不気味な人達がぞろぞろと腕のちぎれた男に続くように詰所の中に入ってきたんだ。その血色の悪い土色の集団の人々はみんなはっきりとした言葉は喋らずに『う゛ぅ』とか『あ゛ぁ』とかといった呻き声のようなものしか発していない。
「まるで・・・ゾンビの集団だな―――」
俺はそれを最後に見やったあと、その詰所を後にした。でも、たぶんこの詰所の周りにもさっきのゾンビみたいな集団はいるはずだ。俺はそんな不気味な人達の様子を探るために歩みを止め、石畳の地面と煉瓦造りの家屋の境界線の壁で息を殺した。
息を殺しつつ壁際に立ち、門番の詰所に入ってきた彼らゾンビのような集団を見遣った。
「やっぱりかよ・・・」
さっきまで俺がいた門番の詰所の中へと入るゾンビのような集団は行列を作っている。そして、それ以外にもその詰所の周囲を散開するようにうろうろと徘徊する人々―――。もちろんその人達の動きも、その様子も到底常人には見えない。
その徘徊する人、列を作る人、その誰もが血色の悪い土色の肌で、ところどころ血に染まった服を着ている人もいる。そんな人々はみんなが虚ろな目でぞろぞろのそのそと歩き回り、その動作も俺が見るにおかしいものだった。このゾンビみたいな人達はどこからきたんだろう? 俺がこの街に来た時にはこんなゾンビのように徘徊している人はいなくて、また彼らのような人々であふれ返ったような街じゃなかった気がする。ただ、街の中心広場は死屍累々で埋め尽くされてはいたけど・・・
「―――」
俺は息を殺しながら―――本格的にどこかの家屋の屋内に隠れないといけなくなったな、と思っていた。じゃあ、息を潜めるならどこの建物がいいか。
「―――・・・」
それはそんなことを思っていたときのことだった。
「―――ッ!!」
俺のすぐ背後に人の気配がして思わず俺は振り返ったんだ。
「―――・・・」
そこには物言わぬ、肌が血色の悪い土色をした女の人が立っていて―――、その女の人は―――
「え・・・―――」
その女の人の顔と姿形を観て、俺の頭の中でピースが埋まった。
///
その生きていれば十代後半と思われる美しい顔かたちの金髪の少女は、壮絶な表情で斃れ伏し右腕を伸ばしたまま、その右手で爪が剥がれるほど地面を掻き握り―――・・・酷過ぎる。その最期はあまりにも非人道的な行為だったに違いなかった。
///
―――それは、俺がアイナ達と会う前に、街の中心広場でこの金髪の人の亡骸を見て感じたことだ。
「そういうことか・・・!!」
だから俺は悟った。この今、街の中の徘徊しだした彼彼女達の正体を。この人達はこの街の住人達だ。きっと、いやううん、アイナ本人には訊いていないから分からないけど、これを、この犯罪的な殺戮を実行した人物を追ってアイナ達はこの街に来ていたということなのかもしれない・・・。
俺は無言で拳を握り締めた。それはたぶん怒りからくる感情なのかもしれない。俺はこの街の住人にも国にも縁やゆかりもないけれど、これをやった犯人に腹立たしさを覚える。
「ッ!!」
「・・・、・・・」
無言で俺に手を伸ばそうとするこの金髪の女の人の腕を避けて、俺は脱兎の如く走り出した。その俺の駆ける足音に気が付いた周りの亡骸達が、俺を緩慢なその足運びで追いかけてきたんだ―――。
先ほどの金髪の生きた女の人だった亡者とその後から追いかけてきた亡者達・・・ううん生ける屍の集団を、全速力で走ることでなんとか巻くことができた。でも、油断なんてとてもできなかった。
「くそッ・・・いったいどうなってんだ、これは―――!!」
俺は息を切らせながら生きた人がすっかりといなくなった街中を走っていた。俺にとって目的地はあそこしかなかったんだ。アイナに会う前に俺がこの街から出ようとした、門扉の城門しかない。そこへ行こう。そして、アイナには申し訳ないけれど、待ち合わせの約束を反故するみたいでなんか嫌だけど、俺は取りあえず一旦この街から離れる。それしか俺が助かる術はない。きっとこの街中で俺が死ねば、俺はあの生ける屍達と同じようになってしまうに違いないって。
「くッ・・・!!」
いつアイナ達が俺を迎えに来るのかも判らない中、生ける屍達で溢れかえったこの街で、びくびくしながらこの街中で一夜を過ごしたくなんかない。そんなの嫌だ。取りあえず俺は城壁の外で一夜を明かして、夜が明けたら様子を見にもう一回この街に戻るかな。
「ハァ、ハァ、ハァ、ハァ・・・」
全力で走りながら俺は息を切らせていた。あと少しで城門の門扉が、目と鼻の先にその木と石とコンクリートのようなもので作られた城壁が見えてくる。
「あと少し―――うわッ!!」
と、俺は視界に入った驚愕の光景に目を見開き、情けない声もあげてしまった。本当にあと少しで城壁の門扉に辿り付く―――というところで俺は絶望した。それはなぜかというと、生ける屍達の群れが門扉の前に、まるで途方に暮れたかのように皆総立ちで立ち尽くしていたんだ。
「う、そ・・・だろ?」
その血色のない土色の集団は、みな眼が落ち込み、ある者は死んだときに手でもやられたのか、腕の関節の先からがブラブラと揺れていた。またある者は、たぶんこの街を襲った襲撃者によって喉を貫かれたんだろう。その生きていれば、壮年の男は穴が空いたままの喉をヒューヒューと言わせていた。
「く・・・ッ」
生者の俺が近くに来たことを感じ取ったのか、その生ける屍の一団の項垂れた首がゆらぁりと頭を上げた。その動きはみんなが同じタイミングでそれがまた怖かった。
「ッ!!」
獲物を見つけたとばかりにその生ける屍の一団の落ち窪んだ眼窩に納まっている生気のない虚ろな目に光が宿ったように見えた。そうして俺を見つけた彼ら生ける屍達は一歩、また一歩と、生ける屍達は緩慢な動作で俺に向かって歩を進めてくる。
「くそッ!!」
ほんとにもうさっきから俺はひッとか、くッとしか言ってないような気がする。とにかくその場から踵を返した俺は、脱兎の如くその場から逃げだしたんだ。