第百十五話 男は哂みを浮かべて
「ほう、誰かがこちらに向かってきておるようだ」
先に声を出したのは、愿造だった。くいっ、っと塚本は右手を開くと、掛けているその眼鏡に持っていき、くいっとそれを押し上げる。
「大丈夫ですよ、小剱さん。・・・この足音の感じからして、この足音の主はきっと僕の仲間ですから」
タタタタっ、と軽い足取りで誰かが、塚本が佇む場所へと走ってくる。そんな音がこの二人には聴こえたのだ。
第百十五話 男は哂みを浮かべて
タタタ・・・スタスタスタ―――、途中からその足音は歩く足音に変わり、ざりっとついにその足音が止まる。
「や、悠くん」
くるりっ、っと眼鏡を掛け直した塚本が自身の背後を振り返る。塚本のその眼鏡を掛けた表情には余裕があり、塚本はそのタタタタっという元気のいい足音を聞いただけで、それが誰だが判ったようだった。
「塚本さん―――」
その場に元気に駆けながら、途中からは歩きになって、この場にやって来たのは一人の男だ。男と言っても若い。そんな彼―――塚本に『悠くん』と呼ばれた若い男は、眼鏡を掛けたその男塚本に呼びかけたのだ。
この場に走ってやって来た彼の年の頃は十代後半から二十代前半と言ったところか。決してがっちりと野太い腕をしているわけではないのだが、中肉中背で引き締まった体躯の持ち主だ。
そんな彼は黒髪の青年で、その表情にはなんとなく翳を感じるが、やさしそうで端整な顔立ちの青少年だ。いわゆるイケメン。そして、その青年は腰に一振りの直剣を差している。
その十代後半から二十代前半の悠という名の青年は嬉しさを隠したようなはにかむ笑みをこぼしながら、眼鏡の男もとい塚本に歩み寄る。
「み、みんなに訊いたら塚本さんはここにいるだろうって・・・っ」
「ごめんごめん、悠くん―――ちょっと僕はね、久しぶりにこの場所で感傷に浸ってたのさ」
しみじみと。それがその悠くんと呼ばれた青少年にも伝播する。
「・・・そっか『あれ』からちょうど一年ちょい・・・っすもんね、俺も―――」
その悠くんと呼ばれた青年は目を細め、、、彼の醸し出す翳が濃くなる。塚本はこの悠くんなる青年に気を遣っているのか、なるべく彼が暗くなるのを避けたかったのかは分からない。塚本はなるべく悠が暗くならないように、顔にはその感情出さずに、はははっと軽快な笑みをこぼしながらその口を開く。
「で、どうしたのかな、悠くん。僕を捜していたみたいだけど?」
「あ、はい。塚本さんと入れ違いで、ちょうど今、日府に潜入している颯希が帰ってきて―――、、、え?」
つーっ、っと塚本に悠と呼ばれた青年の視線が塚本の後ろに、塚本の後ろ浅いすり鉢状のクレーターの縁に佇む愿造へと流れる。
「・・・」
そしてそこに佇む愿造とこの悠という名前の青年の視線が交錯する。
「「―――」」
二人は互いに言葉を交わすことはなく、悠はふたたび塚本に視線を戻す。
「この人誰っすか?塚本さん。このおっさんは塚本さんの知り合いっすか?」
んーっと塚本はやや首を傾げながらだ。
「この方とはさっき知り合ったのかな?僕は」
「え・・・?」
訝しむように悠の眉間に皺が寄る。
「僕もまさか、だと思ったよ。ううん、今もそうまさかそんなって思ってるんだけどね、悠くん」
塚本は垂らしていた両腕を胸の前で組む。
「どういうことっすか塚本さん?」
「彼小剱さんは―――えっと話してみたらどうやら『転移者』みたいでね、悠くん」
「てっ『転移者』だって!?」
悠の目が驚きに見開かれる。その反応は塚本と同じ『驚き』だ
「しかも、元の世界―――」
塚本の視線が悠から愿造へと移る。
「―――日本っていうところでしたっけ?愿造さんが元居た世界は」
「うむ」
塚本は悠にも言い聞かせるように。
「元の世界で愿造さんは剣士をされていたらしいよ、悠くん?」
へぇっ、っと言った具合で悠は、愿造にその視線を移す。
「―――・・・」
じろじろじろ―――、悠の疑るような視線が愿造をなめ回すように、頭の先から顔、肩、刀を揮う右腕と左腕、さらには柄を握りこむ右手と左手をじろじろと。
「―――」
つぅっ、っと・・・そして、悠の視線は愿造の胸、お腹と腰、脚へと下りていく。
「、、、でも塚本さん」
悠はなにか愿造の不自然な点でも見つけたようだった。
「なにかな、悠くん」
しらーっと悠は白い目をさせて塚本を見る。
「この小剱って人、剣士って言う割に刀剣を持ってないじゃないっすか・・・、塚本さん」
「それは僕に訊かれても・・・、悠くんきみが小剱さんに直接訊けばいいんじゃないのかな?」
「―――」
じぃ・・・っと悠は、なにか言いたげな、無言の『塚本さんが訊いてよ』の視線を塚本に向ける。
ふぅっ、っと塚本は半ば呆れているかのように息を吐いた。
「―――、はは・・・人見知りの悠くんには荷が重かったね」
ちくり、っと。だが、悠はムキならず、事実そうなので塚本のその言葉を受け流した。
「・・・いいじゃないっすか。俺、人に慣れるまではそんな性格なんすよ」
やれやれっといった具合に塚本は左右に出した両腕と共に肩を竦め―――、
「はぁ・・・まぁいいけどね」
―――と、悠に少しおどけて言った。そして、仕切り直すように愿造に向き直る。
「小剱さん、もし気にさわってらしたらすみません。彼三条 悠くんはいつもこう・・・人に慣れるまでは、ちょっと気難しい性格の子でして・・・はは」
悠の名字は三条というようだ。そんな塚本は苦笑交じりだった。
「いや、儂は気にしてはおらぬよ。ちょうど儂の孫の一人にもそのような子がいるでな、ほほっ。儂は小剱 愿造だ、三条 悠くんとやらよろしく頼むよ」
自分のことをあまり見ない、見ようとはしない青年だな、と愿造は内心で思いつつ―――
「お、おう・・・よろしく・・・」
「うむ、儂のほうこそ」
―――だが、愿造はそんな人見知りの気がある彼三条 悠に軽く会釈をした、しておいたのだ。
「とまぁ僕らの自己紹介はここまでにしといて、歩きながら話しませんか小剱さん?」
「歩きながら、とな?」
塚本は顔を空に、鉛色の曇天を眇める。
「はい。ここではすこし目立ちすぎますから。さっき悠くんが疑問に覚えたこととか、それに僕も小剱さんに訊きたいこともありますし―――」
曇天を見上げていた塚本は視線を元に戻し、その朗らかな柔らかい表情で愿造を見つめる。
「ほう・・・儂に訊きたいこととな?」
「えぇ。取りあえず僕達のアジト―――いえ、拠点に案内しますよ、小剱さん」
「―――っ」
ぴくりっ、っと愿造の眉間が動く。―――『アジト』というその不穏な言葉を言い直し、塚本は拠点と言い換えたものの、愿造にはすっかりと聞こえてしまっている。言いようのない不安が愿造の心を覆ったのかもしれない、愿造の眉間が僅かにぴくっと動いたのだ。
それに、その愿造の表情と感情の変化に気づいているのか、いないのか塚本はすっ、っと右手を愿造のほうに差し出す。
「それでは行きましょう、小剱さん」
「・・・うむ」
その塚本の右手に、対面の愿造も同じように握手で返そうとしたときだ。ざりっ、っと一歩悠は脚を踏み出す。
「ちょっ、待ってくれよ塚本さん・・・!!」
水を差すように悠は半ば塚本に詰め寄る。
「どうかしたかい悠くん?」
くるりっ、っと、塚本は背後の悠に振り返る。
「どうかしたかい?って、ちょ―――塚本さんっ。解ってるのか?こんな素性も分からないような人間を俺達の拠点にだって!?敵の回し者だったらどうすんだよ、塚本さん・・・―――っ」
にぃ―――っ
「―――」
塚本がくるりと背後から詰め寄ってきた悠に振り返ったことで、愿造には塚本の背中しか見えなくなり、その塚本の哂みは愿造には見えなかった。
「ほんと疑り深いなぁ悠くんは」
塚本はにぃっ、っとした哂みを口角に湛えたまま―――、
「塚本さん・・・っ」
「僕はただ『転移者』の小剱 愿造さんが困っているから、彼を助けたいだけなんだよ? 愿造さんはわけも解らないまま元居た世界からこの日之国にやってきてさ。僕には彼を見捨てることなんて、、、そんなことはできなくてね」
その言葉の口調は柔らかく、声の調子は、わずかに笑みを含むものだ。おそらく塚本と初めて会って話す者や塚本の『本性』に気づいていないものが聞けば、本当に親切心から言っていると聴こえ、そう思ってしまうだろう。だが、三条 悠は違う。この街、日下府が廃墟になる前の敵軍との攻防戦で、友軍であった彼塚本を側で観てきたのだ、彼、三条 悠は。
「・・・、解りました、塚本さん―――、その代わりもしものときは解ってますよね?」
三条 悠はその塚本 勝勇の『哂み』を識っている。そして、念を押すように、じぃっ、っとまるで塚本の顔を覗き込む。
「解ってるよ、悠くん。『もしも』のときは僕が全責任を取るよ」
「―――なら、いいっす。俺はなにも言いませんから」
ANOTHER VIEW―――END.
「―――・・・っ」
ふぅっ、っと祖父ちゃんは短い息を吐いた。まるで一息入れたようなそんな感じかな。
「で、祖父ちゃんはその人達に連れられてそのアジト?そこに付いていったの?」
「うむ。―――、・・・」
祖父ちゃんはすぅっと小さなちゃぶ台の上に置かれていた湯呑に手を伸ばす。そして、それを口元に持ってきて、くくっと湯呑を傾けて口の中を潤す。
祖父ちゃんの話に出てきた眼鏡の男―――、めちゃくちゃ怪しい奴なんだけど・・・。
まだあの名刀『一颯』の話も出てきてないし、、、まさか、その怪しい眼鏡の男に『一颯』を盗られたなんてオチじゃないだろうな・・・?祖父ちゃん。
はらはらどきどきっ。どうなるんだろ、祖父ちゃん―――心配になってくるよ。
「―――」
「うむ。健太よ、そのような顔をしてくれて儂はうれしいぞ。では儂の話の続きといこうかの、健太よ」
「う、うん、祖父ちゃん」
そして、一息ついた祖父ちゃんはまた再び口を開くんだ。