第百三話 愛しい人のおかげで俺の手は、やっとここにきてその手が届く―――っ
「・・・」
靴を履き終え、すっくとよどみのない動きでアターシャはその場に立ち上がった。ここに祖父ちゃんがいないということは、じゃあ―――、
「俺の祖父ちゃんはどこにいるんだろう・・・?」
俺の独り言のような呟きを聞いたのか、アイナとアターシャがそれぞれ俺を見る。俺が二人の顔を交互に見遣れば、その視線と目が合った。
第百三話 愛しい人のおかげで俺の手は、やっとここにきてその手が届く―――っ
「「おそらく―――」」
アイナとアターシャ二人の声が被る。『どうぞ、アイナ様』と『どうぞ従姉さん』という二人の譲り合いののち、結局押し切られるようになったアイナが口を開く。
「おそらく、ゲンゾウ師匠は離れ家の道場か、もしくは菜園におられるかと思いますよ、ケンタ」
まじかっ!! 道場までっ。ここには道場まであるんだ―――っ。
「―――っ。へぇ、離れに道場があるんだ」
「はい、この庵の裏手に」
裏手に、か。いったいどんな道場だろ、あの実家俺ん家と似てたりするのかな。
「それと菜園も?」
自給自足で野菜でも作っているのかな、祖父ちゃん。
「えぇ。こじんまりした菜園ですが、この庵の近くにありましてご自分がお食べになる野菜を作っておられますよ、師匠は」
―――やっぱり。
「そっか」
なんだかこの世界で楽しくやっていそうだな、俺の祖父ちゃん。楽しそうなら、まっいいんだけどな。
「アイナ様、ケンタ様。そちらへ向かいましょう」
「そうね、アターシャ」
俺は、俺達はアターシャに先導されるように向かっていく。土間を出て、庵の裏手に回り離れ家に向かう。
「―――」
一番先を歩くアターシャのその給仕服の背中が見える。ひょっとして、、、。さっきもそうだったけど、縁側から庵の中を率先して覗いたり、土間に入るなり、すぐに畳張りの庵の中に祖父ちゃんを捜すために入って行ったり・・・。
ひょっとしてアターシャは、『時間がありませんので』、とアイナの公務のことで内心焦っているのかもしれないな。
正面玄関から庵の壁に沿って、庵の裏手に。
「ん?」
さらさらさら・・・。細かい複数の葉っぱ同士が微かな風でこすれ合う音。
「っ!!」
すごい、敷地の裏手の向こうは竹林だ。―――すごい日の光が入るきれいな竹林。その地面は薄茶色の竹の葉っぱの絨毯。枯れ落ちた竹の葉っぱの、、、それがまるで絨毯のように見える。
その祖父ちゃんの竹林は、竹が重なり合い、足の踏み場もないような乱雑とした手入れもされていないような竹林じゃない。鬱蒼とはしていないし、下草もちゃんと刈り取られている。昔、祖父ちゃんと一緒に観た時代劇に出て来るような竹林そのまんまじゃねぇか・・・!!
祖父ちゃんがこの竹林の手入れをしているのかな。
「―――」
その竹林の手前にその離れは静かに建っていた。普通の、日本では神社の本殿の横に建っていそうな伝統的な造りの建物だ。
「あの建物?」
割と近いな。歩いて一、二分といったところかな。いちいち電話を見て何分何秒経かったか、なんて計っていないから正確な歩いた時間は分からないけどな。
「はい。あちらになります、ケンタ様」
「―――」
後ろを振り返れば、さっきの庵がすぐ目の前に見える。庵が母屋なんだな。そして、まるで日本庭園によくあるような、点々と地面にはめ込まれたような大きな石の板が見える。俺達がここまで踏んで歩いてきたものだ。点々とした石の板の道とここ離れ家は繋がっている。
すぅっ、っと一番前を歩くアターシャはその扉の引き戸に手を掛け左から右へと横滑りさせた。
「っ」
似てる。なんとなく、似ている気がするんだ、俺の実家にあった道場に。祖父ちゃん・・・か。そっか住んでいるんだな。その、、、人の気配を、生活臭を感じる。
アターシャが横滑りで開けた、その扉の取っ手は磨きこまれている木の扉で、普段から人がこの道場に出入りしているんだな・・・。出入りしているのは祖父ちゃんと、ひょっとしたその門下生がいるのかもしれない・・・。アイナ以外の門下生か―――もしいるとすれば、それはそれでちょっと複雑だよ、俺。
「―――」
アターシャは音も静かに、道場の中へ一歩、二歩脚を進め、
「入りましょう?ケンタ」
くるっとアイナは俺に振り返る。アイナも、アターシャに続いてこの道場の中に、か・・・。・・・ちょっと居心地がわるい。緊張するというか・・・。
「・・・あぁ、うん」
アイナと手を繋いでいる俺は・・・。でも、俺は二人について行った。
この奥に祖父ちゃんがいるんだ―――。俺が小五のときに忽然と姿を消した俺の祖父ちゃんが・・・!! どきんどきん、どくどくどく―――、早い。俺の鼓動が早くなって。
「―――、―――、・・・」
アイナもまたアターシャと同じように脚を前へ、道場の中へ入ろうとしている。
この先に、『僕』が捜し続けていた祖父ちゃんがいる―――。父さんと一緒に街中を捜しまわり、ときに俺の六人の幼馴染達もそれを手伝って、仲間達が俺に力を貸してくれて、、、でもそれでもなお、見つからなかった『僕』の祖父ちゃん。そんな祖父ちゃんに、アイナという愛しい人のおかげで俺の手は、やっとここにきてその手が届く―――っ。
「―――っつ」
祖父ちゃんは、覚えている、よな?俺のことを―――、、、。祖父ちゃんはあのときの『僕』に剣術を教えてくれた頃と・・・どうなっているんだろう? 変わってしまっているんだろうか? 変わってしまっていて、もう俺のことなんて忘れていたらどうしよう。
そんなことはあるかよ―――。
「っ」
そわそわっ―――。緊張というか、なんというか、少し居心地がわるくて、、、気おくれするようなそんな変な気分だ。
アイナは、アターシャについていき、さらに一歩前に踏み出す。でも一方の俺は―――。
手を繋いでいるアイナの手と俺の手。それが、まるで引っ張られた綱か鎖のように伸びる。アイナはそんな俺にもう一度振り返って、、、―――じぃっ。
「―――っ」
アイナの藍玉のようなその眼に俺は見つめられ。アイナはそんな俺に、にこりっ、っと言葉は発せず、無言のまま俺に微笑んで。そしてきゅっ、っと俺の手を握るアイナの手に力が籠められたのが解った。まるで、『大丈夫、心配なんていりませんよ。私がついていますから』って、そのアイナの眼差しを視るだけで、俺はアイナの考えていることが、気持ちが解った。
「―――」
アイナありがとう。本当にきみのことを好きになってよかったよ、俺―――。
「っ」
きゅっ、っと左手に力を。覚悟は決まった。それで、アイナのそれがきっかけで俺の覚悟が決まったんだ。覚悟が決まった証、というほどのものではないけれど、俺はアイナの手を、きゅっと握り返したんだ。まるで慈しむように、愛するように優しくだ。
「―――」
アイナが道場の敷居を跨いだのに続き、俺もその敷居を跨いだ。もうじき道場の中まで、そして奥まで見えてくるだろう。
「「―――」」
俺に気を遣ってくれているのかな。アイナもアターシャも一言も発することはない。そんな二人が木の板張りの床の手前、その一段下でその歩みを止めた。それに倣うように俺も脚を止め、視線を一直線に前へと向けた。
いた。その人はそこにいた。床の上で座ってる。
「っ―――」
一目見てそれが俺の祖父ちゃんだってことが分かったんだ。祖父ちゃんは眼を瞑り、道場の固い木の床の上に静かに座っている。瞑想でもしているのかもしれないな。
丸くて薄い粗末な座布団のようなものを敷き、その上で座禅を組んでいる祖父ちゃん。神棚のある上座を向いて座禅を組んでいるみたいだ。俺からは向かって、座る祖父ちゃんの横しか見えない。
「・・・人の気配で解ったよ、戻られたかアイナ殿」
声も同じ。祖父ちゃんは座禅を組んだままの姿勢で、目も瞑ったままだ。
「っ」
俺がうっすらと憶えていた祖父ちゃんの声―――それが、さっきの祖父ちゃんの声を聞いたことで急速に俺の記憶の声が上書きされてゆく。
「はい、お師匠様」
「・・・っ」
笑み?祖父ちゃんは僅かに笑う。全てを悟っているかのような、にぃっとした笑みを口角にこぼした、俺の祖父ちゃん。
「―――」
すぅ・・・っと祖父ちゃんはゆっくりと瞼を開いた。
「健太よ―――」
祖父ちゃんは座禅を組んだまま、ゆるりと俺へと振り返る。
「・・・祖父、ちゃん」
「さ、ケンタ―――」
すっ、っとアイナは触れていた俺の手から自分の手を退く。―――アイナの気遣いと俺の意志。道場の前で俺は靴を脱ぐ。アイナがくれたその足袋で、俺は一段上がり、固い木の床をその足で踏み締める。
「祖父ちゃん・・・っ」
俺は脚を一歩前に踏み出す。それを見て、祖父ちゃんは座禅を崩すと、ゆっくりとその場に立ち上がる。その体格、その背格好―――、立ち上がるときの仕草、、、そして、その顔の微妙な表情の機微まで、みんな一緒だ、あのときのまま。俺が小五だった頃と何一つ変わってはいないよ。
あぁ・・・祖父ちゃんだ。俺が子どもの頃より少し白髪が増えたね、祖父ちゃん。それぐらいしか変わっていないよ、俺の祖父ちゃん・・・。
「久しいのう、健太よ。どれ、大きくなった健太の顔を儂によく見せてくれ」
「うん。・・・うんっ」
俺はさらに一歩、二歩脚を前に出し―――ダッと床を蹴ったんだ。
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俺の話を、言いたいことを静かに聞いてくれた祖父ちゃんは、ことっと湯呑を道場の床に置く。その湯呑に入っているお茶は、アターシャが祖父ちゃんとアイナ、そして俺に淹れてくれた緑茶だ。もちろんその緑茶の茶葉は祖父ちゃんの庵にあったものだ。
「そうか、健太。儂を捜しまわってくれてありがとうな、儂はうれしいよ」
ありがとううれしい、なんて祖父ちゃんに言われて、俺のほうこそちょっとうれしい。
「う、うん・・・っ///」
俺が祖父ちゃんを捜しまわったこと、剱術を止めなかったこと、父さんのこと、母さんのこと、これまで起きた経緯を祖父ちゃんと話し合えて、祖父ちゃんは俺に『ありがとうな、儂はうれしいよ』って言ってくれたんだよ。
「・・・」
祖父ちゃんは床に置いた湯呑を手に取ってすぅっとお茶を飲んだ。そして一口嚥下する。
「―――・・・」
祖父ちゃんがこの五世界に転移した経緯、あの小剱の名刀『一颯』のこと、、、親戚達は祖父ちゃんが勝手に持ち出したってずっと言っていたけど、本当のところはどうだったんだろう? 祖父ちゃん普段なに食べてるんだろうどんな食べ物? お風呂は本当に五右衛門風呂みたいな風呂なの?とか、、、なんでこの日之国に庵を構えてるの?とか―――