4話 正義
古川 俊 (27)
仁井田 義孝 (27)
大学を卒業して香苗さんと会い色々なことを教えてもらった。次第に一生懸命働いている香苗さんを見ていたら、自分の情けなさを自覚した。就職先を探し、なんとか会社になることが出来た。次第に仕事を覚え、同い年の仲間が出来た。彼から色々なことを教えてもらい、仕事が終わればたまに飲みに行く仲になった。
俺たちが務めているところの上司は嫌な上司の代名詞のような人だ。自分が一番正しいと思い込み、攻撃的な人だった。
「佐伯さん(上司)にまたダメ出し食らっちゃったよ」
「…」
「やっけに細かいんだよな。そりゃあ、書類のミスがどうのこうのって言われたりしたら俺だって反省するよ。でもなあ…」
「そうだね」
「でもあの人はそうじゃないんだよな~。なんていうかなあ」
「…」
「おまえはないか?」
「この間、書類を提出した時にハンコの角度が曲がっていたことかな。あれはびっくりしたよ」
飲みに行けば佐伯さんの話ばかりだ。何処で聞かれているかわからないため、俺たちは少し遠いところを選んでいた。
そんなある日、俺が仕事をしているとデスクの隅に置かれていたスマホが光った。何かと思い画面を開くと義孝からだった。
『今度、あの上司が間違ったこと言ったら言い返してやるわ』
その夜、俺は義孝を飲みの誘った。いつもの場所だった。
「珍しいな、お前から誘うなんてさ」
「……あのさ」
昼間のメッセージの通りのことをもうしたのだろうか。俺はそれが気になった。
「言い返すって何?」
スマホの画面を義孝に見せ、言葉を選びながら話す。
「むかつくからよ、なんでも自分の意見が正しいと思ってちゃ腹立つだろ?この間だって言ってることとやってることが違うんだよ。あの上司は」
「だからって…」
「お前はまだわからない?俺たちがあいつと接待に行けばかえっていち早く報告しやがって。自分が成し遂げたといいたいんだよ。失敗すれば俺たちの責任。それじゃ不公平だろ?お前はここ数年間しかわからないかもしれないけど何も話し合いの仕方だって教えてもらったことが無いんだ」
義孝はだんだんと酔ってきたのがわかる。
「でも、それはあの人のやり方なんだよ。それを俺たちがどうこう言えやしないよ」
ジョッキの半分ほど入ったビールを義孝は一気飲みをして顔の前で違うと手をふる。
「言えないんじゃない、言ってやるんだよ」
「それであの人が何も変わらなかったら?言い損じゃないか」
「自分のミスなのに、それを隠そうとして大声で私を怒鳴りつけ、自分のミスをなすりつけるための周囲へのアピール…。嫌になるわ」
「…まあな」
「…」
義孝の飲むペースが速くなった来た。
「それくらいにしとけよ…。でも、言い返してもなんもならないと思うんよ」
「何もって?お前はいい案でもあるのか?せめて辞めさせなくても人が変わってくれないかなあ」
それは無理だろうと思った。
「下の俺たちが言ってもなんもなんないよ」
義孝はまだ不満な顔をしていた。
「一発バシッと言ってやらないと気が済まないな」
ジョッキに残った酒を一気に飲み、置きながらつぶやいた。
「だから、そんな考えは古臭いんですよ」
大きな声がして、俺は手に持っていたタバコを落とした。足で消しつつ、そっと声がする方を見ると、佐伯さんと義孝が言い合っていた。
(あいつ…)
とうとう言い出したかと思った。
「昔は子供の行事で会社を休むなんてあり得なかった。オレなんか子供の運動会に幼稚園、小学校合わせて2~3回しか参加したこと無い。なのに会社を休むなんて甘えすぎだ。子どもは嫁が見ていればいいんだ」
佐伯さんもかなりの剣幕で怒っていた。
「今時の社会で男尊女卑みたいな考えは通用しないんですよ。現代の家庭事情を無視した持論を唱えられても納得がいきません」
さすがにまずいと思ったのか、義孝はていねいな言い方をしていた。
そのうち「失礼します」と言い義孝は去っていった。
俺は慌てて柱の陰に隠れた。なんでもない風を装おうとタバコに火をつけた。
「最近の若いヤツは仕事に対する情熱が足りないな」
考え事をしていた俺を現実に呼んだのはさっきの佐伯さんだった。
「あ…おつかれさまです」
慌てて頭を下げた。
「仁井田とお前は同い年だったな」
ニヤッと笑ったその笑顔が怖く見えた。俺は何も言えず黙ったままだ。
「宜しく頼むよ」
全て知られていたのか?何を頼まれたんだ?数々の疑問が頭の中を駆け巡り吐き気がしてきた。
その夜、義孝に呼ばれいつもの場所へ向かった。俺は自分の仕事が終わらず義孝は先に向かっていた。
「おまたせ」
テーブル席にいた義孝の元にむかう。
「今日のお前すごかったな」
「なんだ、見ていたのか」
得意げに義孝は言う。
「でも大丈夫か?」
「なにが?」
「いや…」
「先輩がなんだってんだよ。言えることが言えなきゃ会社なんて成り立たないだろう。…それにあいつの考えが古臭いのが原因なんだよ。今までそんな考えで通っていたのかもしれないけど、時代の波に乗れよ」
「…」
「なんだよ、お前まで何か言いたそうだな」
「俺は……義孝がはっきり言える性格は尊敬するしすごいと思う。……出来れば気に入らないやつとか、意見が食い違っていたらビシッと思うことを言ってやりたい。…その方がかっこいいし…」
「だろ?」
「でも、会社は大きな船なんだよ。環境に馴染まなきゃならないときだってあるんだよ。誰かが一人違うことをしてればその船はどうなる?…もう子供じみたことはやめろよ…」
「俺は、誰も言わないから代表として言っているだけだ」
「それが義孝の正義か?」
「…そうなるな」
何日かして、義孝は田舎の支店に飛ばされた。あの日が原因だったのはなんとなくわかる。義孝自信も知っている。あの日から義孝は佐伯さんとは合わず部所内でもギクシャクしていた。それで会社全体に支障をきたすならという理由だったらしい。自分自身もなんとなく仕事がしずらかった。
「お前の言うとおりだったんかもな」
荷物をまとめ、去り際に義孝は言った。
「今までお世話になりました」
頭を下げ会社を出ていく義孝の背中が小さく見えた。
「まてよ」
会社を出ていく俺の後ろから声が聞こえた。振り向くと俊が走ってきた。息を切らせながら俺の前に立つ。
「どうした」
驚く俺をみて片目を閉じ、横っ腹を抑えてる。
(どんだけ全力で走ってきたんだ)
今までこんなに俺のことを思ってくれたやつはいただろうか。いつものところで飲みに行っても、こいつとは面と向かって言えた。
夕暮れの公園で子どもたちがサッカーをしている。
その様子を眺めながらベンチに座って話すサラリーマンの姿がある。
「あの頃は、嫌なものを嫌だと言えたんだよな。でも大きくなるにつれて大人になんなきゃならないときがあるんだな」
義孝は独り言のようにそう言った。
「俺はそのことをあの会社で学んだ気がするよ」
「俺もだ」
いつまでも子どもたちのはしゃぐ声が街に響いた。