10-10話 初恋
~第三章~
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「なあ、伊藤が元同じクラスの奴から告白されたって」
そんな噂が流れたのは俺たちが大学に進学し、珠希とも離れ遠距離になったりお互い連絡もしていなかった時だった。自然消滅ではない。ただ俺たちが住んでいる街からいくらか離れた大学に俺は通うことになった。
「蓮くんの夢応援するからね」
珠希は最後の別れ際に街を出発する空港のロビーで大きな荷物を持った俺にそう言った。「俺の夢」ただ父のようになりたかった。小さい時から父の背中が大きくて逞しく見えた。大学に通い一人暮らしの生活に慣れてきたころ、遊びで上京してきた洸太に再会した。洸太は大学に進学せず今は浪人生活をしていた。
「なあ、伊藤が元同じクラスの奴から告白されたって」
という洸太は俺の部屋でくつろいでいた。俺は驚いてその場から動けなかった。やっぱり知らなかったかという風に洸太は顔をひきつらせた。
「お前、立ってないで座れよ」そう手招きされ昔から若干庇っていた片足を前に出した。
「あ…」危うくお盆を落としそうになった。
「あぶねえな」と洸太は立ち上がって俺が持っていたお盆を取り上げた。
「ごめん…」と謝る俺に「まあ、気にすんな」と笑って言った。
「いつまで泊まっていくつもりだよ」そう聞くと考え込んだしぐさをする。
「俺さ、お前が今行ってる大学受けたんだよな~」
「…うん」「そこに落ちたわけよ」
「…でも他全部受かったんじゃ…」
「いいや、それじゃ意味ない」
「…は?」
「…ま、受かるまでここにいるよ」「え?」目を丸くする俺の顔を見てにやにや笑った。「勉強教えてくれよ…」小さなため息が出た。「…どうせ、受かっても来年もいるつもりだろ?」「正解」ってことで、俺はここに住むからと決め「明日大家さんに言ってくるわ」とも言い出した。あっさり同棲の許可が下り様々な手続きが早く済んだ。
「で?…珠希の話は?」
「あぁ…」
夕飯を食べながら聞く俺に味噌汁を飲む洸太がちょっと待てと箸を持っている手を俺に示した。やがて話せるようになったのか、
「俺も邑上から聞いたんだよ」
「邑上って…」
「あー、分かれた。今は友達ってところかな」
「そっか」
「…で?お前はどうする…」
「…」
黙って俯く俺に元気出せよと頭をなでてきた。
「ちょ…」
慌てて振り払ったが「お前、やっぱ心配だわ」と言われた。
◆
蓮は何も気づいていない。あの日から蓮から目が離せなくなった。ギプスが外れてもまだその足を庇うように歩いていた。蓮が言うには歩きにくいだった。近年足首の形が反対の足と違う気がしていた。完全に歩けないわけではないらしく、長く立っているのがただ困難なようだった。周りから余り気づかれていなかった。だから俺も誰にも言わなかった。
引っ越し先を蓮は教えてくれなかった。俺は蓮の家に行き綾耶さんに聞いてバイトして自分で旅費を稼いである程度溜まった頃、街を出た。
扉を叩いて出てきた蓮はかなり驚いていた。
「何しに来たんだよ」
そう聞く蓮の質問を無視し、部屋の中に入った。部屋は味気なく何もないに近かった。俺のあの町で起こった出来事を話始めたときやっぱり蓮は驚いたまま立っていた。蓮は信じていたのだろう。伊藤がいつまでも待っていてくれるかもしれないと。だが伊藤は違った。邑上から聞いた話だったが、蓮を追いかけて上京しようとしたが親に止められ、蓮からも連絡が来ない。そんな時の別の男からの告白だったらしい。伊藤はそれに応じた。蓮の余りにもショックなその顔を見て心を痛めた。
「お前、立ってないで座れよ」
足のことを思い出した俺はそう言った。はっと我に返った蓮は俺の座る方へ向かってきた。
「あ…」カタカタと蓮の持っているお盆が揺れた。慌てて俺は立ち上がり蓮が持っているお盆を持ち、反対の手で蓮の体を支えた。
「ごめん…」
(こんなに細かったっけ?)
いつも細い蓮が更に細く感じた。キッチンを見れば何もないのが十分わかった。
「お前最近食ってるか?」
「…ん?…飯作るのがめんどくて出来合いのものなら…」
「…大学受かるまでここにいるわ」
そう言う俺にあきれ顔をしていた。
それから俺は受験勉強に真剣に取り組んだ。ここがわからんと向かい合ってパソコンでレポートを書いている蓮に聞き教えてもらった。蓮の教えはとても分かりやすい。
「だぁ~」
と行き詰り俺はペンを投げて真後ろに倒れた。
「どした?」
パソコンを打つ手を止め、蓮はメガネを外した。俺は散らばっている蓮の資料を拾いぺらぺらとめくる。その間に蓮は俺が解いていた問題集とノートを眺めていた。
「わかった?」
そう聞く俺に黙ってうなずく。(凄いな…)そう心の中で感心した。むくりと起き上がり俺はペンを握った。
「まず、ここをこうして~」
蓮はパソコンをどかしスペースを作った。どうしてそんなにできるのかと俺は不思議に思う。そんな日が長く続いた。
次の年明け、俺は今まで学んできた成果が出たのか、受験に合格した。入試の日「頑張れよ」と蓮が送り出してくれた。勿論蓮が通っている大学と同じところ。英語のテストが終わり、玄関で蓮が差し出してくれた弁当の包みを広げた。どんなグチャグチャしたものが出てくるのかと身構えたが中にはただの白飯と二段目には卵焼きなどが入っていた。(すげ…)紙パックのお茶には【頑張れ】という文字が書かれていた。いつも冷たい態度で何も興味を見せない風な蓮だと思っていたが、意外な面があるんだなと感心した。昼食を終え、次の教科の勉強をしようと今までのノートを開いた。
蓮と大学に通うことになった初日、学年が違うからと変な気持ちにはならなかった。なにか講座で分からないことがあれば質問できる。プリントも去年蓮が受けたものがあれば貰うこともできた。ある日、学食でご飯を二人で食べていると一人の女子がやってきた。
「あの…」
と小さく話し出すその学生は見覚えがあった。その学生は他の二人の女子生徒に押され緊張しているようだった。
「なに?」
蓮は何も答え無そうだったので俺はそう聞いた。
「あの…そちらにいらっしゃるの古川くんですよね…」
(どこ行ってもモテやがるな…こいつ)
「あ!やっぱり、あの…ちょっと…」
言い出しにくそうにその学生は言った。行ってくれば?と小さく言う俺に「え?」と返す。
「…あ。今日って何限までですか?」
「…三限までかな…」と答える蓮は明らかに警戒していた。その学生はぱっと明るくなり、三限後のここでちょっと話したいことがあるんで来てもらえますか?と言い逃げるように去っていった。「…なんだろ…」嫌そうに蓮はそう言った。
三限が終わり、洸太に即されるがまま待ち合わせの場所へ向かった。昼休みの人がもじもじしながら立っていた。告げられたことは想像していたものだった。
「まず、君のこと知らないし…」そう言う俺に
「今知らなくてもいいんです。これから知って貰うのでも構わないんです。だから…」今まで何回この言葉を聞いてきたんだろう。何処のやつもそう言う。その人はずっと黙ったままだった。長い沈黙が流れる…
「お熱いですね」何処からか声が聞こえた。