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第8章

 悠一くんが「個人的な用件で……」と言い、謁見の間で人目を気にするような素振りを見せたため、議官たちの目のないプライヴェートな私室のほうへとアビシャグさまは彼を案内することにしました。


 そして、いつものようにまた煙管を吸い、悠一くんが話を切り出すまで、待つということにしたのですが――悠一くんのほうから一向言葉がないもので、先ほどあった北の国との戦争のことでもアビシャグさまは話すことにしようと思いました。


「戦況のほうはユーイチもすでに聞いているだろうが……」


「はい。もちろん」


 悠一くんは何故かこの時、とてもほっとしたような顔をしていました。


「南の国の忍者十一人衆のお陰で、大勝利を収められたとか……あらためて、勝利のお祝いの言葉を述べさせていただきたく思います。おめでとうございます」


 悠一くんが礼儀正しく頭を下げたため、アビシャグさまとしては顔を上げるようすぐ促しました。


「まあ、確かに犠牲の少ない戦いではあったが、それでもそれは北国にダメージを与えた比率として少ない犠牲だったというだけで――また新しく砂漠に慰霊の塔を立てて死体を葬らねばならんし、北の国のほうでは遺体を引き取るという発想自体ないのでな、下っ端の兵どもは敵兵の死体の始末もせねばならん。まあ、戦争をしていいことなんぞ、ひとつもないというのは間違いのないことだろうな」


「…………………」


 ここで悠一くんは一度黙りこみ、今度はアビシャグさまのほうでも黙りこむということになりました。「女王さまにお話ししたきことがあって……」と儀仗兵に伝えたということは、その用についていずれは口にするだろうと思ってのことです。


「アビシャグさま……僕、人を殺したんです」


 アビシャグさまは驚きました。正直、北の軍に勝利したと、数日前に聞いた時よりも、今感じている驚きのほうが大きかったかもしれません。


「誰をだ?ゾンビか?それとも、人となったゾンビか?」


「いえ……僕と同じように違う世界から紛れこんできた人間を、です。すでに、ヤチヨやハヤテから報告が来ていると思いますが、リロイ・アームストロングという、黒人の陽気な男です」


「…………………」


 確かにアビシャグさまは、ヤチヨやハヤテから、コルディア病院に異邦人がひとり来て滞在している、そしてその男は肌の黒い若い男で身長が180センチばかりもあること、その他このリロイという男が機械関係に滅法強く、大切に遇すれば、南の国にとって今後、役立つ人間になるであろうことなどについては、一応報告を受けていました。


(だが、ヤチヨの報告では、ユーイチとの関係は良好で、良い友人関係を築いているようだと……それに、バイオプリンタのことでは、ユーイチの良い相談相手にもなってくれていると聞いた気がするが)


「その、彼――が、人になった若い娘のゾンビに手を出していたことがあって……」


 悠一くんは実に言いにくそうに、目を伏せたまま続けました。


「それで、殺すつもりも、殺す必要もなかったと思うんです。ただ、その前に僕、彼が他の女性にも手を出していて、その話を聞いたばかりだったものですから……それでついカッとしたというのはあると思います。それに、今まで僕、誰とも喧嘩ってしたことなくて、向こうは180センチばかりもある黒人でしょう?それで、つい、力の加減もわからず思いきり――その時医局の机にあった銅像で、彼の頭を殴ってしまったんです」


 その時のことを思いだして、悠一くんの手は震えていました。


『最近、なんだか顔色が悪いね。どこか体の調子でも悪いのかい?』


 人となったゾンビたちがその後、病気になったりするといった事態は今のところ起きてはいませんが、そのうちそのようなこともあるだろうと悠一くんは思い、元ゾンビたちの様子については、出来るだけ注意深く見守っているつもりではありました。


 そして、悠一くんがその日声をかけた女性は、病院で使った手術器具などを洗浄・滅菌するという仕事をしている女性で――名前をアンナと言いました。


(これからは彼らだって風邪くらい引くだろうし、集団感冒ということだってあるかもしれない)


 そう思い、悠一くんは用心していましたから、アンナが『なんでもないんです』とか『大丈夫です』といくら言っても信用せず、最後には『何か悩みごとがあるのなら、話してごらん』とさえ聞いていたのです。


 すると、アンナは泣きながら、悠一くんが考えてもみなかったことを話しだしました。


『メシアさまの元には……(悠一くんは自分に対するこの呼び名を気に入っていませんでしたが、誰もがそう呼ぶので、もう止めようがなくなっていました)黒人の男の人がいますよね……』


『ああ、うん。リロイのこと?』


 実際のところ、バイオプリンタやコンピューター関係のことについては、リロイの助言が随分役に立っていましたし、今ではすっかり悠一くんとは親しい間柄になっていたと言ってよかったのです。


『わたし、あの方に……たぶん、何かとてもイヤらしいことをされた気がします』


 アンナの体は震えていましたし、顔を真っ赤にして泣きはじめてもいましたから――悠一くんにはわかりました。最初にこの病院へやって来た時の、リロイのあの意味ありげな目つき……けれど、まさか本当にそんなことを彼がするとは思ってもみませんでした。


『その、体のほうは大丈夫?もしどこか……』


 と、ここまで言いかけて悠一くんは、産婦人科のことに関する知識なんてありませんでしたから、それ以上のことは何も言えませんでした。


『いえ、痛かったですけど、その後は特に……』


『それで、彼は――そうしたことを何度も君にしたの?』


 ここでアンナは顔を真っ赤にして首を振っていました。


『その、これがわたしひとりの、一度きりのことだったら……わたしも何も言わなかったかもしれません。でもあの人、他の女の人にも同じことをしてるんですよ。だからわたし……』


『ありがとう、アンナ。勇気を出して本当のことを話してくれて……』


 悠一くんが肩を抱き寄せると、アンナは悠一くんの胸の中で暫くの間泣いていました。このあと、悠一くんは実に憂鬱な気持ちで、リロイと話し合わなければなりませんでした。こんなことがあった以上、彼が実に役立つ知識を持っていたとしても、このコルディア病院からは出ていってもらわねばならないと、そう思っていました。


 そして、悠一くんがこのことについてリロイと話しあうために、リロイが私室として使っている医局を訪ねようとした時……そこにある仮眠室のほうから、突然女性の悲鳴が聞こえてきたのです。


『ほら、せっかくそんないい体してるのに、男に触らせもしないだなんて、宝の持ちぐされだぜ、ベイビー』


 もともと、ゾンビたちは純粋で、人の言うことを信じやすい質をしていましたから、リロイが自分の部屋にこうして女性を連れこむことなどは、とても簡単なことだったに違いありません。


 この時悠一くんは、犯されそうになっている若い娘のほうが、もう半分裸のような状態になっているのを見て――ついカッとしてしまったのかもしれません。机の上に旧世界で医聖とされていた人物の像があるのを目にすると、それを手にして気づいた時にはリロイの後ろ姿をぶん殴っていました。それも、後頭部目がけて、何度も、繰り返し……。


 ブロンドの髪をした美しい娘のほうでは、男が死んだのでほっとする反面、<死ぬ>ということをあらためて思いだしたからでしょうか。少しの間放心の体で、ベッドの背もたれにもたれかかったままでいました。


『ここのことは、僕がどうにかするから、君は何も心配しなくていい。いや、むしろここでは何も起きなかったし、君は何もされなかった。このことは忘れるんだ。いいね?』


 元ゾンビの若い娘は、破られた衣服をかきあわせると、悠一くんに小さく礼をしました。


『は、はいっ!!あのっ、あ、ありがとうございます!神さま……』



 ――これがつい二日ほど前に起きたことの顛末でした。悠一くんはその後、リロイの蘇生措置を試みましたが、彼がもう一度息を吹き返すということはなかったのです。


 また、3D撮影画像を通し、彼の脳の損傷部位を確かめることには確かめましたが、もし仮に彼のことを生き返らせる方法があったとして……コルディア病院やレムリア病院の脳外科関係の本などを調べれば、おそらく何かあったでしょう。けれども、悠一くんはリロイに対して申し訳なく思う気持ちはあったにせよ、彼にもう一度甦ってきて欲しいとまでは思えなかったのです。


 悠一くんが何故直感的にそう思ったかといえば、肉欲目的で美しい娘たちに手を出した彼のことを許せないといった気持ちによってではありませんでした。悠一くんにもそうしたリロイの気持ちは理解できますし、そうした一線を越える前に自分に相談して欲しかったと思っていたわけでもなく……ただ、悠一くんは自分でもよくわからない感情から、自分が殺したリロイという男に生き返ってきて欲しくなかったのです。


 けれども、こうした考え方は正しくないといったようにも感じていましたから、悠一くんはまず、リロイのことを遺体安置室に冷凍保存するということにしました。こうしておけば、のちのち彼を生き返らせる方法がわかった時に、リロイを復活させることが出来るはずだと考えてのことです。


 今現在のゾンビ世界には、北や東の国は別として、司法機関というものがありません。ゾンビたちは善良で、互いに物を奪いあったり、欲しいものを巡って殴りあったりといったことがほとんどありませんし、戦争以外の理由で、相手の脳味噌を残虐な方法によって故意に潰す……といった罪に自ら手を染めるといったことがまずありませんでした。


 つまり、そうした細々とした罪について裁く必要性が生じないのです。また、例外的にそのような事態が生じた場合は、各ゾンビ部落の中でリーダーのように目されているゾンビなどが対処に当たりましたし、さらにどうしていいかわからない場合は、最終的にゴロツキング王やアビシャグ女王の元にその案件が持ち込まれるということになりました。


 悠一くんが思ったのはまず、殺人を犯した者は裁かれねばならないということでした。そこで、殺人の起きた場所は南の女王アビシャグさまの統治する南の国の領内でしたから、いわばこうしてある意味出頭してきたというわけです。


 アビシャグさまは悠一くんからリロイ殺害の顛末について聞くと、煙管の煙をフーッと吐き出して、最後にこう言われました。


「べつに、どうということもない話じゃないか。わたしにとって、南の国の国内にいるゾンビ及び復活したゾンビの両方は、娘であり息子であり、その全員が大きなファミリーのようなものだ。突き詰めて言えばな。その可愛い娘が陵辱されようとしているので、ユーイチは守った……ただ、相手と本格的にやりあった場合、自分のほうが分が悪いと反射的に思い、過剰に相手を銅像でぶん殴ってしまった――わたしはユーイチのことを特に裁こうとは思わんな。むしろ、そのような恥ずべき件が露見し、そのリロイという男がわたしの目の前まで連れだされた場合……ま、その男はユーイチに殴られて死ぬ以上の恐ろしい思いをして命を奪われることになったろうから、むしろそれで良かったのだ。ユーイチ、君もまた、君が守ってやった女性に言ったのと同じく、この件については忘れるといい。そのことは、わたしが君に許す」


「ですが、アビシャグさま。リロイは異邦人ですから、僕の知ってる生きた人間たちにもこのことを知らせる義務が僕にはあります。それで、彼らの意見もよく聞いて、僕は自分がどうすべきかを決める必要があると思うんです。たぶん……はっきりそう聞いたことがあるわけではありませんが、こちらに迷いこんできた異邦人同士で何かを奪いあって誰かを殺したなんていうことは、今まで一度も起きてないことだと思うので……」


 悠一くんは、自分でここまで言いかけて、ハッとしました。シェロムさんが以前、四人の仲間とともにこちらへ迷いこんで来た時――ミシェルさんという女性を巡って起きた事件のことを思い出していたのです。


「ユーイチ、その様子だとおまえもシェロムから聞いて知っている様子だな。シェロムがこちらへ来たばかりの頃、彼と一緒に向こうから来た人間が、人肉の森に住んでいた親子を巡って起きた事件……その内の三人は北の国へ渡り、ドルトムントから手厚く遇されていると、かなり昔にハンゾーから報告があった。まあ、わたしだってゾンビになる前は生きていたのだから、彼らの気持ちもわからぬではないが、ゾンビ世界を見渡してみても、そうした種類の殺人というのはゾンビ同士では起きえない。何故かといえば、ゾンビには基本的に食欲や性欲といったものがないからな。男と女のゾンビが生前の記憶からか、恋愛の真似事のようなことをしていたとしても、生殖行為に至るような欲望を互いに持つことはない。というより、生殖器自体が腐敗しているそのせいもあるのだろうが……だが、自分の欲望に起因する邪悪な質の殺人とレイプを犯していながら、そやつらも誰からも裁かれてはいないのだ。わたしはシェロムとおまえと他に十数人くらいしか異邦人について知らないが、他の人間たちとて、おまえのことを裁けまい。すでにこのような世界にいること自体が裁きにも近い……いや、わたしはユーイチが前にいた世界で何か罪を犯したから今、こんな勝手のわからぬ次元の異なる国まで飛ばされてきたといったように思っているわけではがな」


「でも、やっぱり一応、まずはシェロムさんにこのことを話して、それから二コラさんにもこのことを伝えて……道徳的に考えた場合、僕が今後どう行動すべきかを聞いたほうがいいと思うんです。脳に損傷があって死亡した場合、そのような者をどうやって生き返らせるのか、その技術がこの世界にはあるのか、僕にはわかりません。でもこれだけ文明が発達していて、大抵の病気なら遺伝子治療や薬で治ってしまうくらい、医療技術の進んだ国ですから――調べれば、おそらく何か方法はあるはずなんです。でも、僕はそうすることに対して気が進まない。でも、リロイに対する罪の償いとして異邦人のみんながそうすべきだと言うなら、僕は気が進まないながらもそのことをしなくてはならないと思っているんです」


「…………………」


 アビシャグさまは暫し黙されたのち、煙管をぷかぷかさせながら、こう仰せられました。


「だが、ゾンビから再び生ける人となった者らのことはどうする?わたしがこんなことを言うのは心苦しいが、あの子らにはメシアであるユーイチの力が必要だ。まるでひな鳥がめん鳥を慕うように生ける人となった元ゾンビたちはおまえのことを好いているからな。それはたぶん、ひとりの人間としてユーイチのことが好きだということでもあるのだろうが、それと同時に自分たちの存在のよりどころとしてもおまえを頼っているからだ。まるで神のようにな」


 コルディア病院にはもちろん、アビシャグさまも行ったことがあります。そして、その時に見た生ける人となった元ゾンビたちのあのユーイチに対する信頼の眼差し……それは女王であるアビシャグさまに対する忠誠や尊敬を越えるものがありました。とはいえ、アビシャグさまはそのことを脅威に感じたり、嫉妬を覚えたりするような方ではありません。確実に自分たちゾンビの時代は過ぎ去ろうとしていると感じて、むしろ嬉しくなったほどです。ですから、アビシャグさまとしてはただ、あとはもう北の国のドルトムント王さえ滅びてその国に住まう仲間のゾンビたちが解放されれば――あとはもう、第二の死を迎えても悔いはないとさえお感じになっておられたのです。


「神だなんて……僕みたいな人殺しが神であったり、メシアであったりするはずがないんです。でも僕、一度北の国へ行ってみようと思うんですが、そのこと、アビシャグさまにご許可いただけるでしょうか?」


「何故だ?まさかとは思うが、リロイという男を殺してしまった贖罪の気持ちから、そんな無謀なことを考えだしたというのなら、わたしは反対だぞ。確かに、先にあった大勝利から、次に来るコジローからの報告次第で、我々は北の国へ攻め上ろうと思ってはいるが……何もその前にユーイチ、おまえが無駄に命を投げだす必要はないぞ」


 アビシャグさまは、つい先ほど、悠一くんのほうから北の国について何かメシアとして提案してくれまいか……とそう思っていたはずなのですが、それは悠一くんが北の国へ乗り込んでいくといったような、そんな危険な提案を期待していたわけではありませんでした。


「いえ……戦争がはじまる前、アビシャグさまが使節を出したと聞いて……東のアーメンガード王というのは少しひねくれているだけで、そう悪い人でもないのかなと思いました。おそらく、僕がひとりでのこのこ出かけていっても、かつて自分を裏切った異邦人のことを思いだし、一等残虐な方法によって処刑されるといったようなことはないでしょう。となれば、残る唯一の問題は北のドルトムント王だけということになります。もちろん僕は、今も自分が救世主メシアであるといったようには思いませんが、それでも、僕がもし本当にそのような存在なら……北へ行ってみるべきなのではないかと、そんなふうに思ったんです」


「いや、ユーイチ。もっとよく考えたほうがいい。たとえば、何か強烈な預言めいた幻視を見て、その中で神のような人が『北へ行きなさい』と言ったとか、そういうことならわたしにもわかる。だが、わたしの目にはユーイチはやはり、そのリロイとかいう男を殺した罪悪感の払拭のために、そのような無理難題を自らに課しているといったようにしか見えんぞ」


 悠一くんは暫くの間、黙ったままでいました。そして、膝の上に置いた手をぎゅっと握りしめ、絞りだすような声で言ったのです。


「……堪らないんですよ、僕。確かに、コルディア病院は居心地がいい。誰もがほんのちょっと傷を治したっていうだけで尊敬の眼差しで僕を見てくれるし……だけど、本当はメシアなんて呼ばれても全然嬉しくなんかないんです。時々、『神のような人ユーイチ』なんて僕のことを呼ぶ人たちもいて。そういう時、僕はなんだか自分がとてつもないペテンを働いているような気がして、本当に堪らない気持ちになります。それでも、リロイを殺す前まではまだ良かった。そんな自分の気持ちをどうにか誤魔化すことも出来たから。でも、今こうなってみると……むしろ思いきって北の国にでも行ってみたほうが、自分が本当は何者なのかがわかるような気がするんです」


「ユーイチ……」


 アビシャグさまはこの時、実はこう考えておられました。もちろん、悠一くんのように純粋で真面目な人間が人を殺したことに悩み苦しむ気持ちはわかります。ですが、アビシャグさまは実際のところ(そんな人間はおまえに殺されて当然だったのだよ)としか思えなかったにしても……特殊な考え方かもしれませんでしたが、もしかしたらそのことは『ユーイチが救世主としての自覚を持つために必要な出来事』だったのではないかと思ったのです。


「では、こうしてはどうだろうな。長く北に潜入して隠密行動を行なっていたコジローが、今度の戦争を機に一度こちらへ戻ってきたのだ。それで今は、また……ついきのうのことになるがな、敗北した軍の状況などがどうなっているかを調べに、北へ向かった。そしてまたこちらに報告へ戻ってくるから……その時のコジローの報告次第で、ユーイチも彼と一緒に北へ向かってはどうだ?もっとも、わたしはこの案には基本的に反対だ。もちろん、北の王ドルトムントは、生きた人間を重用するから、ユーイチが有用な人間だとわかればなおのこと殺すということはないだろう。だが、北の王に対する土産として何を持っていく?もしかしたら、こちら側に入りこんでいる北の間者が、すでにドルトムントにユーイチの存在を伝えているかもしれない。とすれば……」


「バイオプリンタをひとつ持っていき、それを北の王に献上するというのはどうでしょうか?」


 この時、アビシャグさまは反射的に、(なんだと!?そんなことはとんでもないことだ)と思いました。けれども、よく考えてみると――それは北の国を内部から瓦解させるために、とても有効な手段である可能性もあると、そう瞬時に考え直したのです。


「なるほどな……ユーイチ。おまえはやはりなかなかの策士だな」


 アビシャグさまは思わずにやりと不敵にお笑いになられました。


「いえ、策士というほどではありませんが……ただ、今回の戦争が近づきつつあった時にふと思ったんです。向こうの国でも、ゾンビたちがみな生ける人として生命を得たとしたら――今度は脳だけでなく心臓も急所になりますから、その状態で戦争へ出たいゾンビというのはどのくらいいるものかと。何より、生ける人となった者たちは、前のゾンビだった頃と違って、みんな自分の体を大切にするんですよ。それはおそらく北のゾンビたちも同じでしょう。そう考えた場合……もはや彼らは北の王ドルトムントには従わないのではないかと……」


「そうだな。わたしやゴロツキング王などは、民がみなその選択をし、実際に生ける人間として甦るまでは――自分が同じようになろうとは思っていない。だがもし、北の王がまず真っ先にその特権に浴したいとなれば、どうだ?ゾンビたちは不死だが、新しく生命を得るということは、ある意味弱くなるということでもある。もちろん、北の王は狡猾だからな。もし仮にそうなったとしても、北の国を治めていくということは出来るし、むしろそのような美しく素晴らしい王を民は慕う向きもあるかもしれない。なんにせよ、事態がどう流れるにしても、ドルトムントはそのような技術を持ちこんだユーイチのことを最低でも殺すということだけはすまい」


(なかなか考えたな、ユーイチ)というように、アビシャグさまは煙管を唇の端にくわえると、満足そうにフーッと煙を吐き出されました。


「じゃあ僕、一度シェロムさんに会って来ようと思います。コジローさんがもし戻ったら、急使の方を寄越していただけるでしょうか?」


「無論だ。北の今の状勢についてわかれば、より向こうへ行く恐怖心や不安も薄れるかもしれない。コジローが何か明るい、いい情報をもたらしてくれると信じて待とう」


 悠一くんがアビシャグさまに礼をして席を立とうとすると、アビシャグさまは彼の肩に手をかけ、あらためてこう言われました。


「そのリロイという男のことは気にするな。というより、少なくともわたしはユーイチがその男を殺してくれて良かったと思っている。コルディア病院にいるみんなだってそうだろう。だから……こう言っても無理とは思うが、あまりそう思いつめてくよくよ悩むな」


「はい。ありがとうございます、アビシャグさま」


 この時、悠一くんがアビシャグさまの私室を出ると、廊下の壁によりかかって、ヤチヨがいました。


「何故、わたしにもハヤテにも声をかけず、一人で王宮まで来たりしたんだ!?心配するじゃないか」


「う、うん……でもほら、ヤチヨはやっぱりちょっと過保護だよ。僕だって、コルディア病院から王宮くらいまでなら、ひとりでも来れるしさ」


「わたしが言ってるのはそういう意味じゃない。もしユーイチに何かあったら、わたしやハヤテがアビシャグさまに責任を問われるんだぞ!?それに、ユーイチのことをメシアとして慕う他のみんなにも、どうしてメシアさまをお守りしなかったのかと白い目で見られることになるんだ」


 もちろん、ヤチヨが言いたかったのはこんなことではありません。彼女もハヤテも、リロイ・アームストロングの一件があってから、悠一くんが自分たちと距離を取ろうとしていることに気づいていました。かといって、何か彼を元気づけるようなことを出来るわけもなく、ただなんとなくそばにいるということしか出来なかったのですが……。


「べつに、いいじゃないか。僕がいなくても、もうゾンビたちだけでバイオプリンタも使えるし、これからは僕がどうこうじゃなくて、ゾンビたちで互いに話しあって色々決めていくのが一番なんじゃないかと思うし……」


「ユーイチ!!」


 ヤチヨは壁にドン、と手をつくと、悠一くんのことを見下ろしました。


「頼むから、もっとメシアとしての自覚を持ってくれ!!もちろん、ユーイチがリロイのことがあってから落ち込んでるのはわかってる。でも、ユーイチが病院にいるのといないのとじゃ、全然違うってことくらい、おまえにもわかってるだろう!?」


「うん。わかってるよ」


 悠一くんはヤチヨの手を振り払うと、その場から逃げだすようにして走りだしました。ヤチヨ自身にはよくわからないことでしたが、彼女が生ける人となってから――悠一くんとの間には何故か少しずつ距離が出てきたようなのです。


(むしろ、わたしがゾンビでいた頃のほうが、おまえはもっと色々、なんでも話してくれたよ……)


 また、近ごろ悠一くんが、同じ距離を置いているにしても、自分よりハヤテとふたりで話したりしているほうが気楽らしいということにも、ヤチヨは鋭く気づいていたのです。


 新しく得るものがあれば、失ってしまうものもある……ゾンビにはゾンビの、死の世界に属さざるをえない悩み・苦しみといったものがあるかもしれません。けれども、生き返ること、生きていることばかりが死ぬよりもいいことだとは決して言い切れないということ――これはもしかしたらヤチヨだけでなく、大きな変革期を迎えつつあるゾンビ世界全体が、これから学んでいく必要のあることだったのかもしれません。




 >>続く。






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