表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
6/15

第6章

 ヤチヨの手術が成功してからは、悠一くんの手術のペースは上がりました。これは何も、悠一くんが毎日死にもの狂いで次から次へとゾンビたちに手術を施していった――という、そうしたことではありません。


 悠一くんはもともと、各病院には必ず少なくても数体、自動手術ロボットが置かれているのを目にしていましたから、そのプログラミングがどのようになっているのかを学び、同時に数十体のゾンビの手術を行なうことが可能になったのです。また、一度人となったゾンビたちは、その前まであった善良さを失うでもなく、実に悠一くんに協力的でした。


 ですから、最後には悠一くんが何をしなくても……元ゾンビで、今人となった生き物である彼らは、どうすればまったく新しい命を持つ仲間を増やせるかを学び、全部で五十台ばかりもあるバイオプリンタを作動する方法、また3D撮影の仕方やデータのセットの仕方、人工細胞液の造り方など、すぐに覚えて悠一くんの代わりを果たしてくれるようになったのです。


 けれども、だからといってそれで悠一くんの仕事が楽になったというわけではありません。何故なら、バイオプリンタが故障したらどうしたらいいのかを勉強する必要がありましたし、またそれだけでなく、それを一から製造するための技術をも学ばねばなりませんでしたから。


 そしてこの頃、他の生きた人間仲間から「機械屋」とか「修理工」と呼ばれているリロイ・アームストロングが悠一くんの元にやって来ました。実をいうと呼んだのはシェロムさんで、「南の国のコルディア病院が面白いことになってるから、一度見にこいよ」と伝えてあったのです。


 もっとも、リロイはリロイで、自分にとってそんなに「面白いこと」が起きているといったようには思われず、大して期待もせずにコルディア病院までホバークラフトに乗ってやって来ました。彼は、シェロムさんから前に、北の手の者にホバークラフトを撃ち落とされそうになった……という話をもちろん聞いていました。けれどもリロイは自分の運転技術に自惚れておりましたので、(撃ち落されたり、ましてやあんなゾンビどもの手に落ちるオレさまではないさ)と思い、ホバークラフトに乗ってやって来たのです。


 そして、そこで彼は、この世界へやって来てから一度も目にしたことのないものを目撃しました。すなわち、若くて美しい男女の群れを、です。しかも彼らはとても善良でした。元から生きた人間であるリロイの目から見てさえそうでした。話をしたりする前から何故かわかるのです。それどころかむしろ、リロイは自分から彼らに話しかけるのを躊躇ったほどでした。何故なら、彼らに比べて自分が功利家のずる賢い男であるように思われ――このあと、悠一くんの口から彼らは元ゾンビなのだと聞かされると、リロイは仰天したものです。


「えっ、ええっ!?まさかそんなことがあるもんか。あの醜くて汚くてばっちいだけの連中が……」


 悠一くんの隣にいつでも存在しているヤチヨとハヤテは、この時ほとんど同時にジロリと、黒い肌をした精悍な体つきの男を睨んでいたかもしれません。いまやハヤテも、当代きっての伊達男……というべきか、彼もまたヤチヨと同じく黒い髪に黒い瞳を選び、また悠一くんと同じく東洋系のハンサムな顔を選んでいましたから――彼が昔ゾンビであった頃の外形的な片鱗は、いまやもうどこにも見出されません。また、彼の長年の悩みであった頭皮のほうもいまやとても綺麗で、毎日ウキウキ朝シャンするのがハヤテの日課といって良かったでしょう。


 また、リロイはヤチヨに対しては妙に馴れ馴れしい態度でした。彼女の豊満な胸や引き締まった腰のあたりを不躾にジロジロ眺めては、「寂しい夜には相手するぜ」などと軽口を叩いていました。もちろんそこはヤチヨです。瞬時にして自分に触れたリロイの手をねじあげると、「心配ご無用」と軽くいなしていました。


 悠一くんはシェロムさんや二コラさんから、リロイが機械、コンピューター関係に強いと聞いていましたので、この時とても喜んでいました。元の世界のプログラミング言語だって難しいのに、こちらの異世界の言語でそれを学ぶのは、悠一くんにとって医療関係のことを訳して学ぶ以上に大変なことでしたから。


 そこで、彼のような助っ人がやって来てくれて助かったと思ったのも束の間……悠一くんはすぐにあることに気づいていました。悠一くんが元いた世界には、美しい人やあまりそうでない人や、容姿的にまあまあな人、さらに平均にまで至れない人など――色々な容貌の人がいました。けれども、元ゾンビの彼らは、自分で身長や大体の体重、肌や髪の色、その他目の色や大きさなど、容姿に関するすべてを事細かく選べましたから、ゾンビだった頃のように醜い人間はひとりもいません。そして彼らはそのことを心から喜び、ただ生きているだけで幸せだといったような、そんな様子をいつもしていたものでした。


 けれども、元ゾンビというのではなく、元から人間だった者のほうこそが、実は彼らに脅威となりうるかもしれないとは、この時まで悠一くんは一度として考えてみたことがなかったのです。


 悠一くんはバイオプリンタが壊れたら、リロイに直すことは可能かどうか、また一から作り出すことは出来るかどうかと聞くつもりでいました。ですが、病院で女性とすれ違うたび、リロイが彼女たちのことを性的な目で見るのに気づき、悠一くんはこのリロイ・アームストロングという男に一度でも借りを作るのは危険かもしれないと、直感的にそう感じていたのです。


「なんだっけな……シェロムが言うには、臓器を出力できる3Dプリンタがあるとかなんとかって。それで、ユーイチが困っているようだったら助けてくれって言われたんだけどな」


「あ、ああ。今のところ、五十台ほどあるバイオプリンタは不具合もなくどこもなんともないんだけど、そのうち動作不良とか、そういうことがいずれは起きてくるだろうと思って。だから今、一からバイオプリンタを造ってるんだけど、これがなかなか難しくてさ……」


 もしこのことの見返りに、元ゾンビ娘たちを数人愛人として献上しろといったようなことを言われたとしたら――この件については即座に断ろうと悠一くんは思っていました。そんなことは絶対に出来ないというのが、悠一くんの倫理観でしたから。


「ふうん、なるほどね。バイオプリンタじゃない、他の3Dプリンタなら俺もすでに見つけて、自分の家を造ってみたぜ。ここへやって来るまでに、たくさんの綺麗な男や女を見たが、彼らのうちの何人かは大工仕事をして自分の家を造ってるようだったな。だが、あんな仕事も3Dプリンタがあったほうがよほど効率が上がるというものだぜ」


「そうなんだ……」


 もしリロイが、シェロムさんがちょうどそうであったように、人間として信頼に足る人物であるように見えたとしたら、悠一くんはすぐにもこう頼んでいたことでしょう。『その技術で是非、彼らのために家を建ててやってくれないか』と……。


「お宅、いくつなんだっけ?」


 悠一くんがリロイに対して不信感を覚えていると、そんなことにまるで気づかない彼は、何気なくそう聞いていました。


「えっと、こっちへ来た時には19歳だったけど、その後半年がすぎるうちに、今はもう二十歳になったっていうところかな」


「まあな。こっちの世界じゃ明らかに時間の過ぎるのが元いた世界より遅いもんな。つか、時間って観念自体が必要あるもんなのかどーかってくらいだ。えっと、二コラから聞いた話じゃ、あんた俺がこっちに来た二十年後くらいからやって来たんだろ?っていうことはアレだ。ユーイチったっけ?ユーイチにはゾンビ映画の話、通じるよな?」


「うん。僕、あんまり怖いのとか苦手だけど……バイオハザードくらいは見たことあるよ。ただ、それ確か二千年代の映画だったと思うから、リロイさんのほうでは知らないかもしれないけど」


 ここでリロイはチッチッと悠一くんの前で右の人差し指を振りました。


「リロイさんは余計だな。リロイって呼んでくれよ。そっか。俺の時代はアレだな。ジョージ・A・ロメロ監督の『ゾンビ』とか、『死霊のはらわた』や『バタリアン』とか、なんかそのあたりだ。もちろん、俺とユーイチの間にはジェネレーションギャップってやつがあるかもしんねえ。けど、シェロムや二コラを相手にする時ほどひどくはねえってことさ。二コラやシェロムも、墓から死体が甦ってどうこうとか、そんなことは一応知ってんだ。けど、俺たちの世代でいや、そりゃ映画のヴィジュアルが一番キョウレツなわけでさ。よかったぜえ、初めて話が通じて。だってユーイチ、スティーヴィー・ワンダーとかウィル・スミスとか、名前聞いて、一応すぐパッとわかるだろ?ところがシェロムや二コラと来たら、マイケル・ジャクソンですら知らないんだからな」


(まったく参るよ)というように、リロイは両方の手のひらを天に向けて広げて見せました。悠一くんは日本人がまずやらない、外国人らしいそのポーズに、思わず笑みが洩れます。


(そうだ。彼はちょっと性格がワイルドってだけで……本当は気のいい人間なんだ。それに、僕たち生きてる側の人間――いや、この言い方ももはやおかしいけど、向こうから来た異邦人は数が少ないんだから、お互い多少欠点はあっても仲良くやっていくようにしなきゃダメだ)


 実際、その後悠一くんとリロイの間では、元いた世界の話ネタで実に会話が盛り上がりました。リロイが小さな頃から聞いていた音楽や、見てきた映画の話、その中に悠一くんの知っているものがいくつくらいあるかなど……リロイがクイズ形式で歌ったり踊ったりしてみせるので、悠一くんはそのたびに声をあげて笑ってしまったほどです。


 また、リロイのいなくなったあとの世界が、二十年かけてどんなふうに推移していったかを聞くと、彼はそれまでの陽気さとは裏腹に、一転して至極真面目に悠一くんの話を聞いていました。何分、2001年の9月11日にアメリカでは同時多発テロが起きていましたし、その後、一応イラク戦争のほうは終結したということになってはいますが、アフガニスタンだけでなく、今度はシリアやイエメンなど、イスラム教徒の過激派によるテロ細胞は今も拡散・増殖を続けているといった状況でしたから。


 悠一くんも、こうした世界情勢について疎いほうではなかったのですが(何故かというと、医大受験のためにはそうした時事の知識も必要になるので)、それでも悠一くんはアメリカに住むアメリカ人ではありませんから、そちら経由で入ってくる情報について、あくまでテレビのニュースを介した知識をある程度は話せるという、そうした情報提供の仕方しか出来ませんでした。


「そっか。向こうじゃそんな恐ろしいことになってるわけか……俺はてっきりもうアメリカは、ベトナム戦争に懲りてそこまで大規模な戦争をすることはないだろうと思ってたんだがな。けど、そんな形で本土を攻撃されて、もし反撃しないならそんな大統領はタマナシと国民から呼ばれたって仕方ねえ。しかし、それにしてもイラクやアフガニスタンみたいな地球の裏側の、クソクソクソ暑い地域まで戦争しに行くだなんて、正気の沙汰じゃねえわな。はああ……俺のばあちゃん、ニューヨークに住んでんだよ。その死んだって言われる三千人の中に入ってなきゃいいんだがな。あと、俺の兄貴は海兵隊に入ってんだ。間違いなくイラクやアフガニスタンに行ってるだろう。それに俺だってあのまま向こうにいたら、兵に志願してたさ。他に、近所のダチにも軍隊に入ってる奴が何人もいる。そっか……みんな、生きてるといいがな……」


 このあと、リロイが目に見えて落ち込んで見えても、悠一くんはなんと言って彼を慰めたらいいのかわかりませんでした。それで暫くじっと黙ったまま、彼の隣に座っているということしか出来なかったのです。


 今、悠一くんとリロイとは、病院の研究棟の一室で、バイオプリンタとその設計図を前にして佇んでいました。けれども、悠一くんは今日はもう、こうした話をリロイにすべきではないだろうと思っていました。


「俺はさ、向こうじゃロスにあるIT企業に勤めるエンジニアって奴だった。工科大学を一応卒業して、なんかそうした仕事についたってわけだ。うちは大して金なんかないって家庭だったから、兄貴は高校卒業と同時に海兵隊に入って、俺はちょっとばかり機械いじりなんてのが好きで、成績のほうも真ん中より上だったもんだから、一族でそんな奴はいねえってことで、大学まで行かせてもらえたんだ。はっきり言って、恵まれてたよ。近所にはテメエが悪いってわけでもねえのに、クソみたいな仕事をするかヤク漬けにでもなるしかないって奴らが溢れてたからな。兄貴も、海兵隊に行かなきゃ、ドラッグのディーラーにでもなるか、あるいはハンバーガー屋かピザショップの店員にでもなるしかなかっただろう。俺はエンジニアの仕事のほうも気に入ってたし、自分の人生にとりあえず不満なんかなかったよ。本当に本物の貧乏とか、しみったれた生活ってのがどんなものか、最初から知ってたからな。ちょっとでも努力を怠れば俺もああなる……その一念で気分がクサクサすることがあっても、毎日がんばって出社してたのさ。けど、1999年のあの夏――大学の友だち同士で、ちょっと旅行するってことになってな。キャンプしながらみんなでバーベキュー食って、明日はアラバマ州に入るぞってところだった。本当に、べつにどうっていうこともないいつもの夜だったんだ。アウトドアチェアっつーのか、リゾートチェアっていうんだか忘れちまったが、わかるだろ?キャンプの時に座る軽量の椅子さ。そんなのに座って、友達三人と馬鹿な話しながらビール飲んで……その後、みんなはテントの中で寝た。ところが俺、夜中になんかパッと目が覚めちまってな。俺は自分の椅子に座ったまんま、もう今の会社では仕事したくもねえし、転職しようかどうしようかってな、そんなことを考えてたんだ。星がほんとにすごく綺麗な夜で、こーゆー綺麗なもんにだけ囲まれて生きるってことは出来ないのか、気のあう友だちとだけ会うような生活ってもんは出来ないもんかとか、そんなふうに思ってな……」


 ここでリロイは、一度言葉を切ると、なんとも言えない種類の溜息を着いていました。まるで、もしこちら側へ飛ばされて来ていなかったら、今ごろ自分は向こうでどうしていたのか、また、このことについてはすでに百万遍ばかりも繰り返し考えた――そんなふうに感じられる、重い溜息でした。


「で、夜中になんかUFOみたいんなもんを見て、携帯で何枚か連写したり、動画撮ったりしたんだ。で、そのUFOってのが、キャンプ場の向こうのほうへ着地した。俺はさ、宇宙人が乗ってるとかなんとか、そんなことは考えてなかったよ。ただ、ネバダ州でのことだったからな、軍の機密事項の最新飛行物体かなんかだろうくらいに想像してたんだ。で、暫く林の中に身を潜めて……そのステルス機みたいな黒い機体から人が出てくるかなんかしないもんかと思って待ってたんだ。そしたら、突然後ろから思いきり頭を殴られてな。で、気づいたらこっちの世界で砂漠の中を彷徨ってたってわけだ」


「……それ、一体どういうことなんだろう」


 悠一くんは、わけがわかりませんでした。シェロムさんとヨハン・ウーレンベックという人は戦争中、二コラさんは病気療養中にロンドンの病院から気づいたらこちらへ来ていたということでした。けれども、リロイの場合は、明らかに第三者が関わっていて、その人物が故意にこちら側へ放りこんだ……といったように、悠一くんの耳には聞こえましたから。


「さあな。俺にもよくわからんよ。それに、こうなってしまえばもう理由なんかカンケーねえだろ。何がなんだかワケがわからないなりに、生きていくしかない……何分、こっちの旧世界と呼ばれる文明のほうは、超スーパーハイテクに色んなものが発達しまくってる。暫くはそんなものを調べるのに、随分夢中になったよ。こうしたもんの一部でも、もし元の世界へ持ち帰れたとしたら、まさしくノーベル賞ものだとそう思ったもんだ」


「でも、そのプロのエンジニアのリロイの腕をもってしても、元の世界へ帰る方法はわからないんだよね?」


 悠一くんの口調は、少しばかり絶望的だったかもしれません。というのも、今この瞬間にもしリロイが『実は、あともう少しでその方法がわかりそうなんだ』と言ったとしても――悠一くんにはもう、この世界に対して大きな責任がありました。ですから、帰れる方法がもし仮にわかったとしても、「ほな、バイナラ」とばかりゾンビ世界を去るわけにはいかないと、真面目な悠一くんはそんなふうに考えていたのです。


「そうだな。それでも、この世界のコンピューターなんかを全部、復旧できたとしたら……<何もわからない>ってことだけはないだろうと俺は思ってる。なんかうさんくさいエセ科学みたいに聞こえるだろうけど、ユーイチはさ、ユーレイとか、実はいるって考えたことないか?」


「んー、どうだろ。自分の経験としてってことじゃなく、テレビのドキュメンタリーや本とか読んだりしてて、いないって言い切るほうが非科学的なんじゃないかとは思ってる感じかな」


 リロイは悠一くんのこの答えを聞いて、嬉しくなりました。ゾンビを人間として復活させるだなんて、リロイは『すげえっ!!』と思っていました。しかも、こんな凄いことを成し遂げた人物が、実際に会ってみるとまだ若い東洋人の少年なのです。その上、悠一くんの態度には一切、尊大なところや驕り高ぶったところも見られず、むしろ謙虚で繊細な印象だったと言えます。(まったくこりゃ、東洋の神秘とかいうやつだぜ……)と、リロイはそんなふうに思っていたくらいだったのです。


「つまりさ、俺も普段はそれほど怪奇現象マニアってわけでもない。ただ、友達のひとりにいたんだよ。怪奇現象を科学するみたいな、そういうのが好きな奴がさ。で、そいつが言うには、幽霊が出るってことで有名なスポットが、世界中どこにでもあるだろ?そういう場所ってのは、ユーレイのいる世界と色々な条件が重なった時に次元が一時的にでも繋がるんじゃないかって話。まあ、俺も自分でしゃべってて「んな馬鹿な」とは思うが、こっちの世界と俺たちのいる世界の繋がる瞬間や条件ってのがあるんじゃないか?もちろん、こう考えた場合、ゾンビどもが俺たちの世界側に入ってこないってのが疑問といえば疑問なんだが……」


「僕も考えましたよ、そういうこと。たとえば、死んだゾンビたちがどうして南の砂漠だけでしか発生しないのかっていうことを考えた場合、そのあたりにこちらと向こうを繋ぐ次元のゲートみたいなものがあるんじゃないかとか、色々……」


「そうだよな。これも、俺のことバカだと思って聞いてほしいんだけどさ、俺、自分の消失地点がネバダ州の南部だったせいで……エリア51っていや、宇宙人の研究とかしてんじゃねーかって噂が昔からあるだろ?だから、ここもなんかそーゆー次元の違う流刑星みたいなさ、昔の陳腐なSF小説の設定みたいだけど、そういう場所なんじゃねえかって考えることがある。そういや、ユーイチはヨハンとは会ったんだっけ?」


「ううん、まだ……ずっと会いたいとは思ってるんだけど、ヨハンって泰緬鉄道の重労働に従事していた時に、こっちへ来ることになったらしくて。つまり、過酷な環境下で、日本の兵隊に小突かれながらそういう仕事をしてて、日本人のことをただ日本人ってだけで憎んでるくらいだっていう話なんだ。だから、そのうち折を見てってシェロムさんも二コラも言ってて、そうこうするうちに今のこの研究に血道を上げることになっちゃって……」


 そのあたりの事情については、リロイも聞いていましたので、納得していました。ヨハン・ウーレンべックは性格の温厚なおじさんでしたが、一方、何かひとつの事柄について頑固なまでに拘るところがある……そんな性格をしていましたから。


「でもきっと、ヨハンもユーイチに対してなら心を許すんじゃないかっていう気がするな。とにかくそのヨハンが言うには、ここの世界はナノテクノロジーによって滅びたんじゃないかっていう、そうした話さ」


「ナノテクノロジー?」


 悠一くんはサイエンス系の雑誌や本が大好きでしたが、もしかしたらたまたま、ナノテクノロジーについて書かれた本、特集されていた記事については、読み逃していたのかもしれません。ナノテクノロジーという言葉自体、悠一くんは初耳でしたから。


「そ。一ナノメートルってのは、十億分の一メートル……つまりもう、人間の目には見えないレベルのナノテク兵器によって互いに攻撃しあって滅びた。ユーイチ、ここの世界の小学校の教科書ででもなんでもいいが、この世界の地図なんて見たことあるか?」


「う、うん。図書館のほうで一応……なんだったかな。アルトムント大陸、ゴルウィア大陸、ドーリス大陸、ロリス大陸と四つあって――全部で二百以上もの国があるのを地図で見たよ」


「そうか。そんなら話は早い。四つの大陸にはそれぞれ、一番抜きんでた国がひとつあって、その国が四大陸の代表みたいな感じだったらしいんだ。二コラが歴史の本なんかを訳していて発見した話によるとな、その四つの大陸を代表する国は、長きに渡って戦争をしていたらしい。だが、流石に核爆弾というものが開発されてからは――そう簡単に戦争をするわけにもいかなくなり、四大陸はそれぞれ、長く平和な時が続いた。平和なんていっても、ちょっとした小競り合いなんてことはよくあったらしいんだがな。で、お互い、核兵器が自分の国にとって最強の兵器だという顔をしながら、その表面下でナノテク兵器を開発し、発達させていった。何分、十億分の一メートルなんていうスケールのものを精巧に組み上げて製造した兵器だからな……相手国の政府の要人を諜報機関の人間が暗殺したところで、証拠なんて何も出てこない。こうして四つの大陸の国々は、互いに疑心暗鬼になるあまり――その緊張感が究極的に高まった時点で何かが起きたんだ。そのことについては、二コラにもわからないらしい。何分、その後のことについては何も記録なんて残ってないんだから、無理もない。とにかくそのせいで人々は消失するか、ゾンビになるなりなんなりしたんだろう。で、興味深いのはこのことに対するヨハンの推理。四つの大陸の国々がナノテク兵器でやりあった時……時間や空間までねじれてしまったんじゃないかっていうんだ。ここまで文明が発達してる世界でなら、俺はそれはありえるんじゃないかって気がしてる」


「…………………」


 悠一くんは衝撃を受けるあまり黙りこみました。二コラさんのような人がこの国の歴史について調べ、ヨハン・ウーレンべックという元は科学者だった人がそう推論したというのなら、それがもっとも近そうな結論であるように思われました。


「だから、もともとの昔の地図と、今の世界のそれとが一致しないんじゃないだろうか。そして、いくらそんなことを調べて何かわかったところで、俺たちが元の世界へ帰るための方法がわかるってわけでもない。ただ、ヨハンはこの世界のどこかにタイムマシンがあるんじゃないかという可能性に賭けているらしい。で、そんなものがもしあったとしたら、ナノテク戦争を止めるか何か出来れば、俺たちもこっちの世界へはそもそも来てないっていうことになる……と、そう思ってるらしいな」


「なるほど。タイムマシンか……でも、仮にタイムトラベル出来たとしても、国家間の戦いを止めることなんて、出来るかどうか。でも、その話を聞けてよかった。僕もこっちの世界がこんなに文明が発達してるのに何故滅びたのか、時々夜寝る前に考えたりすることがあるから……これからはもう、他のことに考えを集中できそうな気がする」


「ははっ。ユーイチ、おまえ案外面白い奴だな。こんな度肝抜くもん造った割に、欲ってものがまるでないんだな。もしかしたらシェロムも同じこと言ってたかもしれないけど、その気になれば、俺たち生きた人間で、この世界を支配するってことも出来るんだぜ」


「…………………」


 悠一くんは黙り込みました。こちら側の世界のことはこちら側の世界で大多数を占めるゾンビたちが決めるべきことだと思っていましたし、そもそも悠一くんは、それが仮にどんな人が相手でも強制的に○△させるといったことが嫌いな性分なのです。


「だってほら、考えねえか?北の国の連中なんか、こっちの世界にまだ残ってる兵器をどかすか使って滅ぼしちまえばいいだけの話だし、それは東の国だって同じだ。で、きったねえゾンビたちなんざ、一掃しちまってだな、可愛くておっぱいのでかい元ゾンビのネェちゃんたちとやりまくって子孫を増やしていけば――ユーイチ、おまえ、この世界の帝王になれるぞ」


「まさか。そんなこと、考えてみたこともないよ」


 悠一くんは大笑いしながらそう答えたのですが、驚いたことには、リロイのほうでは笑いませんでしたし、彼のほうでは若干この案に本気であったようなのです。


「そうか?俺なら考えるね。ゾンビたちは何故か、旧世界の文明のことを色々調べて、そちらの兵器を使って敵国を滅ぼそうとは考えないらしい。北の国なんか、生きた人間をなるべく多く抱えこもうって考えてるくらいだから、そのうち誰かがそう進言してもまったくおかしくないはずなんだが……この時点で、俺が一体何を言いたいか、ユーイチはわかるか?」


「もちろんわかるよ。その最悪のシナリオを想定した場合……先にナノテク兵器や核兵器、そうしたアブナイものを押さえることの出来たゾンビ及び人間が勝つってことだろう?」


<ご名答>、とでもいうように、リロイは手のひらを天に向けました。


「そうだよね。僕もなんでもっと早くその可能性について考えてみなかったんだろ……」


「俺もそうした軍事施設っぽいところへは何度か足を運んでるんだが、たとえば軍用ヘリひとつ取ってみても、操縦の仕方がよくわからないんだ。基地自体も閉じていて、中へ入る入り方がわからない。もしかしたら、世界が危機に瀕した時に入るためのシェルターや何かがあったんじゃないかと思うんだが、もし誰か生きてたら外に出てくるはずだしな」


「確かに、そうだよね。いくら備蓄があったとしても、食糧だって尽きてくるだろうし……」


 旧文明世界の生き残りの人々がまだ存在しているかもしれない――悠一くんはその可能性については一応想定していましたが、(いるかもしれないし、いないかもしれない)くらいの、それはどこかふわふわした想像でしかありませんでした。


(でも、漠然と僕にもわかることはある……何より、あの雲の上の城。あれがただの蜃気楼であるとは僕にも思えない。ということは、外部にこの世界全体を見渡している存在がいて、その人物がこのゾンビ世界に何らかのコントロールを加えている可能性があるっていうことだろうか?)


 そう考えた場合、悠一くんが今しているゾンビたちの復活事業などは、<彼>、あるいは<彼ら>にとって気に入らないものなのではないだろうか……けれど、今に至るまで特にこれといった妨害が入らないということは、やはりそのような外部の存在などいないということなのかどうか、悠一くんにはわかりませんでした。


「北や東の領土にある、旧文明の軍事基地なんかがどうなのかはわからない。だが、南と西の領土にある軍事基地はいくつか見てみたが、閉鎖されていて入ることが出来ない所しかなかった。で、俺はこの世界について調べる優先順位として、もっと他にダウンしているコンピューター類を復旧させるとか、そっちのほうが先だと思ったんだ。こんなクソみたいな世界に飛ばされて来て、核が落ちて明日死ぬことになっても……それはそれでいいみたいな、投げやりな気持ちだったからな」


「そっか。そういうことで東西南北の四国の間で、突然軍事バランスが崩れるっていうことも考えられるんだ……」


 そう思うと、悠一くんは途端に気分が重くなってきました。まるで見えない精神に見えるG(重力)がかかってでも来たように。


 ゾンビたちの復活事業は、もう悠一くん自身にさえ止められないことでした。悠一くんが一切なんの指示をしなかったとしても、元ゾンビで生きた人間となった人々は、どうすればさらにゾンビたちを甦らせることが出来るかを――すでにすべて知っていましたから。


 そしてこのことが、いずれ北から軍の攻めてくる契機になるであろうことは明白でした。そう考えた場合……悠一くんはこのままただ黙って手をこまねいていることは出来ないと思っていたのです。


「ハヤテ、ヤチヨ。僕が今ここから出かけても、何も問題ないよね?アビシャグさまの許可され取れれば……」


「まあ、それはそうだが」ヤチヨは心配そうに眉をひそめました。「一体どこへ行くつもりなんだ?元ゾンビたちはみんな、自分たちの仲間を増やすことに夢中になってるが……それでも、ユーイチの姿がなくなれば、みんな不安がる」


「そうでござる。もしかして、その軍事基地とやらへ行って、今度はまた何か別のものでも捜すつもりなのでござるか?」


 ヤチヨとハヤテがなんとも心配そうな顔の表情をしているもので、悠一くんとしても彼らの不安を取り除いてあげる必要がありました。


「いや、少し違うんだよ。北の国のドルトムント王は、西にも南にも間者のゾンビを送っているだろ?だから、彼らを捕獲して、どうにか仲間に出来ないかと思って……」


「ユーイチ!それは無理だ」


「絶対無理でござる、ユーイチ!」


 ヤチヨとハヤテとは、ほぼ同時にそう言い放っていました。隠密稼業の長いふたりには、わかっていました。北の国の間者を捕まえて何か吐かせようとしても、彼らは絶対に口を割らず、結局自ら第二の死を選んでしまうのです。


「わかってるよ。北の国の間者は見つけ次第抹殺……だろ?でも、そんな彼らだって、一度容貌が変わってしまえば、もう北の国の誰にも元の彼が何者だったのかなんてわからなくなってしまうじゃないか。つまりは、そういうことだよ」


「なるほど。そうか……!」


「拙者にもわかったでござるよ、ユーイチ!」


 悠一くんがラボを出ていきかけると、ヤチヨとハヤテが後ろを嬉々としてついてきます。そして、そんな彼らのことはそっちのけで、リロイは彼にとっての新らしいオモチャ――3Dプリンタをあらゆる角度から眺めまわしていました。


「おーい、ユーイチ。このバイオプリンタ、ちょっといじってみてもいいか?出かける用があるっていうんなら、おまえが戻ってくるまでに俺、こいつの仕組みなんかを調べておきたいからさ」


「ありがとう!よろしく頼む」


 悠一くんは、ヤチヨとハヤテを率いて、馬で王宮のほうへ向かいました。王宮内の美術品や装飾品を見ていると、アビシャグさまはきっととても美意識が高いのだろうと思われましたが、アビシャグさまは自分が生きた美しい人間となるのは一番最後でいいと言うのです。それは不思議と西の王のゴロツキングさまとウフフーミンさまも同様で――まずは民の中でそうと望む者が先に生きた人間となり、自分たちは最後でいいと断言していました。


 もちろん、そのことには理由があるのです。おそらく、これから北の国とは再び戦争になるだろう……お三方にはそのことがわかっていましたから、戦いに出るとなれば、先に出兵するのは生きた人間ではなく、当然まだゾンビである者たちです。そう考えた場合、アビシャグさまもゴロツキングさまもウフフーミンさまも、自分たちには王及び女王として責任があると考えていたのです。


 悠一くんが王宮でアビシャグさまに謁見しますと、アビシャグさまはこの日も実に上機嫌に悠一くんのことを迎えました。また、悠一くんが北の国を内部から瓦解させる計画について提案しますと、アビシャグさまは「おまえは天下一の策士だな!!」と、その奇策に驚いておられました。


「僕はこれから、中立地帯にいるゾンビたちに呼びかけて、北の国の間者たちを出来るだけ捕えてもらえないかと頼むつもりです。そうやって、その後捕えられた間者たちがどうなったかを、北の国に住まうゾンビたちが知ったら――ドルトムント王の恐怖政治に恐れをなし、かつ不満を抱いているゾンビたちは、自ら西や南の国へとやって来るようになるでしょう。敵の兵力をそぎ、かつ、戦争になった時に相手に投降を呼びかければ……もしかしたらドルトムント王は北の国の兵力を維持させることが困難になるやもしれません」


「だが、ユーイチ。貴公も忙しい身であろう。何より、ユーイチの姿がコルディア病院にないというだけで、元ゾンビたちが寂しがるだろうしな……代わりに急使を遣わしてはどうだ?もちろん、それはユーイチの考えた案で、南の女王であるわたしの許可もあってのことだと、使いの者には伝えさせよう」


 アビシャグさまはこうした言い方をなさいましたが、実をいうと女王御自身が悠一くんにあまり南や西の国内から出ていって欲しくなかったのです。もちろん、ヤチヨもハヤテも忍者としては相当の手練れではありますが、それでも万一ということがあります。何分、北の国のドルトムント王というのは、手段を選ばぬ冷酷な王なのです。むしろ逆に悠一くんが中立地帯あたりででも、北の国へ誘拐されたとしたら……そう思っただけで、アビシャグさまは心配で堪りませんでした。


「いえ……ライダースーツゾンビにも、傀儡師のおやっさんにも、もう随分長く会ってませんから、今後のことについて、賢い彼らの知恵も借りたいと思ってるんです。それに、僕が直接彼らに口で伝えたほうが――他のゾンビたちもそれで北の国が戦わずして滅びるかもしれないと知ったら……より協力のための士気が上がると思うんです」


「そうか。そういうことならば仕方あるまいな。ユーイチ、旅に出るにあたって必要なものはないか?」


「いえ、特には……」


「では、気をつけろよ。お主はもう、お主ひとりだけの体ではないのだからな」


 ――こうして悠一くんは、西と南の国境地帯にあるゾンビ・ホスピタルへ久しぶりに出かけていきました。ライダースーツゾンビも、傀儡師のおやっさんも、一応噂で聞いて知ってはいましたが、実際にヤチヨやハヤテの姿を見ると、驚きのあまり言葉を失っていたほどです。


「もし、ライダーとおやっさんがそう願うなら、優先的に同じように生きた人間にしてくれるよ。それも、僕が、じゃなくて、他の元ゾンビの仲間たちがね。彼らの腕前はもうプロフェッショナル級だし、手術のほうはAIを搭載した手術ロボットたちがしてくれるから、まずもって安全だしね」


 ライダースーツゾンビは、ハヤテの姿をまじまじと見上げていました。彼らは顔見知りでしたから、ライダースーツゾンビにはハヤテの変貌ぶりが驚きでした。まるっきり、彼が昔知っていたハヤテとは別人としか思われません。


 けれども、「やだなあ、ライダー。拙者は間違いなくハヤテでござるよ」と照れたようにハヤテが言うと、ライダースーツゾンビは「おお!確かにその声はユーの元の声だ」と、驚きつつも喜んでいました。


 不思議なことでしたが、今や生きた人となったゾンビたちは、かつての自分たちの仲間を容貌が醜いということを理由に差別したりすることは一切ありませんでした。ただ、彼らはどちらかというと、これでもうハエが卵を産むことのない、美しい皮膚のほうを喜んでいたのであって――そのあたりの美醜の価値観というのは変化が全然ないようなのです。


「ヤチヨ、お主も随分べっぴんさんになったもんじゃのう」


「そうでもないさ。南の王宮へ来れば、わたし以上に美しい者などいくらでもいる」


 傀儡師のおやっさんは、ハヤテのようにハンサムになりたいとか、頭髪がフサフサになりたいといったような望みはありませんでしたが、ただひとつ、新しい体が手に入ったら、お酒を好きなだけ飲めるのではないかと、その点を唯一魅力的だと感じていたようでした。


「そういえば、ユーイチ。なんかわしらに用があったんではなかったかね?」


「ええ……このゾンビを生きた人間にする事業は、割とうまく運んでいるんですが、このままいったらいずれ、こうしたことはすべて北の国の間者からドルトムント王の耳に入るでしょう。そうなったとしたら、戦争は避けられません。でもその前に――この中立地帯には間者として混ざっている北の国のゾンビたちがいますよね。彼らを出来れば穏便に捕獲してもらって……いえ、どうせ体はすべて換えてしまうんですから、多少手荒でもいいんです。とにかくそうやって、北の国の兵の者をこちらへ寝返らせたいんです。彼らがドルトムント王を裏切れないのは、国へ帰ったら身も凍るような刑罰が待っているからだと聞きました。でも、一度ヤチヨやハヤテのように姿が変わってしまえば……もうドルトムント王にも誰にも、彼らが誰かなんてわからないわけですから――そうした形で味方が増えれば、今北の国内にいるゾンビたちも機を捉えて脱出し、こちらで清潔で綺麗な体を手に入れたらいいんです」


 このあと、一瞬沈黙が落ち、それからライダースーツゾンビと傀儡師のおやっさんとは顔を見合わせ……それから大声で叫んでいました。


「すごい!!それはすごいぞ、ユーイチ!」


 ふたりは興奮するあまり、それぞれしゃべりだして、収集がつかなくなるほどでした。


「そうだ。俺はこれからゾンビ暴走族の一隊を率いて、定期的にパトロールしようと思う。北の国の間者ってのは、大体雰囲気が違うから、勘ですぐわかるんだよ。じゃあ、腕が取れたり足がもげたりしても、結局新しい体に換えるわけだから、多少乱暴でも構わんわけだ」


「こりゃ一体なんてこったろうな。まさかこんな、本当に国境の変わる日がいつかやって来るとは……まったく、すでに死んでいるとはいえ、長生きというのはしてみるもんじゃわい」


 このあとライダースーツゾンビは、善は急げとばかり、自分についてくるゾンビたちを集めはじめ……彼に率いられた一隊は、みなバイクの物凄い爆音とともにその場を去ってゆきました。


「そのな、ユーイチ」


 相変わらず、物凄く酒くさいおやっさんは、診療室の隅のほうに悠一くんのことを引いてゆきました。何やら、こっそり内緒話でもしたい様子です。


「もし……新しい体と交換したら、いくらでも好きなだけ酒が飲めたりするもんかいの?」


「そうですね。肝臓がまったく新しくなるわけですから……でも、あんまり飲みすぎるのは体によくないですし、もちろん、古い肝臓が駄目になったら、また新しいのに換えればいいのだとしても……」


 そこまでしゃべってしまってから、悠一くんは(新しい体でも、限度量というものがありますよ)と言えばよかったと後悔しましたが、おやっさんの様子はもう、百個のドラやきを前にしてよだれを垂らすドラえもんも同然でした。


「ムヒョッ、ムヒョッ、ムヒョムヒョッ。♪酒が飲める、飲めるぞ!酒がのめるぞ~。カンパーイ!!ウィーヒックッ」


 このあとおやっさんはジャッキー・チェンの酔拳の物真似をしながら、最後には「アチョー!!」とまで叫んでいたほどでした。


「あの、でももし新しい体になったとしたら、出来ればなるべくお酒のほうは控え目に……」


 おやっさんはさらに、拳法なのか空手なのかよくわからない型を次から次へと繰り出しています。その様子を見ていたヤチヨが、トントン、と悠一くんの肩のあたりを叩きました。


「おやっさんはああ見えて、ゾンビ拳法の達人なんだ。しかも、酔えば酔うほど強くなる……おやっさんから酒を取り上げるのは、もう死んでるとはいえ、死ねと言うようなものだ」


「そうなんだ。でも、僕としては新しい体になったとしたら、なるべく健康でいるように心がけて欲しいと思うんだけど。まあ、こっちの世界では遺伝子治療が相当進んでるから、治せない病気なんてほぼないようなんだけど……」


「ハンゾー隊長の話によると、おやっさんは体術では唯一隊長と互角だそうでござるよ」


(本当はそんなに強い人だったんだ……)


 そう思い、悠一くんはあらためておやっさんに対する尊敬の念が深まりました。けれども、酒を浴びるように毎日飲むからでしょう。親父さんの体はさらに腐敗がすすみ、体のあちこちが溶解しはじめていましたから、体を交換するのは、なるべく早いほうが良かったに違いありません。


 このあと悠一くんは、「生きた人間として復活する決心がついたら、いつでもコルディア病院を訪ねてください」とおやっさんに話し、ライダースーツゾンビにも、「北の国のゾンビを捕えたら、病院の救急外来へ連れてきて欲しい」と伝えてもらうことにしたのでした。


 そしてこの翌日、早速救急外来には、さるぐつわを噛まされた状態のゾンビが四体ほど、連れて来られました。彼らは麻酔によって一度意識を落とされると、そのまま手術室のほうへ運びこまれるということになります。


 悠一くんも、彼の助手のゾンビ・コーディネーターたちも、瞳や髪や皮膚の色など、本人の意見をよく聞いて決めていくのでしたが――この場合は強制的に悠一くんや他のゾンビ・コーディネーターたちのほうで容姿のほうを決めていくということになったのでした。


 こうして三日後に目覚めた北の国の四体のゾンビたちは、可哀想ですが、ベッドに体を拘束されていました。そして、四人とも同じ病室にいたのですが、彼らを驚かせないために、以前の彼らと同じ姿をしたゾンビ看護師が、まずは彼らのベッドサイドに座って鏡を見せました。


 すると、彼らは一様に電気ショックでも受けたかのように、拘束具の下でもぞもぞ体を動かし続けていたものです。そして、そんな彼らにゾンビ看護師長は優しく声をかけました。


「あなたたちはもう、自由なのですよ。だって、容姿がもうこんなに変わってしまったのですからね。もはやドルトムント王を恐れる必要はないのです。西の国でも南の国でもあなたたちを受け入れてくれますし、なんだったら中立地帯でのんびり暮らしたっていいのですよ」


 ここで看護師たちは、リモコンでベッドの背を上げると、四人のゾンビたちで話しあうことが出来るよう、一度席を外すことにしました。けれども、ドアの外の廊下にいると、彼らが大きな声で喜びを交わす声が聞こえ……看護師長も看護師たちも、微笑みを洩らさずにはおれませんでした。


「なんだ、おまえ。いきなりそんなカッチョよくなりやがって!!」


「隊長こそ、以前は臓腑のしたたるいい男だったのに……一体どうしたんですか!?」


「俺たち、もしかして一度死……いや、もともと死んでたのがさらに死んで、天国へでもやって来たような気分だぜ!!ヒャッホー♪」


「それに、もう北へ戻らなくてもいいんだって。こんなに嬉しいことはないぜ」


 そう言って、このゾンビはすすり泣きをはじめたようでした。


「嬉しいなあ、兄弟たち。俺たちもう、ゴキブリ風呂を恐れて暮らさなくてもいいだなんて……」



 ――こういった具合によって、新しく生きた人間として甦った北のゾンビたちは、中立地帯のライダースーツゾンビたちと合流すると、北の国の間者たちを捕獲するのに協力しました。また、彼らが目覚めた際には、先にゾンビから生きた人となった、かつての同じ仲間たちが事態を説明し、また説得にあたってくれたのです。


 こうして、北の国のゾンビたちは新しい肉体と自由を得ていったのですが……最初、北の国のほうでは長くこの間者たちの行方不明に気づきませんでした。何か不手際があって、間抜けにも西や南の兵などに捕まり、のたれ死んだのだろうと決めてかかっていたのです。


 けれども、悠一くんが初めてヤチヨのことを生きた人間として復活させてから約半年後――とうとう北の国のドルトムント王の元にも、西や南で美しい生きた人間の人口が増えているという報告を受けるに至ったのです。


 最初、ライダースーツゾンビが中立地帯の間者ゾンビを捕獲するところからこの件ははじまったわけですが、こうした北の国の生者が増えていくに従い、彼らもまた北の国内にいる者へ秘密のメモ(もちろん暗号で書かれたものです)を渡すなどして、「自由になれる」ということを知る者が増えるにつれ……門から出て二度と国へ戻らないゾンビや、計画的に脱走を企てるゾンビたちが相次ぎました。もちろん、この中には追手の兵に捕まり、見せしめに一等残酷な刑によって第二の死を迎えるゾンビもたくさんいたのですが……。


 また、南の国でも西の国でも、こうしたことはいずれ北の王ドルトムントにバレるとわかっていましたから、すでに軍備の増強に当たってもいたのです。そして、悠一くんたっての願いにより……アビシャグさまとゴロツキング王の連名によって、「我々は彼がこのゾンビ世界を救う伝説の救世主メシアではないかと思っている」といった文面の密書が東の国へ送られるということになったのです。


 実をいうとこれは、北の国のドルトムント王がゾンビ兵脱走の謎に気づく二か月ほど前の話です。アビシャグさまとゴロツキングさまは、何故自分たちがユーイチくんを救世主メシアと考えるのかの理由も、当然書記に書き取らせていました。また、東の国からの間者ゾンビというのは西の国にも南の国にも混ざりこんでいますから、そろそろ東の国のアーメンガード王も、ただならぬことが西と南の国で起きているということは知っているに違いありませんでした。


 そして、その上でアビシャグさまとゴロツキング王は、そのような書面を使いの者に送らせたのですが、東の国のアーメンガード王は「信じない」という短い返答を自分の書記に書き取らせ、伝令官に渡していたのでした。もちろん、その南の国の伝令官は口頭でも諸事情についてアーメンガード王に説明していました。ですが、アーメンガード王は「救世主メシアは無敵にして不死であるはず。ならば、臆病風になど吹かれず、我が東の国の門を彼自身が直接叩けばよかろう。そしていまだにそうしていないのは、そやつが本物のメシアではないということの何よりの証拠じゃ」……というのが、書面に書き取らせなかったアーメンガード王側の言い分だったのです。


「そっか。やっぱりそう事はうまく運ばないよな」


 悠一くんは自分がメシアであるといったようにはまるで思っていませんでしたが、『アビシャグ女王とゴロツキング王がそう考えている』という文脈で語る分には構わないだろうと思っていたのです。実際、悠一くん自身がどう考えていたかといえば、(自分がメシアなどという存在でないのは間違いない。だけど、ここまでの大きな変革をもたらした以上、僕はこのゾンビ世界に責任がある)ということでした。そして、アーメンガード王があとから自分を見て「こんな奴、絶対救世主なんかじゃないわい」と思ったとしても、それは全然いいのです。ただ、北の王を倒すためにアーメンガード王が一時的にせよ協力さえしてくれたら……このゾンビ世界は間違いなく大きく変化していくだろうと、そう思って計画したことでしたから。


 そして、その先のことは悠一くんにも責任は持てませんでした。ゾンビ世界のことはゾンビたちに決めてもらい、支配してもらうのが一番だ、とそのように考えてはいたものの……『(元)ゾンビの、ゾンビたちによる、ゾンビたちのための社会』というのは、彼らが互いに協力しあってよく考え、支えあいながら形作っていくべきものですし、悠一くんが唯一彼らに協力しようと思うのは、これからゾンビたちが生きた人になるに従い、旧文明の残した超々科学技術を使いこなすにはどうしたらいいか、アドバイスしたいといったような、そうしたサブ的な事柄についてだけでした。


「だが、もう一度、東の国のアーメンガード王には密書を送るということにしてみよう」


 アビシャグさまはそうおっしゃっておられました。


「アーメンガード王とて、頑固ではあるが決して愚かではない。今こちらの南と西の国で何が起きているか、間者たちが主である王の耳に入れていないわけがないのだからな。そして、このことこそがユーイチが救世主であることの何よりの証拠なのだと、アーメンガードが納得するように伝令官には説明させよう」


「一番いいのは、一度東の国と南の国の国境あたりで、三国の王と女王による会談みたいなことを開けるといいんだけど……それは難しいのかな。そしたらその場でゾンビたちがどうやって生ける人となるのか、その過程をアーメンガード王にもお見せすることが出来ると思うんだけど」


「難しいだろうな。アーメンガードは何より猜疑心が強いから……東の国の門よりこちら側へは、戦争以外のことでは決して出てこようとはしないだろう。だが、一応、そのようには書記に書面に書きとらせよう。もしかしたら疑り深いあやつでも、噂の真偽を確かめるためだけに、東の門よりこちらへ出てくるとも限らないからな」


 そこで、二通目の密書をアビシャグさまは作成すると、自分のサインを入れ、それを西の国の王宮まで伝令官に持たせました。ゴロツキング王のサインもそこに書き入れてもらい、さらにそれを東の国の王の元まで運ぶためです。


 この時、アビシャグさまは悠一くんに言えば反対されるとわかっていましたので、あえて彼には報告せず、ゾンビから新生し、生ける存在となった者を数名、伝令官につけていました。もちろん、あの疑い深い王が、ゾンビでなくなった美しい命持つ者たちを見て、どう思うかはわかりません。最悪の場合、全員みな殺しということもありえるかもしれませんでした。けれども、今ゾンビ界の世が間違いなく変わりつつあるということだけは、あの賢い王にもわかるはずだと、アビシャグさまはそのように信じていたのです。


 また、この美しく着飾った伝令官の一団は、二週間ほどのちに帰国したのですが、その全員が無事でした。アーメンガード王は、今度は特に書面としては何も伝令官に渡さず、とにかく東の王宮に彼らが客として滞在する間よくもてなしてくれたということです。


 とはいえ、北の国が攻めてきた時にご協力いただけるかとの返事は保留にされ、アーメンガード王は結局、はっきりしたことは何も言わなかったということでした。


「よくやった。それでいい」


 アビシャグさまは、ゾンビ伝令官の返事を謁見の間で聞き、十分満足なさっていました。あのひねくれ者の王がそう簡単にこちらの言うことに同意するとは女王も思っていませんでした。けれども、ゾンビから新生した者たちをアーメンガード王が歓待したことから見ても――骸骨王の凍える心にもある種の<ゆらぎ>というものが生まれたのは間違いありません。


(今の段階では、まあまずそれでいい。結局、北のドルトムント王が西の国と南の国をとるといったような事態が起きたとすれば……ゾンビたちが新しく生命を得るための装置などもすべてドルトムントに押さえられてしまうことを意味するのだからな。あのひねくれ者は単にそう簡単に「うん」とか「はい」とは言いたくないという、それだけなのだろう)


 アビシャグさまはこの頃、毎日のように兵士たちの軍事教練所にお姿をお見せになっては、ゾンビ兵士たちの指揮の昂揚に貢献していました。また、今やこのゾンビ兵士たちにもよくわかっていたのです。これまで小競り合いも含めたとすれば、おそらく百数十回にも上るこのゾンビ戦争も、これが最後になる可能性が高い、ということを。そして彼らも夢見ていたのです。自分もまた救世主メシアさまの手により、新しく生ける者となれる日の来ることを……悠一くんにその気がなくても、南と西の国の両方において、彼はすでにメシアとしてすっかり信じられていたのです。そして、メシアさまが自分たちの背後におわすからには、必ずや自分たちは今度こそ北の残虐な王、ドルトムント軍に圧倒的なまでに勝利を得ることができると信じていたのでした。




 >>続く。






評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ