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第4章

 翌日、悠一くんはシェロムさんと一緒にバスに乗り、まずゾンビ工場のほうへ向かいました。バスは二十人くらい乗れるものが三台ほど出、悠一くんとシェロムさんは満員のバスに立ったままでいたのですが、親切なゾンビが席を譲ってくれようとしました。


「あ、ありがとう……」


 そのゾンビは足のあたりの腐敗が進んでいて、シートを見ると汚れていましたが、悠一くんは彼の好意を受けることにしました。衣服の替えは持って来ていましたし、汚れたズボンのほうは洗えばいいだけの話ですから。


 ゾンビたちは生きている人間に本能的に好意や敬意を持つ傾向があるようなのですが、シェロムさんは他のゾンビたちが席を譲ってくれようとしても断っていました。ところが、ひとり断るとまた別のゾンビが席を立とうとするもので、そんなことが五、六回繰り返されたのち、ゾンビの腐った匂いの染みついたシートに座るということにしたようです。座席によっては、シートの破れたクッションのところから蛆虫が「コンニチワ」と顔を出していることもありましが――ゾンビたちの手足を縫合する過程で、よくピンセットで蛆虫を摘みだすということがあったため、悠一くんはもうすっかり慣れっこになっていたかもしれません。


 実をいうと、悠一くんは手練れの忍者ゾンビふたりが自分に付いていると聞いていたものの……どこにいるのかはよくわかっていませんでした。ところがこの時、バスの窓から後ろを振り返ってみると、驚いたことには忍者の衣装を着たゾンビふたりが物凄い速さで走ってくるではありませんか!


 悠一くんは、バスを運転する車掌ゾンビに声をかけると、一度バスを止めてもらいました。それから、「おおーい!君たちもバスに乗りなよ」と窓から顔を出して叫んだのです。


「いやいや、拙者は忍者ゾンビ!そして忍者ゾンビは走る!これも修行というものでして」


「じゃあ、あんただけ走ってバスを追っかけて来なさいよ。あたしはバスに乗るわ」


 ゾンビくの一ヤチヨは、あっさりそう言って、相棒のハヤテを見捨てました。


「なぬっ!?ズルいぞ、ヤチヨ。では、拙者もバスに乗るでござるよ。ニンニン」


 ヤチヨはすらりと背の高い、なかなかに気の強そうな顔つきをした忍者でしたが、悠一くんが彼女に座席を譲ろうとすると、別のゾンビが悠一くんの肩をトントン指で叩き、自分の座席を譲ってくれました。


「あら、いいのよ、べつに。それよりハヤテ。あんたが座らせてもらったら?」


「いやいや、拙者は忍者ゾンビ!そして忍者ゾンビは立ったまま!これも修行というものでして」


「あっそ。じゃ、あたしが座ることにするわ。ありがとう」


 こうしてヤチヨは、悠一くんの後ろの座席に座りました。バスは砂漠の砂に半ば覆われたような道路をゆっくりと進みゆき――結構な長い時間をかけてようやく工場のほうへ到着しました。これはあくまで、悠一くんの感覚と、太陽の位置関係から見た時間の経過の推測ですが、彼は南の国の南門からゾンビ工場までは約三時間ほどかかるようだと見積もっていました。


 バスに乗っているゾンビの中で、言葉を話せるゾンビはひとりもいませんでしたので、バスの中はずっとしーんとしたままでした。誰も口を聞かず、じっと一点を見つめたままです。そんな中で自分たちだけ話をするのもおかしいような気がして……悠一くんもシェロムさんも黙ったままでいました。また、ハヤテとヤチヨは忍者ですから、主の命がなければ自分から口を聞くということはありません。


 そして、(やれやれ。やっと着いた)と悠一くんが思い、バスのステップを下りようとした時――悠一くんはゾンビたちがゾロゾロと工場の入口に吸いこまれてゆくのを見、奇妙なデジャヴをこの時覚えていたかもしれません。


 悠一くんは高校時代、学校へは自転車で通っていました。そして、通学途中に自動車部品の製造工場があり、朝はよくゾロゾロと薄茶の制服を着た人々が工場のほうへ吸いこまれていったものでした。そして夕方にその工場の前を再び通りかかると、またぞろゾンビみたいに疲れた様子の人々が、入口のほうから吐きだされてきたものです。


(そうだよな。あとは、満員電車から疲れて出てくるサラリーマンとか……これと似た風景を前にも見たことがあると感じるのは、きっとそのせいだ)


 もしかしたら、工場勤めなど、毎日が同じ作業の繰り返し――といった職務に従事している人というのは、心の一部がだんだんにゾンビ化していくところがあるのかもしれません。悠一くんは脊髄反射など、自分の体内にも<意識せずに勝手に行われる領域>があるのを思いだし、それらが「体内ゾンビ」とか「脳内ゾンビ」と呼ばれるのを知っていました。つまり、朝起きて嫌々ながらでも学校や会社へ行くなど、人間の行動をよく観察してみると、ある部分……いえ、場合によってはかなりのところ、人間というのはゾンビ的に事を行っている場合があるものなのかもしれません。


 そしてこのあと、ゾンビたちがそれぞれ自分の持ち場につき、実に生き生きと働きはじめるのを悠一くんは見ました。普通に考えたら、死んだあとも働かされる、気の毒なゾンビーズ……と、誰もがそう感じたかもしれません。けれども彼らは、その種類がなんであるにせよ、<仕事>があるということをとても喜んでいるようでした。


 彼らは一言も言葉をしゃべることはありませんでしたが、そのかわり、ジェスチャーなどによって意思の疎通をはかり、ずっと以前、シェロムさんが教えてくれたとおりにそれぞれ作業を進めていきました。


 工場内はとても広いのですが、まずは、南の砂漠で捕獲されてきたゾンビたちを、動けないように縛りつけて台に固定します。その後、皮膚に腐れのある部分から大きく切開して、無駄な肉をすべてそぎ落とし――動脈から血抜きし、動脈には防腐剤を注入します。大抵のゾンビはすぐに観念しますが、時々暴れるゾンビもおりますので、その場合には数人のゾンビで彼なり彼女なりのことを押さえつけるということになります。


 ここまでの作業がすむのに軽く半日はかかりますし、その後、消毒ルームのほうにこのゾンビたちは暫くの間隔離されるということになります。消毒室のほうでは、四方八方から白い噴霧液のようなものが発射され、これを浴びたゾンビたちは小麦粉でもまぶしたように真っ白になります。そしてこの作業を数日繰り返したのち、ゾンビたちは南の国の門をくぐれるということになるのです。


 ――この時、悠一くんがもっとも感銘を受けたのが、南の砂漠で捕獲されたゾンビたちが、最初は抵抗を試みたものの、消毒がすんでみると、ゾンビ工場の作業員たちにとても感謝するということだったかもしれません。そして、ゾンビ作業員たちのほうでも、まるで「君たちもこれでもう我々の仲間だ!」というように新生ゾンビのことを抱きしめたり、優しく肩を叩いたり、あるいはみんなで囲んで「よしよし」と背中をさすってあげたりするのでした。


 ゾンビたちが肉切り包丁その他の器具により、腐敗しはじめている肉をそぎ落とす場面はなかなか「オエッ」とくるものがあるのですが……悠一くんは、もしいつか自分が元の世界へ戻り、医大に通えたとすれば、いずれこれは通るべき道なのだと思い、作業のひとつひとつを目を逸らすことなくじっと見つめていたものでした。


 いくらゾンビたちが痛みを感じないとはいえ、意識のある状態で手術を受けているに等しく、悠一くんは最初のうち、(彼らは痛みを感じてるわけじゃないんだから)と、一生懸命自分に言い聞かせなくてはなりませんでした。そしてある時、太ったゾンビの腹の肉をゾンビたちが数人がかりでそぎ落としていた時……悠一くんはふと、ウフフーミンさまのおっしゃっていたことを思いだしたのでした。


『あたし、死んでから痩せたの』


(なるほど。ウフフーミンさまが死なれたばかりの頃は、まだこのゾンビ工場はなかったんだ。でも、自然に腐敗するのを待つより、確かにこうして先に腐敗してなくなってしまう肉を出来るだけこそぎ落としたほうが衛生的だよな)


 実はこうしてこそぎ落とされた肉の一部は、冷凍保存されるということになります。そしてその後こうした肉がどうなるのかというと……人肉の森へ迷いこんだ生きた人間がいた場合、テストに使われることもあれば、あるいはシェロムさんが旧世界のあちこちに潜んでいる生きた人たちとの取引に使うということもあります。


 この世界には生きた鳥獣類も存在してはいますが(ちなみにゾンビ化しているのは人間だけです)、数も少なく、「肉」を食べられる機会というのは乏しいのです。そこで大抵は、この世界へ来たばかりであれば食欲に負けてゾンビを殺して焼いて食べたり、あるいはそこで味をしめて人肉を食べるのがやめられなくなる者もいます。


 旧世界のあちこちに隠れている生きた人間たちも、携帯エネルギー食などには飽きていますから、この綺麗に部位ごとに真空パックされたゾンビ肉を欲しがる者はいくらもいたのです。


 また、試験に使われる場合は――ゾンビ肉を食べる誘惑にどこまで耐えられるかを試すのです。この時、もし、肉を食べる誘惑に打ち勝てた者がいたとすれば……同じ人間を共食いするようなことは出来ないと拒む者がいたとすれば、その者こそがもしかしたら救世主メシアなのかもしれませんし、もしそうでなかったとしても、その人間は見るべきところのある生きた人間であるとして、アビシャグさまに推薦されるということになったでしょう。


 この日、とっぷりと日の暮れた頃に仕事が終わると、ゾンビたちはまたゾンビバスに乗って城下町のほうへ帰ってゆきました。シェロムさんが、「今日はここへ泊まっていこう」と言いましたので、悠一くんは彼と、他にハヤテとヤチヨの四人で、仮眠室のほうへ向かいました。ここの工場には昼夜見張りをしている警護ゾンビ兵がいるのですが、北や東の諜報ゾンビ要員たちも、ここまで深く南のほうまでやって来ることはまずもってないそうです(というのも、王城の南門付近の警備は特に厳しいためと思われます)。


 そしてさらに翌日、悠一くんはシェロムさんの案内で、彼が現在の住まいとしている人肉の森へと向かいました。何故彼が人里離れた……いえ、ゾンビ里離れたでしょうか。こんな不便なところに住んでいるかと言いますと、いくつか理由があるそうです。確かに、旧世界の文明の遺産を調べるためには、そちらに近いところへ居を構えたほうが便利だったでしょう。けれども、それでは今現在彼が庇護を受けているアビシャグさまから変に疑いをかけられかねませんし、何より、人肉の森にいれば、南の砂漠に生きた人間が現われた場合、真っ先に会うということが出来ます。シェロムさんはそのように道すがら説明しましたが、実をいうと他にもうひとつ彼には理由がありました。


 スミスとトマスとバリーにレイプされ、自殺したミシェル……シェロムさんは彼女と彼女の父親、それにレオンのために森の中にお墓を立てていました。シェロムさんはこの人肉の森という名前の似合わない美しい森にいると、奇妙な話、このゾンビと死の支配する異常な世界で、唯一正気を保てるような気がしたのです。もちろん、せっかく美しい自然に囲まれていながら、思いだされるのは、忌まわしい、呪わしいような人間の罪性の記憶のみです。けれど、それもまたある種の<戒め>として、シェロムさんはミシェルの墓近くに立つ時――人間として一番大切なことはなんなのか、思いだせるような気がするのでした。


 もっとも、シェロムさんはこうしたことを悠一くんに話しはしませんでした。もしハヤテやヤチヨがいなかったとすれば、ミシェルや彼女の父、そしてレオンの墓前にいた時にでも、ある種の感傷から、そんな自分の本心を洩らしていたかもしれません。けれども、下手なことを話せば、彼らは王城へ戻った時、すべてをアビシャグさまに報告するでしょう。そういった用心があったため、シェロムさんはうっかり変なことを口走らないようにと注意していました。こうしたゾンビたちは一見お馬鹿なように見えますが、なかなかどうしてやり手なのです。その最たる好例が、西の国のハゲロウさんだったといって良かったでしょう。実は彼は、ああ見えて西の国の参謀本部議長として、諜報活動の一切を取り仕切っていたのですから。


 そのようなわけで、見た目は人あたり……あるいはゾンビあたりでしょうか。ゾンビあたりが良いように見せかけながらも、シェロムさんは決して油断していませんでしたから、ハヤテとヤチヨとも普通に話しているように見えて、彼はこのふたりに心を許すということは決してなかったと言えます。けれども、それとは逆に悠一くんのほうでは、ハヤテとヤチヨとすっかり仲良くなっていました。ふたりとも忍者ゾンビとしては、南の国において十指に入るということでしたが、悠一くんはあまり本気にしていませんでした。もしかしたら、西の国でお笑いに触れすぎたのがよくなかったのかもしれません。悠一くんは彼らが冗談か何かでコスプレしているのだろうと、そんなふうに信じていたようです。


 なんにしても、ゾンビたちは見た目はみな似たように見えますが、じっくり話してみたり、あるいはしゃべれないゾンビであるなら、彼らのことをよく観察していますと、その<個性>には物凄く違いがあるということをまたも発見して、悠一くんは驚いていました。


 まず、ハヤテはナルシストなゾンビで、その上ちょっとおっちょこちょいでした。ノリツッコミで言うなら、ハヤテがボケで、ヤチヨがツッコミといったような関係性です。


 人肉の森に到着した翌日、シェロムさんの丸太小屋で悠一くんは目覚め――外の緑あふれる世界へ朝早く出てみますと、悠一くんは心が洗われるような清々しさを心から味わいました。旧世界の遺跡群を散策している時も、緑というのは結構目につきます。それに、人がいなくなって相当の時間が経っているためでしょう、草花はもう我が物顔であちこち伸び放題です。けれども、ここの人肉の森の森林は……旧遺跡で見るどこの緑とも違っていました。なんというのでしょう、悠一くんにも表現するのが難しかったのですが、緑の葉っぱのひとつひとつが力強く生命力に溢れ、とても瑞々しいのです。それを見て悠一くんは、シェロムさんが何故ここにずっと住まいを構えているのか、理由をはっきり言われなくてもなんとなくわかったものです。


 そして悠一くんが泉のほとりへ行こうと思っていますと、外で寝ずの番をしていたハヤテとヤチヨがついてこようとしました。シェロムさんの丸太小屋は、湖のほとりに位置していて、そこから水を引いてきて、小さな泉になっているような場所があるのです。シェロムさんは丸太小屋の中にも水を引いていましたから、屋内でも顔を洗ったりすることは出来ます。けれども、悠一くんは鏡を映したように美しい泉で顔を洗ってみたいと思ったのです。


 すると、すぐそばに立っていたハヤテもまた、身づくろいをはじめました。彼は水を使うとむしろカビなどの細菌が繁殖してしまいますので、常に携行している消毒スプレーを体中にふりかけるのです。


「ヤチヨも、もうちょっとくらい身だしなみに気を使ったほうがいいでござる。そんなんじゃ殿方ゾンビたちにモテないでござるぞ」


「モテなくて結構。っていうより、死んでまで男にモテたいとか思ってないしね。それに、消毒液なんかかけたりしたら、蛆虫の五郎太やお雪たちが死ぬ。ゾンビは不潔なのが常識!それに、死んだあとになってまで綺麗も汚いもあるもんか」


 ハヤテは接着剤でくっつけた黒い頭髪のカツラをサッサッと櫛で手入れして綺麗にしています。もう死んでいるのでフケも出ないのではないかと思われましたが……何やらカツラと元の地肌の接着面はべとべとして不潔そうでした。でももうゾンビなので痒みもまるで感じません。


 ヤチヨもまた、茶髪の綺麗な髪をしていましたが、何故か身だしなみに気を使ってるはずのハヤテよりも、とても綺麗で清潔な感じがます。また、彼女は忍術に使うために、自分の体内に蛆虫を飼っているのですが、他のゾンビたちよりも皮膚の表面が不思議と綺麗であるように見えました。


「……ヤチヨって、蛆虫に名前つけてるの?」


「まあな。みんなわたしの腐肉を食らい、丸々太って元気だ。何匹かはこれまでに忍術で使って死んでしまったが、わたしは自分の体にわいた蛆虫が一番可愛い。名前をつけるのは当然のことだ」


「へえ……」


 悠一くんの元いた世界、あるいは生きた人間の価値観としては理解不能ですが、それでいて悠一くんにはなんとなくわからないでもありません。こちらの世界にも犬や猫はいるのですが、消毒液でいくら隠そうとしても隠しきれない独特の臭みのせいでしょうか。犬や猫などは基本的にゾンビに近寄ってきませんし、またゾンビのほうで下手に触ろうとすると、噛まれて終わるということが多く……また、ネズミなどはゾンビたちの天敵といって良かったでしょう。また、猫は滅多にゾンビに懐きませんが、そのような理由によって大抵の場合、ゾンビたちの住む家屋には最低でも一匹、猫が飼われていることが多いのです。


 ですから、「自分に懐く、何か可愛がれる小さい生き物」となると――自分の体にわいた蛆虫くらいしかいなかったのかもしれません。


 とにかく悠一くんはこの時も、ゾンビたちの情のこまやかさというのでしょうか。ヤチヨのそうした性格の優しさに注目していました。ハヤテは「そんなことじゃモテない」というように言っていましたが、きっとヤチヨは生前ものすごくモテたでしょう。悠一くんはそんなこともなんとなくわかる気がしました。


 一方、ハヤテはといえば、生前もきっとモテなかっただろうな……と、悠一くんはそう見てとっていたかもしれません。何故といって、しょっちゅう懐から手鏡を取りだしては自分の顔を見、「拙者はこう見えてもゾンビたちの中ではシュッとしているほうでござる」などと言っていたからです。


(ゾンビにもナルシストっているんだ……)


 そう思って悠一くんは軽く引きましたが、けれどもそれでハヤテのことを嫌いになったとか、そういうことではありません。こんなにもゾンビたちに色々と個性があるということ……もちろんそれは生前の性格が影響してのことなのでしょうが、悠一くんはその点が何よりとても面白いと思っていたのです。


 この日、悠一くんはシェロムさんに連れられて、森の中を案内してもらったのですが――当然その後ろからはハヤテとヤチヨのふたりがついてきました。悠一くんは森の中を散策しているうちに、もしこのままこの世界から元の世界へ戻ることが出来ないなら、自分もここで暮らしたいと思っていたかもしれません。途中で鹿やリスやキツネなどにも会いましたし、湖にはマスも住んでいるそうです。また、シェロムさんは丸太小屋近くの土地に畑を作っていましたし、悠一くんはそうした畑作業を手伝っているうちに……(こういう生活をしてみるのもいいかもしれないな)とぼんやり感じていたほどでした。


 そして、夕方になって食事を終えると……ハヤテとヤチヨはその前から小屋の外に立っていたのですが、シェロムさんはちょっとした打ち明け話をはじめました。つまり、自分がこれまでに調べた旧世界の研究したことや、今取りかかっている飛行船のことなどです。


「そういえば、アビシャグさまがホバークラフトに乗っておられてびっくりしたんですよ。それも、宙に浮いてましたから……こちらの世界の人は、二酸化炭素と水さえあれば無限にエネルギーを生じさせることの出来る装置を開発したって聞いたんですけど……それでいくと、今も色んなものが稼動している理由もわかる気がするんです」


「そうなんだ、ユーイチ。永久運動機関というのが、こちらの世界にはあって……そこに二酸化炭素と水さえ送れば、本当に無限にエネルギーを生み続けることが出来るんだ。私より少しあとにこちらの世界へ迷いこんできたヨハン=ウーレンベックという科学者がいて――彼も第二次世界大戦中、泰緬たいめん鉄道でひどい目にあい、おそらく自分は死んだのだろうと思ったらこちらへ来ていたということだった。彼はオランダ人なんだが、この世界が何によって成り立ち、構成されているのかに強い興味を持ち、ずっと超高層ビルにひとりで暮らしているという人だ。もちろん、ここのゾンビ世界が東西南北の四天王によって統治されているということは知ってる。だが、そんなことにはまるで興味ないんだね。ユーイチ、私はそういった生きた人間たちを何人か知っている。それで、お互いに時々会って情報交換してるんだが、ヨハンはエネルギー関係のことやこちらのマテリアル的なものが私たちが元いた世界とどう違うのかとか、そういうことに興味があって調べてる。で、僕は、飛行船とかホバークラフトとか、空を飛ぶことの出来る乗り物に夢中になっていてね。ユーイチ、君も知ってるだろう?雲の上に蜃気楼のような城があるのを……私はね、あそこまで近づけるような飛行物体をどうにかして造りたいと考えているんだ」


 ここでシェロムさんは、用心するように、窓の外のほうへちらと視線を向けました。ハヤテとヤチヨは丸太小屋のドアの前で見張りに立っています。ゾンビは疲れ知らずですので、交代で休憩を取る必要さえありません。この距離感で、間にドアや壁があってなお……実をいうと彼らがこちらの会話を聞くことが出来るのではないかと、シェロムさんは用心していました。何故といって、大抵のゾンビには眼球がありませんが、彼らは間違いなく物を見て判断していますし、それは一体どういった<見え方>なのか、科学的な説明によってはよく理解できません。それと同じように、実はゾンビはかなり離れた遠くの場所の物音でも聞くことが出来るのではないか――という疑念を、シェロムさんは捨て切れなかったのです。


 けれども、ハヤテやヤチヨの性格的なことも考えて、おそらくは大丈夫だろうと最終的に判断することにしていました。


「えっと、でもなんかあそこへは、ゾンビ四天王の持つ宝物ほうもつを揃えた時に竜が現われて、それで救世主メシアだけがそれに乗ってあの雲の上の城まで行けるとかって……」


「その伝説のことは、もちろん私も知っている」


 シェロムさんは、試験段階の飛空艇の設計図などを悠一くんに見せてくれました。おそらく、飛空艇を建設するための材料などは、旧世界のどこかを探せばあるということなのでしょう。


「アビシャグさまは君がこのゾンビ世界を救う救世主かもしれないと言っていた。もちろん私も、それが誰でもいい、この世界を変えてくれる誰かがいてくれたならと願っている。けれど、西の王と南の女王の宝物だけならともかく、北と東の王の宝物までっていうことになると……それこそ、死ぬ思いをすることになるよ。私はね、悠一くん。君がもし救世主であったらそれは嬉しい。なんでも協力したいとも思う。でも、一方でやっぱり、君みたいな子をそんな危険な目に会わせたくないし、会って欲しくもないんだ。だから、この飛空艇をなるべく早く完成させて――この世界の源に触れる秘密に近づきたいと考えてる」


「そのこと、アビシャグさまは……?」


 悠一くんは、再びアビシャグさまと相まみえた時に、そのことをうっかり話してしまうかもしれないと思い、一応先に聞いておくことにしました。


「いや、まだ話してはいないよ。でも、いずれは話すことになるだろう。こんな大きな乗り物を造るからには、作業員としてゾンビたちの力も借りなくてはならないからね。あともう少し……本当にあともう少しなんだ。そしたら、建造に取りかかれると思う」


 実際のところ、シェロムさんはこう言っておいて良かったでしょう。何故なら、ヤチヨは蛆虫の一匹を家の中に置き、そしてもう一匹を自分の耳に入れて、丸太小屋の中の会話を聞いていたのですから。


 実をいうと、シェロムさんはすでに、飛空艇を部分的に造りはじめていたのですが、そのことは誰にも秘密にしていました。唯一、ヨハン・ウーレンべック以外には……。


「なあ、ハヤテ。ユーイチのことをおまえはどう思う?」


「ユーイチでござるか?いい子というか、いい生きた人間の男の子ではないかな。近年稀に見る……といっても拙者はそうたくさん生きた人間に知り合いがいるわけではござらぬが」


「…………………」


 ヤチヨは一度黙りこみました。どうやら、自分が悠一くんに感じる気持ちと、ハヤテの感情には違いがあるようだと察したからでした。


(わたしだってもちろん、そんなに多く生きた人間のことを知っているわけではない。だが、ユーイチはそのうちの誰とも違う気がする。そして、それであればこそアビシャグさまも、彼に忍者十一人衆である我々をわざわざ護衛につけたのだ……もちろん、こんなところまで北や東のゾンビの間諜がやって来ることはない。そういう意味では安心だが、それでも今後、何か危急の際にはわたしのこの死体にかえてもユーイチのことは守らねばなるまい)


 そしてヤチヨ自身、この時とても不思議でした。これまでも、国の要人を警護するといった仕事は何度となくありました。けれども、悠一くんに対しては何かが違うのです。仕事への義務感から任務としてそうせねばならないといったことではなく……むしろヤチヨ自身が自らそうと望んで、ユーイチくんのことは自分の死体を犠牲にしてでも守ってあげたいと感じるのでした。


 ヤチヨはそのことを思うと、すでに冷たくなった心臓が何故だかあたたかくなってくるような気がして――てっきりハヤテも同じ感情を覚えているのではないかと思い、悠一くんのことを聞いたのでしたが、脇の下に消毒液を噴きかけているハヤテのことを見て、(どうやら違うらしい)とわかったわけです。


(なんだろう、この、胸の底からわきあがってくるような、あたたかい気持ちは……このためなら、自分の脳髄を潰されて第二の死を迎えようとも、十分満足だと確信できるこんな気持ちは……)


 これまで活動してきたゾンビ人生において、ヤチヨがこんなふうに思ったのは、唯一アビシャグさまと、仲間の忍者たちに対してだけでした。そして、こんな出会って間もない生きた人間の男の子に母性のようなものを感じるだなんて――ヤチヨには、ゾンビになってから初めてのことだったのです。




 >>続く。






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