第2章
悠一くんの窮状に対して、ゾンビたちは非常に協力的でした。翌日、朝陽がのぼるのと同時に、一緒に食糧や水を探してくれると言いますし、昔、シェロムさんがいた頃に使っていたという電気の使い方も教えてくれました。
もっとも、この電力がどこからやって来るものなのか悠一くんにはわかりませんでしたし、いつまでも永遠に電気がつき続けるとは限らないとも思っていました。そしてこの時、ゾンビたちの記憶力の良さにびっくりしたかもしれません。話をしていて気づいたのですが、彼らは自分たちがゾンビになる以前の記憶がないかわり、その後に蓄積した記憶のことでは、何一つとして忘れることがないようだったからです。
(人間の脳細胞は大脳で数百億個、小脳で千億個、脳全体では千数百億個って言われるらしいけど……そして人間はその一部しか使ってないとかって……でも、もしこの脳の全領域を使えるのだとしたら、記憶というものがずっと永続するってことになるんじゃないだろうか。でも、実際は彼らの脳っていうのはなんかぶよぶよに腐りはじめているんじゃないかっていうふうにしか見えないんだよな……)
このあと、大分経ってからのことですが、このことについて悠一くんはある仮説を立てました。ゾンビたちというのは言わば、肉体と精神の結合した存在だ、ということです。腕や肩や足など、体のどこを傷つけられても痛みは感じませんが、突然誰か他のゾンビにそのようなことをされれば、やはり心が傷つきますし、場合によっては体の一部がなくなったことよりもそちらのほうを悲しむことがあるということでした。
そして、このゾンビたちにも<第二の死>というものがあり、悲しみのあまりそのまま動かなくなってしまうゾンビもいましたし、やはり映画のゾンビたちと同じく、脳を潰されても生きていられるゾンビは流石にいない、とのことでした。けれどもこの話をしていた時、傀儡師のおやっさんは「じゃが」と言いました。
「わしが思うにはな……それもやはり、意志の問題なんじゃ。わしらは何かのことで動けなくなったゾンビのことを、<第二の死を迎えたゾンビ>と呼ぶ。おめさんにはわしがこんなこと言うても「なんのこっちゃら」と思うじゃろうがな……もしわしの体が全部なくのうてしまって、ほんの爪先ほどの肉片しか残らなかったとしても……わしがもしそれでも『自分は生きとる』と信じられるなら、わしはそこからおそらく甦ってこれるじゃろう。じゃがまあ、わしにも、他の大抵のゾンビにもそれは無理じゃ。その過程のどっかで必ず『自分はもう動けない』と思う……ないしはそう信じ込む。それがわしらゾンビが<第二の死>と呼ぶものなんじゃ」
傀儡師の親父はこの話を、『あんなに雑というか、適当に糸で縫ったくらいで、何故ゾンビたちの腕や足はやがてくっついて動くのですか?』と悠一くんが聞いた時にしていました。その論理でいくとようするに、傀儡師の親父さんが適当に縫いつけただけでも、ゾンビ自身が『これで自分はやがて腕を動かせる』、『足を動かせる』と信じているから、それで彼等は治るのだということになります。
「ふふん。心っちゅうもんは不思議なもんじゃて、悠一くんよ。わしはたまにな……あの雲の上に浮かぶ城が、ゾンビたちの魂が天国へ行くための扉かなんかじゃなかろうかと思うことがある。ま、無論そんなことではないのだろうがな」
実をいうと病院の屋上からあの雲に浮かぶ城を見た翌日、悠一くんはこんな夢を見ていました。自分が竜のような生き物に乗って、あの雲の上に浮かぶ城まで飛んでいく……といったような夢です。眼下はすべて雲海で、夢の中でのことですが、悠一くんはそれこそ夢心地でした。その竜は全身真っ白くて、白銀の鬣のようなものがあり、悠一くんはその鬣にしっかりと捕まっていたのでした。
(でも現実には……あんなに高度の高いところを竜が飛んでいて、その鬣に捕まってるだけというのでは、すぐに振り落とされてしまうだろうな)
悠一くんはその時見た夢があまりに美しく神秘的なものだったので、誰にも言うつもりはありませんでした。第一、ライダースーツゾンビや傀儡師のおやっさんにこんなことを話したところで、理解してもらえるとは思えませんでしたから。
けれど、傀儡師のおやっさんに今の話を聞いた時、やはりこう聞いてみることにしました。「もしかして、この世界のどこかには竜がいたりしますか?」といったように。
「おめさん、何故それを知っとるね」
傀儡師のおやっさんが物識りで、なかなか薀蓄のある人物であることに悠一くんがよく感心するように、この時は傀儡師の親父のほうが驚いたようでした。
「おめさんの元いた世界にも、もしかして竜がいたりするんかね?」
「いえ……僕が元いた世界では、竜というのは人の心の中にだけ存在する生き物でした」
(あ、でも恐竜っていうのは遥か昔に存在してたから……)と、悠一くんが考えていると、ストレッチャーに乗って運ばれてきたゾンビを治すために、傀儡師のおやっさんはまたノミを手にしていました。
悠一くんが見ていると、こうしたゾンビの<急患>は昼夜問わずしょっちゅうひっきりなしにやって来るのですが、ずっと見ているうちに悠一くんはあるひとつの不思議な現象に気づいたかもしれません。何分、<急患>といっても彼らはもう痛みというものを感じることがないのです。にも関わらず、生前の習慣がそうさせるのかどうか、ゾンビの中にはたまに、ある小芝居を打つ者がいました。つまり、実際はもう死んでいるのに、「俺はもう死ぬ」といった演技をしてみせたり、苦しんでいる振りをするゾンビが結構存在していたということです。
この時、仲間のゾンビたちに運ばれてきた黒くて長い髪の男のゾンビも、傀儡師のおやっさんが太腿の根元が潰れかかっているのを修復する間――その途中で激痛に耐えかねるとばかり、ガクリ、と首を肩の右に落としていたものでした。ところが、おやっさんが「終わったぞよ」と言ってその頬のあたりをはたくと、今度は実にピンピンした様子で、スキップしながら診察室を出ていくのでした。
「さて、と。さっきおめさんの言っとった竜のことじゃがな……なんでも、その竜が甦るためにはゾンビ四天王が持っておる宝物が必要らしい。ほんでな、相手からそれを奪うために、四天王の間では昔はよく戦争が起こっとった。ところがじゃな、南の女王アビシャグは西の王のゴロツキングと同盟を組んでおって、北の王ドルトムントが西の国へ攻め込んだような時には南の女王が加勢することになっておるわけじゃ。ほんだもんで、四天王が相手の領地を圧倒して我が物とし、ボスの頭を潰して宝物を奪うための戦争といったことは、ここ百年くらいずっと起こっておらんわけじゃな」
「えっと、東の王のアーメンガードというのは、どうなんですか?」
その昔、北の王ドルトムントに仕えていたことのあるライダースーツゾンビの話では、北の王ドルトムントというのは残虐な王で、ゾンビたちに恐怖政治を敷いているということでした。その国と隣接している東の国の王はどのくらい強いのだろうと、悠一くんはこの時ふと思ったのです。
「アーメンガード王はなかなか守りの堅い王でな。しかも、おそらく他の三人のゾンビの王や女王の中でもっとも賢い。もしドルトムントが国境を破った場合には……なかなか痛い目を見ることになるじゃろうな。たった三百体のゾンビ兵で一万人ものゾンビ軍を破ったことがあるというのは、今でもわしらの間で語り草になっとるくらいだからの」
「…………………」
悠一くんは黙りこみました。話として聞いていて思うに、どうやら四天王の間では、この東のアーメンガード王が一番まともそうでした。なんでも、南の女王のアビシャグは自分の美貌を保つことしか頭にないとのことでしたし(ゾンビにとっての美の基準がどのようなものなのか、悠一くんにはわかりませんでしたが)、西の王のゴロツキングはお笑いが大好きで、自分に優れたギャグを述べる臣下だけを重用しているとの噂だったからです。
「その、東の王のアーメンガードという人……いえ、ゾンビはどんな方なんですか?」
興味を引かれて、悠一くんはそう聞いてみました。北の王ドルトムントにも南の女王アビシャグにも、西の王ゴロツキングにも興味はありませんでしたが、唯一、このアーメンガードというゾンビだけ、「とてもまともそう」なゾンビではないかと、そんな気がしたからです。
「そうだのう。わしも直接会ったことがあるわけじゃないからのう、なんとも言えんが……とにかく自分の城に篭もって「アーメン、アーメン」言っとるようなゾンビだっちゅう話だて。こんないつ終わるとも知れぬ世界でも、いつかは救い主が現われて、自分がその方を必ずお助けするのだと、そう思いこんどるっちゅう話じゃ。だがまあ、アーメンガード王がそう祈り続けてもう数百年もの時が過ぎとるわけじゃな。ま、そんな救い主とやらが一体いつ現れるものやら、まったく気の遠くなるような話だて」
ちなみに、傀儡師のおやっさんが自分でも言っていたとおり、ゾンビたちに<時間>という観念はないに等しいといってよかったでしょう。ゆえに、彼らは陽が昇って陽が沈んだ……そのことが何度繰り返されようとも、そのことを「数える」ということがありません。にも関わらず、彼らが「あの戦争があったのは何百年前のことだったかの」といったように話す場合、ゾンビ暦1019年といった年号はないかわり、彼らの間では不思議と「そうそう。あれは四百年くらい前のことだったっけな」という具合に「大体のところ」時の観念というのは一致するもののようでした。
「……それで、その……救い主と竜というのは何か関係があったりするんですか?」
「さてな。なんでも伝説では、竜に乗ったメシアがわしらゾンビたちをいつかこの<死の世界>から解放してくれるとかなんとか。じゃがまあ、わしにはそんなことはおよそ不可能なことであるように思える。というのもな、竜を甦らせるにはゾンビ四天王の持つ宝物が必要になるじゃろ。ということは、このゾンビ四天王を殺すか、殺す寸前くらいの目に合わせてその宝物を奪うしかないということだて。そんなことの出来るもんがなあ、この世界のどこかにいるとは、わしにはとても思えん」
もちろん、この話を聞いても悠一くんは、とても神秘的で不思議な夢を見たからといって、自分がその救い主だといったようにはまるで思いませんでした。けれども、東のアーメンガード王には何か心惹かれるところがあり、もしゾンビ四天王の中でどうしても誰かひとりだけ会わなければならないとしたら、彼がいいのではないかと思ったのです。
「あの、これはあくまで興味本位で聞くんですが……東のアーメンガード王とお会いしたりするということは出来るものなのでしょうか?」
悠一くんが今のところ会ったことのある<言葉を話せるゾンビ>は、ライダースーツゾンビとこの傀儡師のおやっさんだけでしたから、どう考えても色々なことについて知識不足にならざるを得ませんでした。ライダースーツゾンビもアーメンガード王のことは「何も知らない」と言っていましたし、その理由というのが、東の国のゾンビは自分たちのことを<選ばれたゾンビ>だと思っていて、国の高い城壁から出て来ることがほとんどないという、そのせいらしいのです。
「まあ、まず難しいじゃろうな。それでもおめさんが生きた人間ではなくて、せめてもわしらと同じゾンビであったとしたらば、『アーメンガード王に永遠の忠誠を誓いに来た』と門番に言えば、いつか会える機会がなくもないじゃろうが……なんでもな、その昔、おめさんと同じような生きた人間さまが『アーメンガード王に永遠の忠誠を誓いに来た』と言って内部に入りこんだことがあったそうじゃ。で、アーメンガード王も彼のことが気に入った。ところがじゃな、その生きた人間さまは北の王ドルトムントの間者で、高い城壁の内部がどうなっているか、詳細に調べておったそうじゃ。城攻めを慣行しようとするたびに長年煮え湯を飲まされてきたドルトムントは、そのような奇策に出たわけじゃな。いつもはアーメンガード王の奇策を喰らって敗走してばかりいるだけに……」
「その、僕と同じ生きた人間の方というのは、どうなったんですか?」
「一等、残虐な方法で処刑されたそうじゃ。手足を切り離され、目玉を抉られ、鼻をそがれ……それでもその裏切り者はまだ生きておったそうじゃ。そこでな、十字架にかけて最後はカラスどもにその肉塊をついばませたという話だの。以来、アーメンガード王は生きた人間さまのことを激しく憎むようになったそうじゃ。自分の国内にいた生きた人間たちのことも外の世界へ追放し、なんでも話では今東の国にはゾンビしか住んでおらないそうじゃが、わしはそれはあの賢い王にしてはちと愚かなことでなかったかと思うとる」
「えっと、何故ですか?」
アーメンガード王に会ってみたいという思いが急速に遠のきつつ、悠一くんはそう聞きました。
「だって、そうじゃろうが。もしこの世界を救う救世主がいるとしたら、わしはな、それはわしらゾンビの中から出るのでなくて、悠一くんが元いたっちゅう外の世界からしか現われないと思うておるからな。死者では死者を救えんよ。もしわしらゾンビを救いうる存在がおるとしたら、それは悠一くんみたいな外の世界から来た生きた人間さまであろうと、わしはそう思うちょる」
「…………………」
悠一くんはこの時また不思議な気持ちになりました。自分と同じように元の世界から飛ばされてくる<生きた人間>が時々いるのに対して――こちらの世界のゾンビが自分が元いた世界のほうへ飛ばされてくることがないのは何故なのだろうと思ったのです。けれども、こうした謎については考えても詮ないことですし、悠一くんはなんにしても、『自分が日一日生き延びること』をまずは優先させるべきなのだろうと、この時もそう思っていました。
そこで、かつては非常に繁栄していたらしい都市部へゾンビたちにバイクに乗せてもらい、毎日食糧を探しに出かけていきました。水のほうは、かつてその昔、シェロムという人がいた時に掘ったという井戸が近くにあって、その水は今も安全に飲めるようでした。また、毎日悠一くんがそのように食べられる物を求めて出かけていくもので、ゾンビたちにもすっかりそれが習慣化してしまったようです。
つまり、悠一くんがわざわざ出かけていかなくても……かつて生きていた頃の記憶があるせいでしょうか。ゾンビたちは缶詰といった食糧をあちこちから探しだしては、寝ている悠一くんのベッドの横に山のように積んでいくようになったのです。
悠一くんの見たところ、ゾンビたちはみなとても善良でした。何分、彼らはライダースーツゾンビや傀儡師のおやっさんのように言葉をしゃべったりはしないのですが、大体のところジェスチャーで会話しただけでもお互いに十分<通じる>ものがありました。それはどういうことかというと、以前、悠一くんが黄色いデイジーのことで少女ゾンビたちにお礼を言うと、彼女たちは実に恥ずかしそうにはにかんでいたものでしたし、悠一くんが傀儡師のおやっさんを手伝って、腕の千切れたゾンビを治療してやった時には……翌日たくさんの缶詰が百個ほど、悠一くんのベッドの横にはピラミッドのように積んであったものでした。
これは悠一くんにははっきり確かめようのないことでしたが、ゾンビたちはみんな彼のことが好きなようでした。そこで、彼がどこかへ出かけるとなると、みんなこぞって一緒についてきました。傀儡師のおやっさんのいるゾンビたちの<中立地帯>は南の女王アビシャグと西の王ゴロツキングの領地の間にある場所で、昔はオフィス街だったらしく、六十階以上もあるビルが林立していました。しかも、その間を複雑な形で高架線が走っており……これはあくまで悠一くんの想像でしたが、エアカーやエアバイクといったものがかつて昔、ここの進んだ文明では使用されていたのではないかと想像されるほどでした。
また、建物自体、最初遠目からはわかりませんでしたが、悠一くんが元いた世界の建築物とはまったく違う素材で出来ているように見え、とても不思議でした。しかも、大抵の建物に入口というのか、玄関と思しきものが存在しないのが特徴で、最初悠一くんが戸惑っていますと、ライダースーツゾンビがどうすればいいかを教えてくれました。
「ええっと、確かこのへんにだな……」
ライダースーツゾンビが壁を手探りしていると、何かのスイッチに彼のボロボロの皮膚の手が当たりました。そしてそのスイッチを押すと空中にパネルのようなものが現われ、ライダースーツゾンビはそこを何か適当にぽぽんのぽん!と打ちます。すると玄関の扉が現れるではありませんか!!
「えっとこれ、今の一体どうやったの?」
「さあ……俺にもよくわからんのよ。とにかくな、こういうタイプの建物に入りたかったら、ユーも同じようにしてみなよ。とにかくそれで開くはずだからさ」
正直、悠一くんは自分が元いた世界のどのセキュリティシステムよりも、ここのセキュリティシステムというのか<鍵>は開きずらいと思ったのですが、確かに、建物をぐるっとまわって壁を探り、何かのスイッチを押す、そして次に空中に現われたパネルを適当に押すと勝手にドアが開くといったシステムのようでした(おそらくその昔は、暗号といったものが必要だったのでしょうが、長い年月のうちに意味をなさなくなったのかもしれません)。
傀儡師のおやっさんもライダースーツゾンビも、今のこの世界になってから数百年は経っている……といった話を何度かしていたのを悠一くんはもちろん覚えていました。ということは、です。この相当進んだ未来都市が滅んでから、当然そのくらいになるはずだと悠一くんは思ったのですが、どの部屋も不潔ということもなく、驚いたことにはそんなに埃といったものも積もってないのが不思議でした。
そうした場所で悠一くんは、かなり変わった姿かたちの冷蔵庫を見つけては中のものを漁り――自分の口に出来そうなものを数日分、持ってくるということにしたのですが、やはり(何か変だ)との違和感を拭えなかったものです。というのも、冷蔵庫に供給されているであろう電力といったものがあるはずですし、数百年前に滅んだというのであれば、当然その大元となる電力源も枯渇しているはずだからです。
(えっと、なんだっけ……僕が昔読んだことのある空想科学小説で、二酸化炭素と水さえあれば、いつまでも永久にエネルギーを生みだせる装置っていうのを開発した科学者がいて……ようするにここの文明もそのくらい何か無尽蔵にエネルギーを生みだせるなんらかのシステムが存在していたってことなんだろうか)
また、ここまで高度に発達した文明が滅んだのが何故なのかも悠一くんには謎でした。
(もしかして、生きている人がゾンビになるという奇病が流行したとか、そういうことなんだろうか?これもまた僕が昔読んだことのあるSF小説で……人類が細菌で滅んじゃうっていう話があったっけ。つまりこの場合、あくまでもたとえばだけど……放射線みたいな目に見えない形でその細菌に感染すると、だんだん人はゾンビ化していくっていう、そういう細菌を開発した科学者がいて、それを軍事用に敵国に使用したとしたら……)
悠一くんはそんなことも夜寝る前に考えたりしましたが、結局のところ最後には、「ふーっ」と溜息を着き、ただ瞳を閉じるしかありませんでした。なんにしても、今彼にとって重要なのは食べられるものが旧文明(悠一くんは仮にそう呼ぶことにしました)世界にどうやらまだ随分と残されているらしいという、そのことだけです。その中には悠一くんが口にしたことのないものも多くあり、「とりあえず冷蔵庫に入ってたんだから食べられるだろう」と思い、銀色のビニール袋に入ったものをいくつか持ってきたのですが、その宇宙食に似た形状のものは、意外にも腹持ちがとてもよく……これはあくまで悠一くんの想像ですが、栄養のバランスも考えられた食べ物であるようでした(味はみかんやなし、いちごなど、色々あります)。
(そして何より一番不思議なのは)と、悠一くんは思ったものです。(数百年前のものらしい食べ物を今も僕が食べられて腹をくだしたりすることがないってことかもしれない)
「とりあえずなんともないから」という理由によって、悠一くんは旧文明世界の食べ物を捜索しつつ、他にも色々なところを探索し、自分はこのゾンビ世界でも生き延びることが出来るらしいと確信してからは、実にほっとしました。またその過程でよく他のゾンビたちにも出会いましたが、他のゾンビたちも大抵がフレンドリーで、最初は物陰から恥かしそうに悠一くんのほうを見ていることが多かったものです。そして、ライダースーツゾンビが「ヘイ、ユー!どうしたんだい?」と声をかけたりすると、そのゾンビは照れながらこっちのほうへやってくるといったような具合でした。
また、何故なのか、というのは悠一くんにもわからないのですが、こうしてゾンビたちと一度<知り合い>になると、大抵そのまま彼や彼女たちはそのままついてきました。そうしてゾロゾロと新しいゾンビがやって来ても、元いたゾンビたちと何か喧嘩になるでもなく、みな極めて平和的に共存して暮らしていたのです。
悠一くん自身はまったく意図してなかったことですが、こうしていつの間にか南の国と西の国の境にある中立地帯のゾンビたちは――ひとつの群れとしてまとまり、知らず知らずのうちに悠一くん自身がまるでこの群れのリーダーのようになっていました。ゾンビたちは眠ることも疲れることもないため、いつも暇を持て余しています。そこで悠一くんは「遊ぶ」ことが大好きな彼らのために、色々な遊びを考えだしてあげました。
たとえば、中立地帯の端にスタジアムがあるのを見て、悠一くんはまずそこでゾンビたちに野球やサッカーを教えてあげました。もっとも、彼自身は小さい頃から勉強ばかりしていてスポーツ系の部活動といったものは一切したことがないのですが、テレビで試合の中継を見るのは好きでしたし、ルールくらいは知っていたからです。また、黄色いデイジーの花をくれた少女ゾンビにゴム跳びを教えてあげたところ、このゴム跳びは女性のゾンビたちの間であっという間に広まり、大変な流行になりました。
また、悠一くんは食糧調達中のある時、細長い紐状のものが大きな倉庫の床に落ちているのを見つけ――ゾンビたちに縄跳びを教えてあげたこともありました。そして、ひとり、ふたり、三人、四人……と実に器用にゾンビたちは縄の間に入っていつまでもずっと長く跳び続けていたものです。ゾンビの数が十人を越えても、誰も縄に足を引っ掛けないのを見て、ライダースーツゾンビは「♪ヒュウ」と口笛を吹き、その様子を傀儡師のおやっさんと感心して眺めていたものでした。
どうやらこのゾンビたちというのは、自分たちに<暇つぶし>を与えてくれる人に懐く傾向があるらしく、今ではもう悠一くんが朝目を覚ますとどんな<遊び>の指令を彼が出してくれるかと、楽しみに待っているようでした。悠一くんはその度にだんだん頭が痛くなってきましたが、そんな時、西の王ゴロツキングからゾンビの使者が遣わされてきたのです。
その西の王から遣わされてきた使者は、中立地帯のあたりを呑気にぶらついているといったタイプの、このあたりのゾンビとはまったく違っていました。体中に刺青のようなものが入っており、頭のてっぺんはゴムで一本に縛ってあります……とまあ、こう書いてしまうと特に何も面白いところもなかったでしょうが、その刺青の入り方というのが何やら特徴的でしたし、頭の髪のほうははっきりカツラであることがわかるという、何かそんな感じなのです(というのも、顎のところにヒモで留めてありましたから)。
そしてその西の王からの使者は、開けっぱなしにしてあった診療室のドアのずっと向こうから――廊下をこんな調子でやって来たのでした。
「♪ビヨヨ~ン、バシッ!!ビヨヨ~ン、バシッ!!『俺をぶつのは一体誰だい?』(ここでカツラの顎ヒモを引っ張り、自分にまたぶつける)アウチッ。ひどいじゃないか、俺にこんなことをするなんて!!オマエなんかもうクビだっ!!『へへっ。いいのかい?そしたらおまえの見事なハゲがあらわになっちまうぜ』ふんっ、そんなこと知ったことかっ!!」
こうして、西の王からの使者は傀儡師のおやっさんと悠一くんの前までやって来て、床に自分のカツラを投げつけたのです。
「あら、イヤ~ン!俺のズガイコツ、丸見えだぜっ!!」
そう言って西の王の使者は、頭蓋骨の見える自分の頭部を指差しました。悠一くんはあまりのことに呆然としましたが、傀儡師のおやっさんのほうではもう大爆笑です。
「ぎゃっはっはっはっ!!ハゲロウよ、おぬし、相変わらずじゃなあ。どしたい?西の王がまた何かわしに用でも?」
悠一くんが微苦笑しつつ、ハゲロウさんという名前のゾンビのカツラを拾い上げると、「かたじけない」と言ってハゲロウさんは悠一くんからカツラを受け取り――ピタリとそれを装着すると、ゴム紐のところを微妙に調節しました。
「ええとですな、傀儡師殿……」
そう言って、ハゲロウは傀儡師のおやっさんの隣にいる悠一くんのことをじっと見つめました。
「あの、僕の顔に何か……」
ゾンビたちは大抵目玉が腐敗の過程で溶けてなくなってしまうのですが、がらんどうの黒い眼差しに見つめられることに、悠一くんは今でもなかなか慣れません。
「わしのギャグ、そんなにおもろなかったんかいのう」
悠一くんのほうにもその声は丸聞こえではありましたが、ハゲロウさんは傀儡師のおやっさんの耳元にそう小声で聞いていました。
「あ~、それはだな……悠一くんは生きた人間さまであるからして、わしらとはお笑いのツボが少々違うっちゅーか、なんちゅーか」
「いえ、とても面白かったですよ」と、悠一くんは礼儀正しくにっこり笑って言いました。「でも、ここは笑っていいところなのかどうかわからなくって、ちょっと堪えたんです」
「<ちょっと堪えた>?」
ハゲロウさんは、その言葉を一語一語区切るようにして言いました。そしてがっくりと肩を落として診察台に座ったのでした。
「……ふう。わしもまだまだ修行が足らないようだのう。ゴロツキングさま配下のお笑い四天王として失格じゃわい」
そこへ、近くをライダースーツゾンビが通りかかったもので、ハゲロウさんは彼のことを手招きして呼びました。
「ヘイ!ユーはハゲロウじゃないか!!久しぶりだなあ、元気にしてたかい?」
「おうともさ。元気だったとも。あんたのほうでも元気そうで何より……」
もうすでに死んでいるのに「元気」も何もない気がしますが、まあ死んでるなりに調子がいいということなのでしょう。そして次の瞬間、ハゲロウさんは「あれを頼む」といったようにライダースーツゾンビに頼んだのでした。
すると、ライダースーツゾンビはハゲロウさんの顎にヒモが引っかかったままであるにも関わらず、それを三メートルほども伸ばしてから、こう言いました。
「ユー、準備はいいかい!?」
「う……ううっ。く、クビもげそう。でもわし、もう死んでるけど死にたいんじゃ。一思いにやっとくれっ!!」
ライダースーツゾンビは次の瞬間、限界まで伸ばしたカツラのヒモを――本当に一思いにハゲロウさんの頭に戻してしまいました。
バシッ!!という物凄く大きな音とともにカツラがハゲロウさんの元まで戻ってくると、大袈裟でもなんでもなく、そのままハゲロウさんは床に五メートルほどもごろごろごろっ!と転がっていきました。これも芸人魂というべきなのでしょうか、ハゲロウさんはその転び方に至るまで、見る人が面白いようにと実に工夫して転がっていったのです。
ところが……傀儡師のおやっさんとライダースーツゾンビとはお腹を抱えて笑っていましたが、悠一くんはきょとんとした顔をしたままでした。というのも、ハゲロウさんがあんまり激しく転がっていったので、体の一部がもげたりしなかったかどうかと、そのことを心配したのです。ハゲロウさんはお笑いを追及するゾンビでしたが、悠一くんは言ってみればお笑いよりも優しさを追求する人だったのでしょう。
そして、悠一くんが心配そうに小首を傾げているのを見て、ハゲロウさんはまたしても敗北感に打ちのめされたのでした。
「わしのハゲネタがここまで通用しないとは……かくなる上は、奥の手のあの最上級のハゲネタを披露するしか……」
ここで傀儡師のおやっさんは、ハゲロウさんの頭を扇子で殴ってからこう言いました。
「それよりお主、わしに何か用があるのじゃろう?それを早く言いんさい」
ここでハゲロウさんは「あ、そーだった!」というように右の拳で左の掌を叩き、突然悠一くんの足許に跪きました。
「このハゲロウ、西の王ゴロツキング様の使者として参りました。是非ユーイチさまに、我が王に一度お会いしていただきたく……」
「ふうむ。そりゃ困ったのう」
傀儡師のおやっさんは困ったようにそう言い、その隣でライダースーツゾンビもまた、同じように困惑した様子をしていました。
「何故といって、悠一くんは今見たとおり、ゴロツキングさまやウフフーミンさまと違って、そんなに笑い上戸ってほどでもない御仁じゃからのう。果たしてお会いしたところで、話が会うかどうか……」
(ウフフーミンさま?っていうことは、女性のゾンビということだろうか)
悠一くんが彼らしくここでも真面目にそんなことを考えていますと、ライダースーツゾンビが言いました。
「ユー、何か手持ちのギャグネタなんてあるかい?」
「ギャグネタですか……」
この時、悠一くんの脳裏にパッと浮かんできたのは……北野たけしさんの「コマネチ!!」でした。そこで受けるとはまったく思わず、悠一くんが突然「コマネチ!!」とやって見せますと、何故かハゲロウもライダースーツゾンビも、傀儡師のおやっさんまでもが大爆笑でした。
「お、おみそれしました……どうりで、わしのような若輩めのハゲネタ程度ではお笑いにならないはずです。どうか、是非我が君にお会いしていただいて、その素晴らしいコマネチ!!を披露してください。よろしくお願い致します」
(なんか変にハードル上げちゃったな……これじゃむしろなんだか逆に会いにくいや)
そこで悠一くんは数秒ほど考えて、こうハゲロウさんに返事しました。
「じゃあ、一か月後くらいにお会いするということでもよろしいですか?ゴロツキングさまにお受けするかどうかはわかりませんが、ギャグネタというよりも、ひとつ王さまの目におかけしてもいいような出し物を用意したいと思いますから……」
この言葉を聞くと、ハゲロウさんは「ではまた、その頃にまたお迎えにあがりますゆえ」と言って、帰っていきました。ハゲロウさんは帰る道々も自分のハゲネタを惜しみなく披露していましたので、右のゾンビも左のゾンビも、みんな大笑いしていたものでした。そんなゾンビたちの様子を眺めながら、悠一くんも微笑んでいたのですが、ふと気づくと、傀儡師とライダースーツゾンビがその黒い眼を悠一くんにじっと注いでいます。
「悠一くん、大丈夫かね。何分、ゴロツキングさまはしょっちゅうお笑い大会を国内で開いておられるお方だからなあ。ギャグに関してはとても見る目が厳しいというか、目が肥えておられるのじゃよ。先ほどのコマネチ!!は面白かったが、あんな一発芸だけではとてもとても……」
「それとも、もっととっときのギャグネタがユーにはあったりするのかい?」
「いえ、それをこれから創作するんです……」
悠一くんは手を顎にあてて少しの間考えるような仕種をしますと、診療室から出ていきました。ここでまたゾンビの<急患>がやって来ましたので、傀儡師のおやっさんはそちらに対応し、ライダースーツゾンビだけが悠一くんについてきました。彼がどんなギャグを西の王ゴロツキングさまに披露しようというのか、とても興味があったからです。
悠一くんは病院の建物から外に出ると、そこで鬼ごっこやだるまさんがこ・ろ・ん・だをしていたゾンビたちを呼び集めました。そして以前から考えていたことを少しばかり実行に移してみることにしたのです。
それは、悠一くんがかねてより「ゾンビたちには優れた同調性がある」と思っていたことに由来するもので、また新しい遊びを教えてもらえるとワクワクしていたゾンビたちに、悠一くんは「ダンス」を教えるということにしたのでした。もっとも悠一くん自身はお兄さんがDJをしているクラブに遊びに行った時も――恥かしくて踊れないといった感じなのですが、その点、ゾンビたちが相手ならば、どんなダンスを踊っても笑われる心配はないというわけでした。
悠一くんの頭にあったのはこの時、マイケル・ジャクソンのスリラーのあのダンスでした。そこで、悠一くんは頭の中でマイケル・ジャクソンの名曲の数々を頭の中で反芻し……ゾンビたちに「僕の真似をしてみて」と言いました。
まずは、「Yes!!」と肘を入れる動作を右で一回、それから次に左で一回、悠一くんはしてみせました。すると、ゾンビたちは見よう見真似でまったく同じ動作をお互いにぴったり揃えています。
「よし、いいぞ!!」
最終的には、「スリラー」のようなクォリティの高いダンスを目指しつつ、悠一くんはまずは次に、自分が適当に振付していった動作を試しにゾンビたちに教えていきました。まるで格闘家のように右の拳を突きだし、左の拳を突き出し――最後は『仮面ライダー』の変身ポーズを決めます。
すると、ゾンビたちは全員――その時、すでに四十数名のゾンビたちが集まっていたのですが――全員が全員、まったく同じ振付で寸分違わず動作を揃えたのでした。(これはきっとイケるぞ!!)そう思い、悠一くんは興奮して、次から次へと色々な振付を繰り出していきました。DAIGOさんの「ウィッシュ!!」からのキラキラマイ賛美、そしてそこから足を高くあげてハイキック……といったように、悠一くんの振付はまったくセンスがありませんでしたが、それでも五十体近くものゾンビたちが一斉にまったく同じ動作をするというのは、何か人の心に訴えかけるものがあったと言えるでしょう。
その日は悠一くんも面白半分程度の振付をしただけだったのですが、この<ダンスゲーム>がゾンビたちは実に気に入ったらしく、悠一くんが寝て起きてくると、ゾンビたちは悠一くんのまわりでソワソワと足首を動かしてばかりいました。そこで悠一くんは朝ごはんとして味気のないエネルギーバーを齧るのもそこそこに、冗談半分でマイケル・ジャクソンのムーンウォークをしてみせました。
「これは少し難しいんだよ」と言って、悠一くんがいいかげんにムーンウォークしてみせますと、ゾンビたちはみんな、一生懸命ムーンウォークを練習しはじめました。すると、悠一くん以上に――そして元祖のマイケル・ジャクソンほどではなかったにしても――なかなか素晴らしくムーンウォークしてみせるゾンビが何体も現われました。
これと似たことはその後も起き続け、悠一くんの振付にセンスがないのは相変わらずだったのですが、まるでその分をゾンビたちが補うように、彼らは実に素晴らしいダンスパフォーマンスをしてみせました。いまや、病院中……いえ、病院の内でも外でも、ゾンビたちは暇さえあれば(というか、ずっと暇なのですが)、ダンスの振付を繰り返してばかりいたといっていいでしょう。
こうなると、悠一くんはどうしても音楽が必要だとの思いに取り憑かれ――ゾンビたちがみんなで悠一くんのいいかげんな振付を一生懸命覚えている間、食糧捜索の傍ら、かなり熱心にそうしたものがこの旧文明世界のどこかにないかと探し続けていました。
そして、もうこの中立地帯の界隈に関しては、悠一くんも大分詳しくなってきていましたから、その時もバイクに乗って新たな未知の領域へと悠一くんがライダースーツゾンビと一緒に高速道路を進み……手分けして「お宝」を捜していた時のことでした。こちらの世界へやって来て以降、悠一くんは特に危険な目に遭ったことはありませんでしたし、こうした街のどこかで知らないゾンビと出会っても、身に危険を感じたことはありませんでした。
けれども、どうしても「音楽」が必要との思いにこの時取り憑かれていた悠一くんは、もしかしたら少し周りが見えていなかったのかもしれません。まるで、鹿が天敵のオオカミがいないと思っていた広い草原で、突然ガブリとやられるように――その時もしライダースーツゾンビが助けてくれなかったとしたら、悠一くんは一体どうなっていたことでしょう。
悠一くんはいつものように、大きなビルのひとつの前までやって来ると、例のスイッチを押してパネルを出現させ、ドアを開きました。そして、中へ入っていこうかどうかという時……視界の隅をある一体のゾンビの姿が掠めました。そのゾンビは馬に乗っており(死んでない生きている馬です)、悠一くんの姿を見つけると突然腰から剣を抜いて襲いかかってきたのです!!
ライダースーツゾンビはいつでも(そのことを彼自身は悠一くんに言ったことはありませんでしたが)、悠一くんを影から守ることが自分の務めと心得ておりましたので、この時ライダースーツの内側にいつも隠している銃で、容赦なくその馬に乗ったゾンビ男を撃ち落としました。一発目は剣を持った右手に当たり、次には胴、それから首、頭と、ライダースーツゾンビの手腕には何ひとつとして迷いというものがなく――そのことに誰より、助けてもらった悠一くん自身が驚いていました。
「な、何も殺すことは……」
悠一くんは取り乱しながらも、思わずそんな言葉を口にしていました。すると、ライダースーツゾンビは首に巻いた赤いスカーフをひねり、リボルバー式の銃を腰のベルトに収めて言います。
「ノーノー。あいつはたぶん、北の王ドルトムントの配下ですぜ。ユーは知らないだろうけど、北の王の配下は見つけ次第殺せ、それが西の国でも南の国でも、あるいは東の国でも……この世界での常識みたいなもんなんですって」
「そうなんだ……」
ライダースーツゾンビは、悠一くんが「ゾンビたちのためを思って」、彼にはよく理解できない<オンガク>というものを必死になって捜していると知っていました。そんなことをして彼本人にさして得になることもないだろうに、彼が熱心にゾンビたちの余暇活動に尽くす姿を見るうちに……時々、今はすっかり冷たくなった心臓が熱くなるのを感じるほどでした。
ライダースーツゾンビははぐれゾンビとして長くこの世界をさすらっていますから、当然並のゾンビ以上にこの世界には精通しています。その中でたくさんのゾンビと知り合いになってきましたし――また、悠一くんと同じ<生きた人間>にも何人か会ったことがあります。けれども、ライダースーツゾンビはその中に悠一くんのような人を一人も見かけませんでした。
彼らはほぼ全員が全員、ゾンビたちのことを心の中では蔑んでいるのですが、この世界でなんとか生き延びねばならぬという事情から、そうと見せかけないようにしながらも、必ずゾンビのことを利用するのです。けれども、悠一くんには「真心がある」とライダースーツゾンビは感じていました。そして、今となっては自分たち中立地帯にいるゾンビにとって、悠一くんはなくてはならない存在だと思ってもいましたから……もし自分の頭が叩き潰されるようなことがあろうとも、悠一くんのことだけは守らねばならないと考えていたのです。
「その……どうして北の王の配下のゾンビたちは見つけ次第殺さなくちゃならないんだい?」
「あいつらは北の王には絶対服従なんですって。まあそんなふうに洗脳されてるってーか。だから、軍を拡充するのにひとりでも多くのゾンビを奴らは誘拐しようとするんだが、この中立地帯のゾンビなんかをひとりさらっていったとしたら、ユーは一体どうなると思う?」
「えっと、僕は直接には北の王ドルトムントについては知らないけど……とても残虐な王で、ゾンビたちに恐怖政治を敷いてるんだろ?そしてそんな国の国民にはなりたくないから、中立地帯あたりにいるゾンビは毎日のんべんだらりと暮らしているわけで……」
口調が若干「北の国から」の純くんのようになりながら、悠一くんの言葉は最後フェイドアウトしました。
「そうさ。中立地帯のゾンビはみんな、自由を何より一番愛している。ところがだな、ドルトムントの奴はそんな嫌がるゾンビを連れてきて、厳しい軍事訓練を課し、最後には自分の忠実な部下に作りあげちまうんだ。規律を破ろうもんなら爆弾付きのベルトを締めてそのまま死ぬことになってる……そして、戦場で負けがこんでくると、そんなゾンビ爆弾を奴は雨ふられと降らせやがんのさ。そんなわけで、北の国と西の国の国境及び、北の国と東の国の国境あたりなんかはもうビシバシに緊張しまくってる感じだな。だがまあ、奴さんがこの南の国のほうまでゾンビ狩りにやって来るのは珍しい。というより……」
ここでライダースーツゾンビは、一度黙りこみました。これはあくまでも彼の推測ですが、西の王が傀儡師のおやっさんの元にいる悠一くんの噂を聞いて、会見を申し込んだように――何分、北の王ドルトムントはそうした間者を巧妙な形で各国に放っていますので――北の王の耳にも悠一くんの噂が届いている可能性がある、ライダースーツゾンビはそう察しをつけたのです。
「というより、なんだい?」
「いや……北の王のドルトムントは、東の王のアーメンガードと違って、大の生きた人間好きなんだ。そしてその中でも特に優秀な生きた人間の家臣のことを重用していて……だから、あのドルトムントの配下もユーをさらって行こうとしたんじゃないかな。驚かせてすまなかったが、俺があの時あいつをすぐ殺っちまったのは、ドルトムントの配下ってのは何か吐かせようとしても無駄だとわかっていたからなんだ。その前に自分のがらんどうの目玉か口の中にでも小型爆弾を突っ込んで自害するってな連中ばかりだからな。それより何より……」
(オレはユーが中立地帯の仲間から離れてどっか行っちまうのが嫌だったのさ)
ライダースーツゾンビはそう口に出して言ったわけではありませんでしたが、その気持ちは悠一くんにも伝わりました。けれど、あの拳銃を撃つ速さと正確さから見て……おそらく生前よりライダースーツゾンビは相当銃器の扱いに長けていたのではないかと、悠一くんはそんな気がしました。もしそうでないとしたら、死後に自分の身を守るために銃器の扱いに長けていったのか……。
「そういえば、君はドルトムントの配下だったことがあるって言ってたよね。それで、戦争が嫌になったとかって……」
「おうとも。といってもな、俺の場合は南の国、西の国と巡り歩いて、次はちらっと北の国でも見て歩くべかなーといった、最初は物見遊山な気持ちのほうが強かったんだ。そこで、ドルトムントの傭兵部隊に入隊したんだが、まあ、奴さんのやり方にすっかり辟易しちまってね。ま、ユーにはあんまし関係ないことのような気がするけど、ゾンビ同士の戦争ってのは、基本消耗戦なんだ」
「消耗戦っていうと……?」
ゾンビ同士の戦争というのがどういったものなのか皆目見当のつかない悠一くんは、眉をひそめました。というのも、人は死んでからも戦争などという愚かなことをやめることの出来ない生き物なのだと思うと、なんだか悲しかったのです。
「ゾンビってのは、必ず南の国の果てにある砂漠からある日蜃気楼みたいにして現れる。オレも気づいたら砂漠にいたっていうのが、この世界に対しての初めての記憶だった。そのせいかどうか、南の国のゾンビってのはみんな享楽的なのが多い。ま、そこを治めてる女王アビシャグさまの気質ってのもあるのかもしんねえが……つまり、南の国のゾンビっていうのは北の国のゾンビのほとんど正反対と言っていいだろうな。平和主義的で、さっきユーが言ったみたいにのんべんだらりと日々をやりすごしてるってな手合いの連中ばっかだ。だが、ゾンビたちは南の果ての砂漠からしか生まれない。そして、南の女王は西の王のゴロツキングさまがドルトムントとやりあうことになると、常に兵力を供給するってな関係性なわけだ。また、その際には西の国流にそのゾンビ兵士たちを鍛えてもらうってな具合だな」
「なるほど。ところで、東の王のアーメンガードと南の女王のアビシャグとは仲がいいのかい?」
「いや、あのふたりはたぶん……性格的に水と油なんじゃないかという気がするな。もっともオレは東のアーメンガード王は直接会ったことがないからなんとも言えねえが、南の女王の領土と東の王の領土の接している中立地帯っていうのは、そんなに険悪な雰囲気ってわけじゃない。だからもし――まあ、あくまでも可能性の低い仮にだがね、東の国がもしヤバくなったとしたら、アビシャグさまはアーメンガード王に必ず加勢するだろう。そしてアビシャグさまが加勢したとなれば、当然西の王であられるゴロツキングさまも兵を送ることになるだろうな。まあ、このゾンビ国の均衡ってのは、大体そんな感じで保たれてるわけだ」
(そして今は、お互いに戦いあっても同じことの繰り返しになるとわかっていることから、この四国は危ういところで均衡状態を保ってるってわけか。僕が元いた国の日本では、今のところ七十年以上平和が続いてるけど、当然いつまでもこのままっていうことだけはないって僕はなんとなく思ってた……それと同じように、この四国もまた何かをきっかけにして戦争を起こしたりすることになるんだろう。だけど、その前にメシアっていう人が現われてくれさえすれば……)
正直、悠一くんは、今もずっと朝目覚めるたびに自分の家の部屋のベッドで目覚めはしまいかと、そのことを思わぬ日は一日たりとてありません。また、自分が元の世界に戻れる手立てを探るのと同時に……自分がこちらの世界へやって来たことに何か意味はあるのだろうか、と考えてもいました。
悠一くんは自分が救世主である、あるいはそうなのではあるまいか――とは思いませんでしたが、もし東西南北の四人のゾンビの王が持つという宝物をすべて揃え、竜を甦らせることが出来たとしたら……もしかしたらその瞬間に救世主という人が現れるという可能性もあるのではないかと考えていました。また、そうすることが、何故かはわからないけれども、自分が元の世界へ帰ることの出来る道でもあるのではないかと。
なんにしてもこの日、悠一くんはとうとう望みのもの……彼が元いた世界でいうところのクラブミュージックにも近い音源を発掘して、ラジカセに似た電化製品らしきものと一緒にゾンビホスピタルのほうへ戻ってきました。
そしてその音楽を聞いた時の、ゾンビたちの喜びようといったら!
悠一くんは自分ではバク転できないにも関わらず、ゾンビたちにはバク転のやり方を教えていましたので、全員ではありませんが、何人ものゾンビがバク転や側転をしたりして、その後、音楽にのって踊りはじめました。
悠一くんはずっとゾンビたちにダンスのパート練習ばかりさせてきましたが、この時初めてそれをすべて通して踊るようにさせ、そして見事ゾンビたちはゴロツキングさまにお見せするのに相応しい出し物を完成させていたのでした。
この約一週間後――ハゲロウさんが再びやって来て、悠一くんのことをゴロツキングさまのおられる宮殿へと招くべく、迎えに来ました。そこで、すでに数千人規模に人員が膨らんでいたゾンビたちをぞろぞろ引き連れ、ゴロツキングさまの治める西の国へ悠一くんは向かったのでした。悠一くんはライダースーツゾンビの運転するバイクのサイドカーに乗っていたのですが、その後ろを数十台ものバイク、さらにその後ろを数百人、数千人ものゾンビたちが走ってついてきました。
ゾンビたちはもう死んでおりますので、どんなに走っても疲れるということはありません。けれども、足のつけ根などの腐敗がかなり進んでいた場合、走っているうちに足がもげ、それでも一生懸命走ろうとするゾンビが何人もいましたから……悠一くんはライダースーツゾンビに頼んで、速度を下げてもらいました。ハゲロウさんは「あじゃぱあっ。こんなんでは一体いつ西の国の首都へ辿り着くやら」とぼやいていましたが、傀儡師のおやっさんもライダースーツゾンビも、悠一くんの優しい性格を知っていましたから、本当は内心イライラしつつもそのことについては黙っていました。
何故なのかはわかりませんが、とにかく彼らの目から見て、悠一くんはそういう人でした。ゾンビたちは雌雄の差のようなものがあまり見られませんし、もう死んで腐ってきていますから、容姿がいいとか悪いとか、そんなことにも差はほとんど見られません。けれども、悠一くんはそうしたゾンビたちのたとえ一体でも、苦しんでいるのを見捨てたりすることは決してしないし出来ないという、そのような人だったのです。
結局のところ、西の国の首都ウフフアハハ市に悠一くんの一行が辿りついたのは、その後二十回ほども陽が暮れ、また再び陽が昇りということが繰り返されてのちのことでした。ウフフアハハ市は砂岩で出来た建物が一続きに並ぶ、とても美しい都市でした。ただ、街の入口のところに、大きな門があるのですが、その左の柱には大きなイチモツのゾンビが――少々下品な言い方をすると、ようするに勃起したゾンビが――きょうつけをして描かれており、右の柱にはびっくりするくらいとても大きなおっぱいの女性ゾンビが描かれていて……正直、悠一くんは見た瞬間に「わあ……」と言う以外、なんて言ったらいいかわからなかったものでした。
「ユーイチさんや」と、隣の馬車の幌の中からハゲロウさんがウィンクして言います。「あの像はですな、ゴロツキングさまとウフフーミンさまを描いたものなんじゃ。西の国の民はあれをとても立派なものと思って、大変自慢にしておるのですよ。素晴らしいですやろ?」
「そ、そうですね……」
悠一くんは、以前テレビで見たことのあるエジプトの古代遺跡の像などを思いだして感想を述べました。
「僕が元いた世界にも、あれほど大きくて立派な像はちょっとないくらいじゃないかなと思います」
「そうでっしゃろ、そうでっしゃろ。あのペニスとおっぱいの立派なことと来たら……ほら、大抵のゾンビたちはだんだん体が腐っていく課程で、チンコもパイももげたりこそげたりしてなんもなくなってしまうですやろ?ところがですな、ウフフーミンさまの立派なパイときたら――まったく、あの膨らみを見ただけでも、大抵の男のゾンビどもは「ウヒョーッ!!」とか「ムヒョーッ!!」と叫んで、卒倒してしまうくらいですからな。いやいや、まったくあのような方を女王さまとして崇めることが出来るというのは、我ら西の国の民全員の喜びといったところですよ」
「女王?」と、悠一くんは思わず聞き返していました。「この国では、ゴロツキングさまが王として一番偉いのではないのですか?」
「そうですなあ」ぽりぽりとこめかみのあたりを指でかきながら、ハゲロウさんは言いました。「ま、西の国は王と女王が二人で仲良く治めておるといったところなのですよ。ですが、ウフフーミンさまは気立ての優しい方なので、いつでも王であるゴロツキングさまのことを立てていらっしゃるからして……やはりゴロツキングさまがこの国で一番エライということになるでしょうな」
「なるほど……」
ハゲロウさんは自分のまわりをぶんぶん飛びはじめたハエをピシャピシャ叩きはじめました。なかなか手のひらがハエに命中せず、最後には「こんにゃろ、こんにゃろ!!」とところ構わずビンタをかまし、最後は自分の顔を殴って倒れていました。
それはさておき、西の国の入口の門をくぐっていくと、そこはゾンビ市民たちの集うちょっとした広場のようになっています。広場の中央にあるサーカスのようにも見える劇場では、ゾンビのお笑い芸人が立って、何か漫才のようなことをしているようでした。
『わてらゾンビのお笑いコンビ!!生きているのか死んでいるのかわからない、それがゾ・ン・ビ!!イヒッ!』
『何言うてんねん。ゾンビいうからには死んでるに決まっとるやろ。それにその気味の悪い笑い方はなんや。そうやなくてもわしらは気味が悪いねんから、少しは上品に笑え』
『うふっ。ねえ、あなた知ってる~?世界の三大ホラーキャラ。えへっ!』
『なんや、別の意味で急に気味悪なったな。そら、世界の三大ホラーキャラいうたら決まっとるやろ。狼男、ドラキュラ、フランケンシュタイン。これで決まりや』
『ええ~っ。そっちー?マイケル・マイヤーズことブギーマンと、ジェイソン・ボーヒーズ、それにフレディ・マーキュリー。この三人で決まりよお』
『おまえ、よくジェイソンのことフルネームで言えたな。それと、おまえの言いたいのはフレディ・マーキュリーじゃなくてフレディ・クルーガーやろ?エルム街の悪夢の。マーキュリーはあれや。クイーンのほうや』
『あら、あなたったら案外物知り~。今のちょっとした引っ掛け問題だったのにィ~』
ここで片方のゾンビがレオタードを着て、胸毛をつけはじめましたので、劇場前にいたゾンビの大観衆はみな大笑いでした。
『何が引っ掛け問題や。しかも、ゾンビのくせして今さら鉄アレイなんか手に持つな!関節のところが腐ってきておったら、速攻もげるだけやぞ』
『あら、そんな~。あんた知ってるんだったらもっと早く言ってよお~』
鉄アレイを持ったゾンビの腕が、つけ根のところから鉄アレイごと床に落ちました。それを見てゾンビたちの大観衆はまたまた大笑いしています。ハゲロウさんもそうでしたが、お笑いの道を追求するということは、もしかしたらこのくらい捨て身になる必要があるということなのかもしれません。
けれども、悠一くんはいつものようにピクリとも笑わず、ハゲロウさんの横で酒を飲んでいた傀儡師にどこか心配そうな一瞥を投げかけました。すると、悠一くんの性格をすっかりわかっているおやっさんがこう答えます。
「心配せんでも、西の国にもわしのような傀儡師がおって、彼はまたすぐに腕をくっつけてもらえるじゃろう。じゃから何も悠一くんが心配する必要はないぞよ」
「そうでしたか。なら、大丈夫ですね」
こうして、悠一くんたちゾンビの一行は、街のずっと奥のほうまで進みゆき、とうとう西の国の王さまであるゴロツキングさまと女王であられるウフフーミンさまのおられる王宮のほうまでやって来ました。
王宮のほうはそれこそ、堅牢豪華で素晴らしい造りをしています。ここからはあくまで、悠一くんの想像なのですが……ゾンビには自分の好きな人に<懐く>といった傾向があるようでしたので、おそらくゴロツキング王やウフフーミン女王を慕うゾンビたちが――彼らを喜ばせようとして、こうした荘厳な宮殿を造ったということなのではないでしょうか。
壁にはあちこち繊細な浮き彫り細工がなされていましたし、悠一くんは世界遺産で何かこうした建物を見た記憶がありましたが、よく思いだせませんでした。雰囲気としては、モロッコにある遺跡やスペインのアルハンブラ宮殿といったところだったのですが。
(でも、ゾンビたちは生前の記憶がないようでいて、無意識の中には埋まっている記憶がたくさんあるのではないだろうか。つまり、この建物を造るにあたっても、無意識のうちにも<模倣した>ということがあるのではないだろうか……)
宮殿のほうはなかなか複雑な造りをしていて、宮殿前の広場でバイクを降りたあと、悠一くんたちはハゲロウさんの案内で王の元へ案内してもらおうとしたのですが……ハゲロウさん自身も途中で迷ってしまい、最後には庭でコントの練習をしていたピン芸人ゾンビに道順を教えてもらっていました。
こうして、ようやくのことで王と女王の謁見の間に悠一くんたちが辿り着いてみると、そこには先客がいて、お笑いの特訓をしているところでした。
「ボケもツッコミも滑舌が大事!!さあ、ゆくぞ、みなの者!『バナナの謎はまだ謎なのだぞ』!!ヘイ、セイ!リピート!!」
すると、お笑いの教官らしい男のゾンビの前に並んだ三十人ばかりの生徒たちが、同じ早口言葉を繰り返します。
「『バナナの謎はまだ謎なのだぞ』!!Oh,Yeah!」
「Yes,次ゆくぞ!!『買った肩叩き機、高かった』!!ヘイ、セイ!リピート!!」
「『買った肩叩き機、高かった』!!Oh,Yeah!」
「さあ、さらにゆくぞ!!『マグマ大使のママ、マママグマ大使』!!ヘイ、セイ!リピート!!」
「『マグマ大使のママ、マママグマ大使』!!Oh,Yeah!」
「これで最後じゃ!『老若男女、骨粗鬆症(ろうにゃくなんにょ、こつそしょうしょう)』!!ヘイ、セイ!リピート!!」
「『老若男女、骨粗鬆症(ろうにゃくなんにょ、こつそしょうしょう)』……って師匠、そりゃ、わしらのことじゃないですかーい!!」
ここで、カクッ!!という効果音がどこかから流れ、ゾンビたちはその全員がずっこけていました。途端、上座のほうからしきりと大きな拍手の音が流れてきます。
「ふうむ、見事じゃ。まったく見事じゃぞ、ヒップキック。これらの者はみな、お笑い戦士としてこれからどんどん成長してゆくことじゃろう。ウフフアハハお笑い第一高校の者たちよ、これからもせっせとお笑いに励まれよ。まったくもって世は愉快じゃ」
「ハハッ。ありがたき幸せ!!」
ゾンビたちは教師であるヒップキック含め、その生徒の全員が王であるゴロツキングさまと女王であられるウフフーミンさまに向かって身を屈めていました。その後、「西の国、ウフフアハハに永遠に栄光あれ!!」と叫びながら、生徒たちは隊列も乱さずザッザッザッと行進して謁見の間から出てゆきます。
「よう、ヒップキック。ヒップキックしてやろうか?」
ハゲロウさんが通りすがりにそんなことを言いますと、彼とはまた別の形で体に刺青の入ったヒップキックは、「いや~ん。そんなんやめてや~!」とおどけています。ところが、ハゲロウさんが全力で彼の腰のあたり――正確にはケツでしたが――を蹴り飛ばしますと、「ブリッ!!ブッ、ブブブブブ~ン!!」という音がし、途端に生徒ゾンビたちは逃げていきました。それも無理はありません。あたりにはスカンクもかくやという臭気が漂いはじめ、生きた人間である悠一くんにはもはやそれは凶器に等しいひどい臭いだったと言えたでしょう。
「う……ううっ。し、死ぬ………」
演技ではなく、悠一くんは本当に気分が悪くなってきました。最後には吐きそうになって「オエッ!!」と戻しそうになりましたが、喉の奥からは何も出てきません。他のライダースーツゾンビやおやっさんやハゲロウ氏などはまったくケロリとしたものでした。つまり、生徒ゾンビたちが逃げたのはおそらく、放屁の音を聞いた時、人はどう行動すべきなのかという生前の条件反射のようなものだったのでしょう。
こういったわけで、悠一くんはゴロツキング大王とウフフーミン女王の御前に出ても、暫くの間は顔を青ざめさせていたかもしれません。
「すまなんだ、ユーイチくん。わしがつい、いつもの習慣でヒップキックのオナラの音を楽しもうなんぞとしたばっかりに……」
「いえ、いいんです。たぶん、もう少ししたら気分も良くなると思いますから……ウオエッ!!」
悠一くんががっくりと絨毯の上に膝をついていますと、ゴロツキング王のほうでは「カッカッカッ!!」と呵々大笑しておられました。
「確かに、生きておる人間さまの鼻には、ヒップキックのオナラは臭かろうな。あのネタは、殺されたあいつの相方が「もう、キョウレツ~!!」とか「モウレツ~!!」と返すのが正解なんじゃが……なんにしても我が部下がすまんかったの、ユーイチくんとやら」
「こちらこそ、すみません。王の御前でこのような見苦しい姿をお見せしてしまい……誠に申し訳ございません」
そう言って、悠一くんがそのまま跪いたままでいると、女の人の少しキィの高い感じの声が響いてきました。ゴロツキングさまの隣の玉座に座る、ウフフーミンさまです。
「少し、お休みになったほうがいいのじゃありませんこと?だって、二十日も旅を続けてきて、たった今お着きになったばかりなのでしょう?きっとお疲れのはずですわ」
大王と女王の玉座の並ぶほうを、悠一くんが見上げてみますと、そこには緋色のマントを纏ったゴロツキング王が右に、ウフフーミンさまが左におられて――一目見るなり、悠一くんにもウフフーミン女王が「他のゾンビの誰とも違う」ということがわかりました。彼女が金髪のカツラをつけ、ピンク色の可愛らしいドレスを着ていたからというより、それは何かもっと心の深いところへ訴えかけるような<違い>だったと言えます。
けれども、悠一くん自身にも「どこがどう」とはすぐに説明は出来ませんでした。また、そこまでのことがわかるにはおそらく、ウフフーミンさまのことをもっと間近で眺め、彼女と話してウフフーミンさまのことをよく知る必要があったでしょう。
そしてこの時、誰も何も答えず、誰もがじっと悠一くんのほうを見つめていましたので――もちろん彼らの目が元あったところに、眼球はすでにありません。ですが、とにかくそのような強い視線を悠一くんは感じて――急いで何かしゃべらなきゃと焦りました。
(そうだった。ゾンビはもう死んでるから、疲れるっていうことがないんだっけ……)
「い、いいえ、いいえ、女王さま、そのような。しもべは疲れてなぞおりません。もったいないお言葉、かたじけのうございます」
「ふむふむ。君はなんじゃったかな。ユーイチくんというのだったかな。千人以上もの他のゾンビたちはなんでも、門の入口の外で待機しておるとか。偵察にいったゾンビの話では、君は他のゾンビらに実に好かれておるそうじゃな。そのことを見ただけでもわかる……ユーイチくん、どうやら君がいい生きた人間らしいということがな」
この時ふと、ユーイチくんの脳裏には、東の国の王アーメンガードのことが思い浮かびました。東の国の王は生きた人間に裏切られた経験から、今では生きた人間を毛嫌いしているとか……それでいくと、この西の王は自分のような生きた人間に対してどういった考えを持っているのか、そんなことが気になってきました。
もちろん、ライダースーツゾンビや傀儡師のおやっさんが何も警告しなかったということは、何も問題ないということではあるのだとしても……。
「お久しぶりでございます、ゴロツキングさま」と、ここで傀儡師のおやっさんが口を挟みました。「実際、このユーイチくんは、とてもいい生きた人間であります。わしんとこの病院には毎日「手がもげたー」、「足もげたー」、「腸がはみでたー」言うて、何人ものゾンビたちがやって来ます。けれどもこのユーイチくんはですな、こう……そんな腐ったもん触りたくねーといった様子でもなく、一人ひとりに実に丁寧に接してくれるのですよ。その上、ヒマなゾンビたちのために色々と遊びを教えてくれたり……そこでみんな、もうすっかりユーイチくんと離れたくなくなったのですな。そこでこうして何百キロと歩いてまで、ユーイチくんの後ろをついてきたといったような次第でして……」
「ふうむ。なるほどのう……」
照れてはにかんだ様子の悠一くんのことを見て、ゴロツキング王はとても不思議でした。一言でいえば(こんな生きた人間のことは見たことがない)ということでした。もちろん、ゴロツキング王はもう随分長く死んでいますから、生きた人間にはこれまでに何度も会ったことがあります。けれどもユーイチくんは、これまで会ったことのある生きた人間のうち、誰とも違う感じがしました。つまりこれはそのくらいユーイチくんが善良そうに見えたということなのです。
一方、ユーイチくんのほうでも、ウフフーミンさま同様、ゴロツキング大王もまた、はっきり「他のゾンビたちとは違う」ということを強く感じていました。ただ知性があるというだけでなく、なんというのでしょう、それはとにかく一目会った瞬間に感じる直感的な<違い>でした。確かに、ゴロツキング大王は、金の刺繍がなされた派手な緋色のマントを着ていましたし、顔のほうはおにぎりみたいに三角形で、人間というよりはどこか半魚人といったように見えます。さらに、死後に接着剤ででも貼りつけたのか、禿げた頭の右耳と左耳の上のところだけ、ふさふさした銀色の髪がついているのでした。その上、そんなものをつけることにどんな意味があるのか謎でしたが、ゴロツキング大王は緑色のゴーグルをつけていたりもします。けれど、悠一くんの感じるこの<違い>というのは、装いの派手さといったような、そうしたことではないのです。
「君、ユーイチくんとやら。チミはどうかね。お笑いなんかには興味があるもんかね?」
「そうですね……好きではありますけど、才能はないと思います」
変な答え方をして、「では、芸を披露してみせよ」などと言われては大変と思った悠一くんは、なんとか無難な答え方をしました。
「そうか。そりゃ残念だのう……まあ、ここがもし気に入ったら、好きなだけいてくれたまえ。ほんで、近いうちにウフフアハハお笑い大会があるのじゃ。良かったら、わしとウフフーミンちゃんのそばの特等席ででも、一緒に見るとええぞ」
「えっと、でもまさかそのような……王と女王のそばに、僕みたいな素性の知れない者がいるというのは……臣下のゾンビたちが黙っていないのではないでしょうか」
悠一くんのこの謙虚な態度が気に入ったのかどうか、ゴロツキングさまはまたも「カッカッカッ!!」と呵々大笑しておられました。
「何も心配することはないぞ。何分、わしがこの西の国の王なのじゃからな。第一、暗殺といってもほれ、わしはもうすでに死んでおるし、そのような余計な心配は無用じゃ。無論、いくら大王のわしとて、頭を潰されれば生きてはおれまい。じゃが、そうした暗殺の方法というのは時間がかかるからな……ま、わしはユーイチくん、君のことは信頼しておるよ。それは、他のチミを慕うゾンビたちの姿を見れば、よくわかることじゃて」
「そう言っていただけると……」
真面目な悠一くんとお笑い好きのゴロツキングさまとの間では、どうやら何かがかみ合わないようでした。そこで空気を察したハゲロウさんが、一生懸命パカパカ頭の中の脳味噌を見せながら、こう提言したのです。
「ゴロツキングさま、ユーイチさまは実は物凄い一発ギャクをお持ちなのですよ……」
(ええっ!?そうだっけ。っていうか、そういうハードル上げは迷惑っていうか)
悠一くんがそう思って戸惑っていると、ハゲロウさんは彼の耳元に素早くこう耳打ちしていました。「ほら、例のコマネチですよ。あれをやればもう、大王の信頼を一発で掴めますぜ」
(「掴めますぜ」ったって……)
まったくもって気が進みませんでしたが、悠一くんはここで、ゴロツキング大王とウフフーミンさまの真ん前へ出ますと、突然「コマネチ!!」とやりはじめました。一度では足りないかと思って、二度三度と繰り返し……それでも、ゴロツキング王もウフフーミン女王もピクリとも笑っておられないようなので、さらに付け加えて、「よろちくび!」、「か~ら~の~アイーン!!」とやったあと、さらに欽ちゃん走りも付け加えてみました。
(だ、ダメだ……まるで受けない……)
平成生まれとは思えないなんとも古いギャグのチョイスでしたが、悠一くんは全力を出しきったあまり、その場にガクリと膝をついていました。ところが、そのほんの三秒後、ゴロツキング大王は「ドゥフッ、ドゥフッ、ドゥフフフフフッ!!」と大笑いし、ウフフーミンさまもまた「ウフっ、ウフっ、ウフフフフフッ!!」と大爆笑の嵐です。
「ユーイチくんよ。そちも悪よのう。才能はないだなんて、油断させておいてからに……こんなスペシャルな必殺技を隠し持っておったとは。脳あるハエは顔を隠すというが――まったく、まるでユーイチくんのためにあるような言葉ではないかね」
「本当ですわね、あなた。『ボクは冗談なんてじぇんじぇん言えまちぇ~ん!』っていう顔をしていながら、なんてことでしょう!!素晴らしい一発ギャグからの連続ギャグコラボレーション!今度、ウフフアハハ高校のみんなにも、ギャグのお手本として是非やっていただくっていうのはどうかしら?」
「ふむ。そうだのう……ま、ユーイチくんがそれでもええと言ってくれるならな。世間じゃそういうのをパクリと言うらしいが。どうかね、ユーイチくん?ウフフアハハ高校のゾンビ生徒たちにもこの素晴らしいギャグの練習をさせてもいいもんかな?」
「ええ、もちろん。いくらでもやってくださって構いません」
(もう、どうとでも……っていうか、もともと僕のギャグ自体パクリだし……)
――こうして、ゴロツキング王の信頼を一気に得た悠一くんは、王城内の一番いい客間へ通されることになりました。もっとも、あの日本におけるオーソドックスな鉄板ギャグを披露してもしなくても、悠一くんにはそのお部屋で休んでもらうことに最初から決まってはいたのですが。
「やれやれ。まったくもって、疲れたび……」
悠一くんは南国風リゾートスタイルの部屋で、すぐベッドに横になりました。我知らず、「ふーっ」と溜息が洩れでます。何分、ゾンビたちは24時間眠るということがありませんから(休みたい時には微動だにせずに座ったり、体を横たえていることはありますが、寝てはいません)、悠一くんはなんだかいつも自分だけが寝ていると落ち着かない気分になります。それは、ゾンビたちが早く悠一くんと遊んでほしくて、ベッドの周りに群がってくるそのせいでもあったのですが。
(えっと、なんだっけな。三日後にお笑い大会があるとかって……)
この時悠一くんは、実際に眠りに落ちる前に、三つのことを考えました。その三日後のお笑い大会の時に、ゾンビたちが練習してきたダンスを披露するのはどうだろうということと、今、門の外にいるゾンビたちはどうしているかということと、それから最後に、(そういえばそもそも、ゴロツキング王はどうして僕を王宮にまでやって来させたりしたんだろう。ハゲロウさんをわざわざ、あんな遠くに遣わしてまで……)そんなことをつらつら考えているうちに、悠一くんはぐっすりと深い眠りへ落ちてゆきました。
けれども、目が覚めると同時にベッドの傍らにハゲロウさんの姿があり、悠一くんは大分慣れてきたとはいえ、この時も(うおっ!リアルホラー……)と思い、ビクッとしていました。
「ど、どど、どうかしたんですか?」
「あっ、お目覚めになられましたか、閣下。いやまあ、そのですな、ゴロツキングさまの命で、わしがユーイチさまお付きの従者ということになりまして。そのようなわけでして、御用の際にはなんでもお言いつけください」
「そ、そうだったんですか……」
生きた人間様用の部屋ということで、一応電気は通っています。それで悠一くんは、まずナイトスタンドの小さな電球を点けることにしました。
それからドキドキする心臓が静まってくると、悠一くんはふとあることが気になり、ハゲロウさんにこう聞いてみることにしたのです。
「そういえば忘れていたんですが、そもそもゴロツキング王はどうして僕をこの宮廷のほうにまで招いてくださったんでしょう?」
「あれ?わし、話しておりませんでしたっけ?」
バリ舞踊のように首だけ動かして踊りつつ、ハゲロウさんは足ではカニ歩きしていました。『いつでも心にお笑いを』が、ハゲロウさんはじめ、西の国のゾンビたちの標語のようなものでしたから、西の国のゾンビは何かと言動が忙しないのです。
「ウォッホン。そのですな……西の国のゴロツキングさまの元に、悠一さまの情報がもたらされたように――南の国のアジャコング……じゃなくて、アビシャグさまの元にも悠一さまのお噂は届いていることでありましょう。つまり、本来なら中立地帯にいるゾンビたちが一まとまりとなり、このままいったら一国を形成するかもしれないというくらいの勢いを持つようになった……で、『こいつはデンジャラスだ!』というので、わたくしめがでございますね、悠一さんの人となりなどを確認し、また今回のご招待を王さまにお勧めしたといったような次第でして……」
(ハゲロウさん、なんか時々若干キャラ変わりませんか?)と悠一くんは思いましたが、あえて口に出して聞くのも面倒なので、そこは素通りして、肝心なことだけ聞くことにしました。
「僕はそんな危険人物ではまったくありませんよ。ゾンビたちはただ、僕のことを友好的な遊び仲間と思って慕ってくれているというそれだけです。西と南の国の間の中立地帯といっても、僕はゴロツキングさまにもアビシャグさまにも迷惑をかけるようなつもりはありませんから……」
「ちゃうちゃう!!その犬はチワワちゃうねん!!チャウチャウやねん!」
「…………………」
いちいち突っ込むのも面倒なので、悠一くんはとりあえず、ただ黙ってやり過ごすことにしました。すると、特に鋭いツッコミを期待していたわけでもないハゲロウさんはそのまま続けます。
「悠一くん、そりゃちゃいまっせー。わしやゴロツキングさまが心配しておるのは、悠一さまの身柄がですな、もしかしたら北の国の王ドルトムントの配下にでもさらわれたりしたら大変やなーという、そうした判断によってなのですよ。ま、南のアビシャグさまの元へ避難していただいても良かったのですが、あの方はそのー、若い男のゾンビが大好きというお方でしてな。そういう事情があってまあ、西の国へ来ていただいたらどうかなーちゅうことになったのですわ」
「そう、だったんですか。僕はてっきり特にそれほど深い意味もないのかなと思ってたもんですから……そういうことでしたら、僕はもっとゴロツキングさまやウフフーミンさまに感謝しなくてはいけませんね」
「いや、どーかなー。今日お会いしてわかったとおり、ゴロツキングさまはあのようなざっくばらんなお方ですからな。堅苦しいことはお嫌いなのです。あと、お笑いのまったく通じない北の王のドルトムントとゴロツキングさまとでは水と油、月とすっぽん、ショートケーキと激辛キムチ、うさぎとヒババンゴほどにも関係性に隔たりがありますからな。その昔、ゴロツキングさまは互いの国の融和のために、お笑いの使節団を遣わしたことがあるのです。ところが、ドルトムントさまにはお笑いというものの素晴らしさがまったくわからなかったのですな。嘲笑された、馬鹿にされたと勘違いしたドルトムントは、お笑い使節団の全員をみな殺し……まあ、我々ゾンビはみなすでに死んでおるわけですが、拷問された挙句、最後に脳を潰されるという一等残虐な殺され方をしたのです。以来、北の王のドルトムントとゴロツキングさまとは、不倶戴天の敵同士に……」
(そうだったのか)と納得するのと同時に、悠一くんはゴロツキング王の言っていたある言葉を思いだしていました。(そういえば、ゴロツキングさまは言っていたっけ。ヒップキックさんのお笑いの相方が殺されたとかって……その時にも思ったんだ。殺されたって、もう死んでるのにどういう意味ですか?って。もしかして……)
「あの、もしかして……もしかしてなんですけど……ヒップキックさんの昔の相方だった人が殺されたっていうのは、そのお笑い使節団に参加していたからだったりするんですか?」
「そうなんじゃよ。よく知っとりなさるな、おぬし。ヒップキックは元の名前をへップホップと言うて、相方のヒップキックが奴のケツをキックして屁をぶっこくという、そんな古典的なギャグをふたりでやっておったのじゃが……その時、へップホップは折悪しく、屁をこきすぎて脱腸しておってな。本当なら奴も一緒にその使節団に参加するはずだったのじゃが、他の屁がよくでるゾンビを選んで、そいつを連れていくことにしたのです。ヘップホップとヒップキックのギャグは、ゴロツキングさまもお墨つきの鉄板ネタでしたから、きっと北の王のドルトムントさまも、すでに眼球のない目から涙を流して大笑いするだろうと我々は思っておったのですが……結果はですな、まったく惨憺たるものだったわけで……その後、へップホップはゴロツキングさまからお許しをえて、名前をあえて相方のヒップキックに変えたのですよ。自分はもう他に相方は持たない、俺のケツを蹴ってもいいのは、これから先ずっと第二の死を迎えたヒップキックだけだ、という意味をこめてね……」
(どうしよう。すごく悲しいのと同時に、とてもいい話なはずなのに、なんか笑えてきた……)
悠一くんは口許を手で隠すようにして、どうにか笑いを堪えました。もちろん、北の国の王のドルトムントに悠一くんは直接会ったことがあるわけではありません。それでも……物凄い音の屁をこかれて激怒した北の王の気持ちも、悠一くんにはわからぬではありませんでした。もちろん、だからといってお笑い使節団のゾンビたちを拷問し、第二の死に至らしめたということに対しては、激しい憤りを覚えるのですが。
「その、三日後にあるというお笑い大会のことなんですが……」
ハゲロウさんが、窓から見える星を眺め、「今ごろヒップキックは天国で、今度は自分が思う存分屁をこいておることじゃろう……」などと感傷的に呟くのを聞き、悠一くんは少し話題を変えることにしました。
「色々とよくもてなしてくださったお礼として、お笑いというのとは違うかもしれませんが、ゾンビたちと練習したダンスをゴロツキング王とウフフーミン女王に披露させていただきたいのです」
「そらもう、大歓迎ですがな、あんさん!」と、ハゲロウさんはどこから取り出したのかわからないハリセンで、自分の頭を叩きます。「ゴロツキングさまもウフフーミンさまも、きっと喜ばれるに違いおまへん。そのこと、是非ともわたしの口から、ゴロツキングさまに申し上げておきたいと思います!!」
何故か腰に手を当て、「えへん!!」と威張っているハゲロウさんに向かい、悠一くんは重ねて聞きました。
「街の門の外にいるゾンビたちは今どうしていますか?」
「ああ、彼らならみんな、門の外のほうで楽しくやっておるようですよ。輪になって「マイムマイム」を踊ったりなんだり……あとは悠一くん、君に教えてもらったダンスの練習をしたりしておるのではないかね」
「そうですか。なら良かった。あんまりゾンビの人数が多いもので、いきなり全員に街の中に入ってもらったのでは、ウフフアハハ市のみなさんに迷惑がかかるだろうと思って。でもお笑い大会が三日後っていうことは……明日から僕もリハーサルを兼ねてみんなとダンスの練習をしなきゃ」
「あの出し物であれば、きっとゴロツキングさまもウフフーミンさまも喜ばれることでありましょう。では、驚かせてすませんでしたな、ユーイチさま。わしは部屋の外で待機してますんで、以後何か御用がありましたらなんでもお言いつけください」
そう言ってぺこりと一礼し、ハゲロウさんは下がっていきました。悠一くんは枕に頭を就けると、もう一度眠ることにしました。ゾンビたちはみな気のいい人たちばかりですし、このゾンビ世界と前いた自分の世界とを比較した場合――死後のゾンビたちのほうが概して善良であるように悠一くんは感じていました。けれども、この日も悠一くんはやはり、眠って目が覚めたら前の世界に戻っていて欲しいと願いながら眠りに落ちていったのです。
(でも、もし僕がこれからもこのままこの世界に居続けなきゃいけないのだとしたら……何かこちらへ飛ばされてきた理由のようなものがあるのだろうか?そして、もし仮にそんなものがないのだとしても、そう信じていたほうが今の僕にとっては幸せだ。そのミッションのようなものを果たしさえしたら、また元の世界へ戻れるに違いないと信じていたほうが。そしてそう考えた場合、僕は第一にまず西の国の王であるゴロツキング王に会った。そのうち、時期が来たらおそらく、南の女王のアビシャグさまにも会うということになるだろう。いや、僕はアビシャグという美の追求に余念がないという女王に会いたいというより……僕と同じ、生きた人間だっていうシェロムっていう人に会ってみたいんだ。それに、ゾンビというのは南の砂漠の果てからどこからともなく姿を現すという。もし、この南の果てに何があるのかがわかれば……前の世界に戻れたりするんじゃないだろうか?)
悠一くんはこうしたことについて頭を悩ませながら、やがて眠りの国へと意識が運ばれていきました。そして、目が覚めた時、あたりはすっかり明るくなっていたのですが、悠一くん自身、自分が寝ている間意識のほうがどうなっているのかわからないように……ゾンビたちの意識のありかといったものも、まったくもって謎に満ちていると、この日の朝、悠一くんはそんなふうに思っていたかもしれません。
>>続く。