『赤城教頭の過失 <第1話>』作:ことね
或る日の放課後、両袖のデスクに腰掛けた教頭の赤城春江がスマートフォンを見つめて泣いていた。
時を遡ること六時間前、
昼休憩中の赤城教頭のもとに、高等部2年の沼すみれが訪ねてきた。コピーではあるが、秋の弁論大会の各クラス代表の原稿を全て回収してきたのだ。
赤城教頭は、下を向いたまま「はいはい、ご苦労さま。ありがとうございました。」と、すみれに声をかけて、メガネをずらして上を向いた。
沼すみれは真面目な学生なのだが、何故か頭がアフロヘアーになっていた。
彼女は、あちらこちらの時代を覗いては影響を受けて帰ってくるらしく、今はどうやら70年代のディスコファッションに感化されているらしい。
赤城教頭は気持ちを鎮めるために小さく咳払いした後「………その髪型、なかなかお似合いよ」と微苦笑を浮かべた。
教頭に褒められると、沼すみれは映画『サタデーナイトフィーバー』の主演、ジョン・トラボルタがするのと同じポーズを決めた。
教頭は、その決めのポーズの右腕に『風紀委員』の腕章を見咎めると思わず吹き出してしまった。
そして、ひとしきり笑うと、 「どれどれ、弁論大会の書類は……。」と弁論大会の原稿に目を落とした。
「ん?3年A組の磯野ウニ君は……『世界の薄毛事情』!?なんだろーねー、これは。
あ〜、あの子は10代だと云うのにおぐしが─。あらあら。悩んでいたのねぇ。
哲道麗華さんは『牛回帰論』?? さっぱりわからないねぇ。 枚方こしみ君は『ギリギリセーフのセクハラとは』?
深海なまこ君は『よしえ、フルハムロードを行く』よしえって誰なんだい??なんだか人選を誤っていないかいっ!?え?」
赤城教頭はうんざり顔で、原稿のタイトルに目を通していたが、関心を引くものも幾つかあったらしい。
「んっ?『未だ増え続ける現代の奴隷たち』?御手洗ひふみさんですね。 うーん、……重厚な内容だわぁ。 しかも緻密な文章ですよ、これは!関心関心。
沼さんは?これね?『世界から見た日本の教育と女性の社会的地位』 ?あらあら、これは、大学生レベルよ。あなたヘアスタイルもなかなかだけど、御手洗さんもだけれど、お二人の原稿は論文として出せるほどの内容よっ!」 沼すみれは教頭に褒められて、またしてもフィーバーのポーズを決めた。
沼すみれは、2014年、中学の頃に、北欧のと或る国からやってきた帰国子女だ。その国では資源がないので、子供たちの教育こそが国の繁栄を左右する、故に子供たちは両親の子供であることは勿論だが、国家国民全員の子供でもあるという共通認識が根付いていて、税金は高いが、教育費は一切かからない。
どんな貧しい家庭に生まれた者も高等教育を受けられる万全の態勢が整えられていた。
彼女は、そのような環境で育ったせいなのか、以前から今暮らしているこの国の子供の教育や、女性の社会的地位に就いて教頭に疑問を投げかけていた。
たしかに、沼すみれはあちらこちらの友人のところにタイムワープしているので、常にファッションが時代錯誤した不思議な少女だが、その明晰な頭脳と、冷静な正義感は、全教職員たちから一目置かれていた。
その教員たちの中でも特に一際沼すみれに目をかけていたのが赤城教頭その人だった。
「沼さんは、何故このテーマに決めたんですか?」赤城教頭がメガネをずらして沼すみれに尋ねてみると、こんな答えが返ってきた。
「とてもいやなニュースがスマホの中にあったんです。私が日本に来る前のニュースなのだけど、日本では何故母子家庭でこういう事件があるとお母さんだけが矢面に立って父親の存在は語られることがないのかなと思って………。」
そう言って赤城教頭にスマートフォンの中の凄惨なニュースを見せた。
ちなみに、沼すみれから教えられたニュースは、こんな内容だった。
『母子家庭の若い母親が、新しい恋人が出来た日から自分の娘に虐待をしはじめて、最後には橋の上から女児を突き落とそうと企んだ。女児は最初は抵抗したものの、とうとう最後は、抵抗をやめ、バイバイの一言を残し、自ら飛び込んだ』というニュースだ。
その悲しいニュースは教頭の胸の中に、外れぬ釣り針のように引っかかってしまった。
故に、放課後改めて独りそのニュースを見て、教頭は涙を抑えられなかったのだった。
いつも威厳ある風体の教頭の異変に気づいた教員たちが、何事かと恐る恐る近づいてくると、教頭は気配に気づき慌ててハンカチを取り出した。
赤城教頭は本当は明治生まれだが、科学者の両親の計らいで、大正時代、10代の頃に海辺之学園にタイムワープしてきた経歴の持ち主だ。
裕福な家庭に生まれたが、貧富の差による悲しい境遇の人々を少なからず見てきた記憶は消えない。 犠牲者は必ずいつも、そして今も、弱い者達だ。
どう見ても、その筋の者にしか見えない広能文太教諭が「教頭、どうしたんですかいのう?」と声をかけると、教頭は「ちょいと聞いとくれよぉ、皆さん」と若い教職員たちにスマートフォンの中のニュースの話しをした。
「一昨年のニュースだからさぁ、広脳先生、あたしゃ、タイムワープして、この母親に一言叱りに行きたいよっ!」教頭が発してはいけない言葉を吐くと、全員が押し黙ってしまった。
海辺之学園の校則は、時間を行き来する自由は認めている。 しかし、歴史を変えることは学生達だけでなく教員も例外なく厳罰に処される。 解雇処分は免れない。
それどころか、元いた時代に返されてしまうこともありうる。
「教頭、それは、…………」若手の女教師麻宮が、ちいさく、静かに、顔を左右にふった。
「麻宮先生、ええっ、わかっていますとも。私はそれを誰よりも、わかっています。」 そう言うと「このお話しは忘れてください。さぁ、皆さん帰りましょう」と笑顔を取り繕った。
赤城教頭には歳の離れた弟妹がいた。
しかし、家族全員が、頭脳明晰な春江に全てを託して、タイムワープするよう勧めた。
「おまえなら」、「あなたなら」、「お姉ちゃんなら」、「きっと未来のお役に立つに違いない」そう後押ししてくれた。
学園を背にして歩きながら、赤城教頭は考えた。
(社会貢献とは、この学園の教員になる事だったのだろうか? 時代はまるで、平等かのように見える。 春江のいた時代よりも確かに人々は自由なのかもしれない。言いたいことが言えもするし、食べたいものが食べられもする。しかし、豊かさとは、今のこの時代の有様であろうか?)
頭の中で不毛な堂々巡りをした。
(本当に、小さな命の信号の明滅は、歴史の流れを変えてしまうのだろうか?)
すると、何を思い立ったのか、赤城教頭は踵を返して、足早に学園に戻って行った。
─ひと気のない職員室は窓から差し込む夕日でオレンジ色に染まっていた。
赤城教頭は真一文字に唇を結んだまま、引き出しからスタンガンを取り出した。
他所の町で校内に忍び込んだ不逞の輩が小学生を殺めるという不幸な事件が起きて数年後だった。文部省から生徒たちを守るためという名目の下、各学校に護身用のスタンガンが配布されることになったのだ。
「学び舎にこんなものがあるなんて、なんて時代なんだいっ!」忌々しそうに呟くと、スタンガンをバッグに忍ばせて、また正門に向かって行った。
正門前で守衛が教頭を見て「忘れ物はありましたか?」と人好きする笑顔を浮かべた。
教頭が「ええ」と愛想笑いを浮かべてバッグから出したスタンガンを守衛の腹部にあてると、たちまち守衛の身体が、くの字に折れ曲がって校庭に倒れた。
「守衛さん、ごめんなさいね」
気を失った守衛に詫びると、赤城教頭は守衛室に入り、時間移動装置の操作パネルに向かい『移動目的年月日』を入力した。
『2014・12・24・09:00』
すると、守衛室の天井の赤色灯が回転して警告音が鳴り響いた。
確かに海辺之学園には時間を自由に行き来する装置がある。しかし、時間を移動するには、底意センサーを通り過ぎなければならない。例え無意識下であろうと、センサーは、心の奥深くに時代を変えようという気持ちがあれば、底意を発見し移動の禁止を警告をするのだ。
「警告!警告!底意センサーガ時間移動ニ対シテ警告ヲ発シテイマス!スミヤカニ移動ヲ中止シテクダサイ!警告。警告。時間移動ハ中止シテクダサイ!」無機質な機械の声がスピーカーから蹴り返された。
「知ったこっちゃないよぉ!」
かくして、赤城教頭が強制実行のボタンを押すと、中世ヨーロッパの城にあるような巨大な門が音をたてて開いた。
<後編につづく>
(2014/11/8 22:15:52)




