哲学猫シリーズ2『トラの視界の多江』 作:すみれ
【はじめに:この物語は、珍しく、永遠に黄昏時のままの黄昏市迷子町が舞台ではありません。当たり前のように時間の流れと共に四季折々の景色が変わる、ありふれた日本のとある町での物語です。】
その、とある町のとある国道沿いに、大正モダニズムな看板建築の、古い木造の古本屋が建っている。
古本屋の看板には『是清堂』。
右隣には、古本屋の佇まいよりも若干新しい、同じく木造の不動産屋さんと、左隣はそれよりも割りと時代の新しく重厚な整骨院が建っている。
いわば、コンビニエンスストアや、食堂などは誰もが気軽に立ち入れる店だが、不動産屋や整骨院は、そこに入る目的がないと立ち寄れないものである。
古本屋というのは、店主次第でそのどちらにも趣が傾く。
店先に、漫画やコミック、雑誌のバックナンバーなどがあれば、誰でも気軽に立ち寄れそうだし、逆に、専門書や文学全集、実用書などが並べば、入店する客が少し限定される。
『是清堂』はその屋号よろしく、ご多分に漏れず後者であり、それでも道行く客が立ち寄るとすれば、軒先のワゴンの中に、無造作に並べられた中の『今夜の料理100選』だとか、『医者いらずの健康法100傑』とか、『かくして、ゲーテは日常にありき』などといった実用書だの、啓発書みたいなものに足を止める人もたまにいるのではないかという程度のものである。
そんな佇まいな軒先でも、朝と夕方は少し事情が異なるようだ。
朝はジョギング中の中高年の方や、近くの高校の生徒たちが足を止め、また、夕方には買い物帰りの主婦などがやはり足を止めるのだ。
とりたてて別に、朝市やワゴンセールなどがあるわけではない。
お目当ては、そのワゴンに飛び乗って、のんびり寝そべるノラ猫のトラが目当てである。
トラがこのお店の軒先の、ワゴンの上を「定番」にしたのは、およそ2年前くらいからである。
もとはどこかの飼い猫だったらしいのだが、住処であったそこは、いまは別の家族が住んでおり、トラの居場所はなくなった。
トラはそれから、転々と住処を変え、この軒先のワゴンの、『志賀直哉全集』の上と、ここから1.5km先の神社のお賽銭箱の裏が定宿となった。
勿論、『是清堂』の初老の店主は、あまつさえの商品の上にドッカリと居座るそのトラを何度となく追い出したことはあったが、トラはその風体に似合わず表情は愛くるしく、人懐っこさもあって、いつからともなく軒先で足を止める人も増えてきた。
招き猫の恩恵にあやかり、大して売れないだろうの在庫もちょこちょこと捌けるようにもなった。
志賀直哉先生には大変お気の毒なのだが、その全集の上にいぐさを編んだマットが敷かれ、トラの安住の場所が設けられた。
やがて、登校途中の高校生たちを見送ると、トラはワゴンを飛び降り、国道から商店街の方へと足を向け、おでん種を扱うお惣菜屋さんでおかかご飯をもらい、小料理屋の玄関先でニャーと鳴けば、煮干しにありつくといった日常を送る。
この町内では、トラを知らない人もあれど、トラを邪険に扱うような人は誰もいなかった。
夕方には、昼前に通った商店街を戻り、また『是清堂』の軒先のワゴンに飛び乗ってお昼寝をする。
買い物袋を下げたお母様方に撫でられ、お昼寝の邪魔をされる毎日ではあるが、大して嫌がる素振りも見せず、顎を上げて喉元を擦れのおねだりも欠かさない。
国道を行き交う自動車のヘッドライトが点灯する頃に、ようやく主婦たちからも開放され、丸メガネの店主からの差し入れを頂くと、またワゴンを飛び降り、それからもう一つの塒の、神社へと足を運ぶ。
神社の御神木の欅の袂に着く頃は、既にお月様が天頂を輝かす。
そして、御神木の影からそっと姿を現す、「多江」という女の子と会う。
多江はたぶん、5歳くらいで、いつも絣のパッチワーク風の袢纏に、苔桃色のモンペを穿く。左胸には多江の名前と住所が書かれた布切れが縫い付けてあった。
多江の存在は、このトラと、もしかしたら、哲学猫しか見ることができないようだ。しかも、多江の姿は年々薄くなり、消えかかっていた。
トラは多江の傍まで近寄り、寝そべる。多江は優しい顔で微笑み、そっとトラの背中を撫でた。
この神社に先に棲んでいたのは、おそらく多江のほうが先である。
この神社も、戦後に再建されたものらしいが、この欅は、それよりも前からずっとここに生き残っていたものである。
昭和20年の3月午前0時すぎ、十数機のB29爆撃機は、この町の上空を掠め、何百という焼夷弾を降らせた。
木造の家屋が多かったこの町の殆どは焼き尽くされた。多江はたぶん、その頃に存在していた少女である。
多江は毎晩のように、トラの背中を擦りながら、お父ちやまやお母ちやまのお話を聞かせていた。お父ちやまは当時、大學の先生であった。
お母ちやまは父のかつての教え子であり、まもなくして多江が生まれた様子だった。
多江はおとうちやまとお母ちやまが結ばれた大學といふ場所に行きたかった。
しかし、5才の多江には、小さなおはじきをならべて、数えることが精一杯の学習だった。
多江はトラの背中を撫でながら「トラちやんもいっぱいおべんきょうしてね」と言い聞かせた。
多江が見つめるこの町の風景は未だ、空襲前の木造家屋がひしめいている。
そして、この欅こそ、多江がずっと心の拠り所にしているアイコンである。
トラはこの町で、どれほどの悲しみがあったか知る術はなかったが、多江のひたむきに想う気持ちには自然と応えられていた。
「そろそろいかなくっちゃ。トラちやんばいばい。またあした。」
そういって、スッと消えてゆく多江を見上げ、それからお賽銭箱の裏へ移り、眠りについた。
朝焼けの群青の空に染まる町並みのシルエットを向こうに、哲学猫は、赤信号の灯る横断歩道の向かい側で、のんびり歩くトラをしばらく眺めていた。
おわり (10/27 09:51:01)




