『哲学猫』 作:すみれ
この学園には、隠れキャラというか、有名なものがいくつかあるそうな。
その中のひとつに、『哲学猫』と呼ばれるネコが、いつのまにか校庭に棲み着いて、生徒や先生の何人かは、校舎と体育館の渡り廊下で、とか、おひょい校長や小保方栄養士さんは、プールの浄化槽裏のパイプの物陰に、とか、用務員さんもまた、校庭の隅の欅の下の、つつじの植え込みとパンジーの花壇の辺りになど、哲学猫の学園を見回っている姿がたびたび目撃されたそうな。
哲学猫の姿は、毛は白く、ただ鼻下に黒っぽい毛がチョコンって入って、その黒っぽい毛がまるでひげを生やしてるようにも見えて、その風貌から哲学家っぽいネコ、で、哲学猫と呼ばれる説、生徒が踊り場で一人物思いに耽っていたり、考え事をしている時に遭遇することが多いから、いつからか哲学猫と呼ばれている説など由来が幾つかあった。
哲学猫の守備範囲も割と広く、学園の外に飛び出せば、道路を隔てた向かい側の公園、公園角の交番の前、近所の病院の裏庭などにも、しばしば出没していた。
この側道を通学路にしてる小保方栄養士の娘も、何度か、この哲学猫と遭遇している。彼女は、そのネコを「シュレ君」と呼んでいた。
「シュレ君」の名付けの由来は、あの、シュレーディンガーの猫。
ただ、シュレーディンガーの実験に使われたネコという発想じゃないらしい。
シュレーディンガーの猫では、ひらたくいえば、とあるネコを用いた実験装置で、その結果、ネコの生死の確率が50/50(フィフティフィフティ)であることによって、実験観測後に得られる結果には、実験観測前に想定される結果(猫の生死がどちらでも予想される状況)を検証することができない、科学的なパラダイムの確率課題と結果の二律背反性を含む矛盾ということだが、彼女が「シュレ君」と呼ぶのは、登校時か下校時のどちらかででくわす機会があること、または、下校時と登校時に会える日があった時と全く会えない時がだいたい同じ頻度なこと、総じて50%の確率で出会えるので「シュレ君」と呼んでいるそうだ。
哲学猫のあずかり知らぬところで、このように、学園の内外に多くファンを持つ哲学猫には、もうひとり熱い視線をおくっている子がいた。
学園の正門より西南向きに、そこに3階建ての中規模な病院があって、その病院の2階には小児科付属の病弱児病棟があった。
学園でいえば中等部の佐絵ちゃんと同い年の、退院を3週間後に控えていたまゆちゃんは、いつもまゆに元気をくれていた哲学猫をモチーフに、ベッドに腰掛けて、窓辺を眺めては、画用紙いっぱいにパステルと色鉛筆と、水性のカラーペンを使って描いていた。
まゆは6歳から、この病院で過ごしていた。放火による火事で、2つ下の弟を失い、まゆも右頬から右手、右半身の60%と右耳の聴力を失うやけどを負った。
何度も、痛い人工の皮膚の移植を受け、歩くのも難しかった下腿も、12歳になる頃には、なんとか松葉で歩けるくらいにまで、リハビリに励んだ。
でも、まゆはお友だちをつくるのが怖かった。
病院の中という特別な環境でも、医師や看護師、ST(言語聴覚士)さんやPT(理学療法士)さんは、まゆに優しく接してくれていたが、同い年や年下の子どもの患者さんやお見舞いや付き添いの子どものまゆに対する評価はストレートに辛かった。まゆのやけどのせいで、「おばけみた~い」と揶揄われたりした。
怖がって何も話してくれない子もいた。
それでも、病棟学級の授業は必ず出席した。
まゆは外を眺めるのが好きだった。
変化のない病室と、自由な外。窓ひとつ隔てた向こう側は、まゆの知りたいこと、楽しいことがいっぱい詰まったキャンバスだった。ある、雨が降るそんなある日の午後、まゆはいつもどおりにじっと、病室の窓を開けて、裏庭をのんびり歩く白いネコを見つけた。
まゆは「そんなところにいると風邪ひいちゃうよ」と、そのネコに声を掛けた。ネコはムクッって顔を上げて、まゆの顔を見つけて、じっと見つめた。それから「ニャー」ってゆって、のんびり植え込みの陰に消えていった。
学園の生徒や小保方栄養士の娘が、哲学猫に遭遇するのが、だいたい50%以下くらいにレアだったのに、まゆと哲学猫が遭遇する確率は80%と高かった。
まゆは哲学猫を見つけると、なにかと一言声をかけた。
「何して遊んでるの?すずめちゃんがいるの?」とか、「車に気をつけてね。飛び出さないでね。」とか、その声が哲学猫の小さな耳を軽く震わせ、顔を上げて、「ニャー」と鳴いた。
まゆは特別支援学校の高等部への入学が決まった。
まゆは毎週2回のガーゼの交換と聴覚検査とリハビリのために病院に通院しなければならなかったが、でも、ずっと憧れだった外の世界に飛び出すことができるようになり、とても嬉しかった。
もちろん、特別支援学校に通う不安も同じくらいあった。
いつもめんどうみてくれる、大好きな看護師の美衣さんにも、何度も心の中を打ち明けた。美衣さんはいつも笑顔でじっと聴いてくれて、それから、「まゆちゃんなら大丈夫。」って励ましてくれた。
それでも夜になると不安で涙が止まらなかった。
夜のカーテンは開けちゃいけないのがルールなのに、破って、カーテンをそっと開けて、窓を開けた。すると…
いつものところに、哲学猫がじっとまゆの方を見上げていた。
暗闇でぼんやりと動く白い姿、光ってる目。まゆは「どうしたの?おうちにおかえり?」と声尾をかけた。哲学猫はじっとして、それから「ニャー」と鳴いて、あの植え込みの方に消えていった。
なんだかわからないけど、なんだかすっと不安がなくなっていった。
いつもと変わらないネコの表情。なんだか、「なんでもないよっ」て励まされている気がした。まゆは窓の鍵とカーテンを締め、眠りについた。
退院が決まったその日、医師や看護師、それから一緒に生活してきた患者さんたちからのカードや寄せ書き、花束を受け取ってまゆはパパの運転する車をロビーで待っていた。
まゆは看護師の美衣さんに、「これ、どこに飾っておくの?」と、哲学猫とありがとうの字が入った絵にジグソーパズル用の額を付けてもらって、まゆに見せていた。
まゆは、裏庭で見えるところにお願いしますと、美衣さんに伝えた。パパの車が発車するまでの13分、まゆはもう一度あの、哲学猫に会えないかしらとキョロキョロ見渡すけど、遭遇の機会は叶わなかった。
まゆちゃんを見送った2時間後、美衣さんは裏庭で、ガーデニング用の小さな台にまゆちゃんの絵の額に雨に濡れないようにビニール袋をかぶせ、立てかけた。
でも、美衣さんは哲学猫の存在は知らない。それからまもく、ナースコールのPHSが鳴り、そそくさと病棟に戻った。
蜩と邯鄲が鳴く夕暮れの側道で、小保方さんの娘さんは、久しぶりにシュレ君に出会った。
シュレ君のあとを追って見ると、柵越しに病院の裏庭の、絵が飾られたガーデニング台の前に佇んで、それから「ニャー」と鳴いた。
彼女は、シュレ君の白い毛が夕日に傾くオレンジ色に染まる丸い背中を見届けて、
「また、明日も会おうね」って小さく声をかけたそうな。
おわり(2015/8/26 15:26:32)




