浸入
眼下に広がる一級都市。
夜の闇に広がる光のビル群。
辺りに立ち込める光化学スモッグの中、風を切りながら俺は落ちて行く。
縦横無尽に張り巡らされた立体高速管。
その中を走る無数の浮揚車の光。
速度は増し、次第に都市の細部が見え始める。
外装頭蓋の拡張視界には都市構造が投影されている。
複雑に入り組んだ階層構造。
超巨大企業の富の象徴の摩天楼。
その下に広がるのは劣悪な環境の貧困街。
「嫌な世界だぜ」
口元を歪め呟くと同時に、強化外装が減速を開始する。
俺は貧困街までは落ちない。
俺が落ちるているのは、のし上がるためなのだから。
目標はエデン社の本社ビル中央の最厳重に警備された一室。
実世界の視界に合わせて、拡張視界に侵入経路が表示される。
未発見の脆弱性を突く経路。
繰り返される増築で誰も全構造は把握できないような、複雑怪奇な配管構造の中に滑るように入り込む。
流石は貧困街最強の情報屋のスパイダーだ。
地図に示される経路は全容把握不能で、微細な隙間を抜けて行く。
こんな抜け道どうやって見つけたんだか……
太古の昔からあるんじゃないかというくらいに、赤錆でぼろぼろになっている配管。
ところどころから漏れ出す蒸気が強化外装を直撃する。
保護されているから、熱さは感じないが、揺れる飛行は快適とは言いがたい。
勿論、流石はTOE社製の試作型強化外装KK-110『バアル』だ。
操作性しかり、身体適合性しかり、百二式汎用強化外装を流用した今までの自作強化外装『ムサシ』とは比べ物にならないくらい素晴らしい。
流線型の外観は、浮揚飛行時の最大速度、加速度を大幅に向上させる。
さらに、三層構造の骨格には、一層と二層の間に所狭しと武装が格納されている。
総装備時の『ムサシ』のごちゃごちゃした感じと比べて、つるんとしてシンプルな設計だが、全身凶器の武装だ。
単体で、敵陣への侵入から敵の殲滅までをこなす為に創られたマシン。
「TOEだけは敵に回したくねーな……」
自動操縦装置が、警告音で本社ビルへの到着を知らせた。
ここから先は、俺の本職だ。
侵蝕の傭兵の二つ名は伊達じゃ無い。
「さてさて」
小さく呟きながら、排気口から廊下の様子を伺う。
六角形の断面状の廊下は、黒を基調として、所々には配線が見え隠れしている。
拡張視界には、現実映像に紐付けて拡張現実が表示される。
外装上肢の右手の甲を軽く二回タップして、監視粒子を廊下に放った。
数秒後ーーALL CLEAR
視界の右下に探査結果が表示された。
「さて、行こうか」
光学迷彩を起動し、
監視カメラへの偽装工作の完了も確認して、俺は配管から廊下へ出た。
敵陣のど真ん中、胸が昂ぶるこの感覚が最高だ。
潜入作戦を開始した。
外装下腿がわずかな振動とともに、歩行を補助する。
大戦時代に、PM-2600と防弾チョッキ一枚でタイタス社に潜入した時のことを思えば、ここまで至れり尽くせりの強化外装での任務ばかりのこの時代は、楽なもんだ。
監視粒子でこの空間に敵影がないことは確認済みで、たとえ敵が現れても光学迷彩のおかげでバレはしない。
と言ってもまあ、最後の最後には搭乗者の腕の問題にはなる。
だからこそ、俺は飯を食っていけているわけだからな。
人工人格のアンドロイドの中には俺ぐらいできる奴もいるかもしれないが、人工知能では俺レベルの潜入技術は模倣できていない。
人間の能力の根源は経験主義にあるということだ。
一分ほど歩くと、廊下は行き止まりになっていた。
炭素由来の黒色ののっぺりとした壁が立ちはだかる。
「これが噂の超硬磁性炭素繊維製の隔壁……」
エデン社の最新技術の結晶として作られた扉に思わず声を漏らした。
しかし、認証機構はDNA照合とIDカード、一時間毎に更新されるパスワードの三つ。
俺から言わせれば、お粗末すぎる認証機構だ。
あの世界有数の超巨大企業であるエデン社とは思えない。
まあ、普通はこんな最深部近くに潜入される前に侵入者は排除されるはずだから、仕方ないといえば、仕方ない。
扉自体は超硬磁性炭素繊維という核爆弾の直撃さえも耐えれるとかいう噂の化け物級の頑丈さと、特殊な電気的性質でもって形状を変化させられるという特徴を持っていて、扉というものにつきものの可動部の脆さという弱点が全くない。
認証に成功すれば、扉自体の形状が変化することで道ができるというわけだ。
しかし、そんな単純性能は問題じゃない。
俺たちみたいな人間に言わせて貰えば、侵入者に対する一番の弱点は人間という脆弱性であって、それはどんな対策をしても残り続けるものだ。
だからそう、扉はこじ開けるものでもなければ、真正面から向かっていくものでもない。
扉とは、相手に開けてもらうものだ。
六角形の通路の右側に張り付いた制御盤にUSBコードを差し込んだ。
コードの先は『バアル』の攻撃性電子回路に繋がっている。
これは、最新式の人工知能によって相手のシステムに不正アクセスを仕掛けることを支援する回路だ。
最新鋭ではあるが、人間の最高位の技術者には敵わないため、扉を開けるなど完全に保護された部分には触れられない。
しかし、直接扉を開ける必要はないのだ。
システムの末端部分である警報システムに侵入し、サブルーチンを呼び出した。
ーーけたたましい警告音が辺りを支配し、壁に埋め込まれた電光樹脂が赤色に発光する。
施設全体が慌ただしい状態になっていることを感じる。
有毒物質発生の警報から逃げない人間はいない。
それがたとえ、最深部の守衛であっても。
壁に張り付いて息を潜め、例の扉が内側から開くのを待った。
十数秒後、黒い壁だった扉は、その中心からうねるようにしてぽっかりと穴を開け、半径2メートル程の通路を形成した。
その中から真っ黒な最新式の武装警備服を身に纏った三人の男が駆け出た。
外装頭蓋は外していて、人相の悪い顔でガヤガヤと話しをしている。
貧困街の賭け試合の選手の話で盛り上がっている。
俺は、ただの犬に堕ちたやつらを一瞥し、扉が閉まるまでの一瞬をついて中へと入り込む。
足音は防音ゴム製の靴底が吸収してくれる。
扉を抜けると、ぽっかりと空いた空間に出た。
ここは、建物の内部に独立して浮かんだ超硬磁性炭素繊維の球体の中であり、今通ってきた通路以外に出入り口はない、完璧な防御だ。
後ろで扉がうねりながら閉まる音がした。
完璧な密室が完成した。
そして、見上げた先、強化ガラスの向こう側に『それ』はあったーー
ーーガラス球の中の液体に浮かんだ『それ』は、裸の少女の姿をしていた。