6 ヴィルとティリア
良いとこの坊ちゃんたちが集まるのだから、寄宿舎でも節度を守って行動してくれるだろうと見込んでいたのは見当違いだった。
上半身裸で共同スペースを歩き回るのは当たり前。最初見たときはぎょっとして目を逸らしたが、今では慣れたものだ。たまに良い筋肉に遭遇すると「お、目の保養」と思えるまでには余裕を身に着けた。そんな余裕はいらない。
今のところ真っ裸には遭遇していないのが救いである。
「はあ……」
授業後のざわめきに満ちる教室で、僕は人知れず嘆息した。
心配事といえば、勉強についても不安が付き纏う。数学のレベルが思っていたより高いのだ。四則演算はできるのが前提で、高等生には二次関数が容赦なく突きつけられる。
二次関数ぐらいならついていけるが……ついさっきの授業で使った教科書をパラパラとめくって絶望する。証明嫌いなんだよ……確率も嫌いだし微積分なんて何がなんだか覚えていない。大学受験したの何年前だと思ってるんだ。高校数学の記憶なんて干からびてるわ。
この世界にピタゴラスやアルキメデスのような数学者がいたとは思えないが、同レベルの偉人がいたのは間違いない。ちなみに僕は世界史は得意だったというバリバリの文系だ。
高等舎は14歳になる年に入学するが、なるほどこの水準の教育を家庭でしようとしたら大変である。
学園はお金がかかるので、うちのような弱小貴族はできるだけ家庭で教育を施す。アレクシスのように幼稚舎から通っている生徒は、それだけでお金に余裕があることが推測できた。
それならば学園に通わせなければいいじゃないかとなりそうなものだが、そうするとただでさえ薄いコネがなくなりジリ貧になってしまう。将来を見越すと通っておいたほうが賢明なのだ。
まだ実家にいるとき、手持ち無沙汰にこの世界について考察してみたことがあった。
我が国は貴族平民に関わらず読み書きができる、教育水準の高い国だ。さすがに数学や哲学等の高等教育は貴族階級のみの特権だけれど。
そして、日本とは比べられないが、使うのに支障がない程度のシャワーやトイレも存在する。上下水道が整備されているということだ。ここから生活水準の高さも窺い知れる。
僕がゲームをやっているとき、建物の雰囲気から中世ヨーロッパを想像していたが、水準的には高度な文明が終わって自然回帰した後という印象だ。
これは勝手ながら作者の知識不足からではないかと予想している。ゲームを作成したとき、細かな背景は作りこまなかったため、作者自身の生活レベルに合わせて世界が構築されているのだ。それか、作者の創造世界に近付けるために社会システム等が醸成された結果が今の状況なのか。
どちらにせよ、僕としては有難い。有難いんだけど、学問についてはもっと楽したかった。数学の教科書を手慰みに繰りながら、二度目のため息が零れる。
「どうしたんだ? 白皙の美少年の憂い顔に男どもがうっとりしてるぞ」
「なんだそれ」
ヴィルが顔を寄せて小声で冷やかしてくる。なんで男だよ。そこは女だろう。
試しに教室内を見回すと露骨に顔を逸らされた。悲しいかな、見慣れた光景だ。僕は諦め悪く、じっとクラスメートを見つめた。あの男子、髪型にこだわってなさそうな純朴な感じがいいなあ。友達になってほしいなあ。こんなアクの強い奴じゃなくて……。
どちらに対しても失礼なことを考えつつ横目でヴィルを見ると、当人はティリアを眺めていた。
「ティリアちゃん可愛いよな」
ティリアはアレクシスと楽しそうに雑談している。アレクシスがティリアに向ける眼差しは優しい。
「そうだな。その割には自分から話しかけたりしないよな」
「俺は可愛い子より美人が好きなの。お前が女だったらなあ……ドンピシャだったのに」
「……男でよかったよ」
危なかった……ほらね、僕って美人だからやっぱり女のままじゃ目を付けられてたかもしれない。完全にナルシストな思考で自分の判断の正しさに頷いた。
それはそうと、自分の男装がここまで完璧だと末恐ろしくなる。男勝りな口調に違和感がなくなるにつれて、思考回路も男に寄ってきている気がしてならない。
こんなふうで本当に卒業してから結婚できるのだろうか……不安になってきた。
ティリアとヴィルが急接近し始めたのは、入学からひと月ほど経った頃だった。
「あの、ヴィルジール君、ちょっといいかな?」
「何かな?」
移動教室の最中に呼び止められたヴィルは、ティリアを認めると穏和な笑みを浮かべた。ヴィルの王子様面を見ると身体が痒くなる。過去に本人に言ったら頭をはたかれた。
ティリアは俯いてもじもじとしている。
「ここじゃ話しづらいから……」
「わかった。移動しようか」
ヴィルは僕にしか見えないようにウインクした。奴の思惑が手に取るようにわかる。「タイプじゃないけど向こうから来るならやぶさかじゃない」だろう。
僕は手をひらひらと振って、その場を後にした。




