2 そうだ男になろう
あれから5年。
「思い出した……!」
「姉さん?」
怪訝そうな弟をよそに、私は頭を抱えた。
エドウィーナは悪役だ。乙女ゲーのヒロインの攻略対象の一人に恋をしてヒロインに嫌がらせをしたあげく、証拠を叩きつけられて学園から追い出される。それだけなら別にいいが、攻略対象は権力者ばかりなので、その後私の父は政界から追放されてしまうのである。
自慢じゃないがうちは大してお金を持っていないし、領地に資源があるわけでもないので、今ある細ーいコネがなくなっただけで一気にジリ貧になる。
どうしてこんな重要なことをギリギリになって思い出すかな、私は!
私はどうすればこの危機を乗り越えられるか思考を巡らせた。
私が攻略対象者たちに近づくのは、避けようと思えば可能だろう。しかし向こうから近づいてきたらどうすればよいのか。
断じてナルシストというわけではないが、私の容姿は大層整っている。栗色の髪は背中の中ほどまであり、瞳は知性を感じさせるサファイアブルー。大きすぎず小さすぎない鼻や口のパーツの配置も絶妙で、強いて欠点を挙げるならば唇が若干薄いがそれも涼やかな目の印象と相まってむしろ美点という、ちょっとそこらにはいない美少女っぷりである。両親に溺愛されたのも頷ける話だ。
男がこんな美少女を見て放っておくだろうか。いいや、そんなはずはない! もうナルシストでいいや、これは事実なのだから仕方ない。
ではどうすればよいかと考えて、私はひらめいた。
「そうだ、男になろう」
「姉さん、まさかまた変なこと考えてないでしょうね?」
ユリシスが私を懐疑の目で見てくるのを無視して沈思する。
男のふりをすればまさか男たちが寄ってくることもないだろうし、たとえ仲良くなっても恋愛沙汰にはならないだろう。私の悪役としての役割はなくなるし、家族にも迷惑をかけることはない。
そう判断するや否や、私はすぐに行動に移した。すなわち、髪をバッサリ切ったのである。
晩食で私のざんばらな髪を見た父は絶句し、母は卒倒し、弟には鬼の形相で怒られた。
「姉さん、一体あなたは何を考えているんですか。せっかくの髪を台無しにして……!」
「私、いや、僕は今日から男になる! 姉さんじゃなくて兄さんと呼んでくれ」
ユリシスが今まで見た中で一番面白い顔をしている。この世界にカメラがあったら記念に写真が撮りたかった。
「……どういう意味ですか」
「わた……僕は学園に行って男たちに恋だの惚れただので言い寄られたくない。僕が男の格好をしていればそういう対象にはならないでしょう? 大丈夫、卒業したら元に戻るから」
ゲームの話は学園内だけだったから、卒業してしまえば関係ないだろう。私は楽観的に考えた。
私が気楽に構えている理由は他にもある。私はまだ社交界デビューをしていないのだ。そしてうちはしがない子爵家。子どもが息子2人だったか3人だったかなんて、貴族マニアでもない限り覚えている人はいないだろう。たぶん。きっと。
ユリシスは突拍子もない私の提案に意外にも考え込む。
「僕はそもそも姉さんが学園に行くことに反対していましたからね。姉さんが自衛してくれるのなら僕としても歓迎です。ただ、僕に相談なく髪を切ったことは許せませんが」
「じゃあユリシスは賛成してくれるんだね!」
喜んで手を叩いた私を華麗にスルーしてユリシスは侍女を呼んだ。
「姉さんの部屋に髪の毛があるはずだから大事に取っておいて。付け髪を作らないと。あと、姉さんの髪を整えて差し上げて」
「かしこまりました」
ユリシス、我が弟ながら抜かりないわ。父と母は未だに戦闘不能状態なのに。
そしてこの日から、私の男装特訓が始まった。ユリシスはとんでもなくスパルタだった。
「もっと物を乱暴に扱ってください」
「はい……」
「もっと胸を張って。しずしずと淑やかに歩かない!」
「はい……」
今までとは真逆のことを言われて最初はミスばかりで怒られまくったが、前世ではもともとがさつな性格だった私は、特訓の成果もあって一か月経つ頃にはとても淑女らしからぬ所作を習得した。更に、声は低く、胸はさらしで目立たなくし、腹には詰め物をして胸との差がなくなるようにすると、なんということでしょう、ユリシスと非常に似通った風貌になったではありませんか。
そして今、数々の試練を乗り越えて、私は門の前に立っている。
「さあ、いざ戦場へ!」
こうして私の学園生活が始まった。