18 不穏なロラン様
開け放たれた窓からぬるい風が申し訳程度に入ってくる中で、僕はスライムのように溶けてへばっていた。暑い。湿気がない分日本よりはマシだがそれでも暑い。クーラーとまでは言わないから扇風機が欲しい。
皇族は専属の扇ぎ手がいるんだろうなあ……それだけを目当てに皇太子妃になりたい。ゲームをやっていたときと違って何とも世知辛い理由である。
物語で憧れるだけならいくらでもできるが、現実では皇太子妃になんてなりたくないよ、激務なのが目に見えてるもの。何かと言えばゴシップ記者に付きまとわれるし、些細なミスで鬼の首を取ったように批難されるし、ストレスフルな仕事にしか見えない。
だからティリアには皇太子ルートはお勧めしたくないんだけど、本人が決めることだしね……。
暑さに溶けている僕をよそに、教室内はガヤガヤと騒がしい。夏休みを目前にして、秋に開催される文化祭の出し物を決めようと議論をしているのである。
男女逆転カフェとかでなければ何でもいい。できれば準備が楽なものなら尚良し。
「ぜえっったいに執事喫茶! ヴィル君やアレク君がいるのに使わない手はないわ!」
「執事喫茶なんてお客さん来るかなあ? だって、みんな実家に帰れば本物の執事がいるじゃないか」
「わかってないわね、誰にも頭を下げないような貴公子にかしずかれる特別感がいいのよ!」
数人の女子が熱弁するのに実行委員がたじたじになっている。なるほど、執事喫茶ねえ……僕の意見? 同意しかないです。着眼点が素晴らしいと思います。
実は前世で一度だけ執事喫茶に連れて行ってもらったことがあるのだけど、小心者なのでお嬢様と呼ばれる度に変な汗がこみ上げて心底は楽しめなかった苦い思い出がある。しかし今は生粋のお嬢様! 気恥ずかしい気持ちにならずに楽しめる! それなのに……!
自分が男装していることをこれほど後悔した日はない。客としては無理でも、観客として脇から見ていたいなあ。執事に扮するヴィルやアレクと、うっとりと目を細める女子生徒。間違いなく目の保養になると思うんだけど……駄目ですか、そうですか。
僕は当然のようにキャストの一人に選ばれていた。顔はいいのでね、僕……。
ホームルームが終わり、机に突っ伏している僕の頭をぐしゃっと混ぜられた。どうせヴィルだろう。
「やめろ……」
「へばってんなあ。ブレザー脱げばいいのに。見てるこっちが暑くなる」
体の線を見せるわけにはいかないので、僕は長袖ネクタイブレザーまできっちり着用している。僕だって半袖になりたい。ノースリーブが恋しい。
「……アレクのいじわる!」
「ティリア!」
ティリアの声が聞こえて僕たちは声のほうを見た。教室内の生徒が驚いた表情を向ける中、ティリアは教室を飛び出していく。虚空に手を伸ばし呆然とするアレクだけが後に残されている。
僕とヴィルは目配せをして意思疎通を図ると、僕はティリアを追って教室を出た。ヴィルはアレクのほうへ近づく。
ティリアを探しながら廊下を走ると、レストルームの前にティリアが佇んでいるのを見つけた。
「ティリアさん」
僕の声に身体を跳ねさせてティリアが振り返り、僕を認めてほっと表情を緩めた。
「エドウィン君……」
「何があったのって聞いてもいい?」
「うん……」
ティリアの頬には涙の跡がある。大きな目は溺れそうに涙を張っている。
「ごめんね、大したことじゃないの。アレクに『執事姿楽しみ、ヴィルやエドウィン君もきっと格好いいね、私もお客さんとして参加したいな』って言ったの。そしたら男爵令嬢に給仕するなんて耐えられない、そもそも私とアレクは身分不相応なんだからねって言われて」
ティリアの家柄は男爵である。
「アレクにそんなふうに言われたの初めてだからびっくりしちゃって、私とは友達でいたくないのかなって思って、とっさに怒って飛び出してしまったの」
アレク……ツンをこじらせすぎだ。おおかた「でもティリアになら給仕してあげてもいいんだからね!」とデレるつもりだったのだろうが、その前にティリアに逃げられてしまったと。馬鹿め、ツンデレが許されるのは2次元だけだ。
アレクに不遇を負わせることになってしまった後ろめたさもある。ここは一肌脱いであげようと僕は言う。
「アレクはティリアさんのこと、ずっと変わらず好きだと思うよ」
「それならどうしてあんなふうに言ったの?」
「僕やヴィルに嫉妬したんじゃないかな」
「嫉妬って、どうして?」
「それは僕の口からは言えないけど」
「エドウィン君は優しいね。私を励ましてくれてるんでしょう?」
ティリアは儚く笑った。
「嘘を言ってるつもりはないよ?」
「ううん、嘘でもいいの。少し元気出たよ、ありがとう。私顔を洗ってから戻るね」
「うん、じゃあ先に行ってるよ」
レストルームに入っていくティリアを見送って、僕は教室へと戻る。
廊下の角を曲がったところで、思わぬ人物に遭遇して僕はのけぞった。
「うわっ、ロラン先輩っ?」
「うわとは随分だな」
壁にもたれていたロラン様が、ゆっくりと僕に向き直る。
「君は嫉妬しないんだな」
「嫉妬?」
どっちに?
「君もティリアのことが好きなのかと思っていた。アレクシスに肩入れするということは違ったのかな」
ああなるほど、アレクにね。突然のロラン様エンカウントで脳みそがついていってなかった。ティリアに嫉妬していたらおかしなことになるわな。
「アレクに嫉妬なんて、まさか」
「ありえないと言いたげな口ぶりだな」
「ロラン先輩こそ、アレクとか皇太子殿下に嫉妬しないんですか?」
「嫉妬? まさか」
僕の言葉を真似るようにロラン様が言う。あれ、ロラン様もティリアを憎からず思ってるんじゃないのか……? それならなんでティリアを守るようなことを言ってたんだ?
「俺がティリアを気にかけているのは、彼女が好きだからではないということだ」
「それならなぜ……?」
「君の秘密を教えてくれたら教えてあげるよ」
「秘密なんて……」
「あるだろう?」
ロラン様は壁に手をついて僕を囲み込むようにすると、笑みを深めた。端整な顔を近づけられて、心臓がうるさく鳴り始める。
そのお顔で怪しく笑うとかやめて! 乙女心撃ち抜かれるから! 僕は必死に平静を装う。
「……君の騎士様が来たな」
「え?」
ロラン様と至近距離で目を合わせるという苦行(ご褒美かもしれない)に耐えていると、ふと彼は顔を上げた。視線は廊下の先に向いている。
ロラン様が身を離して苦笑した。
「君と話そうとすると、必ず邪魔が入るな」
「ロラン先輩、何をしているんですか?」
僅かに息を乱したヴィルがロラン様の前に立ち、険しい顔を向ける。
「何も? ただ話していただけだよ」
「そうは見えなかったですけど」
「彼に聞いてみるといい」
ロラン様は僕を示し、「それじゃあ」とだけ残すと何もなかったように去っていった。
ロラン様、鬼門な気がする……。




