12 エドウィーナの横恋慕の相手
「おはよ」
「おはよう。どうしてこんな噂が流れてるんだ?」
僕より交友関係の広いヴィルジールの耳には既に噂が入っていたようで、開口一番不思議そうに尋ねられる。
「別に噂を信じてるわけじゃないが」
「それは有り難いな」
僕に説明する気がないと察したヴィルは、授業の開始を告げるチャイムが鳴ると肩を竦めて席へ戻っていった。
噂はひとまず放っておくとして、僕は昨日ティリアに水をかけようとした女生徒たちに接触しようと試みていた。2人がどうなろうと知ったことではないが、今後彼女に手を出さないという約束をさせておかないと、運命の強制力によって僕も道連れになりかねないからだ。
しかし、休み時間の度に僕が話しかけるより前に逃げ出してしまい、なかなかその機会を得られない。昼休憩に入ると、案の定一目散に教室を出て行く。
今度こそ逃がしてたまるか。
「エディ、どうした?」
「ちょっと用があるから先食べてて」
「あっおい」
静止の声を無視して教室を飛び出し2人組の後を追う。短い追いかけっこの末、ようやく追いついた。
「待って!」
「きゃあっ」
階段を上ろうとしたところで腕を掴み引き寄せると、至近距離で見つめあうことになった女生徒の顔がみるみる赤く染まる。
「え、エドウィン君……」
「お願い、逃げないで。ね?」
耳元で囁けば抵抗の力は抜けた。逃げられないと悟ったもう一人の生徒も戻ってくる。
そのまま階段裏の影に移動し、僕は静かに切り出した。
「僕が何で君たちを追っていたか、わかるよね?」
「……マーレイさんを、いじめてたから」
「そう。水をかけようとしたのは何度目?」
「み、水は初めてよ!」
「ちょっと!」
仲間の咎める声で墓穴を掘ったことに気づき、片方の生徒が口を覆う。
「他には何をしたの?」
「……ほんの少し、教科書に悪戯書きをしたり……」
「ほんの少し、ねえ」
人を傷つける言葉に少しも何もない。
僕の言い方はとても意地悪く聞こえたのだろう、2人の目にうっすらと膜が張る。僕は途端に罪悪感を感じることになった。どこかを掛け違えていたら、この子たちはそのまま僕だったのかもしれない。僕が一方的に責める立場にあるのだろうか。
かと言ってこのままにするわけにもいかない。
「君たちがティリアさんに謝って二度としないと約束してくれたら、僕からはこのことを口外しない。ティリアさんがどうするかは、別だけど」
「……わかったわ」
「ちゃんと謝る……」
「いい子だね」
僕は柔らかく微笑み、2人の頭を撫でた。再び女生徒が赤面する。
問題は解決したかと胸を撫で下ろしたが、そうは問屋は卸さなかった。
「エドウィン・ウォルツ、そこにいたのか!」
人の名前をフルネームで呼ぶやつは誰だと振り返ると、すぐさま特徴的な青銀の髪が目に飛び込んでくる。面倒な空気を感じ取って僕はため息をついた。一難去ったと思ったらまた一難がやってきた。
完全に臨戦モードな男子生徒はオズウェル・ナルサス。ゲーム中エドウィーナが横恋慕する相手である。ヴィルジールの従兄なだけあってヴィルと容姿がよく似ているが、ヴィルの王子様然とした優しげな顔立ちに比べると少しキツい印象を与える。そして少々短気でナルシストのきらいがある、扱いが厄介な人物だ。
オズウェルは僕と対峙するとすぐさま憤然と捲し立てた。
「お前がティリアを虐める奴だな? ヴィルジールと仲がいいようだが、そんなことは僕には関係ない。もし虐めを止めないようなら、絶対に退学に追い込んでやる」
僕は突然始まった過激な言葉を唖然として聞いていた。それをどう勘違いしたのか、「ティリアは人知れず傷ついている」だの「かわいそうだと思わないのか」だのオズウェルが続けて言い捲る。
さすがに反論しようと口を開いたところで可憐な声が響いた。
「オズウェル、何をやっているの!?」
「ティリア!」
ヒロインなだけあって完璧なタイミングの登場である。オズウェルはティリアの姿に目を輝かせた。こいつ、ヒロインを守る自分に酔ってやがるな。
ティリアは困惑も露わに近づいてくると、僕の背後にいる女生徒たちに気づいて表情を固くした。ティリアは聡い。誰が犯人なのか、大体察しがついていたのだろう。
「どうしてエドウィン君がこの人たちと?」
「それについてなんだけど……」
人目を集めている今の状況で事情を説明すると、先ほど自分で交わした約束を反故にしてしまう。ティリアに場所を変えようと提案しようとしたところで、遮ってくれたのが厄介なナルシストである。
「こいつがティリアに嫌がらせをしている犯人だ。僕はそれを追及していたところなんだよ」
「まさか、エドウィン君が?」
ティリアは半信半疑の様子だが、実際に嫌がらせをしていた生徒たちと一緒にいることが説得力を持たせてしまったらしい。
「エドウィン君、本当なの?」
「ティリアさん違うんだ。これには訳があって」
僕は慌てて否定した。なんだこの悪役が言い訳するみたいなセリフは……。僕ってこんな口下手だったっけ? そう思ったところで思い出した。そういえばゲームにこんなシーンあったわ!
エドウィーナが「誤解ですオズウェル様、これには訳があって」とオズウェルに縋りつき、オズウェルは罪を認めようとしないエドウィーナに手を上げる。まあ、いくら短気とは言え相手は女なので実際に叩くことはなかったのだ、が。
残念ながら今の僕は見かけ上は男なのだった。
何をごちゃごちゃと! 鼻息荒くオズウェルが振り上げた手を、僕はぼんやりと見つめた。前世も含めて顔を引っ叩かれるのは初めてだなあ。
「っ何をしている!」
呑気なことを考えていたら、突然誰かの背中に守られた。大きくて、とても温かな背中。
思考がついていかず呆然としたまま目線を上に向けると、オズウェルより青みの強い青銀の髪が揺れるのが見えた。
「……ヴィル」
普段の温厚な仮面はどこかへ捨ててしまったようだ。垣間見えたその横顔は険しい。
僕を背後に庇ったまま、ヴィルジールが怒りを込めた口調で問う。
「オズウェル、お前、一体何をしようとした?」
「出たなヴィルジールめ!」
オズウェルは僕に対するのに負けず劣らず、ヴィルを憎しみを込めて睨んだ。
「いつもお前と比べられてきた僕の苦悩をわかってくれたのはティリアが初めてだった。ティリアを虐めるこいつを僕は許さない!」
「エディがティリアに嫌がらせをした証拠がどこにある?」
「今学校に流れている噂が物語っているだろう!」
……エドウィーナはこの猪突猛進男のどこが良かったのだろうか? ヴィルのほうが百万倍格好いい。
真犯人である女生徒たちはこの展開に震えて動けずにいる。僕もこの場で彼女たちに説明させようとは思わない。
僕はヴィルの後ろから歩み出て、ティリアを真摯に見つめて言った。
「ティリアさん、事の真相は後で説明するよ。今は僕を信じてくれないか?」
「エドウィン君……」
幾ばくかの間の後、ティリアが頷く。
「……うん。私、エドウィン君を信じるわ」
「ティリア!?」
「だって、エドウィン君はいつも私を助けてくれたもの」
「ティリアさん、ありがとう」
「ううん、私こそ疑ってごめんなさい」
僕は首を振る。
置いてけぼりになったオズウェルは、憤怒に顔を歪めて踵を返した。
「オズウェル、待って! エドウィン君、また後で」
「ああ、うん」
ティリアはオズウェルを追いかけて行った。




