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見澄ませば雨夜の月  作者: うえのきくの
9/24

木暮遼太郎 4

 


 それから、陸は遼太郎たちとつるむことが多くなった。 主には一人でいる陸のところに遼太郎が絡んでいき、あとからその他の仲間が合流する形だったが、きっと本当に嫌なら陸ははっきりと言うだろうと、甘えきっていた。

 いつも少し困った顔をしていた。 その意味があの時はわからなかった。 恋愛感情を持たれているとは思わなかった……本当に?


 その日も陸が美術室で絵を描いていたのを、遼太郎はずっと見ていた。 文化祭の準備で陸は展示のための絵を描いていたのだ。

 サッカー部はやはり文化祭前ということで模擬店の用意をしていたが終わって校舎を見上げると美術部の電気がついていたので、紙パックのジュースをふたつ買って遊びに来たのだった。

 陸のキャンバスには濃淡やトーンの違うブルーの絵の具が何層にも重なって塗られ、それが海にも川にも、雨にも見えた。 かろうじて形のあるものは、丸い……月?それと人の足。 走っているのか、跳んでいるのかもわからない。


「その絵って、何が描いてあんの?ってのも、失礼な話だけど」

「いいんだ、抽象画なんだから。……強いて言えば、憧れ、かな。飛ぶように走る、雨のように流れる。月にも手が届く。おれにはできないことばかりだ。そういうのをひがんでる訳じゃなくって、憧れをもって見れることが嬉しいって言いたい絵。月もその象徴、かな?」

「ふーん」


 しばらくキャンバスに絵の具を重ねると、スピーカーから校内放送が流れた。 最終下校時告になったからすぐに帰れというアナウンスを聞きながら、陸は帰り支度を始めた。 机に座って足をぶらぶらさせていた遼太郎は、紙パックを潰してゴミ箱に放り投げると陸に問いかけた。


「なあ、この間言ってたCD買ったんだけど聞く?」

「ああ、いいな。今度貸してよ」

「今日うちに寄って持ってけば?」

「……うん、じゃあそうする」


 陸の家は最寄りの駅から電車で2駅。 遼太郎は線路沿いの戸建てに住んでいた。 いつもだと別れる駅をスルーして遼太郎の家を目指す。 とっさにCDの話を持ち出したが、あの時確かに遼太郎には別れがたいという意思があった。

 その日は金曜で、別れたら2日会えない。 もっと陸と一緒にいたい、話をしていたかった。 駅から自宅までのほんの数分、猶予ができたことが少し嬉しかった。


「ただいまー。ちょっとここで待ってよ」


 陸を居間に通しCDを取りに行く。 その間に母親が顔を出し、陸と話をしていたらしい。


「あら、いいじゃない。明日はお休みだし」

「いえ……急にそんな、ご迷惑ですし」

「いいのよお、うちは子供多くて、その子達も勝手に友達つれてきてばっかりだからいっつも余分にご飯作っちゃうのよ、食べてくれれば助かるわー」

「……なんの話?」


 戻ってきた遼太郎が陸にCDを手渡しながら聞いた。


「ああ、小野寺くんに寄ったついでにご飯食べてっちゃえばって勧めてたのよー。で、明日お休みだし泊まってきなさいよって」

「ああ、いいね。そうしろよ陸」

「お前……」

「いいだろ?家には電話いれとけば大丈夫じゃないか?」

「……大丈夫だけど、でも」

「遠慮ならすんなよ?俺んちそんなに気張った家じゃないからな」

「……じゃあ、お言葉に甘えて」


 夕食はいつにもまして賑やかだった。 遼太郎の家は両親に兄が二人、妹が一人、祖母の七人家族だった。 兄二人は大学生と社会人、妹は中学3年。 テレビがついていても聞こえないくらいの賑やかさで、陸は面食らったような顔をしていた。


「やかましくって驚いただろ?」

「いや……でもうちではあり得ない賑やかさだった」


 それぞれ風呂を使って自室に帰った陸はしみじみ答えた。 陸には兄弟もいないからさぞかしうるさかっただろうが、本人は面白いものを見た、位の感覚だったようだ。 まあ、一日加わるくらいならそんなものだろう。


 遼太郎の部屋は六畳の洋室だ。 そこにベッドと机と本棚が入ればあとは歩くスペースしかない。 そこへみっちりと客用布団を敷いた。

 そもそも客間などないのに客用布団があるのは兄弟が好き勝手に友人をつれてきては泊めるからで、ふたり以上になると祖母が部屋から追い出され、妹か両親の部屋に一泊するシステムなのだ。


「おばあちゃんを追い出さなくてよかった……」

「いんだよ、ばあちゃんだって孫の友達来んの嬉しいんだから。とくにお前のことは気に入ったみたいだったな」

「まじか」


 食事の時おかずをやたらと勧められていた。 それは、母親も妹もだったが。


「さっき風呂いったとき遊びに来た奴らの中で一番イケメンだったって母ちゃんはしゃいでたもんな。だからしつこく泊まってけとか言ったんじゃね?」

「……はあ」


 陸にしてもこんな熱烈歓迎を受けたことがないので戸惑っていたのだ。


 下らない話をひとしきりして、遼太郎は大きなあくびをした。 お休みと電気を消すと、急に世界からこの部屋だけが遮断されたような気がした。

 どのくらい時間がたったかはわからない。 陸が下の布団でしきりに寝返りを打つ。


「眠れねえ?」


 うっすら覚醒した遼太郎は半分眠ったような声で聞いた。


「や……人んちに泊まるの初めてで……なんか緊張して」

「初めてって!」

「親戚もいないし、泊まりに行くほどの友達もいなかったし」

「ふは。寝るのに緊張って。じゃー、なんか話する?恋バナとか」

「女子かよ」


 闇の中で陸が小さく笑った。 それが少しくすぐったい。


「いいじゃん。陸って好きなやついるの?」

「……おれの話はいいよ。遼太郎こそどうなの?田代と」


 するりと陸が遼太郎の彼女の名前を出した。 隣のクラスの田代みちる。 付き合って3ヶ月くらいになる。


「えー、別に普通。だけど女ってなんであんなに買い物に迷うかね?この間なんてシャツ一枚買うのに一日悩んで結局『今度にする』ってなんだよそれ!」

「でもそーゆーのも込みで可愛いんだろ?」

「あーまあ、そうなのかな?でも、陸といる方が数倍楽だけどね。楽っていうか、まんまでいられるっていうか」

「……田代に言いつけてやろ」

「やめてくれー、怒られる」

「怒るんだ?」

「ただでさえ友達との約束優先すっと超怒る」

「見てえ、超怒られてる遼太郎」

「うっせ」


 また笑った。 夜の淡い闇の隙間を撫でるような細い声。 一晩中笑わせたら朝が来たのも陸のせいかと思ってしまうかもしれない。


「で?陸、好きなやつは?」

「……いるよ」

「まじ、だれ?俺知ってるやつ?」

「さあ?」

「告った?」

「ううん。言わない」

「なんで!」

「付き合ってるやついるし。いいんだ。そいつが笑ってるの見られれば」


 陸が布団から両腕を出して頭の下に敷き込んだ。 パジャマがわりにしたTシャツから出た腕は、夜の中でもぼんやり白い。


「えー。そんなの悲しいじゃーん。誰かほかに紹介しようか?」

「こっちがだめならあっちなんて器用にできるかよ。いいの。好きになれただけで嬉しいんだから」

「ふーん」


 何となく沈黙する。 横を向いて見た陸は天井を見つめているようだ。 紐を引っ張るタイプの古い照明。電気の傘っていう言い方がぴったりの。


「でもそういうのって、いいな」

「……なに?」


 遼太郎の言葉に陸がこちらを向くのがわかる。


「好きになれただけで嬉しいって。その人がそこにいるだけでいいって、まじで恋だよな」

「田代だってそうだろ」

「うううーん……彼女ほしいっていうのが先だったからな。そこに告られて、結構可愛いし、まあ、いいかみたいな。好きが先じゃないから、どこがどういう風に好きとかはわかんね」

「でも、好きなんだよ。彼女じゃないとダメなくらいに」

「そっかな……チューとかできるくらいには、好きかな」

「……」


 陸が黙るから遼太郎まで恥ずかしくなる。 敢えて少し大きな声でからかってしまう。


「そこで照れるか?したことねえの?」

「悪いか」

「いや……じゃあさ」


 どうしてそんなことをしたのだろう。 ベッドから転がって下に、陸の布団の隙間に落ちた。 もう一度転がって、陸の上に覆い被さると、暗がりに目を見開く陸の唇に自分のそれを押し付けた。 カーテンの隙間から漏れる月の明かりだけで見る陸の目は不思議な色だった。

 みどり、グレー、それから縁で揺らぐ淡いブルー。

 それを見つめながらした、ただ合わさるだけの握手みたいなキスは、自分の鼓動だけを小さな部屋に響かせた。


「……お、前なにやってんだよ!」

「陸の初チューゲットオオオ」

「クソ、死ね!」

「うわ、怒んなよー。冗談だからさあ」

「寝る!」



 ────不意に思い出した。 直前にその頃の彼女を「キスができるほどには好きだ」と言ったのだ。 それはそうだ、嫌いなやつにキスなんかできない。 それなのにすぐに陸にキスをしてしまった。

 それくらいには好きだと陸に思わせたのが自分であの日がきっかけなら、卒業式のあの態度は酷すぎる。



「あ、のさ。高校の時はカラコン使ってたのか?」

「え、なんで?」

「今の、そっちが裸眼なんだろ?自然だし」


 敢えて、福永に聞いたとは言いたくなかった。 嗅ぎ回るようなことをされれば遼太郎だって気分は悪い。


「うん、髪も染めてた」

「あの、俺んち泊まった日はどうしてたんだ?」

「……あの日は、お前が寝てからはずして、起き出す前に着けたから……」


 見る間に顔を染めていく陸を見て、遼太郎はなにか心拍が早くなった気がした。 あの夜のことを陸も思い出している。 18の頃に戻ったように動悸がした。


「今付き合ってる人が、出会ってすぐに気がついて、染めたりしない方がいいって言ってくれたから。そのままで、いいからって」

「……そうなんだ。いい人だな」


 それだけ言うのが精一杯だった。 陸本人は照れているのかしきりに襟足の髪をさわっている。

 浮上した気持ちは肩の埃を払うみたいに叩き落とされる。 陸に恋人がいたっていいじゃないか。 こんなに才能があってきれいな顔をしているんだ、好きになる人はたくさんいただろう。で もどうしてこんなに面白くないんだろう。

 恋人は男なの、女なの?とすんでのところで聞かなかった遼太郎は、自分のことを誉めてやろうと思った。


「まあ、もう昔のことはいいよ。お互い水に流そう。俺もあの頃色々あって弱気になってたんだよ。遼太郎に頼りたかっただけだと思うから」

「ああ、うん。でも、ほんとにごめん」


 陸は黙って首を振った。 金色の髪は部屋の照明にも輝いていた。


 陸を社の出口まで送ろうと、彼を先導して廊下を歩く。 遼太郎の会社はビルのワンフロアを使用している。


「…………っ」


 背後から小さな咳払いのようなものが聞こえた。 陸が風邪でも引いているのかと振り返ると肩を震わせて笑いをこらえていた。


「……なんかおかしいことあった?」


 今歩いてきたところはただの廊下だ。 それは、製作に関わった広告のポスター等は張ってあったけれど大笑いするようなものでもない。


「……その靴っ!」

「は?」


 遼太郎の靴は朝の雨で乾ききっておらず、歩くたびじゅぶじゅぶと音をたてていた。自 分では緊張してわからなかったのだ。


「社会人でそんな、びちゃびちゃいわせて出社してくるやつなんて始めて見たよ!」

「そんなこと言ったって今朝すごい雨だったじゃん!上半身はなんとか体裁整ったんだけど、靴まではどうにもできなかったんだよっ!」


 陸は苦しげに腰を折って笑っている。 きゅうっと下がった目尻からこぼれるみっつの星。 ああ、あの日も確かこうだった。

 陸と初めて言葉を交わしたあの日。 駅についた一団は、ほんの数分で雨がやんで本気で悔しがった。 遼太郎のようにそこから徒歩だった者は構わないが、電車組は『これどーすんだよー!!』と大声をあげていた。

 恐らく、こんなバカな真似に慣れていなかっただろう陸は、しばらく呆然としていたが、冷静さを取り戻し回りを見るなり今みたいに笑い出したのだ。


「なに?おれたちの格好!」


 陸はエンジのジャージを頭からかぶり顔の下で袖を結んだインチキなマトリョーシカのようだし、遼太郎にいたっては、ズボンをかぶり顎で結んでいる。 他のやつらも似たようなものだ。

 声を荒げていた仲間も釣られるように笑いだし、お互いの下らない勇気と栄誉を称えあってそれぞれの家路についた。

 バカだった。 今の遼太郎が駅の改札で彼らのような学生に出会ったら、きっと鼻で笑ってしまうくらいにはバカだった。 でも、どの時期の自分よりも輝いていたように思う。

 雨が上がったあとのアスファルト、木々の緑、ビルの窓に反射する光、それらと同じように。


「ジャージより酷いな。じゃ、また次の打ち合わせで」


 笑いが収まるとまた涼しげな顔に戻った陸は、さっさとエレベーターに消えてしまった。

 ジャージより、と陸は言った。 今この瞬間、同じ時のことを思い出していたのだ。 嬉しかった。あの雨の日を覚えていてくれた、それだけで。

 さよならもお疲れも言えなかった遼太郎はロビーに残され、足を踏みしめた。 ビチャ、と間抜けな音がして辺りを確かめる。 一人だとわかっているのに何故か顔を赤らめた。




『廃校フェス』の準備に当てられた時間は約半年。 解体予定に合わせた突貫事業に参加スタッフは大わらわだ。

 製作に関わらない遼太郎にしてもそれは同じで、出展ブースの勧誘や説明会の準備、ツアーを組む予定で旅行代理店への行脚、宣伝ポスターやDMの発送……。 もちろん各々それ以外の仕事もあるので、来る日も来る日も大量の資料を抱えて社内や街中を駆け回る有り様だった。


 陸にはその後数回会った。 イベント終了後発売される予定の写真集の打ち合わせだ。 こちらの要望の価格やサイズ、販売ルートなどを考慮した上、見本となる既成の本を見せつつプレゼンが行われた。

 表紙からして、その場にいたメンバーは驚きの声をあげた。 それは見本にと陸が一冊だけ作ってきたもので、表紙しかない。 カバーの写真は透明のセロファンにプリントしてある。 そして、写真が浮き出て見える。3D加工したものかと思いきや、何枚ものセロファンに違う写真を印刷してあったのだ。 一番奥にはステージと学校らしきものが見える。


「何でも便利に安全できれいに揃っちゃう時代の中で、こういう木造の校舎を大事にしようっていう手作り感一杯のイベントに、あんまりコジャレた表紙は似合わないかなと思いまして。これ、コストは少しかかるんですけど、こうやって組み立てて……」


 陸は説明しながらそれまで写真集が入っていたケースにカバーをはめ込んだ。 すると、さらに立体感が増し、会場のジオラマのようになる。


「まあ、この表紙を外してもいちばん下にはシンプルなのを被せてあるので、これはおまけっていうか、そんな感じです。この校舎が誰にも守られなくてなくなってしまっても、こうして残せたら素敵だなって思って作ってみました」


 スタッフ一同が立ち上がり組み立てられた表紙を代わるがわるのぞき混む。 もちろん写真はなにか適当なものを使ったのだろうが、小学校の校舎だけは本物のようだ。

 この仕様でいった場合の見積りも提出され、多少オーバーしていたようだが、プロデューサーはGOを出した。


 やっぱり小野寺陸はすごい。 イベント後出るはずの写真集に恥じないように遼太郎は自分の仕事の精度をさらに上げていった。



今日もありがとうございます。


学生の時のおバカな話は書いていて楽しいです。

また、明日も22時頃お目にかかりますー。


うえの

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