木暮遼太郎 3
「木暮、お前夏のイベントのチームに入れない?」
「夏のイベント?」
企画製作の社員に声をかけられたのは廃校フェスというイベントで営業として参加できないか、との誘いだ。 もちろん実際の采配は上からのお達しに従わざるを得ないのだが、企画の方でもイベントの性格に合う人材をリクエストしたりする。
今回のイベントはとあるミュージシャンからの持ち込み企画だ。 彼の通っていた小学校が昨年度限りで廃校になった。 木造の趣のある校舎は、建物だけでも町で保管して欲しいと要望があったが、管理費や耐震の問題から難しいと判断され、取り壊されることが決まっている。
そこで町に住む友人から相談を受けたのがweaversというバンドのミュージシャン、福地。 彼が小学校の存在を全国の人に知ってもらって、願わくばスポンサーを探して維持管理してもらえるきっかけを、イベントを通してできないかと考えたのが発端だった。
企画自体はスタートしており、何度かミーティングも持たれている。 遼太郎に課せられる予定の仕事はイベントのスポンサー企業や個人を探すこと。 飲食や物販のブースを出すので出店者を募ること。当日のサポート、事後の始末……と多岐にわたっていた。
「うわ、おもっしろそ」
「そーなんだよ。様は祭りだからさ、ノリのいい奴と一緒に作りたいわけ。木暮なら面白がってくれると思ってさ」
遼太郎は目を輝かせ企画書を捲る。 まだ、出店ブースなどは未定だが、ミュージシャンやアトラクション等はぼちぼち予定が出ている。 校庭や体育館、教室をフルに使ったまさに学芸会だ。
「ん?イベント終了後に、公式写真集販売……カメラマン澤木 康、デザイン……時雨デザインオフィス……て!これ決定?!」
「ああ、うん。そこは決定。澤木さんもこの地区の出身なんだって。んで打診したらスケジュールもOKで。デザインを時雨さんでしてくれるともっといいって条件でさ。時雨さんも面白がってくれて、調整してくれるってんでここは決定」
「マジか。俺も絶対やりたい!」
「んじゃーさ、課長に推しとくから召集かかったらよろしくな!」
陸と仕事ができるチャンスだ。 似たような業界にいながら二人の仕事はあまり重ならない。 広告代理店にはデザイナーがいるからほとんどの仕事を内部で完結させる。 もちろん、個人デザイナーや制作会社に発注することはあるが、営業が外部の製作と絡むことはほぼない。
ましてや書籍の製作など手掛けることなど皆無なのだから、偶然に出会うことなど叶わないのだ。
はじめての全体打ち合わせの日、朝から雨が降っていた。 遼太郎はほぼ無意識におろしたてのスーツを身に付けていた。ネクタイも顔色がよく見えるレモンイエロー。 少しでもいい印象をもってもらいたい。 仕事はちゃんとしていると思われたい。学生の頃の友人で、憧れのデザイナー。 認めてもらいたい。
気合いの入った遼太郎の武装は家を出た途端に解除されてしまった。 傘では遮れない雨でスーツの裾は汚れ、資料を守っていた腕もあっという間にずぶ濡れになった。
その上、前からスマホを見ながら突進してきた学生にぶつかられ、寸でのところで尻餅をつきそうになった。 もう、頭から足先まで、雨が滴っていた。
「ったく、何だよ。こんな日に……」
会社に着き家から持ってきたタオルで雨をぬぐう。 靴にティッシュを突っ込み総務で借りてきたスリッパを突っ掛けた。
「災難でしたね、木暮さん。これから打ち合わせでしょう」
営業事務の女子社員もタオルを持ってきてくれる。 椅子の背にかけた上着の水気を押し付けたタオルで取っている。
「まあ、午後だからいいけどさ。こんなぐちゃぐちゃで失礼だもんね」
「え、あと30分で始まりますよ。」
何言ってんですか?と言わんばかりの相手の顔に遼太郎も合点のいかない顔で返す。
「は?1時から第2会議室……でしょ?」
「ああああーーーー!それが先週末変更になったんです!言いましたからね、私!」
「そ、そうだっけ?」
「とにかく!急いでっ!!」
女子社員とはもしかしたら神かもしれない。 ロッカーまで走ったと思ったら、ドライヤーにミニアイロン、防臭スプレーなどを抱えて戻りあっという間にある程度の体裁を整えてくれた。
「まあ、テーブルの上から見える分にはこれで大丈夫でしょう。がんばって来てくださいね!」
「はい、感謝しております」
「お礼なんて東洋軒のランチでいいですからー!」
「何が東洋軒だ、一番安くても二千円はすんじゃねーか……」
和気藹々とミーティングは始まった。
今回の主催となっているバンド『weaver』の福地涼介が紹介されている。 彼が16年ほど前に卒業した小学校は某県の外れにあり、少子化で通う生徒が激減。 数少ない残りの生徒は近隣の小学校に移っていったそうだ。
遼太郎も資料に添付の写真を見たが、木造二階建て、白い壁に赤い屋根の可愛らしい小学校だった。 裏が林になっていて、校庭も広い。 きっとのんびりとした環境のなか子供たちは伸び伸びと育っていたのだろうと想像できる。
でも。 会議室でぐるりと輪になるテーブルの端。 一人だけ金色の髪が揺れている。 陸には、そんな子供時代があったのだろうか。
先日会いにいった福永の話、石田から聞いた高校時代の話。 陸は遼太郎が知る彼の他に誰も知らない孤独を隠していた。 父親はいない。 母親もいない。 あの頃陸を育てていたのは伯母だった。その伯母も病魔に侵されていて、その不安を彼は一人で抱えていたのだ。
いつも、静かに笑っていた。 みんなはおとなしくて何を考えているかわからないと陸に対して思っていたようだが遼太郎は違った。 じっくりと考えて、いつもみんなが思い付かないようなことを考え出す。 物静かだがいい加減なことを言ったりしない信用できる奴だった。
いい加減じゃなくて信用できる。 その彼がきっと不安に押し潰されそうだっただろうあの頃。
陸が、ふざけてあんなこと言うわけはなかったのに、どうして真剣に受け止めなかったんだろう。 断るにしても、どうしてあんな傷つけるようなことを言ったんだろう。
その後、誰とも連絡を取らなかった陸の傷ついただろう心の行く先を、遼太郎には知る術がない。
あれから10年だ。 誰かが癒したのだろうか。 隠していた髪の色も瞳も、さらけ出しても包んでくれる誰かに出会えたのだろうか。
「いて……」
胃なのか胸なのか、小さな棘が刺さるような痛みにシャツの胸をつかんだ。 なんで陸のことを考えるとひりひりするのだろう。
「はじめまして。ブックデザインをしております時雨デザインスタジオです」
陸が起立し挨拶をするのを遼太郎は静かに見ていた。 見た目だけは大いに違ってしまった陸だがこうして話す声や仕草はあの頃と重なるところがある。 言葉につまると、右上に視線をそらす。 抑揚はあまりない。 言葉が切れると照れたように微笑み、左手で襟足の髪を触る。 話終わると小さく息をつく。
この間まで忘れていたのに、今ではどうして忘れてしまったのかもわからない。 校庭で立ち尽くしていた姿を昨日のように思い出している。
「今回は楽しそうなイベントに参加できますこと、ご指名くださった澤木さんにも感謝しています。どうぞよろしくお願いします」
「時雨さん、うちの木暮があなたの大ファンだとかで今回ご一緒できるのを楽しみにしてたんですよ?」
何を思ったかこの場の司会を勤めていた製作の同期がとんでもないことを言い放った。 陸はまだ遼太郎に気づいていなかったのに。
「木暮、さん……?」
陸の視線が会場をぐるっと回って遼太郎に止まる。 一瞬ビクッとしたのを見逃さなかった。 ま、仕方ないよな、遼太郎は立ち上がり軽く会釈する。
「今回営業で参加します木暮遼太郎と申します。企画製作以外の雑多なことで走り回ると思います。り……時雨さん、色々勉強させていただきますのでよろしくお願いします」
勢いよく頭を下げ、着席した。陸はあっけにとられた顔をしている。
まあ、いい。 とにかく謝ろう。 許す許さないの問題じゃない。 陸だってプロだ。 遼太郎を許せなくてもプロとしての仕事をするだろう。 でももう、何もなかったことにはできない。 陸の孤独を知ってしまったから。
「お疲れ……さまです」
ちょうど一人になった陸に声をかけた。 さっきまで澤木と福地と立ち話をしていたのでそのまま三人で帰ってしまったらもう声をかけるチャンスがなくなってしまう。 それぞれ、打ち合わせがあるらしくバラバラになったところをすかさず遼太郎は話しかけた。
「お疲れさまです」
「あの、この間はごめん。急に声かけたりして。り……時雨さんの都合も気持ちも考えないで軽率でした。申し訳ありません」
遼太郎は最敬礼の勢いで頭を下げた。 何か言ってくれ。 許せないでも、このチームから外れてくれでも構わない。 陸の気持ちが知りたかった。
「……この前、後輩と飲んだんだ。その時、18歳はまだ子供だって言われた」
「陸?」
急に話し始めた陸につい名前を読んでしまったことにも気づかない。 陸は視線をおとしたまま、また、口を開いた。
「まだ子供なんだって。だから、友達だと思っていた、しかも同性に好きだなんて言われても、ちゃんと返事なんかできないって。」
「……」
「だから、おれの方こそ悪かった。一方的にお前を悪く言って。この間は急だったし、こっちも心の準備が出来てなかったし、気にしないでくれっていうのも勝手だけど。もう、いいから」
「だけど……」
「むしろ、気持ち悪がんないでこの間も今日も声かけてくれて、嬉しかった、ありがとう」
気持ち悪い。 違う、そんな風に思ってない。 遼太郎の頭で何かが弾けた。
「違うんだ。気持ち悪くなんかなかった。ただ……急にだったからビックリして、何て言っていいかわかんなくて……それで、」
浮かんだ言葉に、動揺した。 吸い込んだ呼吸がそのままになっている。 陸も途切れた言葉の続きを待つように視線をあげた。 遼太郎を見る、まともに視線がぶつかる。 揺らぐ色の瞳がひとつ瞬いたとき、するりと遼太郎は白状した。
「嬉しかったんだ、あの時」
正直、告白された瞬間は面食らって突き放すようなことを言ってしまった。 でも、次に会ったら謝るつもりだった。 付き合ったりはできないかもしれないけれども、陸のことを本当は気持ち悪いとも嫌だとも思っていないこと。 それから陸の気持ちの整理がついたらまた友人として会ってほしいことを伝えようと思っていた。
もし仮に告白してきたのが陸じゃなかったらこんなに引き読めたいと思っただろうか。 たくさん友達はいた。 みんな仲がよくて楽しい奴らばかりだった。 そのなかにいて、陸は、陸だけは特別だった。
高三でクラス替えがあり、陸のことは新学期の教室で初めて見た。 廊下側の端の席に座って本を読んでいた。すれ違ったとき真っ黒で水を湛えたような瞳をしていると思った。
放課後、美術部のアトリエでエプロンをして絵に向かっているところを何度か見た。 向かったキャンバスよりももっと遠くを見ているように遼太郎には見えた。 文化祭でその絵を見ることはできるだろうかと期待しているうちに会話をするチャンスが来た。
5月。ゴールデンウィークも終わり、学校内は少し落ち着いてくる。 このあと7月はじめの体育祭まで大きな行事がないからだ。
部活終わりで帰ろうと昇降口までいくと雨が降っていた。 薄暗い玄関口に逆光で黒く見える後ろ姿があった。 大きな荷物を抱えて途方に暮れている。 靴を持って横に並び、顔をのぞき込むと陸だった。 どんよりとした空を虚ろな顔で睨み付けていた。
スニーカーをたたきに落とすのと同時に話しかけていた。
白い手を握りしめて振り返ると、雨に打たれてずぶ濡れになっている陸が苦しそうについて来ていた。 それが、嬉しくて、笑いながら走った。 いつも凪いだ湖の様に静かな表情しか見せない陸。 今後ろで息を切らして走っている彼は遼太郎だけが知っている顔だ。
誰かが軽い調子で『もう少しー』と声をかける。 陸は視線だけで返事をする。 きっともうすぐ雨は止む。 みんなで一緒に悔しがりたい。 そしたら、陸も笑ってくれるだろうか。
今日もありがとうございます。
明日も22頃お邪魔します。
どうぞよろしくお願いいたします!
うえの