小野寺陸 2
まただ。
デスクに戻りため息をつく。 パソコンのモニターのフレームに順番に張り付けていた付箋が2枚、なくなっている。 あまり頻繁に起こるので、自分でわかるように裏側に番号をふるようになった。 ご丁寧に12枚あるうちの5と7を捨て、その間を詰めてある。
「すみません。ここに張ってあった付箋が何枚かなくなっているんですけど、ご存知ありませんか?」
課内にスタッフは8人いる。 返事をせずにやにやと笑っているのは一人だけだ。
くだらない。本当にしょうもない。
誰もがそいつではないかとわかってはいるのだが、一人として目撃したものがいない。 なので注意もできない。
確か表紙に使う紙の材質について編集に確認する旨のメモと、打ち合わせの日時を先方が伝えてきた言伝てだった。
最初の方は自分が受けたものだから内容まで覚えていたが、後の方は他のスタッフが受けた電話だったからあやふやだった。 その彼女も覚えていなかったので仕方なく先方に確認の電話をいれる。 本当は信用問題なのでこんないことはない方がいい。でも仕方ない。 知らなかったで大勢に迷惑をかけるより、自分の管理の悪さを責められる方がいい。
恐らくこいつが犯人、と思われる緒方という男は陸よりふたつ先輩だ。
陸が初めて一人で受け持った表紙の評判がよく、売り上げもよかった。 その後もとんとん拍子に話題作の担当になり、それがやっかみの原因だろう。
きっかけになった作品は本の内容が素晴らしく事前の営業で静かに注目を集めていた作品だった。 作者は新人だが、賞をとったなどの華々しい経歴があるわけではなくなく特に注目されてはいなかった。 編集部にコツコツと持ち込みをして来た作家で編集者としては一から育てたという思い入れも強かった。
その熱意を営業も汲み、同じく新人の陸がそれを飾った。
「話題の」とか「期待の」ではなかったがじわじわと読書好きに支持されてその年の本屋大賞を受賞した。 発達障害の青年を中心にした群像劇で、厳しい現実の中それでもほのぼのとさせる青年の言動や行動が回りの仲間や大人たちの心にも変化を与える感動作だった。
陸はたどたどしい青年のモノローグや台詞に所々サイズの違うフォントや手書きの文字をいれるデザインをした。 勿論テンポ良く読み進めるには、引っ掛かる演出だったが、コミュニケーションしづらい相手を読者にイメージさせるのに効果的だと評価された。
また、この作者が実際に就職支援のNPOで働いていた経験から、表紙を飾るイラストを実際に発達障害を持っている男性に発注したところこれも効を奏した。
各方面から注目され結果売れ行きもよかった。
本当にいい内容の本だったのでたくさんの人の手に渡ったことは嬉しい。 でも陸の仕事が売上げにものすごく影響したかといえばどうかと思う。 書体は手にとって開かなければわからないし、そう頻繁にも使っていない。 表紙の絵はそれだけで強いインパクトがあり、切り取ってしまうのが惜しい程だったのだ。
大きさまで陸が決めていいのであれば、原画のままのサイズで表紙にしたい位素晴らしい絵だったのだ。
それからというもの陸は、作家や編集の方から指名されるようになり実績を積んできた。 それが面白くないのだろう気持ちは陸にもわかる。でもだからって、どうしろっていうんだ。 選ばれたのは偶然だし、仕事を適当にするなんてとんでもない。 本が売れるのは陸の手柄であるはずがない。
そんなこと彼だってわかっているだろうに。
「ほんとに参った……」
「小野寺さん、ライバル視されてますよねー。大人げないっつーか」
会社の帰り、少し離れた居酒屋で普段は絶対に口にはしない弱音を吐く。 ここは会社の奴等がまず利用しない、上司のおすすめスポットなのだ。
「迷惑がかかんない程度なら我慢できるんだけど、仕事に穴が開いたらどうしようって胃が痛いよ」
「しかし、巧妙なんだよな、誰も見てないし。本当はあいつじゃないんじゃないかって気になるよ」
「……その方がいいんですけど、全部おれの勘違いっていうほうが気が楽……」
ずっと続いているくだらないいやがらせに、転職、の文字が頭に浮かぶようになった。 ここをやめてデザイン専門の事務所にでも移ろうか。取り返しのつかない迷惑をかける前に……
「お前、辞めるとか言い出すんじゃないだろうな?」
「……」
鋭い。 貴重な穴場を紹介してくれた上司の大石だ。
入社してしばらくは彼の下について会社でのすべてを教わった。 辞書から書籍、旅行ガイドに至るまで様々な本を出版している陸たちの会社は、装丁の仕方やルールも多岐にわたっている。 辞書や旅行ガイドはある程度フォーマットがあるが、エッセイや小説は作者の希望を可能な限り叶えることができる。 まあ、売り上げ実績のある作者に限ってだが。
そのいろはを大石は陸に叩き込んだ。 ずっと見ていてくれたから、今の困窮した立場についてもわかってくれているのだろう。
「転職や独立に反対はしてねえよ?今の会社じゃどんなに働いたって雀の涙の残業代くらいしかプラスされねえしな。でも、いじめられたからっつって逃げてくようじゃダメだ。行った先でも続かねえよ」
「……独立」
「ああ、お前の年じゃ早いような気もすっけど。今までのデザインは十分お前の履歴書になるだろ。」
「私も小野寺さんの『傷痕』のデザインスッゴい好きでしたー。あの突然和紙みたいのが挟んであったとき、ドキッていうかゾクッとしました!」
同じデザイン課の後輩、村上が興奮気味に話すのは、サスペンス要素の強い小説を担当した仕事だ。 最初の事件が起こるときあまりに残忍な描写だったので、そこに薄い紙を挟むことを提案した。
隠す演出のつもりだったのだが、透けるように薄いそれはかえって恐怖心を掻き立てたらしく、読者の感想も多くいただいた。
最初の仕事がかなり自由度の高いものだったためか、今も奇をてらうデザインを求める発注も多い。 でも、それだって内容に沿わなければシンプルなものを提案することだってある。 その方が本が引き立つから。
幼い頃から一人で遊ぶことの多かった陸は、読書もまた好きだった。 母親が小遣いを寄越すわけもないので、近所の図書館や学校の図書室は第二の我が家のようだった。 そこにある本を貪る勢いで本を読み、寂しさや空腹を紛らわしていた。
シリーズ物の書籍のデザインは皆同じで、イラストだけが異なっていたが、絵本や小説の表紙がそれぞれに違うことにその頃の陸は気づいていた。
手触りの違う紙、絵と文章の配置、活字の一つひとつが話を盛り上げるエッセンスであること。 怖い話はさらに怖く、おかしい話は内容がよくわからなくても笑えた。
お話を考えなさいなどという授業はまったく振るわなかったけれど、高校で美術部に在籍している間に、本の外側を作る仕事というものがあると知り、目の前が開けた気がした。 それからは本の内容もだが装丁にも気を付けて本を読み、選ぶようになった。
ページが半分切り取られ乱丁かと勘違いするデザイン、カバーが透明で透かすとうっすら文字が入っている書籍、帯の下に隠したイラストが衝撃的なもの。
それらはすべて陸の憧れで目標になった。 奇抜なものを作りたいというのではない。 表紙を見ただけでその内容がイメージできるとか、すべてよみ終わったときになぜそのデザインだったのかがわかるとか。
とにかく、自分の仕事が本の中身の一部として認められたい、その一心だった。
「独立、ですか」
「まあ、ゆっくり考えろ。そん時にゃみんな協力するからよ」
「ありがとうございます」
自分の前に新しい道が開けてくるのをぼんやりとだが感じていた。