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見澄ませば雨夜の月  作者: うえのきくの
13/24

木暮遼太郎 5

 


 考えることが同時に発生すると、頭はフリーズしてしまうのに体は焦るばかりでむやみに動きたがる。 緊急でもない仕事をさらにいつもの倍以上の時間をかけて丁寧にやり、飲みの声がかかれば幹事的役割を引き受け、予約案内に精を出す。 結婚を控えて気配りの人に改心か?と笑われても、体が動いてしまうのだから仕方ない。

 その、合間あいまに先送りにしている問題が浮かび上がってきては形にならず、コロコロといびつな欠片になって転がっているのに気づく。 頭で、心で。


 苑子のこと、陸のこと。

 あの夜から5日経つ。 取り急ぎ、苑子の件は早く結論を出さなくてはならない。 妊娠してるのが本当なら、誰の子供であっても安心して生活できる環境を作ってやらなければいけないだろう。

 苑子のことはショックだった。 2年も付き合って自分の脆く弱い部分も明け渡してしまった相手が、よく知った相手と関係を持っていたなど、信じたくもなかった。 激しく動揺した、怒鳴り散らしたかった。 酒を飲んで陸にとんでもないことを言ってしまうくらいに。

 でも翌朝、それらはきれいに頭から吹っ飛んだ。

 陸は気づいていない。 ひいたカーテンの薄暗い中なか浮かび上がった陸の姿。 遼太郎が寝ていると思い込み背を向け着替えたとき、見てしまった。 背中、脇腹、足。 全身に紫色の内出血があった。 もう薄くなっているもの、出血も伴ったであろう傷もあった。 ゾッとした。 夕べ組み伏せた体の上にあんな痛々しい痕跡が散っていたなんて。 あれは女じゃない、たぶん男につけられた、跡。

 華奢といっても陸も大人の男だ。 あんな風になるまで黙って殴らせておくはずがない。

 ……いや、黙ってやらせていたのか?

 恋人からのDV。 最近はしょっちゅう聞く話ではあるが、まさか陸の恋人がそんなことをする奴だなんて。 孤独の中にいた、自分を見失っていた陸にその鎧を脱がせた男。 優しい人だと思っていた。 だからよかったと思っていたのに。


「違うか……」


 とっくに誰もいなくなったオフィスで遼太郎は呟いた。 目の前にはまだ提出が先でも構わない書類が高く積んである。

 誰がよかったと思っても思わなくても、陸はその男に惹かれた。 人が出会うレールの上に必ずふたりはいて、どんな順番でも出会っていた。 誰よりも大事な存在で、家族のいない陸にとっては彼はそれも同然で。 殴られようが蹴られようが、それは変わることがない。 だから黙ってやられている、受け入れている。 自分がそうしてもらったように、相手のすべてを受け入れる。

 遼太郎は、それを振り払ってしまったのに。


 そんな風に、自分も誰かを思ったことはあっただろうか。 正直、苑子をそんな風に思うことができたなら、誰の子供でもいい、ふたりで育てようと言える。 苑子がどう思っているかはわからなけれど。

 でも、やっぱり無理だ。 人の、ましてや自分の部下の男が親だとわかっている子供を、愛することなんてできない。 子供の顔を見るたびに後輩の顔まで思いだし、ふたりに裏切られた自分、そしてその子が不貞の証だと痛感する。 そんな一生。

 半面、惚れた女の子供なら相手が誰でも育ててやる、と言えない自分にも腹が立っている。 ちゃんと、好きだったはずだ。 この人と一生やっていこうと決心するほどに。 色々なことが起こるであろう人生、お互いに支えあって生きていこうと決めたのに。 入り口でつまづいたからって、それでもいいと言えない自分が情けない。


「くっそ……」


 椅子の背もたれをグッとそらして天井を見る。 苑子、陸、苑子、陸。 出会ってからこっちの様々な場面が駆け抜ける。笑った顔、怒った顔。 そういえば、陸の泣いたところは見たことがない。 あの、文化祭の帰りも、怒りで目の回りも真っ赤になっていたけれど、泣いたりはしなかった。 校庭に置き去りにした卒業式の日も、遠くから見た陸は呆然としていたけれど、何事もなかったように帰っていった。


『今でもどこか、欠けてるんじゃないかと思うんだ。大事な部品が、なにか』


 もしも、小さい頃からずっと側にいられたら、そんなことを思わないで大人になっただろうか。 遼太郎の家は子供が多いから一人や二人増えたところでたいして変わりはない。 遼太郎の家で過ごして一緒に学校へ行って、飯を食って。 そうしたら無くなるはずの、陸の部品はくっついたままそこにあったのか。


「……」


 机の足を軽く蹴って、椅子は後ろへ転がっていく。 自分の上にだけ照明をつけていたから2、3メートルも転がれば、遼太郎の回りは暗い。 滑るがままに進んで、止まったところの机を蹴って今度はその場で廻ってみた。


 違うな。 それは思い上がりだ。 遼太郎の家のあのやかましい中に放り込まれたら陸はますます孤独を感じただろう。 もっとなにかを手放して、今よりスカスカになったかもしれない 。どこにいても、何を与えても、家族以上のことなんてきっと出来ない。 代わりなんてなれっこない。


「でも、そいつには出来たんだよな……」


 それこそ、野性動物でも慣らすようにやさしく近づいて、陸の殻をはずしたのだろう。 陸が欲しがった愛情にどっぷり付けて甘やかして……だから陸はあんなにきれいに……。


「だからきれいってなんだよ……」


 遼太郎の祖母は陸を気に入り、家に来るたび彼の前におかずの山を築いた。 美人だ美人だと誉めていた。 母親も妹も同様で陸が来れば夕飯は少し豪華になり、普段しない手伝いを率先して行っていた。 考えてみれば、陸は髪を染めていた頃から整った顔立ちのよさが際立っていた。 物静かで、家庭事情のせいか言葉遣いも丁寧で何事においても控えめだった。 決して目立たないが鼻の利く女の子達は陸をいいと言っていた。

 今思えば、あの頃陸と一番仲のよい自分が少し誇らしかった。 彼女いるのかなと女子に聞かれて、知らねー、と言うのも嬉しかった。 他の友達も仲良くはしていたが、遼太郎には少しだけ柔らかい表情を見せてくれていた。

 それでも、見せてはいない場所があった。 一番まんなかの弱く危うい部分。 それが、少し悔しい。


 ぐーるぐる、椅子を回す。 窓の外はビルの明かりが眩しいくらいだ。 それらも椅子を回せば右から左に流れていく。

 考えても答えが出ないことばかりだが、次に会ったとき陸に平謝りすることだけは、決定だ。


 遼太郎を思い止まらせるために言いたくないことを言わせた。


『まあ、おれはゲイだし一晩だけのお付き合いもあったから、好みのタイプのお前と寝れたらラッキーくらいだけどさ』

『彼女とのこと解決してないのにこんなことしたら、ずっと嫌な記憶として残るよ』


 あんなこと言ってごめん、 言わせてごめん、 困らせてごめん、 傷つけて、ごめん。



 遼太郎が次に陸に会ったのは写真集の見本が上がってきたときだった。 校正や色彩チェックで陸は何度か会社に来ていたようだったが、遼太郎は呼ばれなかったので会うことはなかった。

 プロジェクトメンバーが集まって、段ボールを開けた。 表紙を飾る子供たち、昔子供だった大人たちの笑顔が弾ける。 夏の青い空に、みんなで作ったアーチが輝いている。 奥の方にはスタッフ総出で建てたステージ。 赤い屋根の校舎、古びた体育館、風の泳ぐ林。

 回りを取り囲んだスタッフも一瞬声をつまらせたが、プロデューサーが最初に一冊を箱から出し開くと、他の者も後に続いた。 どのページも溢れんばかりの笑顔や歓声でいっぱいで、あの、奇跡のような一日が閉じ込められていた。 カメラマンの澤木も感無量といった声で「なんか、思い出しちゃうね。あの日のこと」と呟いた。

 陸は、といえばみんなから少し離れて写真集の表紙をじっと眺めていた。 首に巻いたストールに口許を埋めて、膝の上においた本の表紙を撫でている。 遼太郎がそっと近寄ると陸がふわりと微笑んだ。


「お疲れ。すごいいい写真集、ありがとう」

「ううん、おれこそ。楽しかった」

「……それと、この間、ごめん。酷いことした。許してもらえるなんて、思ってもないけど……」


 陸は驚いた顔で遼太郎を見上げた。 その顔がほころぶように笑顔に変わる。


「なに言ってるの、辛いときはお互い様だよ。おれこそ余計なこと言って、嫌な気分にさせたって反省してたところだし」

「陸はなにも……」

「うん、だからお互い様。もうこの話はなし!」

「……そっか、さんきゅ」


 まだ盛り上がっているみんなを見ながら、陸がクスクス笑っている。 遼太郎は不思議そうに陸に聞いた。


「なに?笑って」

「ん?これさ、高校の時と同じだなって。輪から外れたところにいると、必ず遼太郎が話しかけてくるんだよ。おれはあんまり皆と話すのが得意じゃなくて、でも楽しそうなのは好きでこうやって見てると、人一倍大きな声で遼太郎が絡んでくるんだよ。そしたらそこが今度は輪の中心になってて、いつの間にかおれの回りに人がいっぱいいるの」

「そう、だっけ?」

「そうだよー……。遼太郎と、またこんな風に話せるなら、みんなとも連絡絶たなきゃ良かったな」

「なに言ってんだ」

「え?」

「俺っていう窓口がいるじゃん。また遊べるよ、陸が望んでくれるなら」

「……」

「友達じゃん、ずっと」

「……うん、ありがとう」


 本当は友達、というのがしっくりこない。 ここのところ陸に対する感情は、およそ友情の枠からははみ出してしまっているように感じる。 でも、遼太郎にはその枠を外れたところにある感情の名前がわからない。


 その日は各々サンプルを大事に持って帰った。 大人げないがずっと欲しかった宝物を手にしたような気分だった。 きれいで、懐かしくて、あの日の匂いまでしてきそうだ。


「陸、帰り少し飲んで行かね?」


 会議室を出て久々に定時で上がろうとしていた遼太郎は陸に声をかけた。 陸は少し、迷うようなしぐさを見せたが承諾した。

 一件用事があるといった陸と別れて、遼太郎は帰りの支度をする。


「ご機嫌ですね?デートですか」


 営業事務の女子社員が話しかけてくる。 自分は、そんなに浮かれているだろうか。 顔に手をやってみるがそんなことはわからない。


「んー、違うけど。まあ、楽しい方の予定かな?」

「木暮さん最近ちょっと元気なかったから、楽しい予定ならよかったです」

「……俺、元気ないように見えた?」

「はい。ネクタイの色、グリーン系が多かったし」


 何のことだろう、ネクタイって……。 理解できない顔をした遼太郎に少し笑い、彼女は言った。


「調子いいときとか、上向きな時って明るいブルーのネクタイしてることが多いですよ?ここ一番の時はイエロー系だし。」

「……すごいね、それ。え、俺のこと好きな訳じゃないよね?」

「やだなー、違いますよ!みんな自分の担当の営業のことはそのくらい見てますよー。」

「……」

「で、今日はここ一番の、レモンイエローだからデートかなーと思ったんです」


 女子社員とは神かもしれない、パート2。 久しぶりに陸に会うから、確かに朝、少し張り切った。 一番好きなネクタイ、してきた。


「それじゃあ、お疲れさまです。あまり飲みすぎないでくださいね?」

「うん。俺、酒控えようと思って」

「あ、たぶんそれ無理!」

「何でだよ!」


 だって、要らんこと陸に言ってしまったら、もう自己嫌悪で立ち直れなくなりそうだし。 遼太郎は今日のほどほどの酒量を心に誓った。




 待ち合わせの店には陸が先に着いていた。 堀こたつ風の座敷に半個室になった店内は、照明も抑え気味で居心地がいい。 会社からも近いのでよく使う店だった。


「悪い、遅くなって。仕事じゃなかったのか?」

「ううん、電話が入ったから折り返してただけ。そっちこそお疲れ」

「おお」


 まずはビールで乾杯をして、つまみをいくつか頼んだ。 よく行く店だから、と誘ったときに言ったからか、オーダーも全部おすすめでいいと丸投げされた。好き嫌いがないのはいいが、陸の『好きなもの』を知りたかったな、と少し不満に思う自分は、どうかしている。


 とりとめなく今回の仕事のこと、これからの仕事のことを話していくうち、遼太郎は思いの外酒が回っていたようだ。 今日は適量を心がけていたのに、陸と一緒だとついピッチが上がってしまう。 陸は結構いける口だった。 聞けば元同僚に酒豪の上に酒癖の悪いやつがいて、そいつがつぶれる前に飲まないと損、ぐらいに思っていたとかいないとか。 その上陸は態度にも全く変化がない。 ほどよく酔わせて、傷跡のことを聞こうと思っていたのに、これではこちらが先につぶれてしまう。


「あのさ、遼太郎」

「んー、なにー?」


 口調も怪しくなってきた。 内心舌打ちをして、一気に水を飲む。少しスッキリした気がする。


「あの、さ」

「うん」


 陸が何かをためらうしぐさを見せた。 割りとさばさばと話すタイプだと思っていたのに珍しい。遼太郎はしばらくそのまま見守っていたが、そのうち陸が小さなため息をついた。 そして、ううん、何でもない。それより、と切り出した。


「……彼女のこと、どうするの?」


 すっかり忘れていた。 この間、あの現場には陸もいたのだ。気にしないわけはなかったのに。 少し酔わされて吐かされるのはどうやら遼太郎の方だったようだ。


「……早いうちに3人で話し合うことになってる」

「後輩の子とはうまくやれてんの?」

「その事には触れないで、仕事だけ淡々とやってる」


 あの事があってからはじめての朝、後輩は頭だけ90度で下げるとそれきり、なにも話さなかった。 遼太郎にしても、いいわけもなにも聞きたくなかったし、本当のことならもう仕方ない。 実際どうするかは別にして、自分は半分この問題から弾かれたようなものだと思っていた。


 しばらく黙っていた陸が、ことさら優しい顔で言った。


「おれは……なんて言ったらいいかわかんないけど、彼女がお前を選べばいいなと思うよ」

「バカ言うな、あっちは子供がいるんだぞ」

「それでもさ。お前を手放すなんて、きっと後悔するよ」

「陸」


 苑子はきっと、後輩を選ぶ。 陸もわかっている。 その上で、遼太郎を手放すことを後悔したらいいと言いたいのかもしれない。 遼太郎は自分にそれだけの価値があるのかなんてわからない。 でも、陸の願いが嬉しかった。 もう元通りにならないのなら、せめて一緒になれなかったことを後悔してほしい。 裏切ったことを悔やんでほしい。


「大丈夫。遼太郎には違う人がどっかで待ってるんだよ。待ちぼうけさせないようにしてやらなきゃ」

「……そっか、そうだな。どこにいんだろなー、早く出てきてくれればいいのにー」

「人生は長いし、そのうち出てくるよ」


 陸は、泣きそうな顔で笑った。 一緒に悔しがってくれているのが痛いほどわかって、遼太郎のほうがうっかり泣きそうになってしまった。

 遼太郎の涙腺が緩んだことを察してか、陸はトイレに立った。 遼太郎はおしぼりで顔を乱暴に拭くと、自分も生理的欲求を覚え、陸の後を追った。 連れしょんなんて女子みてえ、と少し恥ずかしく思いながら中に入ると、陸が手洗いの前にいた。

 首に巻かれていたストールは陸の右腕にかかっている。 その首には、赤いうっ血の跡があった。 キスマークとか、そんなものじゃない。何かで、きつく絞めたような。


「……なんだよ、それ」

「遼太郎?!」

「なんなんだよ!お前、なにやってんだよ?!」







お話も後半に突入です。

今日もありがとうございました。


また明日、22頃お邪魔します。


うえの

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