小野寺陸 7
「なんか寂しいなー」
「準備、かなり大変だったみたいだもんな」
一日がかりで行われた廃校フェスも終わりに差し掛かっていた。 各教室での展示やワークショップも有意義なものだった。 小中学生が一流のアーティストに指導を受けられることもこういう機会でもなければないだろう。 ステージでは幼稚園のお遊戯の後にプロのダンサーのショー、の後に高校生の演劇クラブの発表とバラエティーに富み、バンド目当てで遠征してきていた若いファンも、一緒になって園児たちに喝采を送っていた。
テントでは食べ物や名産品が品切続出となり、各出店者は嬉しい悲鳴をあげながら、補充に奔走していた。
陸は校庭のはじっこの小山に登り、それらの人たちをぼんやり見ていた。 もうすぐ最後のステージイベントだからそれは少し近くで写真を撮るが、今は休憩だ。 やっとの思いでゲットしたしゃも饅頭を堪能しつつ長かった一日を振り返っていた。 そこに、やはり少し休憩をとった遼太郎が、陸を見つけて小山を上がってきたのだった。
「こんなとこでサボってていいのか?」
「俺の仕事は本当はこんなに広範囲じゃないんだよ。スポンサー集めと出店者集め、それでお前の写真集の営業回りくらいだったんだけど……」
「他にも抱えてる仕事あったんだろ?」
「そっちも必死こいてやったよー。誰かほめろよー」
「うん、よくやった」
「感情がこもってないよー。陸のバカー」
こうしていると、自分達の高校の文化祭の夜みたいだ。 前の日まで夜までかかって準備して、たった二日でみんななくなってしまう寂しさを、あの時の自分はどうやって押し殺したんだろう。
「高校の時のさー、学祭思い出すよな。こんな風にしてると」
「……おれも今、それ考えてた。遼太郎、脛毛剃られて散々だったよなー、とか」
「それは思い出すなよ!俺の黒歴史なんだから」
その年、陸たちの通った高校で全学年参加のイベント、ミス女装男子コンテストが計画された。 陸のクラスからは、ウケを狙って柔道部の主将を勤めた厳つい生徒が起つことになっていた。 ところが健康を絵にかいたようなそいつが文化祭の前日に急に高熱を出して倒れたのだ。 インフルエンザでクラス全滅かと沸いたが、幸いただの風邪で、文化祭が終わるとすぐに登校してきた。
しかし困ったのは陸たちのクラスの男子だ。 じゃあ、代わりに誰を出すかと大揉めに揉め、なんと陸が出場することになったのだ。 理由は色が白いからという、それだけで。
すっかり憂鬱な気分で当日学校へいくと遼太郎がやって来て「俺が出るから準備手伝え」と言ったのだ。
それからはコンテストが終わるまで、怒濤の忙しさだった。 柔道部主将のためのワンピースを遼太郎に会わせて安全ピンなどで止め、女子にメイクをしてもらった。 かつらを合わせて最後に遼太郎が陸に「脛毛剃るの手伝ってよ」と言ったのだ。
陸はその頃遼太郎への気持ちをしっかり自覚していたのでお断りしたいところだったが、自分の代わりに恥をさらしてくれようという友人にそう冷たいことも言えない。 仕方なし、女子から受け取った除毛ムースと濡れタオルを手に、二人きりの教室へ向かったのだった。
臭いのキツいムースを遼太郎の足に伸ばしながら、陸は不意にこの間のキスのことを思い出していた。 遼太郎はすでにワンピースを着ていたので汚れないようにスカートの裾をまくりあげ椅子にどっかと座っている。
両足をクリームまみれにしたこの男と、キスをした。
同性を好きになってしまう人達が一定量いるのはわかっていたが、それでも他の友人たちと自分は明らかに違うのだろうと陸は思っていた。 だから、好きなひとに好きだと言えること、まさか触れあえることなどあるなんて、考えてもいなかった。 たった一度の奇跡だったのかもしれない。だったらその一回が遼太郎でよかった。
携帯のタイマーが鳴る。 放置時間が終わったようだ。 濡れたタオルで足に残ったムースを拭きとると、ほっそりとした足が現れた。
「おおーー、いいじゃん」
つるつるになった自分の足を見て、遼太郎は満足そうだ。 サッカーをやっているわりに細めの足は女の子とは違う筋肉をまとったものだが確かにきれいだった。 立ち上がりどこから持ってきたのか遼太郎の足にも履ける6㎝ヒールで立てば、ど迫力の美女が出来上がった。 そのまま教室を闊歩する遼太郎を、あっけにとられて陸は見た。
「よくお前、そんなもん履いてさっさと歩けるな……」
「初めて履いたけど、まあ、いけそうだな。体幹の問題じゃねえか?」
颯爽と教室の端まで歩き、腰に手をあてポーズを決めると華麗なターンで戻ってきた。 何故か周囲に投げキッスをしながら。
「サービス、か?」
「おう、出るからには優勝狙うぜ?」
もうちょっとスカート短くしてもらおうか、などと言いながら裾をつまんでは右へ左へ揺らしている遼太郎に陸は、呟くような言葉つきで言った。
「あのさ、今日ありがとう。おれが出たらたぶん盛り上がらなくて、みんなもしらけたと思う。ほんとにありがとう」
「……陸が出たほうが、ウケたとは思うな。女装なんかさせたら似合うと思うし、俺の100倍くらいかわいく仕上がったんじゃないか?でも、こういうのって向き不向きがあるからさ。賑やかしは、まあ、任せとけよ」
自分でもなにかおかしなことを言っている自覚があったのだろうか。 遼太郎は横顔をうっすら染めて、またウォーキングの練習を始めてしまった。 陸もそんな彼を目の前にして、何の言葉もかけられず、そのまま集合時間となってしまった。
遼太郎の黒歴史はここから始まる。 超張り切ってステージを練り歩き、客や審査員たちにウインクや投げキッスをサービスしながら、会場は今日いちばんの盛り上がりを見せた。
ところがそのあと出てきた隣のクラスの男子を見たとたん、会場の雰囲気は一変した。 揺れる淡い色の花々をイメージさせる儚げな美少女の登場に辺りは水を打ったように静かになった。 続けて、彼女(彼)が誰であるかがアナウンスされると、うって変わって悲鳴のような歓声が響いた。 それものはず、彼は普段は長い前髪に度のキツい眼鏡をかけ制服をきっちりと着こんだ誰もが知っている生徒会副会長だったからだ。 どこにそんな可憐な顔を隠していたかとどよめいたが、さらにセールスポイントをだめ押しされて、遼太郎の優勝は夢と消えた。
「実は副会長、すっぴんなんですー!」
「あれは卑怯だったと思うぜー。それでそのあとのクラスの奴らの仕打ちときたら!」
ワナワナと体を震わせる振りをして、遼太郎が言う。 話し慣れた感じから何度かネタにはなっているだろうなと思いつつ、結末を知っている陸も、楽しそうに耳を傾ける。
結局優勝は副会長がかっさらい、副賞の学食の食券クラスの人数分は逃してしまった。 さらにもうひとつ賞が設けられており、残念だった微(妙)少女に贈られる『審査員特別賞』は柔道部の次期主将候補で2年のムサい大男が受賞した。 つまり、入賞する気満々で派手なウォーキングとパフォーマンスを披露した遼太郎は完全に空振りに終わってしまったというわけだ。
「あれほどみっともないことって無いな!超ノリノリでウォーキングしたのに無冠って!そのうえアイツら、やっぱり小野寺出しとけば良かったんだとか文句言いやがって!」
「おれが出たって変わんなかったって……」
文化祭が終わった日のホームルームで、担任が遼太郎を労う言葉をかけたとたん、優勝した副会長と陸は路線が一緒だったのだから、出演者を変えなければよかったんだ、と誰かが言い出すと、他の生徒もそれに乗っかって遼太郎に文句を言ったのだ。 もちろん、なんでも面白おかしくできる仲間内のこと、言ってる方も本気などではなく遼太郎もそれはわかっている。
「だけど、陸がかばってくれたんだよなー」
「……おれの方が恥ずかしいわ、その話」
回りがあまりにも遼太郎を責めるので、気がついたら陸は立ち上がり、遼太郎の真横に立っていた。 普段の白い顔が羞恥と怒りで赤くなり、それでも大声を張り上げた。
『遼太郎はおれがあんまりやりたくなさそうだったから、仕方なく代わってくれたんだ!あんなにかっこいいステージ、おれが審査員なら、遼太郎が優勝に決まってる!』
「嬉しかったなー。いつもおとなしいのに、真っ赤になってプルプル震えて、必死にかばってくれてさー。みんなもびっくりしてたよな、あの小野寺がって」
「プルプルはしてなかったと思うけどな。でも本当に助かったーって思ったんだよ。おれ絶対あんなの無理だったもん」
「いやー、優勝したかもよ?今思うと、それはそれで見てみたかったなー」
「勘弁してくれ……」
廃校フェスは最後のステージの準備をしている。 遼太郎の会社から発注されたステージ専門のスタッフが来ているのでここでこうしていられるらしい。
照明を落として着々と進む準備を見ていたら、祭りの最後の寂しさがひしひしと迫ってきた。 まだ恐らくその寂しさを知らない子供たちがステージの回りを駆け回っている。 夜に外出することなどあまり無いから、駆け出した足と同じに気持ちも止められないのだろう。
陸は、急にずっと胸に押し込めていたものを遼太郎に差し出したくなった。 恋人にも見せたことのない陸の中にある闇。 日が沈んでも太陽のように眩しい子供たちの前で晒してしまったら、新しい気持ちになれはしないだろうか。
「おれ、子供時代にあんまりいい思い出がなくて。小学生は嫌すぎてぼんやりしか覚えてない。母さんが家にあんまり帰ってこなくて、腹減ってて、学校に行けば髪の色が違うって遠巻きにされて」
母親に捨てられて、なんでかな?ってずっと考えてて、答えなんてどこにもなくて。 親戚の住む知らない土地に引っ越して髪染めて、コンタクト入れて。 伯父さんたちはよかれと思ってしてくれたってもちろんわかっているけど、これなら、おれじゃなくてもいいじゃんて、ずっと思ってた。 おれがここに、生まれて生きている意味。
ずっと目を凝らしていた。 でも見えない月。 今日のように雲のかかった空を陸はなにかを探して泳ぎ続けている。
「今は大人になったし友達もいるし、やりがいのある仕事もしてるけど。でも、子供にとっちゃ、必要とされてないって本当に辛いよな。いくら食っても、腹一杯にならない感じ。」
頬にひとつぶ、滴が落ちた。 泣いているのかと思った。 ステージ前が騒がしい。 遠くの空に稲光が走る。
「今でもなにか、欠けてるんじゃないかと思うんだ。大事な部品が、どこか」
いきなり振りだした雨に全員総出で対策に走った。 雨だけなら防水対策は万全なのだが、風と雷では歯が立たない。 本部ではここで中止の方向で話を進めていた。
こうしたらどうだろう、と言ったのは福地だった。
「外では危険だと思うので、屋内イベントも終了していますから体育館でやったらいいんじゃないですかね?」
「だって涼介、セットはどうすんの?これから組み直したらいつになるか……」
「アコギ持ってきてるから、アンプラグドでどう?リズム隊は手拍子参加」
「……いいんじゃないか?」
「おもしろそう!」
スタッフミーティングが行われ、急遽アコースティックスタイルでのライブが行われることに決まった。プロデューサーがステージに上がり、このあとの予定がアナウンスされた。客もスタッフもぞろぞろと体育館に入り。大方収まった頃に雨は本降りになった。
中に入るとステージの上は先程まで行われていた演劇のセットがそのまま残っている。あれを片付けてからでは時間に問題が出そうだ。
「ねえ、ここの下で、まあるくなってやらない?」
「え?」
「だから、俺らが真ん中に入って囲んでもらって」
「そうだな、それもいいかもしれない」
スタッフ総出で誘導をして客を車座に座らせた。ステージの上も人で一杯だ。 遠くから来たのであろう若いファンも自然と子供たちを前の方に座らせようとしてくれる。
予定の変更があってから、澤木と一緒にカメラを覗いていた陸は、このフェスは大成功だと確信した。 プレイガイドであまり売られなかったチケットを求めて、近郊から客がこの町に殺到したという話を聞いたときには、正直どうなることかと思った。 マナーを知らないガキどもにせっかくの企画を台無しにされたらどうしようかと。 でもそんな心配は必要なかった。 みんな、ちゃんとわかってくれていた。 このイベントの意味やメッセージを、一人一人が大事にしてくれた。 それが、次の誰かにも伝われば。
人の輪のなか、静かに始まったアコースティックセットのライブも、きっと、集まった人の心に忘れられないなにかを残すだろう。
ステージの隅っこに、今朝お茶を配っていた子供と並んで座っている遼太郎が見えた。 身長も全然違うのにお互いにしづらそうに肩を組んでいる。 きっと彼の心にもずっと忘れられない思い出として今日のことは残っていくだろう。 いいな、羨ましい。 何度も繰り返し思い出したい記憶がある彼が。 やっぱり大事な部品が、欠けているのかもしれない。 心のどこか、裏側の方で。
澤木と陸で撮った写真は膨大な量になった。 その上事前に現地に入っていた遼太郎の提供した写真も入って、そこから数枚を選ぶのは大変な作業だったようだ。
今はそこも終了して陸の仕事も大詰めを迎えていた。 プレゼンの時に遼太郎の会社で披露したジオラマは実際の写真を使うとさらによかった。 何度でもあの日のことを思い出せる。 太陽の角度、スピーカーから聞こえる音、テントから漂ってくる空腹を誘う匂い。 何度も何度も再生されて、何度でもあの夢みたいな一日に戻ることができる。 子供たちの笑顔が、かつて子供だった大人たちの笑顔がたくさんつまった最高の写真集が出来上がった。
気の遠くなるような工程を経て、写真集の原稿は印刷所へと送られていった。
その日の早い時間に遼太郎から飲みに行こうと電話があった。 企画の方に行った連絡を遼太郎も聞いたのだろう、入稿祝いだとかなんとか言っていた。
廃校フェスのとき、陸が呟いた事を遼太郎は彼なりに受け止めてくれたようだ。 その言葉を吐くに至る生い立ちは語らなかったから、何のことだかは知られていないだろう。 それでも、今は違っても子供の頃寂しかったんだ、という甘えを見せたことには気づいて欲しかったんだと思う、あの時は。
遼太郎と待ち合わせの約束をして午後はゆったりと仕事を進めていった。 今は小学生用の学習参考書の表紙を手掛けていた。1年生から6年生までデザインは違うが同じテイストでという発注だったからあまり子供っぽくもなく、文字ばかり目立つものでもなくそれこそ大人が持ってもおかしくない程度のギリギリのかわいさを狙った。
5時になって筒井が帰ると急ぎの仕事がない限り陸も仕事をやめる。 独立してから1年半。 最初は遮二無二仕事をとっていたがあっという間に倒れてしまった。 寝不足とストレスが原因だった。
今はコンスタント来る仕事を一定量にキープしながら日々を過ごしている。 筒井にたいした給料をやれないのも目下の悩みだが入院などしては元も子もない。
途中の仕事を一旦片付けて、自分の部屋に戻る。 同じマンションに眠るための部屋と仕事部屋を二つ借りている。 最初は自分の部屋で仕事もしていたが筒井が来てくれることになってさすがにベッドルームが丸見えの部屋では仕事はさせられないと思いきった。 築年数が経っているので、大きい部屋を借りるより安かったのも理由のひとつだ。
キッチンでコーヒーを淹れる。 今日は遼太郎と飲みに行くので食事のしたくはいらない。 節約もかねて自炊をしている陸は、明日の昼用の仕込みをしながら、時間になるのを待っていた。
携帯の音が鳴る。 待ち合わせにはまだ時間があるから、もしかしてキャンセルの電話だろうか。 液晶には福永の名前が浮かんでいる。 そういえばここのところ忙しく1ヶ月位は会えていなかった。 陸に時間があるときは向こうがだめ、福永の都合がつくときは陸が出先だったりで予定があわなかった。
声が聞ける、それだけでも嬉しくて飛び付くように電話をとった。
なんの映画だったかなー?男性がヒロインの足を剃るシーンがあって、色っぽいなあと思ったものですが、学生にさせると完全に御笑いですな……
今日もありがとうございました。
明日もまた22時頃お目にかかりますー。
うえの




