小野寺陸 6
『廃校フェス』の当日になった。 陸はデザインが決定すればあとは本番まで特にすることはない。 今日はカメラマンと一緒にカメラを持って会場内を歩き、写真を撮る。 天気はギリギリ今日はもってくれるだろうかという曇天。
朝8時に集合だったから前日は会場から一番近いホテルに泊まった。 最寄り駅に宿泊施設はなく、そこから2つ隣の比較的大きな駅の前だ。
「てるてる坊主の気分だな……」
ホテルを出るとき見上げた空に祈った。
会場は使用期限などが特になかったため搬入などもスムーズに終了したと聞いている。 カメラマンの澤木は搬入の時からくっついて写真を撮っていたのだ。 マメに報告を受けていた陸は本番間近のおおよその流れも澤木を通して知っていた。 また、写真のデータの一部も送られてきたので、その空気も知ることができた。
子供たちが発表のための練習をしているところ、地元のカフェが出展のためのテントを張っているところ、作業服の者、ジャージの者、入り乱れてステージを設営しているところ。
「……遼太郎」
濃いグレーのつなぎを着た遼太郎が写真のそこらじゅうに写っていた。 頭にタオルを巻き重そうなコンパネを担ぐ。 設計書を見ながらスタッフと難しい顔で相談している。 そうかと思えば絡まる子供たちと弾けるような笑顔で遊んでいる。 追いかけられているから、鬼ごっこでもしているのだろう。 それとも、陸の知らない遊びか。 夏の盛りはこれからだが今年は朝から気温の上がる日が多い。 黒くなった鼻の頭はそのせいか、汚れだろうか。
最近、遼太郎のこと、高校の時のことを思い出すことが多い。 福永に手をあげられた日は必ずその世界に逃げ込んでしまう。 あれから、福永の暴力は回を重ねるごとに激しくなった。 はじめての時以降、顔を殴るようなことはなかったが、腕や腹にアザができる夜もある。 痛みによる怯えはある。 でもそれよりも福永が何かしらの抱えた苛立ちや悩みを発散してできるのであれば、その場所に陸を選んでくれるのであれば、それは嬉しいことだった。
他の女がいるのかもしれない。 年老いた両親のことも話半分で聞いている。他の人とバッティングしないように配慮しているのだろう。 そうでなければ自宅の場所も4年もの付き合いになるのに教えないということはないだろう。
女の子に手はあげられない。 秘密事項もあるだろうからおいそれと困ったことを話すこともできない。 それらのたまった苛立ちを陸を殴ることで解消されるならそれは受け入れてやりたかった。
生涯の伴侶に自分が選ばれるとは思っていない。 雨宮はそこそこに大きい会社だ。 今は独身で通しているが、出世に有利な縁談でも来たらきっと彼はそれを受けるだろう。 そしてそれはそんなに遠くの話でもないと思う。
一昨日も、夜中に酒の臭いをまとってふらりと現れた福永は、半分眠っていた陸を叩き起こしたかと思ったら、肩や足を殴り付け半ば強引にその体を開いた。 台風のようなセックスのあと満足したのか少し眠って夜更けに帰っていった。
いつまでここに来てくれるのだろう。 別れると言われたらすがり付いたりはしない。 きっと胸は抉られるように辛いけれど。
彼は陸のはじめての恋人だ。 陸の全部を認めてそばにおいてくれた。 でもそれを差し出しても福永の幸せを望んでいる。
安らかに眠る福永を見ているとまた遼太郎のことを思い出してしまう。
再会してからは昔のままに話しかけてくる彼に、正直戸惑いを覚えていた。 先日も飲みに誘われた。二人ではなかったが居酒屋やバーを3件ハシゴして三々五々いい気分で帰宅していった。
二人の間には学生の頃の思い出話しかないと思っていたが、陸のファンだというのは本当らしく今まで関わった書籍の話は尽きなかった。 次から次へと『あの本は?あの時の本は?』と陸の関わった書籍のタイトルをあげられて驚いた。
一緒に飲んでいた遼太郎の同僚も陸がつれていった大石も『それじゃあ、ストーカーだよ』と苦笑いをしていた。
昔の失言をまだ気にしているのだろうか。 もういいのに。 あんなのは子供によくある無邪気な残酷さだ。行進している蟻を笑いながら踏み潰すような。それを後悔するから人は痛みのわかる大人になるのだろう。 遼太郎だってそうだ。 ずっと謝りたいと思っていたと言ったではないか。その気持ちを抱えていたからあんなに……
ふるふると頭を振る。 自分は辛くなんかない。 暴力も気持ちの感じられないセックスも悲しくなんかない。 遼太郎や思い出に逃げ込むのはやめろ。
ひとつ息をつく頃、目的の小学校が見えてきた。 陸の家からなら特急と在来線を乗り継いで2時間半、そこからタクシーで15分。 なるほど、近くには家もなく校舎の裏には林が迫っていた。 夕方には街灯もなくさぞ心細い通学路だろう。
しかしその寂しさも今日に限ってはない。 廃校フェスの準備のため溢れんばかりの人々が慌ただしく仕事をしている。 色とりどりのテントが校庭を飾り、奥の方にはステージも見える。 子供たちが手伝っているのか邪魔をしてるのか走り回っている。
「おはようございます」
「おお、おはよう。すごいなあ、俺もうなんか感動しちゃったよー」
すぐに見つけることができたカメラマンの澤木に声をかけると目尻の下がった笑顔を向けてきた。 もう数日前から泊まり込み撮影をしていたのだ、運営スタッフや地元の人たちと同じ気持ちにもそれはなるだろう。 すっかり打ち解けて毎日地元のスタッフと飲み歩いていたと聞いている。 著名なカメラマンで数多くの賞を獲りながら、意外と気さくで人懐っこい。 かと思えば若い女の子にものすごくモテて、アイドルの女の子と電撃結婚してしまう。 そういうアンバランスなところを陸は好きだった。
「どうですか?撮影」
「うん、準備の様子は結構とれてあとは進行に沿ってお客さんとかも撮りたいな」
「チケットの売上は順調だったんですかね?」
「あれ、知らないの?イベンターさん言ってたけどソールドアウトだって。なるべく地元で売りたかったからプレイガイド販売は少なくしてたらしいんだけど、こっちまで買いに来ちゃった客も一杯いたらしくて嬉しい悲鳴だったみたいよ、地元商店」
それはそうだろう。 近所の人だけが買いに来るような商店に殺到する客を捌くノウハウは望むべくもない。
「で、木暮くんも手伝いに来たみたいよ、チケット販売」
「え、そんなことまで?」
「彼もここに通ううち、馴染んじゃったみたいで。なんかホームステイとかしてたみたいよ?」
「はあ、すげえな」
と、その遼太郎が子供たちを引き連れて陸たちの横を通りすぎていった。 何やら段箱を抱えている。 後ろにくっついた子供たちもレジ袋を持っている。
「おはよー、木暮くん」
「おはようございまーす……って、あ、陸も一緒?」
「ああ、うん。今来たとこ。まだ8時前なのに凄いね」
「そうー。今から弁当配り。朝ご飯ですよーーー!」
「お茶ですよーーー!」
子供たちが持っていた袋にはペットボトルのお茶が入っていたようだ。 製作スタッフに弁当を配って歩いている。 そこここで声をかけられそれに笑顔で答えている。 あの男は昔から変わらない。 ああやって誰にも同じように親しみ深く話しかけ相手の懐にするりと入り込んでしまう。 そして相手もまた遼太郎と話すのをとても喜んでいる様子がわかる。
昔は陸も、その中の一人だった。 地味でおとなしい部類だった陸をどうしてそんなに気にかけてくれていたのかはわからない。 それでもほんの短い時間遼太郎の存在に救われていた。
なんの礼もできなかったけど。
会場を一回りすると、遼太郎は陸のところに戻ってきた。
「お前も弁当食えよ。あ、澤木さんのはあっちでスタッフの人が貰っとくって仰ってたので置いてきちゃいましたけど、こっち持ってきます?」
「ううん、戻る。むこうで食ってくる。またあとでね!」
いうが早いか澤木は彼のスタッフが機材などをおいている車の方へ走っていった。
「タフな人だなあ」
「お前もな、遼太郎」
「俺?」
「こっちでホームステイしてたって聞いたぞ、澤木さんから」
「ああー……ほら、この辺近くにホテルとか無えじゃん。物販とか飲食とかお願いすんのにも朝来て一日駆けずり回って、ホテルまで何十分か移動しなきゃいけないってぼやいてたら、町役場の人が『俺んち泊まれって』言ってくれて……。で、心優しい人の家を転々と」
「お前のそれは才能だな」
天性のひとたらし。 隣では遼太郎が誉められてる気がしなーい、とぼやいている。 でもやはり陸はいちいちそんな遼太郎が羨ましかった。
校庭の端に張ってあった無人のテントで弁当を広げた。 おにぎりが3つとたくわんがプラ容器に入っていた。 傍らにはお手伝いの子供からもらったお茶もある。
「いただきまーす」
「いただきます」
「んっ、うまーい。さすが町でいちばんの団子やさんだ。」
「弁当屋じゃないの?」
「うん、団子やさんがおこわとかおにぎりとかお餅とか売ってんの。出店してもらうのに何度か足運んで、その度に団子とか大福とかごちそうになっちゃって、こっち来て少し太ったかも」
それはあまり感じなかった。 それよりも会社で会ったときより黒くなった顔や腕が健康的に見えるくらいだ。 ちょうど、あの頃みたいに。
「あんまりデブってると彼女に嫌われんじゃないか?」
「……そっかなー。でも、そうやってはっきり言ってくれると努力のしようもあるけどな」
「ジョギングとか?」
「ジムとかな」
美味しいおにぎりを頬張りながら、遼太郎の心はここにはないような気がした。 高校の時の面影に胸が鳴ったことを恥じるように打ち出した話題は、どうやら遼太郎の触れてほしくないところに着地してしまったようだ。
彼女がいて、会えないから?こんなところで泊まり込みの仕事をしていれば、会えなくもなる。 寂しい思いをさせている後ろめたさ。 それとも、違うなにか。
10時の開場時には校門の前に長い行列ができていた。 お約束のように校門にはパイプとベニヤで作ったゲートがある。 地元の工務店と去年までこの小学校に通っていた子供たちが合作で作ったと、さっき聞いた。
整ってきれいなものなんてなにもない。 みんなみんな子供たちを中心に町の人たちが手作りをした祭りだ。この小学校がどれだけ愛されていたかが、そこで育ったんじゃない陸にもよくわかる。
校庭をぐるりと囲むテントからはもういい匂いが漂ってきた。 蒸し器からは盛大に湯気が上がり、どこからか鉄板の踊る音もする。 スピーカーからマイクテストの音が聞こえて、客の気分も否応なしに盛り上がってきた。
福地涼介が開催の挨拶のためにステージに姿を見せると、その熱は一気に振りきれてしまった。
夏フェスいきてええーー……。
今日もありがとうございました。
毎日あっつくて死にそうです……。
明日も22時頃、お邪魔します。
どうぞよろしくお願いいたします。
うえの




