04 : セジュロ … 清十郎のファンたちが愛を込めてこう呼んだ
清十郎が永久子の傍仕えから外され、一週間。
永久子はいつものように花純を嘲笑っていた。
「どうしたのです、志田さん」
威圧的な永久子の声に、カフェテリアに緊張が走る。誰もが固唾を飲んで、その席を見つめていた。
「私の持って来た林檎が、まさか食べられないとでも?」
どこのバワハラ上司だ。花純はカフェテリアで拳を握りしめて口に林檎を運んでいた。すでにこの林檎で、五つ目となる。目の前に盛られた上等なオムライスには一口も手を付けることが出来ずに、腹は膨れてゆく。
「まぁ卑しい事。そんなに貪らなくても、まだ沢山おかわりはありましてよ」
さぁほら、食べなさい。そう言って永久子はウサギ型に切られた林檎を花純に突き出した。
花純は差し出された林檎を見て、もう限界と叫びたい気持ちを堪える。
文化祭が終わって、クリスマスに入るまでのこの期間。花純と友康に特別なイベントは存在しない。なので、適当に何か理由を付けて自分を苛めてくれと花純は永久子に頼んだのだ。火あぶりがいいか、水攻めがいいか、風車回しがいいかと嬉々として尋ねる永久子に、花純はもっと優しいものにしろとチョップを入れた。
なので花純は、これ程間抜けないじめに対して、何の文句も言えなかったのだ。
しゃくしゃくしゃくと林檎を齧る音だけが、この清廉なカフェテリアに響く。花純はたまらずに、目の前に座る者に助けを求めた。花純をカフェテリアへと誘った、一条友康である。
友康と花純は、生徒会で同じメンバーという“理由”がある。そのためにカフェに誘い、そのためにオムライスランチを奢ったとしても、まぁかろうじで不自然ではない。
そのオムライスは、今誰にも手が付けられていないのだが。
花純は林檎を咀嚼した。違う、なんか違う。私が想像していたいじめと、なんか違う。もっとこう、トイレに閉じ込めるとか、教科書を隠すとか、徒党を組んでハブるとか、もっとなんか、あるでしょう!? 花純は必死に林檎を齧った。
率先して永久子が花純に絡むため、他の派閥は手を出しあぐねているらしい。猫の縄張り争いか! もっと徒党を組んで苛めてもいいのに、私の心は鋼なのに! 花純の悲鳴は、学園の子息子女には届かない。
しかしこれは、ある種初めての悪事と言えるかもしれない。意中の相手とのランチデートを邪魔され、あまつさえお昼ご飯を口にさせてすらもらえずに、林檎を腹がはち切れるまで詰め込まれている。悪事だ。これは、魔王転生後初の悪事に違いない! 花純は少しだけ誇らしくなった。いやちがう、魔王の成長に感動している場合じゃない、と思い直した花純が友康を見つめた。
友康は自らの許嫁と、林檎を頬張る花純を見比べて、戸惑っていた。
ですよねーーーー!! 花純が心の中で叫ぶ。
平たく言えば、林檎を恵んでもらってるだけだ。大げさに庇い立てするほどのことではない。
特に永久子は、友康の許嫁だ。二人の婚約が解消されるのは卒業間近の事なので、今不貞を働き責められるべきは友康なのだ。それがわかっているだけに、彼も何も言えないのかもしれない。
「さぁ詰め込みなさい。その薄っぺらいお腹に、林檎を詰め込んでしまいなさい!」
よくわからない白鳥の女王のご乱心に、花純はただひたすらに林檎を咀嚼し続けた。
「蘇芳様。あれは、ない」
「な、何故だ。完璧な悪役であったではないか。友康様でさえ仲裁に入れぬほど悪逆非道な――」
「あれは、戸惑っていたとか、引いていたとか。そう言う部類なんです。日ごろの蘇芳様を知っている人は、誰だってそう思います」
珍しく冷静な花純のダメ出しに、永久子はしゅんと項垂れる。
時は放課後。「今日の反省会やるから」という題名で呼び出された永久子は、いつもの場所で花純に叱られていた。正座をする永久子など、父にさえ見せたことのない姿である。
「もうちょっと非道なことをしてください。堪らずに生徒会長が庇いたくなるぐらい私を苛めてください。もっとど鬼畜な悪役ですよ! 蘇芳永久子は!」
「う、うむ。わかった……次は縄でも持って来て――」
「……縄でどうするつもりですか」
「吊るす。鉄鍋の上に」
「あーもう、魔王の感覚、抜けてーー!!」
悲鳴と共に崩れ落ちる花純に、永久子は慌てる。
「待っていろ。すぐに資料を整える」
「資料って……あぁ、そういえば。セジュロを最近見かけませんね」
花純の言葉に、永久子が固まった。「セジュロ」というのは、清十郎のことである。前世では、親しみを込めてファンの間ではそう呼ばれていたと花純が言った。
清十郎は、永久子の傍仕えを外されていた。この17年間の間で、清十郎が傍にいないことは初めてである。今は後任の女生徒を付けられているが、いかんせん不慣れなので、彼女を撒くのは隣の家のゴン太の額を撫でるよりも簡単なことであった。
しかし永久子は、清十郎がそばを離れていることを、花純に告げたくなかった。
清十郎の好きな相手。それは、花純ではないかと思っているからだ。
清十郎も、花純がヒロインである世界で、攻略対象の一人であった。清十郎は、花純にとって目の上のたんこぶである永久子の傍仕えではあったが、二人は次第に心を惹かれあっていく――という筋書きらしい。
清十郎の、惚れる相手。
そう思うと永久子は、花純に今までのように微笑んでやれる気がしなかった。
「あぁ、少しな」
「んー、こんなイベントあったかな? でもセジュロが一人で行動してくれるならありがたいですね。特定イベント起こしやすいかも」
どんなのがあったっけな、と呟きながら花純は携帯を取り出した。スイスイと画面を動かし、自らメモしている事項を確認する。
「……イベント?」
「そうですよ。白鳥学園には逆ハールートは存在しないけど、誰かと卒業式を迎えるまでは全員の好感度を上げれるんです。セジュロはイベント起こすのが難しくって……中々会えなかったんですけどね……蘇芳様から離れててくれるなら、花壇イベントとかいけるかなぁ」
永久子の声色が変わったことに気付いていない花純は、携帯を触りながらそう返した。
「……逆ハールート? ……全員の好感度?」
花純の言葉に更に怒気を強めた永久子が、ゆっくりと発音する。
「――……では何か。清十郎は……その内の、一人であると?」
身の毛がよだつような怒りを含んだ声を聞き、花純はようやく画面から目を離した。ゆっくりと顔を上げ、永久子を見る。
――間違えた。
花純は、そう感じた。
目の前で怒りを燃やす永久子は、日ごろ花純が目にする少しばかり抜けている女生徒ではない。
彼女は、ただの善良な悪役ではなかったのだ。
忘れていた。あまりにも彼女が、気安かったから。
彼女はあの蘇芳家の長女であり、白鳥学園の女王であり――そして、前世は悪逆非道の限りを尽くした、魔王であったということを。
「清十郎を、胸に挿す徽章とするために、虜にすると申したのか?」
永久子の低い声に、花純は一歩後ずさった。
後ずさる花純を見て、永久子は何の感慨も浮かばない。
「な、なんで、急に――だって、生徒会長は、いいって……――」
永久子は、その生まれながらの身分をよく理解していた。自らに与えられた自由の裏に責任があると、十数年の人生の中で学び、自分を戒めていた。
だからこそ、永久子は人の我儘を許した。しかし今、永久子は到底花純の言葉を許せるとは思えなかった。
生徒会の席はいい。それが蘇芳永久子の本当の姿で、正しい歴史だというのなら。いくらでも譲ろう。
許嫁であり生徒会長である、一条友康もいい。どうしても彼とのルートを選びたいというのなら。それに沿おう。そう言う未来もあるのだと、受け入れよう。
清十郎ルートも、いい。
彼女が、彼女が心底彼に惚れ、心を尽くし、彼の心を愛で埋めたいと思うのならば。彼を第一とし、彼を心底大事に思うのならば。清十郎の雇用側として、幼馴染として、それを認め、援助しようと思えた。
しかし――それが違うのなら。
「友康様に、惚れているのではなかったのか」
「好きだよ、そりゃ。だってずっと憧れてたんだもん。声優の海野も好きだったし、キャラデザも一番好きだったし、けど、清十郎だって好きだったんだもん」
混乱し、永久子の怒気に怯えた花純は無意識のうちに幼い言葉遣いになっていた。
震えながらも気丈に答えたその言葉に、永久子は呆気にとられ、怒りを忘れた。
「……声優、キャラデザ?」
「そうだよ。友康様は白鳥学園のメイン攻略キャラだったから、声優もイベントもスチルも他の人より優遇されてて――」
永久子の怒りが溶けたことに勝機を導き出せたと思ったのか、花純は早口に捲し立てる。しかし、聞けば聞くほど、永久子は唖然としていった。
「志田、目を覚ませ。それでは、それではあまりに――」
永久子は思い出していた。友康のはにかんだ笑顔を。人に対してどこか冷淡だった友康が、カスミソウの入った琥珀のバレッタを握りしめて、微笑んでいたのだ。
「それでは、あまりに――」
血の気が引いた永久子の顔を、花純は不思議そうに見ている。前世の記憶のまま、この世界をゲームだとしか思えていない花純に、永久子は何と言っていいのかわからなくて言葉を止めた。
それを、今だ魔王に囚われている自分が、言っていいのか迷ったのだ。
「――誰か! 蘇芳様を、永久子様を、早く!」
聞こえた声に、永久子と花純はハッと顔を上げた。
ここは隔離され、他の人間から分かりにくい庭とは言え校内である。もちろん、他の生徒の声がこうして聞こえることもあった。
女生徒の切羽詰まった声を聞き、永久子と花純はそちらを向いた。永久子を呼んでいるようだが、永久子と花純は人目を忍んでこの場にいる。ちょっとしたことでは顔を出せないと様子をうかがう。
「誰か! 早く永久子様をお探ししてちょうだい! 高遠さまと―― 一条様が! 殴り合いを!」
永久子は茂みから、勢いよく駆けだした。